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「あら、おかえり。精霊には会えたの?」
精霊術士ギルドに戻ればどこもかしこも色鮮やかな花で飾られていて、さぞかし楽しんだであろうルミがアイシャたちを迎えてくれる。
「全然何も無かったわ。アイシャちゃんを連れて行けばきっと妙なことに巻き込まれると思ったんだけどねー」
当てが外れたと残念がるエスプリは早速バラダー向けに今日の日報を書くらしい。日報という名のノームのスケッチでしかないが。
「ふーん。ママが行けばきっと面倒ごとでも起こると思ったんだけど、何も無かったのね。むしろそっちの方が異常な気がするわ」
アイシャの頭に着地したルミは「本当に?」とアイシャの顔を上から覗き込む。
「まあ、ね」
否定もしないアイシャの手には黄色いアミュレットが握られていて確かにあの出来事はあったのだと疑う事もない。
「あ、あの精霊女王様……」
「うん? どうかしたかの、娘よ」
幼女を救ってくれたアイシャの連れ。エルフィアにとっては特別以外はみな“その他”でしかない。今の今までそこにいることは分かっていても気を配る必要さえない相手。
「──私の記憶を消せますか」
知っておくにはあまりにも普通ではない出来事に、若いエスプリの心は折れていた。
何をされたわけでも求められたわけでもないが、常人の知るところではない世界の話を、アイシャのルーツまでも、その一端とはいえ知ってしまったうえに、今後はそれらを秘密として抱え続けなければならないプレッシャーを想像して勝手に折れてしまったのだ。
楽しそうにノームをスケッチするエスプリはもはや精霊界のことはカケラほども記憶にない。エルフィアがそのチカラをもって確実に消してくれたおかげでアイシャが訪ねた時と変わらず可愛いお姉さんでいられる。
今は目のハイライトがキラキラとした少女漫画チックになって一層可愛いお姉さんになっている。
「──そんな事が」
アイシャが語るまでもなくルミに密かに教えたのはエスプリの連れていたノームである。ただの人間でしかないエスプリと違い、ノームの記憶までもを消す必要はないためにエスプリは知らないが使役するノームは知っているという状況になっている。
「私は別に知られたならそれでも良かったんだけどね」
以前にアイシャが取り乱した時は、アイシャの知らないところで秘密が漏れていたと思ったからで、目の前で行われた不意の暴露に対してまで必死で守る気は無かった。
「いや、ママはそれでいいとしても──私だって驚いてるよ。自分の前世とか知ってる人なんて、そうそういないんだし。あ、私はまた別だけどさ……それも違う世界からって、そんなのがあること自体がビッグニュースだもん」
ルミ自身生まれ変わりではあるが、元魔族だとかそういう情報は知られたくはない。別に知られて困ることもそれほどないであろうが、積極的に宣伝することはないだろう。それはきっと普通ではないから。
エスプリたちに手を振り挨拶をしてアイシャたちは家路につく。アイシャの身勝手でエスプリを訪ねて、本来とは違う話になってしまったとはいえ彼女にそれだけの負担を強いたのだ。その上でお世話になろうなどとはアイシャであれど言えるものではない。
「それで来年の就職先を決めるどころか精霊集めを頼まれたわけ?」
「うん……何となく流されて」
聖水みたいなアミュレットを渡したい幼女と受け取りたくないアイシャの熾烈な争いの末とはいえ安請け合いしてしまったアイシャ。
「でもさ、その精霊女王は気軽に言っちゃってるけど、ノームたちをストレージに入れて運べたのってママが地龍にその権限を与えられたから、だよね? 他の精霊……サラマンダーとかもその上位者の権限を貰うところから、なんだよね」
「ああっ‼︎」
思わず顎が外れそうなほどに口を開けて叫んだアイシャはそのまま地面に膝をついて頭を抱えてしまう。
「──地龍は本来地面の中、遥か下に住んでるんだけど、他についてもそんな感じのはずよ?」
「つ、つまり?」
「火龍は燃え盛る炎の中、水龍は深き水の底、風龍は空のどこか」
「死ぬじゃん。ていうか全部龍なのね」
唖然とするアイシャにルミは「ママなら散歩するような気楽さで出会いそうだけど」などと言うがアイシャとしてはそんなところでお昼寝が出来るとは思えないために今からもう嫌になっている。百歩譲って空に可能性を感じはしているが。
「お昼寝士アイシャちゃんの大冒険の始まりね」
「──何かのついででよいとか言ってたから、忘れちゃおう。うん、そうしよう」
街には秋の風が心地よく吹いている。お家に近づけば美味しそうなシチューの香りが漂ってくる。母親の作るご飯が待つお家へと向かうアイシャはまだ親の庇護下にある子どもである。子どもが頼まれるにはあまりにも過酷ではないか。
そんな事を頭の中で考え続ける事で精霊女王の面倒な頼みごとは見事にアイシャの記憶の奥に力づくで押し込められた。