アホの子、アイシャとは
「意味わかんない」
アイシャの首はは再びもげそうなくらいに傾げている。
「本来聡明なはずの君がそうやって思考を放棄したり、アホで残念な子になったりするのは、男子だった君の他に女子だったあの子が君の中にあるからなんだ」
アホの子は懸命に頭を働かせて考える。クリアな思考の外にいる“あの子”とは。
「つまり二重人格?」
「それに近いけど違うかな。君は元男子のその記憶の通りだよ」
「だとすると同じ身体の中にあるという女子は?」
「ちゃんと考えられるようになっているね。今まではその元女子がそれを拒んでいた。けれどこうして僕が出向いて話を始めたから諦めたのかな」
「諦めた? 拒む? 何を?」
「ここで再び新しい人生を生きることを、さ」
アイシャは頭を鉄パイプででもぶん殴られたような衝撃に見舞われる。生きることを拒む元女子はアイシャの中にいるという。助けたかったあの子が、今は生きたくないのに、アイシャが無理矢理生かしてしまっているのか。
「私が助けようとしたあの子は生まれ変わっても生きたくないの? そこまで絶望しているということなの?」
泣きそうな顔のアイシャに影は首を振る。シルエットでも立体なのか首を支点に回る頭で判断がついた。
「“生きることは仕方ないけど引きこもっていたい”というのが正解だね」
「は、なんだそれ」
思わぬ回答にアイシャもつい真顔の本音が飛び出す。ぐるぐるする思考は回転するばかりで答えに辿り着けない。なんだか逃げる女子を追いかけてずっとつけ回すようなコミカルな思考。
「彼女ねえ、引っ込み思案なんだよ。前世でも人付き合いが苦手でね。いい子ではあるけど、人前で話せない。家族となんとか話せるくらいで、学校なんて単位に置かれても孤立してしまう。話しかけられても返せない。いい子なだけの彼女には人生は辛いものでしかなかった」
「なるほど、続けて」
キリッとした顔でアイシャが促すのは、自分の中のどこかにそれを「やめて、恥ずかしい」と訴える気持ちを感じたからだ。こんなことは初めてだ。
「そしてきちんと靴を並べてみんなへの“感謝とお詫びの手紙”を書いておいた彼女は生まれ変わって君より早くその状況に気づいた。先に彼女の方が目覚めたんだね。──彼女、アニメや漫画が好きでね。君より一歩も二歩も先んじていたわけだ」
「ふむ、ちなみにそのアニメとかってのは」
アイシャが頷いたのは、やはり自分の中で「その内容には触れないで」と懇願する声が響いたからだ。
「まあ、それはそっとしておこう。すでに彼女を楽しませている、とだけ」
アイシャの中の“誰か”が赤面して、つられてアイシャの顔も赤面した。
「ちなみに書き置きの内容だけは教えておこう。『クラスのみんなへ。私にいっぱい話しかけてくれてありがとう。お父さんお母さんもありがとう。みんなありがとう。話すのが苦手でごめんね』」
「なるほど、それは生きにくそうだね」
文面でまでも引っ込み思案で何も分からないのがアイシャにも伝わり、アイシャの中でうな垂れる誰かの存在を確かに感じた。
わたしも引っ込み思案で言葉足らずです。出来れば隅っこに閉じこもって人生を他人に預けてみたいものですね。