いつもとは違うプール
夏の海での経験は街のプールにも活かされている。どういう事なのかと言うと……。
「何で私なのかな?」
「仕方ないじゃない。他にギルド職員で丁度いい人って知らないもの」
こういう時は大抵アイシャが巻き込まれる側で疑問をぶつけているのだが、今回は立場が逆でアイシャに連れられたマケリが何故だと問うている。
魔術士ギルドが主導している夏のプールだが、いまその一部を借り切ってアイシャがマケリに水泳を仕込んでいるところだ。
「いや他にも動けるやつなんてゴロゴロと」
「知らない人と水着姿での付き合いは余り嬉しくないだけ」
「なるほど、それは一理あるわね」
大勢の中での1人と違い指導するとなるとやはりその視線が気になるアイシャ。特に気にしているスタイルをマジマジと見られるのだ。男の視線とかではなくそこに残念がられたりするのが嫌なのである。
「まずは水に慣れることからね。息を止めて水の中で目を開けましょう」
「はーい」
息を吸い込み水の中に潜るアイシャに続いてマケリも真似して潜る。
「ごぼごぼっ……ぶはあっ! はあっ、はあっ……」
「ぷふっ、マケリさん早すぎでしょ」
「いや、なんで水の中で変顔してるのさっ!」
「え? なんとなく」
初めて意識して水中で目を開けたマケリが最初に見たのはアイシャの渾身の変顔で、そんな中を耐えろと言われても無理であった。
「じゃあバタ足でもしましょうっ」
「はーい」
ある程度水に慣れてきたと判断したアイシャ先生によるバタ足講座である。
「最初に手本を見せるからマケリさんは私の手を握っていてね」
「ん? 分かったわ」
特別な説明はなく、よく見ててと言ってアイシャは浮き方をほんのりと教えたのち、立ち姿のマケリに手を繋いでもらいバタ足を披露する。
「なるほど、確かに前に出てくるのを感じるわね」
バタバタと交互に水を蹴ることで推進力を得ているのがそれだけで分かる。理屈で考えられる大人に教えるのはそこまで難しいことではない。
「あれ? でもアイシャちゃん、ちょっとつよ……つよっ!やめ、とめて……いやあああぁ」
徐々に回転数を上げたアイシャのバタ足がマケリを浮かせて押して行く。やがてアイシャジェットは抵抗できないマケリをプールサイドにぶつけてノックアウトした。
「ぷはっ、はあ、はあっ……あれ? 私どうなったの?」
「今のが人工呼吸ね。マケリさんも分かった?」
今の今まで意識が飛んでたのだ、分かるはずもないが周りの女の子たちのきゃーきゃーする声が気になる。
「──いや、何も覚えてないよ」
「じゃあもっかいするから。ちゃんと憶えててよね」
「はーいっ、んぐっ⁉︎」
それはそうで、返事したマケリの口は隙間なく塞がれて中にアイシャが入ってくる。
女の子たちの声の意味が分かって吹き込まれる息に“人工呼吸”が何なのかギリギリで分かった。
「先生、舌を絡めた意味は⁉︎」
「え? 特には、ないかな?」
「んなっ!」
「続いては腕を回します。これをクロールって言いますっ! マケリさんは足を持ってて下さい」
「はーい」
マケリが足を掴むとアイシャが腕だけのクロールをしながら息継ぎなんかも教えていく。
「これなら突撃されることもないわね。腕だけでもなかなかいくものね。息継ぎってのも難しそうで……ちょ、足っ、足が暴れて──いやあっ」
油断したところに追加された激しいバタ足はマケリの拘束を断ち切り、大量の水を浴びせて発進してしまった。
「ちょ、どんだけのパワー。あの子本当にオールEな……な、なんでこっちにっ! いやああっ」
プールサイドまで到達してもそこはゴールではない。綺麗なターンを決めたアイシャは当然のようにマケリに激突して沈めてしまった。
「んっ……くっ……ぶはあっ! ふっ! はあっ! ……うんっ」
「おはようございます」
「おはよう……なんで先生は、アイシャちゃんはそんなテクを持ってるの」
「ん? 水泳は得意だからねっ」
マケリの言ったテクはそっちではなく意識を取り戻した際に1番に感じた口内の快感の方である。
「さて、実技も済んでマケリさんも一応10mは泳げたし、この調子でやっていけばいいのかな?」
「ちなみに人工呼吸は教えなきゃならないの?」
アイシャがマケリに教えているのは今後ギルド職員の主導で水泳の講習を取り入れるためだ。その際に1番に誰かに教える役目はマケリとなる。
「もちろんよ。溺れた人を助ける必要もあるもの」
「男性にも?」
「男性は……絵で説明して男同士でやらせればいいよ」
「ナイスアイデアっ!」
ガシッと握手する2人。
「でもそうね……私の意識があやふやだったから実のところあんまり覚えてないのよね──」
マケリはアイシャの口元に視線を落としてその先の提案をする。
「今度は私がアイシャちゃんにしてもいい?」
「えっと……それじゃあ──」
「それだけならここじゃなくても私の家でできるものね」
しゃがもうとするアイシャを制して微笑むマケリ。
(あれはお遊びでしたことであってそんな風に──)
お遊びでそんな事をしちゃうアホの子の自業自得な結末は──
「大丈夫よ、私は一人暮らしだから」
赤い癖っ毛をアップに纏めて微笑む勝ち気な見た目の美人さんをゲットしたことにアイシャの中で皐月がわっしょいわっしょいと喜んでいるが誠司の方はあわあわしている。
「料理の腕前もなかなかのものなのよ、私。ねえ、アイシャちゃん──」
ひょいと軽くアイシャを抱えたマケリがアイシャの耳元で囁く。
「──今夜は寝かせないから」
2人はプールを後にして翌朝は同じ朝食を仲良く食べることになった。