おはよう、おやすみ
「おらあっ! さっさと寝ないかっ」
アイシャが目を覚ました時にはすでに空には星が瞬いており、痩せた悲しいベイルが元気よく子どもらに就寝を促しているところであった。
「アイシャちゃん、おはよう──ってもうみんな寝る時間なんだけどね」
見ればあちこちにテントが張られていて、男子と女子が分かれて押し込まれている。
「どのくらい、寝てたのかな」
「んー、5時間くらい?」
「それはまた──」
アイシャが砂浜に帰り着いた頃はまだ夕日でもなかったが昼前から始まった陸での魚介狩りから考えて恐らくは4時くらいだったのだろうか。
「ずっと、そばに居てくれてたの?」
「うん。あ、でもごめんね? ご飯は食べちゃった」
「いや、それはいいけど──ありがとうね」
波のざわめきは静かで昼間の喧騒が嘘のようだ。
「お、嬢ちゃんは今おはようか」
「世紀末モヒカンもしぼんじゃって残念ね」
騒ぐ子どもたちをどうにかテントに押しやったベイルがアイシャの起きているのを確認してやってきた。
「──っていうほど残念そうでもない?」
「いや、そりゃあ俺の自慢の肉体というかそれしか取り柄がないんだからよ。残念どころじゃねえが今は仕事だな。いつまでもしょげてる訳にもいかねえし──何よりこれが最後の仕事になるかも知らねえんだ」
それは半端者でありながら自己研鑽によりどうにか食らいついてきた立場を維持出来なくなるという事だろう。
「私があの髭を説得するよ」
「それをすると局長も後がこえぇから頷くんだろうが、そうはいかねえ。それに、どのみち……やり遂げられねえだろうさ」
今のベイルはバラダーほどに萎んでしまっている。バラダーはこの世界の人間らしくギルドカードと繋がっていてその恩恵を受けているからこそそれで良いが、半端者のベイルはそれだと並以下の存在である。とても戦闘職はおろかそれを束ねる立場も務まらないと覚悟している。
「嬢ちゃんには命を助けられたんだ。それだけでも──」
そのあとは言葉にならなかった。感謝はしている。それがたとえ精霊のチカラありきとはいっても、事実として感謝しておりその気持ちに嘘はない。なのに、失ったものを思い言葉を繋げることが出来ずに背中を向けてしばらく黙ったのち「ありがとう」とだけ告げて仕事に戻っていった。
「ベイルのこと、悪く思わないでね」
「マケリさん」
そんなやり取りを見ていたマケリが心配して声を掛けにきた。本人はルミとの裏取引でホクホクなので今回は大成功なのだが、さすがに同僚のあんな姿を見てそれを全面に出すほどに迂闊ではない。
「心中察するってやつだね。悪くなんて思わないよ。それにしてもマケリさんは嬉しそうだけど、良いことでもあったの?」
「ん? そんな事はないわよ?」
表情に沈痛さなどなく、どうしても表に出てしまうマケリは迂闊だったらしい。
「ドロフォノスも走ってったきり帰ってこないし」
「え? ドロフォノスさんも無事だったんですか?」
サヤはアイシャの無事だけを確かめてアイシャが流された理由のドロフォノスのことはすっかり忘れていた。
「サヤちゃんを助けたハクビシンよ。真っ黒であんな速さで動けるのは彼くらいじゃない」
近くで見た者はハクビシンの着ぐるみに呆気に取られたが、他の面々からすれば高速移動する黒い奴はドロフォノスでしかなく、いつものように陰に隠れてしまったのだと解釈している。
「まあ、きっと明日辺りには出てくるんじゃないかな?」
アイシャはミドリならきっと自分の家まで替えの黒装束に着替えに帰って翌朝には帰って来ると踏んでいる。
「そうね。だから2人も……早く休みなさい。見張りは職員で回していくから」
「「はーい」」
それでも2人はその場から動く事なく空を眺めていたが、それを咎める者もいない。
やがて口を開いたのはサヤだ。
「もう、あんな無茶しないでね」
「うん」
「もうひとりで消えてかないでね」
「うん」
「もう……ひとりにしないでね」
「うん、ごめんね」
きっとアイシャは同じ状況に出くわせばまた飛び込んでいくのだろう。サヤもそうは分かっていても言わずにはいられなかった。
「あのね、アイシャちゃん。私──」
分かっているからこそ、それ以上にしつこくは言わない。自分の言葉が自由なこの幼馴染を縛るような事になるのは嫌だから。だからネガティブな話はやめて楽しい話を続けたあとに仲良く眠りに落ちた。