流れ着いた獣と裏取引
波が打ち寄せる砂浜に一艘のボートが流れ着く。それはこの世界ではあまりにも見慣れないものだが、サヤとフレッチャは知っている。
「あれはアイシャの持ち運びできるベッドか」
「そうだね。いつだったかプールに浮いてたあれよね」
だがアイシャの姿は見えない。フレッチャも駆け寄って見てみたい衝動に駆られるが、マケリとふたりで抱えて抑えているサヤが空中で駆け足している姿を見て冷静になる。
「誰も、いない?」
フレッチャたちからは“ジンベエザメボート”に乗せられた人影もそれを押して泳いできた人影もまだ見えていない。
やがてボートの後ろから現れた人物の姿は水に濡れて陽光を反射させる銀色の毛並み。それは欲深きマケリが求めて止まない銀ぎつねの輝き。今度は欲深きマケリが駆け出しそうになって今はフレッチャが2人を抱えて抑えている。
二足歩行の獣はボートの中で溺れたまま意識を失ったベイルのモヒカンを鷲掴みにしてズルズル引きずりながらみんなの方へと歩き出す。そんな獣と辛うじてモヒカンでベイルと分かる変わり果てた姿の意識なき人物に
「な、なんだあれは」
「魔物じゃあないのかっ!」
「ちょっと見てよあれ」
「あのモヒカンはまさかベイルさんっ? し、死んで──」
子どもたちも職員たちも口々に恐れ戸惑い後ずさる。ベイルを引きずる獣の足取りはふらふらと頼りない。そんな姿にフレッチャの抱える2人は水平な姿勢のまま、いよいよ脚だけでなく手まで回り始めて、このまま離せばこの2人も獣のように駆け出しそうだ。
「まあ、迎えに行かないとね」
そのためにこの2人のどちらを離すか。欲深きマケリか愛深き獣の幼馴染か。
「ちょっと、私も離してよぉーっ!」
当然だがフレッチャはサヤを離して、駆け出した彼女は四つ足から人間へと見事な進化を果たしてアイシャに駆け寄る。
こんな魔力に満ちて適性や技能なんかのスキルの恩恵がある世界とはいえ、成人男性を掴んで素潜りから息継ぎなしで海上まで泳ぎきり、そこからはボートとはいえ推進力を求めてさらに泳いで押してきたのだ。
アイシャももうヘトヘトで顔を上げる余裕もない。被ったフードから滴る水滴が砂に落ちて吸い込まれるのを見ながらざわめきのする方へと歩き続けるだけだ。
そんなアイシャの耳に聞き慣れた声がはっきりと届いて顔をあげれば、何やらめちゃくちゃに叫びながら幼馴染がやってくるではないか。アイシャは迫り来るサヤのタックルを甘んじて受けて砂浜に倒れ込む。サヤの涙と心配する言葉の雨を浴びて、疲れ果てていたアイシャは心に幸福を感じながら──お昼寝に入った。
「うんうん。これで万事解決ね!」
そんな展開に退がって見守っていたルミも満足げな声を上げる。ルミの言う“万事”とは自分のやらかした範囲のことでしかなく、これで不安要素は無くなったわと安心しているのだが──
「あっ、こんなところにいやがった!」
「コイツだぁ。マケリさんっ、コイツがオラたちの魔道具でいたずらしたんだっぺ」
油断しまくりのルミをガシっと握りしめて声をあげたのは漁業ギルドのおっさんたち。すでに仕事を終えたからと陸に戻ってきていたところにたまたまルミを見つけたのだ。
「やっ、それはっ! それには海よりも深〜い訳があってね」
「なぁにが海よりもだ、このイタズラ精霊め」
「変な名前が定着しそうっ⁉︎」
捕まり慌てる様子のルミを見て、呼ばれたマケリはため息をつくが、少し思いついて後を引き継ぐ。
「ルミちゃん、あっちで商談しようか──」
「……お、お手柔らかに」
「──ていうか商談なのね?」
「そうよ、聞いてくれればどうにか罰が軽くなるようにするわ、アイシャちゃんの精霊さん」
欲深きマケリの提案はルミならどうにかアイシャが持っているかもしれない銀狐素材を提供してくれるのではないかという思惑からのもの。
「それなら一頭分ね」
途端に主導権を握ったと強気なルミ。怒られたくない精霊は当然出し渋る。
「一頭分……レア素材だもの、それでも──」
「無罪放免ならもう一頭つけちゃうよっ!」
「……のったっ!」
マケリの差し出した小指と握手するルミ。今度こそ全ての懸念は無くなったのだ。
こうしてアイシャの不本意な参加から始まった海の魔物の駆除作戦は、やつれたベイルや逃げた黒い獣ハクビシンことミドリなどのイベントを残しはしているものの、どうにか完遂出来てこの日は海でのキャンプとなった。