海の中の豊かな山と不毛の荒野
(暖かい。水の中に引き込まれたはずなのに……もしかして私はすでに死んでいて肉体はもうどうにかなってしまったのだろうか)
ドロフォノスは微かな意識の中で漂っていた。浮遊感が心地よく、このまま流されるところまで流されて行きたいと願わずにはいられない。
肌に触れる水の流れ、海藻の揺らぎ。そんなものをやけにリアルに感じる。きっと死ぬ前なんだろうと考える力ももうない。ぼーっとしているのは酸欠のせいか。肌を撫でる感触の中に体を掴んで抱えるものがあると、働かない頭で考えてもそれは捕食されるからだろうと思うだけだ。
だからそれがミドリの胸を掴んでも尻を撫でても唇を塞いでも気にしない。
(え? 唇を……?)
でも確かに触れられた唇は同じくらいに柔らかなもので塞がれて次の瞬間、ミドリは溺れる。
「ごぼっ、がはっ! ……はあっ、はあっ、はあ……」
「良かった、生きてたねえ」
激しく吹き込まれた息に溺れた肺はミドリの思考をだんだんとクリアにしていく。
「ぶはっ、ぶふぅっ……アイシャちゃん⁉︎」
「はいはーい、私ですよぉ。ひさびさにこんなに泳いだよー」
息を吹き返したミドリはゴツゴツした床に横たえられているのだが、まだ視界も戻っていない。ぼんやりと霞む視界には灰色や茶色の床や壁らしきものを映すばかりで、呼吸もまだ整わず耳も聞こえているやらいないやらだ。それでもこの子の声はちゃんと聴こえてくる。
「──魔力伝達?」
ミドリは辛うじてそれだけ意識から引っ張り出してみせたがアイシャにそれが何なのかは分からない。けれどアイシャはミドリの不調が解消するまで動かず待ってくれているようだ。ミドリも焦らずにとりあえず呼吸を正して手で自分の状況を確認していく。
頭に触れてガンガンするのも生きている証か。首は喉のあたりがとんでもなく苦しさを覚えているが今はマシになっていくのが分かる。胸はきちんと2つあって下に辿ればへその凹みに指が入り、くびれた腰もお尻も丸くて触れた指の感触をきちんとわかっている。
太もももすべすべで足指もちゃんと10本ある。そこまで確かめた辺りで目が見えてきたから目でも少し確かめてアイシャを探し見る。
「何でスク水なの?」
「いや、あんたらが着せたよね? そして見えて最初がそれなの?」
そう、アイシャが水着なのは分かっていたはずで、それよりももっと薄着な人がここにいる。
「何で、なんで私は裸なの……?」
やけにリアルな感触は当たり前だ。布一つ纏ってなかったのだから。
「ここまで泳いでくるのに服着せたままだと無理だって思ったから。その……服も武器も全部海底に沈んでる」
「はあ……ごめんなさい。それも当然よね」
流されている時に感じたやけにリアルな感触はそうだったのだ。死んだと思っていたのだ、それが助かったのなら服も武器もどうでもいい。いいんだけど……
「助けてくれてありがとう。でもたぶん揉んでなかった?」
「揉んでないわ。気のせいよ」
身体の回復を待ち、どうにか立ち上がったミドリは多少ふらついたものの、どこにも不具合が無さそうで安心した。
「サラシなんて巻いて……こっちはパッドのミルフィーユなのにっ」
ミドリを水中で剥いた時の話だろう。さっきからずっとミドリのことを頭の先から足の先まで舐め回すように見ていたアイシャ。なんか悔しげなアホの子は良く見れば水着の胸元がぶかぶかで、しかもグネグネと蠢いている。
「アイシャちゃん……パッドは?」
「流されたわよ、海流に」
おかげで水着がタモみたいよ。と文句を垂れつつアイシャが水着の中に手を入れれば魚が飛び出たりエビが飛び出たりと忙しい。
「なんで今まで入れっぱなしだったの?」
「1人で取り出しても惨めじゃないのさ。だから笑ってよ」
わざわざ見せるためだけにミドリの意識が回復するまでこのアホの子はそんな気持ち悪い状態でいたのだ。
「ふふっ、変なの」
「全くよ」
そんなブカブカ水着は捨て去り、今は2人して裸である。とはいえ変なことをするわけでもない。海水でベタベタするのをアイシャがストレージから取り出した真水の入った樽を使って洗い流しているところだ。
「本当に何でも入っているわよね」
ファサっと髪を振れば長い黒髪が揺れて胸の果実もたわわに揺れる。アイシャも同じように髪の雫を振り払ったが安定した地盤は揺るがない。
「この、にっくき水風船めっ」
「やっぱり揉んでたでしょうーっ!」
八つ当たりのその手の大きさと感触はミドリの薄れゆく意識の中で感じたそれと同じであった。
「ところでここはどこなの?」
「たぶん──」
アイシャがストレージから取り出していた光るミミズこと“地の精霊ノーム”の光だけが先ほどから周囲を照らしている。
「──海底洞窟……くしっ」
「へっ、へっくしゅ」
全体的に湿り気のある洞窟は奥へと伸びているようで2人はその先の闇を見つめて仲良くくしゃみをした。