真面目な闘い
「お待たせー」
「お、おう」
律儀に明後日の方を向いていたクレールと茂みに隠れて絶対に何も見せないとばかりに着替えたアイシャと待ちかねたクレールはやっとのこと対峙した。
いつもの茶色のハーフパンツに白のシャツ。すねの半分くらいまでのブーツに、手には2本のしっぽ。
「待て、なんだその手の物は」
「そっちも木刀なんて持ってるから一応、ね?」
「それはいいとしてそんなフサフサしたものでどうにか出来ると思っているのか⁉︎ お前から見て俺はそれほどまでに……っ⁉︎」
元来短気なクレールである。見方によってはハケかホウキのようなそんな物で闘うと言われれば恋心もそっちのけに戸惑いながら激昂してしまうのも無理はない。
「いや、まあパジャマにイメージが引っ張られるのは否めないけど、これ鉄芯が入っているから見た目ほど柔くはないよ」
「なんと……」
「安心して。これは武器から身を守るものだから。あと、そうね……約束して。ここでのことは一切他言しないって」
「元よりそのつもりだ。けど勝った時には俺のプロポーズを受けてもらう」
「いいよ。勝てたら、ね」
アイシャはアルスにしたように構えて見せて、クレールが仕掛けてくるのを待つ。対するクレールは木刀を片手に猫背にした力強い野獣のような構えだ。全身に漲るチカラは、木刀でも、空いた左手でも捕まればただではすまないだろうと思わせる。
毎度のカウンターで決めるつもりのアイシャとタイミングを測るクレール。互いに相手を直視しその時を窺うふたりだが、アイシャの胸の前に構えたしっぽがフサフサと風に揺れる。それは容赦なくアイシャの鼻をくすぐり──。
「──へっくしっ」
可愛いくしゃみが聞こえたところでクレールが斬りかかっていた。くしゃみというのはどんなに強くたってついつい目を閉じてしまうもので、どうにか女の子らしく音量を抑えたアイシャのくしゃみは、その瞬間目をつぶり斜め下を向いてすらいる。
くしゃみが出る寸前の予兆があったとはいえ、そんな突然の隙に即座に反応し差し込むクレールはやはり相当の実力を持ち、油断すらしないのだろう。あの時アルスがやったような縦斬りは、クレールが振るうと風を叩きつけるかのような勢いでアイシャへと襲いかかってくる。
カンっと右手の特殊警棒内蔵のしっぽが木刀を払い、左手のしっぽがクレールの胴体に突きを繰り出す。クレールもそれを半身になって躱して脇で挟み空いた左手でアイシャの右のしっぽを掴む。
半身になったその体勢はアイシャの投げも難しい。全てを封じたクレールはこの先の勝利を確信した。
武道館では双剣使いとも経験がある。投げは散々対策をしてきた。身長150cmのアイシャに対してこの170cmの体躯でならここまでくれば勝ちは揺るがないだろう──普通の相手ならば。
「俺の勝ちだなっ、この時を待っていた!──ぶへっ」
獣のような前屈みで喜びに打ち震えるクレールの横っ面を、アイシャの左のハイキックが強烈に蹴りつけた。
柔らかいアイシャの身体から繰り出すハイキックはこの至近距離でもほぼ直立したままに顔面に届かせる。
とはいえ手加減はしている。ブーツのすねのところには綿をもりもり突っ込んである。この4年弱、休みの日限定とはいえ木を蹴り続けた蹴りはまともに浴びせれば命を奪いかねない。
それでもブーツ越しに、綿越しに届けられた衝撃は幾重にも重なって押し寄せる波となり、クレールの頬から脳を揺らし昏倒させるには十分であった。
「まあ、先輩は先輩でこの先も頑張ってよ」
しばらくして目を開けたクレールは、勝利を目の前にして気を失っていた事を知り、その間そばで座って見てくれていた女の子に改めて恋をした。親の出した条件に合わせるわけでなく、結婚前提でもないシンプルな恋。
「俺は……そうだなこれから──」
何かいい事を言おうとしたクレールをお昼の鐘が邪魔してアイシャは駆けて行ってしまった。同じ街に住むとはいえ、聖堂教育を離れれば接点は無くなり、次に会うときには忘れ去られているかもしれない。
今日この日のことはアイシャの記憶に残っただろうか。クレールの目が覚めるのを待っていてくれたのは、何かしら期待してもいい心情からだったのか。
せめて次は繋がる想いを伝えたいクレールではあったが、そこまでの猶予も与えてくれることなく去ったアイシャの行動が全てではないか、と“失恋”という言葉がじわじわとその頭に浮かび上がってくる。
鬱々とする敗北に、顔も俯いてしまっていたクレールだったが、その耳はお昼寝館へと駆け上がってくる軽い足音を捉える。ついさっき下へと離れていったものと同じ足音。
それから少ししてやはり戻ってきたアイシャを見てクレールは顔を綻ばせたが……
「約束は守ってよね。他言無用! よろしくっ」
それだけ言って愛しい女の子は去っていった。
クレールの恋の道はまだ始まったばかりである。
相手の足元が視界に入ってないくらいに近くにいる時のハイキックはそれはもう、何が起きたのか分からないとか。
クレールはなぜ負けたのかも分からないままに結果だけを潔く受け止めて負けを認めたのですね。