狼になる? それは違うんだよアイシャちゃん
タンっ。
的の真ん中に矢が当たる。戯れに遊ぶアイシャのものだ。ただしその距離は弓術士たちの1/4程度である。華麗に髪をかきあげる仕草は髪の毛に触れる事なく空を切る。長い髪をサヤによってお団子ヘアーにされているためだ。
「ふふ、アイシャも弓に興味を持ってくれたのかい?」
椅子に座ってそんなアイシャを眺めていたのがフレッチャである。今日はどことなく元気がない。
「まあ、色々と知っておきたいかなって」
アイシャは前世では格闘は得意だが、野球もサッカーもバレーもバスケもテニスだって苦手だった。何かを持ってたり何かを転がしたりというものがどうも対人戦を意識した格闘技と感覚が違いとうとう身につく事なく終わったのだ。
「言うほどには悪くないじゃないか」
遊ばせて、とやってきたアイシャは先に苦手だと前置きしてあった。
「まあこれだけ近かったら、ね」
何度も見てきたその構えをトレースする。憧れを抱いたりもしたフレッチャの動きだ。矢をつがえて引き絞る。生徒向けの貸し出し用弓はよく手入れされていて放った矢が明後日の方向へ飛んでいくなんてことにもならない。
「アイシャはもしかしたら戦闘職でも十分務まるのではないか?」
フレッチャはまたしても的の中心に当ててみせたアイシャの可能性に言及する。
「遊びならあるいは──でも闘いなんて考えられないよ」
剣神と派手にやり合った少女の嘘である。
「フレッチャちゃんは、今日はなんだか元気がないけどどうしたの?」
さっきから座ったままで立つ気配すらない。それどころかなんだか無理しているような彼女にアイシャも心配になる。
「月のモノが、ね。重くってさ」
「月の?」
ルミが「あー、なるほど」と納得するのとは対照的にアイシャは分からずにいる。
「アイシャは平気な方みたいだね。羨ましいよ」
「ま、まあそうだね。私の月は軽いかもね」
「おや、君はお昼寝士の──」
「アイシャです。本、読んでもいいですか?」
それほどに大きくない部屋に並ぶ本棚と司書。学校であればどこにでもある図書室である。
「もちろん大丈夫だよ。借りるときは言ってね。手続きはここでするから」
挨拶もそこそこに、探し物を始めるアイシャ。
「ママは何を探しているの?」
アイシャについて来たルミには主の珍しい行動の意図が読めない。
「えーっと、そうこれ」
アイシャが取り出した本には“天体図”と書かれていて長机でそれを読み始めた。
「なにこれ、すっかすかよね」
「だからそんなの見てどうしたの?」
これじゃない、これでもない、とページをめくり続けてとうとう最後のページまでお目当てのものでは無かったらしくアイシャはパタンと本を閉じた。
「ほら、フレッチャちゃんが“月が重い”っていうから、この世界の人って月の引力の影響とかでも受けるのかなって思ってさ」
目を丸くするルミ。アイシャが改めて本棚に向かい探す顔には友人を想う真剣さがあり、ページをめくる手は文字を逃すまいと追いかける猟師のよう。
「ママ、月っていうのは──」
「ああ、夜の空に浮かんでいる丸だったり細かったりするあれだよ」
「いや、そうじゃなくて。それは知ってるんだけど」
「引力の話? そうだよね、余り知られてないけど星──この足元の大地も丸ごと星って言うんだけど──」
「ママ、聞いて」
この世界に天体という言葉があるのならば星という言葉も月という言葉もある。ただ自分たちもその星の住人であるとは知られていないし、引力とか重力についての解明なども進んでいない。だからてっきりアイシャはその辺の説明が必要なのかと思ったのだが。
「ルミちゃん?」
「ママ、あのね。フレッチャちゃんの言っていた月ってのは──」
その時、2人はふと視界が霞むような錯覚を覚えた。いや、それは未だにモヤがかかったようになっていて、やがてその視界を覆いつくすモヤは足元に溜まっていき、雲海のように広がる。司書の姿もどこにも見えない。
「なにこれ、魔力も感じないこんなの──」
怯えるルミをアイシャが抱きしめ辺りを見回す。もうここには部屋の壁も天井もその外の景色さえない。長机と本、そして2人が佇むのみとなった。




