凄いの? このおじいちゃん
「新学期の挨拶は聖堂武道館で──って何なんだろうね、アイシャちゃん」
いつもなら聖堂教育施設の中央の何もない場所で行われる退屈な話が全生徒を武道館に集めて行われるという。
「さあ。気分の問題なんじゃない?」
「何それ〜ははは」
あのおじいはシークレットゲストだったのだろう。まだ子どもたちの中に剣神の訪れている事を知る者はない。そのことをこれ見よがしに得意満面に吹聴する気にはならないアイシャはとりあえずすっとぼけた。
やがて始まる退屈極まりない新学期の挨拶はアイシャの記憶には全く残らない。そして小さな壇上に1人の老人が上がったあたりで子どもたちがざわつく。
「誰だろあのおじいちゃん」
「きっと近所の漬物屋さんだよ」
「あー、っぽいねぇ」
あまりにいい加減を言うアイシャにルミは白けた目を向けるがアイシャは意に介さない。どうせ──渦中に放り込まれるパターンだと思っているのだ。ギリギリまで足掻きたい。
「今年は王国最高峰の1人であられるこちらの剣神トマス老にお越し頂きこの街の戦力の底上げをしていただくこととなりました」
実に簡素な紹介は子どもたちが壇上に立つ老人がそうだと理解するのには不十分なようで、ざわめきは不信感を帯びたものになる。
「まあ──信じろったって無理だよね。見た目ただのおじいちゃんだもん」
アイシャも今急に紹介されたらあれはただの年寄りかも知れないと思ったかも知れない。けれど声を掛けられたとき、手を繋いで歩いたとき、アイシャと視線を交わしたとき。それらの時間がトマス老がただものではないと教えてくれた。
「こんなじいさんが剣神だとか信じられるわけないやっ」
こういう場面でつっかかる馬鹿な男子にアイシャは覚えがある。お兄ちゃん大好きでいつからかアイシャに抱きつかれて締め落とされることに快楽を覚えたマセガキ。クレールの弟、アルスである。
そう言って壇上に近づくアルスを誰も止めはしない。VIPであるはずの老人に迫る悪ガキを教師連中の誰も止めはしない。トマス老は未だにその目を開く事はない。
「アルス君。トマス老は盲目なのです。そのように近づいては──」
「剣神なんだろ? そんなら別に問題なんかねえだろ」
動かない教師の口だけの忠告に、少し大きくなった悪ガキアルスは悪態をつき大股でトマス老に近づくとその胸ぐらを掴みにかかる。
「アイシャちゃん、おじいちゃんが」
「まあ、大丈夫だよ。アルスは丁度いい噛ませ役にされたんだね」
「え?」
アルスの伸ばした手は空を切る。掴んだはずのそこにおじいはおらず、だが大きく外したわけでもない。壇上に上がって遠近感がちょっとだけ狂ったのかなどと思いまた掴みに行くがその手にはよれよれの服の手応えはない。
2度目ともなるとアルスも恥ずかしくて3度目をするのは躊躇われた。その結果の行動は両腕で肩を掴もうというもの。
「あああっ!」
そして伸ばした腕がやっとおじいを掴んだかと思ったら仕掛けた側のアルスが、悲鳴をあげた。
「ひゃっ⁉︎ アルス君の腕がっ」
小さな悲鳴をあげてサヤがそれを指摘する。腕が肘のところで曲がってはいけない方に曲がっているのだ。
「関節を外された──みたい」
アイシャも2人を直線上に見るこの位置からでは何も観察出来ていない。おじいの肩に手をかけたら逆に曲がったといった感じだ。
「情け無い声をあげおる」
おじいはそう口にしてアルスにはそれ以上関わらない。
「不作法な未熟者にはいい薬じゃろうて。わしが剣神の1人、トマスである。やがて訪れる人魔の争いに備えて武力を整えるために派遣されたのよ」
大人たちが焦りを見せる。きっと人魔の争いというのは秘密なのだろう。あえて口にして不安を煽る必要はない。
「アイシャちゃん?」
すっ──と立ち上がりおじいの元に近寄るアイシャ。今回ばかりは自分から渦中に飛び込むつもりらしい。
「おお、アイシャちゃん。昨日ぶりじゃの。しかし今はまだわしが話している最中での」
アイシャはそんなおじいの言葉を聞こえないフリして涙と涎まみれのアルスに近寄り、その腕をとって関節をはめてやった。
「いぎいっ⁉︎」
「情け無い声をこれ以上あげないの。男の子なんだから」
そう言って容赦なくもう片方もはめこむ。別にアイシャにそんな技能もないからプラモ感覚の割と無理矢理だ。
「おじいに遠慮して誰も近寄れないから。痛かったでしょうけど、今はこれで──これで元のところに戻りなさい」
剣神の前で堂々とその人を無視して無理矢理な対処をするアイシャに誰も声を掛けられない。そしてアイシャも痛みの伴う処置を無責任にしたわけじゃない。
「ルミちゃん、お願いね」
「はいよー」
ルミの作り出した花の香りはアルスに鎮痛効果を与えて絞った汁は患部の痛みと腫れを除きその処置部を正常に癒す。
「アイシャちゃんは不思議な術を使うのかのう」
おじいはそんなアイシャにますます興味を持つ。が──
「私だって投げたり絞め落とすくらいしかしてないのに。まだ子どものアルスを痛めつけるおじいなんて」
アイシャはまた盲目のおじいと視線を交えるが今回はその目に優しさは浮かべていない。
「嫌い」
「アイシャちゃあぁんっ! ごめんよおぉ」
孫娘のごときアイシャに、嫌いと言われたトマス老はその威厳をどこかに捨てたかのようにアイシャにすがりつく。
「謝る相手が違うでしょ?」
「ああ、ああ──坊や、痛くして済まなかったのぅ、ごめんよおぉ」
ポカンとするアルスもその豹変ぶりにタジタジだ。
いまトマス老が凄い人物だと思い知らされた子どもたちの印象は、あっという間に孫娘に嫌われたくないおじいちゃんへと変えてしまう。
その衝撃はアイシャの普段のお昼寝士のイメージとかけ離れたその違和感までもを丸ごと皆の記憶から奪い去ってしまった。




