出会って即恋
アイシャは悪ガキのお兄ちゃんを屋根の上にぶん投げた。その結果として、お兄ちゃんからの求愛を受けることになった──。
その日ぶん投げられたアルスの兄は、東屋の屋根の上で仰向けにひっくり返った姿で見下ろした先に、見たことのない可愛い女の子の姿を見つけた。
しかもどうやらその女の子に手も足も出ずに気づけば屋根の上でひっくり返っていて、さらにそれは痛みもないくらいの洗練されたワザであった。
何やら女の子は見上げて文句を言っているが、それすら可愛い。なんだあの服は。平時ならふざけているのかと言いたくもなる恰好だが、それが自分を完膚なきまでに負かした女の子ともなれば別だ。
そう、アルスの兄は己の心が歳下の女の子に奪われているのを感じる。
アルスの兄は父親譲りの剣闘士という適性を見出されてからというものの、彼の周りはその期待を押しつけるばかりで、とりわけ将来の伴侶となる者についての条件も厳しく限定されてきた。
8歳からずっと、この15歳まで。その条件は剣闘士たる自分よりも強いかそれに匹敵する者だ。その他にも第二第三と条件はあるものの、強さをクリアしてさえいれば無視してもよい条件とも言われている。
アルスの兄は、弟をいじめたというお昼寝士のことを噂話程度には聞いていた。同じ学年であつまる共通座学の他はずっと寝て過ごしていると。
そんな使えないヤツが入ってきたばかりの弟をいじめたという。さすがに無能でも8歳の子どもになら威張り散らしたり出来てしまうのだろう。それがギルドカードで得られる技能でありステータスであり、慢心であり驕りである。
けれどそんなことは許せるものではない。普段なら女の子に負けて泣きついてきた弟にアルスの兄は喝を入れてやるところだが、相手がその無能だ。そんな自分よりも圧倒的年下の子どもにしか手を出せないヤツは気に入らないという思いがアルスの兄を動かす。
下級生のケンカに顔を出すのは不本意ではあるが、一方的ないじめなら制裁してやる、と。そう意気込んでやってきたというのに。
そしていざ訪れればアイシャは寝たままに無視を決め込んでいた。
この兄も寝た子を起こすという努力をせずに、一度声を掛けただけでそれはおかしな話であるし、自身も相手が格下で自分が敬われるべきであると侮っている愚かさにこの子どもは気づかない。周りから持て囃されて自分が特別だと思い込んでいる典型だ。
一瞬で沸騰した彼の頭は自分が何を持っていてそれで何をしようとしているのかも分かっていない。
兄を連れてきたアルスでさえも「いきなりなぐるのか⁉︎」とばかりに目を剥いていた。その次の瞬間にはアルスの兄は仰向けで転がり口をあんぐりと開けていたわけだが。
その持っていたイメージから、この屋根上の現実までの全てが彼にとって衝撃的であり、それは出会いも同じくだった。
屋根からするっと降りて膝を折った形で着地し、流れるような動作でアイシャの手を取ったアルスの兄は自然とその言葉を口にしていた。
「俺と結婚してくれ」
「いやだ、きもい」
先ほど自分を投げた相手の手を取っているのだ。そのまま彼は再び宙を舞い、今度は丘の上から所狭しと生えている木々にぶつかりながら、ザザザザザっと滑り落ちてしまった。
「にいちゃぁぁぁーん」
兄を追いかけていくアルスの背を眺めてアイシャは「なんだあれ」と思うが、悪ガキのことも、その縁者のことも、考えても分からないので寝ることにした。
ちっちゃな頃ってお兄ちゃんお姉ちゃんがとても凄く映りましたよね。アルスにとって素敵なお兄ちゃんもアイシャにはどうでもいい他人でしかなかったのです。
「お昼寝の邪魔だもの」