人面犬の娘
夜の闇より濃いその魔力に当てられてみなその額に脂汗を浮かべている。
『娘よ。何用で我を呼び寄せた』
「んー。ベイルさんが聞きたいことがあるって」
アイシャは(そういえば大鬼のことだけでいいのかな? まあテキトーにふっちゃえばいいか)と気を利かせてベイルに話を振る。
当然いきなりバトンタッチされたベイルは困惑してしまいモヒカンまで萎れてしまう。
『ほう。我に聞きたいこと、とな。それで娘を使い呼び寄せた、と』
「あ、呼んだのは私の独断だよ。この森のことなら人面犬に聞くのが早そうだからさ」
『森のこと? ふぅむ、それこそ何の──なるほど、さっきのことか』
「うん、そのさっきのこと」
リコは普通に話をしているアイシャから目が離せない。最初にあの場に駆けつけてリコたちに声をかけてくれてからは1番役に立っていない女の子が漆黒の獣と対等に話している光景は何かの冗談だとしか思えない。
「この、森の周辺にオーガが、すみ、いや、徘徊しているかも知れないと思い、えと」
ベイルは目の前の魔物に対する人間族としての礼儀作法など知らない。魔物は討伐対象。いかに太刀打ち出来ない相手とはいえ無条件にへりくだるべきなのか。
『ふむ。そのオーガであればもはやこの周辺にはおらぬ』
「さ、左様でありますか」
「そうそう、人面犬が──」
『我が娘が喰らったゆえな』
「「「娘⁉︎」」」
(……何言ってんのこの人面犬は)
アイシャはマンティコアが大鬼をやっつけた、はいおしまい。と持って行きたかっただけだ。謎の登場人物など設定がめんどくさくなるだけではないかとマンティコアの真意を探ろうとしてその顔をまじまじと見つめる。
「あな、あなたには娘も、いらっさ、いらっしゃると?」
『うむ。我には及ばぬが──我とは似ても似つかないほどに小柄で銀色の毛並みを持つ娘よ。だが侮るなかれ、オーガを一方的に喰らいおったわ』
マンティコアはそう言ってアイシャに対し笑みを浮かべる。
(こいつ、まさか)
あの闘いは間違いなくあの場だけで仕切られていた。それを見ていたかのように語るマンティコア。いや、“ように”ではなく見ていたのだろう。
「その、オーガはまだ不完全だった、とか?」
ベイルはこのマンティコアの他にまだもう一頭、それも最低でもオーガ以上の脅威のものがいるとは思いたくない。
『まさか。亜神の域に脚を踏み入れておったわ、あやつ。その上、決死の奥義まで引き出したのを、こう──ひとかみ、よ』
ガツッと歯を噛み音を鳴らして、クックと、笑う。
「なななな、何言ってんのよー、人面犬んん」
小声で抗議するアイシャ。
『んん、どうした娘? 我が娘に怯えて震えるか? それとも──』
「もう終わったからっ! さっさと、帰って! さあ! 早くっ」
『はっはっは。夜の帳が降りれば亜神である我もそこに目を光らせておる。あれはなかなかに良い見せ物であった!』
アイシャにぐいぐいと押されて後ろを向きながらマンティコアは声を大にして言い捨てて空へと羽ばたいて行った。