婚約者を取り替えて欲しいと妹に言われました
「はじめまして、レティシアお姉様。ヘザーです。驚いちゃった、お姉様ってあまりご令嬢っぽくないんですね。貴族の方ってみんなお父様みたいに金髪なんだと思ってたわ」
自然なウェーブのついた金色の髪をこれ見よがしに揺らしながらヘザーは嫌な笑みを浮かべた。どうやら、『勝った』と思っているらしい。確かに、明るいプラチナブロンド、ブルーの瞳は平民には珍しい。色だけでなく顔の造形も父に似て美しいのは間違いない。
(それにしても、お母様が亡くなったのはたった半年前なのに……)
ポーレット伯爵家当主のダニエルは、一年間の喪に服することもなく後妻を迎え入れた。しかも、その後妻は娘を連れてポーレット家に現れた。
「お父様……この方は?」
「お前の妹だ。名前はヘザーという。歳は十五になったところだ」
(なんてこと! 私の一つ下なの? ではお父様は、私が生まれた頃には既にお母様を裏切っていたということなのだわ)
「レティシア、ヘザーと仲良くしてあげてね。この子は伯爵様の血を引くあなたの妹なの。これからはあなたと同じ暮らしをここでしていくことになるのよ。あなたと同等な身分なのだから」
後妻のデミはいきなりレティシアを呼び捨てにして母親然と振舞った。レティシアの首の後ろ辺りがゾワゾワとしたのは、デミの態度が不快だからか、もしくは怒りからか。
「今後は家の事はデミに任せる。お前もデミの言うことをよく聞き、ヘザーを可愛がるんだぞ」
「……はい、お父様」
父の言葉に異を唱えることなど出来はしない。心の中で嘆息しながらレティシアは頭を下げた。
レティシアはポーレット伯爵家の一人娘である。女にも相続権があるこの国では、紛れもなく次期伯爵家当主だ。そのための勉強もしっかりと頑張ってきた。亡くなった母フローラが抜かりなく教育をしてくれたおかげである。
母には愛されていたという確信があるレティシアだが、父からの愛はあまり感じたことがなかった。
「お父様はお仕事でお忙しいのよ」
ほとんど帰ってこない父のことを母に尋ねると、いつも少し眉を下げて寂しげに言った。
(あの二人がいたからお父様は帰ってこなかったのね……)
レティシアは自分が金髪ではないから父に嫌われているのだと思っていた。レティシアの髪は母と同じ赤毛。
「いつ見ても嫌な赤い髪だな。私と少しも似ていない」
ダニエルは明るい金髪に青い瞳、いかにも貴族的な美しい男性である。そしてその美しさを自慢にしており、自分と違う赤毛の娘を疎ましく思っていた。
ダニエルとフローラは恋愛結婚ではなく、親同士が決めた婚姻だ。顔は綺麗だが全く能の無い息子を心配した祖父が、才媛で知られたスミス伯爵家のフローラと縁を結び領地経営に携わってもらおうとしたのである。
貴族では珍しい燃えるような赤い色の髪を持つフローラ。ダニエルはその色を、そして親に勝手に決められた自分よりも優秀な妻を嫌った。
後妻のデミはかつてポーレット家のメイドだった。髪も目も平凡な茶色だがぽってりした唇と泣きぼくろ、豊満な身体を持ちいわゆる蠱惑的な女だった。フローラがレティシアを身籠った頃にポーレット家に雇われたデミは、半年も経たずに辞めた。恐らくその頃からダニエルにどこかで囲われていたのだろう。
デミがヘザーを産んだ時、ダニエルは大いに喜んだ。自分と同じ、金髪に青い目の娘だったからだ。
「なんと美しい子だ! この子はいずれ必ず引き取り、良い結婚をさせてやろう。しばらくは日陰の身で我慢してくれ」
そしてフローラが亡くなるとすぐに屋敷に迎え入れたのである。
「お母様、私もお姉様みたいな綺麗なドレスが欲しいわ。私を美しく見せてくれるドレスが」
屋敷での生活が始まると、ヘザーはすぐに我儘を言うようになった。
「そうよね。伯爵令嬢ならドレスはもちろん靴もアクセサリーも必要だわ。早速仕立てさせましょう。それに、美しいドレスは赤毛よりあなたみたいに金髪で綺麗な娘の方が似合うものよ」
二人は湯水のように金を使って自分達のドレスを用意した。まだ社交界に出ることのないヘザーにはそんなにドレスが必要ではないのにも関わらず。
「ほう、ヘザーは何を着ても似合うな。やはり金髪は気品があっていい」
夕食時、ダニエルはあからさまにヘザーを褒める。ずっと日陰の子として不遇な思いをさせていたと言う負い目があり、ヘザーには甘い。
「あなた、ヘザーは私が家で礼儀作法を教えていましたし基本は身に付いています。すぐに学院に入れてもやっていけますわ」
「そうか。半年くらい様子を見ようかと思っていたが、それならばすぐに手配をしよう。ところでレティシア」
突然話し掛けられてレティシアは驚いた。正直、母が生きていた頃は父が夕食の席にいることはほとんどなく、話し掛けられることも皆無だったのだ。
「はい、お父様」
「お前に婚約の話がきている。ハワード伯爵家のジョナスだ。学院にいるだろう」
ああ、とレティシアは思い浮かべる。確か一学年上にいたはず。父と同じ金髪で、女生徒から人気のある人だったわ、と。
「ジョナスは次男坊だからうちに婿入りしてくれる。卒業したらすぐに結婚するように」
「はい、わかりました」
もちろん、親の決めた縁談にNOは言えないし言うつもりもない。自分は与えられた役目を果たし、ポーレット家を盛り立てていくだけだ。
「お父様、私はどうなりますの? お姉様が伯爵を継ぐのなら私は?」
「心配するな。お前にもいい縁談を探してくる」
「ほんと? 嬉しい、お父様! 伯爵より上の位の方にしてね」
「それは難しいぞ。期待はするな。まあ、あちこち当たってみよう」
「お願いね、お父様。出来ればお父様みたいな素敵な人がいいわ」
それを聞いてダニエルはわかりやすく口元を緩めた。
「そうかそうか。お前は本当に可愛げがある。レティシアとは大違いだ」
これまでほとんど関わってこなかったのに、とレティシアは思う。今はこうして一緒に夕食を取っているが、『浮気の証拠』達も同席しているのだ。尊敬も敬愛も出来る訳がない。
(せめて、夫となる人のことは好きになれたらいいな……)
「レティシア。明後日ハワード伯爵夫妻とジョナスが顔合わせに来るからそのつもりでいなさい」
「はい、お父様」
レティシアは大人しく返事をした。
顔合わせの日、ハワード夫妻はたいそう機嫌が良かった。
「いやあ、まさかこんなに早く良い返事を頂けるとは。レティシア嬢は学院でも優秀だと伺っております。我が息子ジョナスはレティシア嬢を支え、当主の夫として良き家庭を築くことをお約束しますよ」
「こちらこそ、ハワード殿。勉強は少しばかり出来るかもしれませんがこの通り見た目も今ひとつなうえに愛嬌もないレティシアが、このように素晴らしい青年との縁談を頂けるとは嬉しい限りです。末永くよろしくお願いします」
レティシアは精一杯の笑顔を作り挨拶をした。ジョナスはなるほど女生徒にモテるのもわかるわ、と思える美しい顔をしていた。プラチナブロンドに瑠璃色の瞳。背は高く足は長く、優しげな微笑みを見せる彼は非の打ち所がなかった。
「契約の話は大人に任せて若い二人は庭を散策でもしてきたらどうかしら」
デミが口を挟む。
「そうだな。そうしなさい。お互いを知るよい機会だ」
では、とジョナスは立ち上がりレティシアに手を差し出した。あまりに絵になるその様子に顔が赤らむのを感じるレティシア。
(確かに素敵な方だわ。私には勿体ないくらい)
庭を歩き始めた二人はたわいもない会話をしながら咲き誇る花々を楽しんだ。
「ジョナス様、あちらにある薔薇のアーチが今とても美しいんですのよ」
「それは見てみたいな。案内してくれますか?」
喜んで、とアーチに向かうとそこに置かれたベンチにはヘザーが座っていた。
「お姉様!」
ヘザーは立ち上がり、走り寄ってきた。陽の光に明るい金髪がキラキラと輝いている。その瞬間、ジョナスが息を呑むのがわかった。
「レティシア様、この方は?」
「……妹でございます」
「確か、レティシア様は一人娘だと伺っておりましたが」
「私、先日この屋敷に入ったばかりなのでございますわ! お姉様とは母親が違いますの」
「そうでしたか。存じ上げず、失礼なことを申し上げました」
「気にしないで下さいな。それよりジョナス様、とても美しくて素敵なお方ですね! 婚約者になるお姉様が羨ましいでございますわ」
ヘザーの奇妙な口調にレティシアは頭を抱えたくなったが、ジョナスには興味深く映ったようだ。
「あなたは面白い方ですね。それにとても可愛らしい」
「可愛いだなんて、嬉しいです! ジョナス様は私のお兄様になるんですよね? 仲良くして下さいませね」
そう言うといきなりジョナスの左腕に自分の腕を巻き付けた。
「へ、ヘザー嬢……!」
デミと同じく豊満な体型のヘザーに腕を抱き締められ、ジョナスは真っ赤になって腕を抜こうとした。
「ヘザー、とお呼び下さいませ! 妹なのですから気を遣わないで欲しいのでございますわ。さ、あちらへ行きましょう」
グイグイと庭を進んでいくヘザーは途中で振り返り、
「お姉様、付いていらしてね? 三人で仲良くいたしましょう」
(どうしてあなたがそれを言うの。私の婚約者なのに。それにジョナス様も、腕を取られるがままで……ちゃんと拒否して欲しかった)
悲しい気持ちになったレティシアだが二人を置いて部屋に戻る訳にもいかず、腕を組んで楽しげに喋り続けるヘザー達を後ろから眺めながらとぼとぼと歩いた。
「あらあら、ヘザーも一緒だったの?」
三人で部屋に戻るとデミが芝居がかった口調で言った。
「もう仲良くなったのね? 若い子達は打ち解けるのが早いこと」
「ポーレット殿、こちらが先程仰っていたヘザー嬢ですか?」
どうやら、席を外している間に事情を話しておいたらしい。
「そうです。まだ貴族社会に慣れていない所はありますが、天真爛漫で可愛い娘です」
目を細めながらダニエルが言う。
「本当に、天使のようにお美しいお嬢様ですわね。ジョナス、可愛い妹さんが出来て良かったわねえ」
ハワード夫人がにこやかに言ったが、本心はわからない。
「はい。彼女がいると場がパッと華やぐようです」
「あらまあジョナス様ったら。婚約者はレティシアなのですよ。あの子にも何か言ってやって下さいませ」
デミは悪気のない冗談よ、とでも言いたげにレティシアを見て笑いながら言った。
「もちろん、レティシア様は理知的で素晴らしい方です。私でお相手が務まるかどうか」
「堅苦しい娘だからな。レティシア、お前がもっとジョナス殿をリラックスさせて差し上げないと」
「それはこれからでも大丈夫でしょう。学院でも顔を合わせますからな。レティシア嬢、ジョナスをよろしく頼みますぞ」
「はい、ハワード伯爵様。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
休み明け、レティシアはヘザーとともに登校した。ヘザーは今日から王立学院で勉強するのだ。
「あなたの学年は西の棟です。二年生の私は東の棟にいますから何か用がある時はそちらへ」
「お姉様、では三年生のジョナス様は南の棟にいらっしゃるのね?」
レティシアは眉をひそめたがヘザーは気にする様子もなく。
「ジョナス様にも後でご挨拶に行ってくるわ。だって未来のお兄様ですものね」
「ご迷惑にならないように、あまり騒がないようになさいね」
「はいはい。では、行ってきます」
振り返ることもなくヘザーは立ち去った。
教室に入ると友人のアリスが走り寄って来た。
「レティシア! 待ってたのよ。あなた、ジョナス・ハワードと婚約するんですって!」
「ええ……まあね」
「やるわねえ、みんな狙ってたのに。やっぱり、次期当主様にはかなわないわ」
女生徒に人気のあるジョナスだが、彼が次男であることが大きな障害となっていた。爵位を継ぐことが出来ない彼は、『爵位を継ぐであろう女性』と結婚することが必要なのだ。そして今のところその条件に当てはまるのは学院ではレティシアしかいない。
「昨日顔合わせを済ませたの。私が卒業したら結婚する予定よ」
「おめでとう! 良かったわね」
心からお祝いを言ってくれているアリスだが、レティシアは素直に喜んでいいのかわからない。なぜか嫌な予感がするからだ。そしてその予感は当たった。
「ちょっとレティシア、あれ誰なの? ジョナスったら婚約したばかりでどういうつもり?」
昼休みのカフェテリア、ジョナスと同じテーブルに座り楽しそうに話すヘザー。アリスはまだヘザーの存在を知らないのだ。
「実はね、アリス。あれは私の異母妹なの」
レティシアはこれまでの事情と昨日の出来事をアリスに話した。
「それは、狙われているわね」
「やっぱり?」
「ええ。レティシアからジョナスを奪おうとしてるんじゃないかしら。もしくは、邪魔をして喜ぶタイプか」
「邪魔をして喜ぶ……」
「とにかく、あなたもあそこに行ってらっしゃい! そうでなきゃ、あのままあの二人が公認カップルに思われてしまうわよ」
「え、ええ、わかったわ」
アリスの言葉に背中を押されたレティシアが近寄って行くと、気づいたヘザーが手を振って大声を出す。
「お姉様、ここよ!」
それまで四人掛けの席にジョナスと向かい合って座っていたヘザーは席を立ち、なんとジョナスの隣に移動した。
「ヘザー、反対側に移動しなさい。婚約者でもない男性とそのような近い距離で座るものではありません」
「えー、だって、婚約者ではないけど兄妹じゃないですか。家族なら、これくらい近くても当たり前でしょう?」
ヘザーはまたしてもジョナスに腕を絡ませる。ジョナスは腕を抜こうという素振りは見せるが顔は嬉しそうだ。どんなに綺麗な顔をした男性でも鼻の下が伸びれば情けない顔になるものね、とレティシアは思った。
「まだ結婚していないのだからその理屈は通用しません。こちらに移りなさい」
ヘザーは腕をほどき、しぶしぶ席を移った。そしていざ三人になると、シン……としてしまった。ジョナスは気まずそうだし、ヘザーは膨れているし、レティシアは元々話上手ではない。沈黙に耐えかねてかヘザーは席を立ってどこかへ行ってしまった。
「二人で何を話していらしたの?」
「あ? ああ……たわいもないことだよ。学院のことなどをね、教えてあげていたんだ」
そしてまた沈黙。ジョナスは明らかにヘザーを目で追っていた。ヘザーは、二、三人の男子生徒と一緒に食事をとることにしたようだ。
(ああ、そんなことをしたら変な噂が立ってしまうのに……帰ったら注意しておかなくては)
「彼女はとても気さくで自由だね。やはり平民として育ってきたからだろうか」
「そうですね。母は基本的な礼儀作法は教えてあると言っていましたが」
「貴族のしがらみに縛られている僕らには、彼女の奔放さが眩しく感じるよ」
せっかく二人でいるのにヘザーの話ばかり。レティシアは砂を噛むような思いでジョナスの横顔を見つめた。
それから一週間ほどが過ぎた。ヘザーは毎日ちょっとした時間でもジョナスの教室へ行って過ごし、昼休みもレティシアとジョナスの間に割り込んでくる。それを嬉しそうにしているジョナスをレティシアもいい加減腹立たしく思っていたのだが、そんなある日の夕食の席でダニエルが言った。
「ヘザー、お前の縁談が決まったぞ」
「ほんと? お父様、どこの貴族の方? カッコいい人?」
「スコット男爵家のマシューだ。彼もジョナスと同じ学年にいる」
「えええ、お父様、どうして男爵なの? 格下に嫁ぐなんて嫌よ。お姉様は結婚してもそのまま伯爵なのに、どうして私は男爵に嫁がなくちゃならないの? 私、伯爵以上じゃないと絶対イヤ!」
可愛く口を尖らせるヘザーだが、目は本気だ。
「いろいろ打診してみたんだがな。伯爵以上でお前をもらってくれる家はなかったんだよ。こればっかりは仕方がない。お前の母が平民だというのが理由なんだ」
「だって! お父様は伯爵なのに! お母様が平民だって、貴族の血が半分は流れているんだからいいじゃないの!」
「それがそうもいかないんだ。貴族というものは選民思想があるからな。平民の血を引いていてもこんなに素晴らしい子が生まれてくるというのを彼らは知らないんだ」
「そんな、ひどいわ。平民から生まれたというだけで差別されるなんて」
ヘザーはしくしくと泣き始めた。娘に泣かれるのは辛いのか、ダニエルはおろおろしている。
(私が泣いたらうるさそうな顔をして、舌打ちまでして出掛けて行ってたわよね、確か……)
幼い頃父がいつも不在なのが寂しくて、たまに帰った時にもっと一緒にいて、と泣いたことがあった。あの時の対応とは雲泥の差がある。
「でしたらあなた、ヘザーとジョナスを結婚させたらどうかしら」
満を持して、という感じでデミが口を開いた。
「なに? ヘザーとジョナスを? それでは意味がないではないか」
「いいえ、そんなことありませんわ。ヘザーをポーレット家の跡継ぎにするのです。ジョナスはポーレットの次期当主と結婚することが目的なのですから、相手がレティシアからヘザーに変わったところで問題ないでしょう。ハワード夫妻もヘザーを愛らしいとほめて下さってましたし。レティシアは、結婚相手が男爵だろうと文句など言わないでしょう? ねえ、レティシアはいい子ですものね?」
何を言ってるのだろうか、この人は……? 笑顔だが目は全く笑っていないデミに、レティシアは寒気を感じた。
「そうか、そうだな……。普通は長子が後継者になるが、生前に届を出しておけば他の子供に継がせることも可能だ。長子がろくでなしの場合もあるからな」
「ええ、そうですとも。届を出してヘザーが次期当主となれば、ヘザーはお嫁に行くことなく、このお屋敷であなたとずっと一緒に暮らせますわよ」
その言葉がダニエルの背中をグイっと押した。
「よし、そうしよう。レティシア、お前はスコット家へ嫁げ。スコットは、息子のマシューが変わり者で嫁の来手がないと言っておった。それで、平民だろうと来てくれるならありがたいという返事をもらったんだ。誰でもいいのなら、お前みたいな愛想のない娘でもかまわんだろう。」
あまりにも本人の意見を無視した話の展開に、レティシアは怒る気力もなくただただ呆れてしまった。
「レティシア、わかったな。」
「……」
「返事は!」
「……はい。わかりました」
ヘザーは、ぱあっと顔を輝かせると席を立ってダニエルの首に抱きついた。
「お父様ありがとう! 私、実はジョナス様が好きだったの! それに伯爵家を継げるなんてとっても嬉しい! お父様、お母様、ずうっとヘザーと一緒にいてくださいね!」
「よかったわねえ、ヘザー。美男美女でとってもお似合いよ。赤毛のレティシアでは随分見劣りがして、ジョナス様が可哀想だったもの」
「そうか、ヘザーは彼が好きだったのか。二人の子供ならきっと美しい金髪で生まれてくるぞ。楽しみだなあ」
……やってられない。レティシアは席を立ち、自室へ向かった。誰もレティシアには声も掛けず、賑やかな茶番を続けている。
(デミは最初からこれを狙っていたんだわ。だから私達を庭へ誘導し、ヘザーを待ち伏せさせてジョナスに会わせた。二人を恋仲にさせてからこの交換を提案するつもりで……)
ジョナスのことが好きだったわけではない。最初は確かに素敵な人だと思った。でもヘザーへの対応を見てそんな気持ちはどこかへ行ってしまった。
(このままジョナスと結婚させられるよりは良かったのかもしれないわ。でも後継者の立場まで奪われるとは思わなかった。伯爵家を支えてきたお母様が亡くなってから半年が経ち、その間私は執事のバーナードと協力して頑張ってきたけれど……もう馬鹿らしくなってきたわね)
この際、あの三人と縁を切って男爵家に嫁ぐのも悪くはない、とレティシアは考えていた。
翌日、ダニエルは早速ハワード伯爵に話をしに赴き、上機嫌で帰ってきた。
「デミ、ヘザー、喜べ! ハワード伯爵は快く受け入れてくれたぞ!」
「本当? お父様! 嬉しいわ!」
ヘザーはダニエルに抱きついて頬にキスの雨を降らせた。
「ではあなた、すぐにでも後継者変更の手続きをして下さいませ」
「まあ焦るな。今日は休日だから王宮も事務方は休みだ。それよりスコット男爵にも話を通さねばならん。レティシア、お前も来い」
「私もですか? どうせ決まったことですし、お父様だけでいいのでは」
「結婚相手は平民の血を引くが金髪で美しく、天真爛漫な娘だと説明してあるんだ。お前を見て話が違うと言うならそれも良し。他の相手を探すまでだ」
「あなた、そんな弱気では駄目ですわ。こちらの方が格上なのです、婚約者が変わろうとも向こうに受け入れさせなければ」
「それもそうだな。では今日は普通に顔合わせということにしよう。レティシア、さっさと支度しろ」
レティシアは重い腰を上げて着替えをした。どうやらデミは、何が何でもレティシアを男爵家に嫁がせたいらしい。
(今まで日陰の身だったことへの鬱憤を晴らそうとしているのかしらね……)
まあいい。自分は身分にこだわりなどないのだ。とにかくあの家から離れたい、今はそれだけが願いだ。
スコット男爵邸に着くと、突然の訪問にも関わらず男爵はにこやかに対応してくれた。
「これはポーレット伯爵様。ようこそおいでいただきました」
「急で悪いが婚約の顔合わせをしようと思って娘を連れて来たのだよ」
「わざわざご足労いただき申し訳ございません。こちらから伺うべきところを……」
「いやいや、それには及ばん。早く両家の縁を結びたくてな」
「ただ……実は息子のマシューは朝から出掛けておりまして。夕方まで戻らないのですよ」
「それは残念だな。まあ、スコット殿と話が出来ればそれで構わんよ」
レティシアははしたないとは思いながら目をあちこちに向けて部屋の様子を観察していた。ポーレット家ほど広い客間ではないが、磨き抜かれた家具、調度品。品の良い内装。派手さはないがとても落ち着く、気持ちの良い部屋だ。
ダニエルはソファに座るやいなや、結婚相手をヘザーからレティシアに変更することを手短に説明した。
「ではこちらのお嬢様が我が家に……」
「そうなのだよ。美しいとは言えんが一応、正真正銘の貴族だ。スコット家にとって悪くはない縁談だろう」
「いえいえポーレット伯爵、こんなにお美しいお嬢様が我が家に来て下さるだなんて実に光栄です。本当によろしいのですか?」
「もちろんですわ。この子もすぐにでもスコット家に行きたいと言っておりますの。本当の娘と思ってビシビシご指導下さいませ」
(また……デミはどれだけ私を追い出したいのかしら)
「もちろん、伯爵令嬢様に来ていただくのですから、畏れ多いですが本当の家族として大事にさせていただきますとも。よろしくお願いしますよ、レティシア様」
スコット男爵は笑うと目尻に笑い皺が出来る。目を細めて本当に嬉しそうにレティシアを見た。
「スコット様、ありがとうございます。マシュー様に気に入っていただけるかわかりませんが、良き妻、良き娘になれるよう努力して参ります。よろしくお願いいたします」
男爵の隣に座る男爵夫人もとても品の良い可愛らしい女性だった。
「レティシア様、とても可愛いらしいお方で、マシューには勿体ないようですわ。こんな娘がいたらとずっと思っていましたの。どうぞ、仲良くして下さいね」
「はい、ありがとうございます」
短い会話であったがこの二人のことが好きになれそう、とレティシアは感じた。
「では話はまとまったな。また後日、正式な婚約の文書を交わそう」
「はい、ポーレット伯爵。よろしくお願いいたします」
帰り際、男爵がレティシアに言った。
「レティシア様、息子には明日学院でレティシア様に挨拶しに行くように言っておきます。少し変わっておりますが根はいい奴ですから、お話してやって下さい」
笑顔でそう言う男爵の言葉に嘘はないように思えた。
「はい、楽しみにしております!」
レティシアも笑顔になり、心から答えた。屋敷の雰囲気といい、夫妻の人となりといい、レティシアはとても好感が持てた。この二人の子供なのだからきっといい人に違いない。そう思うとこの縁談にも希望がある。
だが帰りの馬車が出発するなりデミは悪口のオンパレードだった。
「男爵邸ってやっぱり貧相だわね。置いてある家具も古い物ばかりだし、内装も地味だし。屋敷も狭かったわねえ」
「贅沢をしている様子はなかったな。地味なレティシアには丁度よかろう」
「レティシアのことを美しいって言ってたわね。美人というものを見た事ないのかしら。もしもヘザーを連れて行ってたら、あまりにも綺麗なので腰を抜かしたんじゃないかしら」
くっくっと思い出し笑いをするデミ。
「まあ、あの家にはヘザーは勿体なかったわね。良かったわ、二人を取り替えておいて。さ、あなた。これで心おきなくヘザーの話を進めて下さるわね」
「ああ、明日早速、後継者変更の届を出しに行ってくる」
「嬉しいわ。お願いしますね。そうそう、あなた、使用人にもう少し若い子を入れたいのだけど」
「そんなにたくさん雇うことは出来んぞ?」
「ええ、古株を辞めさせようと思うの。私がメイドだった頃を知ってる人間はいて欲しくないのよ」
「それならいいだろう。長年勤めている奴らは給料も高くなっているからな。そいつらを辞めさせて安上がりな若いのを入れるといい。任せたぞ」
「ありがとう、あなた。早速探してみるわ」
なんと、昔からいる使用人を追い出そうとしているのか。
「でもお義母様、彼らは屋敷の事がよくわかっていますわ。一度にいなくなったら困るのではないかしら」
「黙りなさい、レティシア。子供が口を挟むのは許しませんよ。私はね、あなたの母親の息がかかった者はあの屋敷にいて欲しくないのよ」
ギリギリと歯を食いしばる音が聞こえそうな表情で睨み付けるデミ。
「今後あの家を切り盛りするのは私です。あなたはもう後継者でも何でもないの。口を出す権利はないのですよ」
こんな考えの女主人に采配されるとは。ポーレット家はもう駄目かもしれない。
レティシアは母が一人で守ってきたポーレット家が、近い将来傾いていくような予感がしてならなかった。
翌日、東棟の女子教室の前で一人の男子生徒が人待ち顔で佇んでいた。彼はレティシアを見ると近寄ってきておずおずと声を掛けてきた。
「失礼ですが、レティシア・ポーレットさんですか?」
もしや、この人がマシューだろうか?
「僕はマシュー・スコットといいます。昨日は不在にしていて失礼しました」
(やっぱりそうだわ。早速、挨拶に来てくれたのね)
マシューは赤みのある茶色い髪で、目は琥珀色。ジョナスのような美しさはなくどちらかというと地味なあっさりとした顔だが、レティシアには好ましく思えた。背はレティシアが少し見上げるくらい。日に焼けた肌が男らしい。
「いえ、私達が突然に押しかけたのですから、気になさらないで」
「で、あの……もし良かったら、今日の昼休み、ご一緒しませんか」
ジョナスのようにスマートな話し方は出来ないようだが、ひと言ひと言、考えながら話すのは好感が持てる。
「はい。お願いします」
マシューはホッとしたように笑顔を見せ、では昼休みに、と頭を下げて南棟へ戻って行った。
「ちょっとちょっと! いったいどういう事よ、レティシア? ジョナスとヘザーはイチャついてるし、レティシアは他の男性と話してるし。どうなっちゃったの、あなたたち」
アリスがどこからかやって来て、矢継ぎ早に話した。
「ええ、聞いてくれる、アリス? 実はね……」
「まあ……婚約者を交換? しかも次期当主まで? レティシア、そんな横暴許していいの?」
「もちろん腹立たしいわ。でも私には何も出来ない。唯一の救いは、スコット家の方々がいい人達みたいだってことくらいかしら」
「そうねえ。今の人……マシューっていうんだっけ? ジョナスみたいに目を引く美しさはないけれど、真面目そうよね」
「結婚相手にはその方がいいと思うわ」
長い間裏切られ放置されていた母を思うと、父と同じように美しい顔を持ったジョナスよりもマシューの方が安心出来る気がする。もちろん、本当のところはわからないけれど。
昼休み、レティシアはマシューとカフェテリアで向かい合わせに座っていた。
「レティシア様、僕なんかと結婚して構わないんですか? 僕、変わり者だと噂されているらしいんだけれど気になりませんか」
「そうねえ、どんな変わり者なのかまず教えていただける?」
レティシアは笑いを堪えながら言った。
「自分では変わってるとは思ってないんですけどね。僕、虫が好きなんです。昨日も朝から昆虫採集に出掛けていて、それで留守にしていたんです」
「虫ですか? 私は蝶くらいしか知りませんわ」
「蝶の他にもたくさんの虫がいるんですよ。皆、虫には興味がないし、むしろ忌み嫌っていますが、あんなに可愛い奴らはいません。僕は虫の研究をライフワークにしようと思っているんです」
「素敵ですね。今度、私にも教えて下さる?」
するとスコットは顔を輝かせた。
「もちろんです。ぜひまた遊びに来て下さい。僕のコレクションをお見せします」
その時、レティシアの視界にヘザーとジョナスが映った。ヘザーもレティシアに気がつき、ジョナスの腕を引っ張ってこちらへやって来た。
「お姉様! この方が新しい婚約者?」
(余計なことを。新しい、なんて言わなくていいのに)
「マシュー、ご紹介しますわ。私の妹ヘザーと、婚約者のジョナスです」
「やあマシュー、驚いたよ。虫博士の君が義理の兄になるとはね」
レティシアはジョナスの言葉にからかいが含まれているのを感じ、嫌な気分になった。
「ジョナス様、僕も驚きました。今後は義理の兄弟としてよろしくお付き合いください」
「うふふ、なんだか二人、お似合いですわ。髪の色も似てるし。やっぱり私とじゃあ、釣り合わなかったですわね。私にはジョナス様じゃないと」
ジョナスの腕に絡みつくヘザーと、嬉しさを隠さないジョナス。まだレティシアが婚約者だった時はさすがにここまであからさまな顔はしていなかった。
「ではお姉様。私達はあちらで食事をしますわ。ご機嫌よう」
二人は腕を組んだまま向こうのテーブルに歩いて行った。
「……すみません、失礼な妹で」
「事情は伺ってます。本当は僕とヘザー様が婚約する予定だったんですよね」
「はい。マシュー様こそ、私なんかで構わないでしょうか?」
レティシアは申し訳なさそうに言ったが、マシューは愉快そうに目を躍らせていた。
「僕はレティシア様に代わってくれて本当に良かったと思っていますよ? ヘザー様は苦手なタイプです。レティシア様はとても美しいし、落ち着いた雰囲気がとても……好みです」
初めてこんな風に褒められ、レティシアは頬が熱くなった。
「そんな……十人中九人はヘザーの方が美しいと言うはずですわ」
「だったら僕は残りの一人なのかもしれません。でも僕には、あなたの方が数倍美しく思えます」
なんか気障なこと言ってしまった、と顔を真っ赤にしているマシュー。そんな所もレティシアの胸をキュンとさせた。
(この人とならいい夫婦になれるかもしれない……)
春の風のようにふわりと恋が訪れた気がして心が温かくなるレティシアだった。
それから、レティシアとマシューは少しずつ仲を深めていった。スコット家には何度も遊びに行き、レティシアは意外にも自分が虫を可愛いと思えることを知った。世話の仕方を習って一緒に餌をやったり、籠の掃除をしたり。男爵夫妻はそれを微笑ましく眺め、いいご縁があったと嬉しく思っていた。
ある日、マシューが真剣な顔をして言った。
「レティシア。もうすぐ僕は卒業だ。卒業したら、アルトゥーラ王国の大学に行こうと思っている」
「えっ? アルトゥーラ?」
アルトゥーラ王国といえば有名な大国だ。政治的経済的にもだが、文化・芸術も盛んな国と聞いている。
「そこの大学では昆虫に関する研究が進んでいるんだ。そこへ行き、研究者になりたいと思っている」
「……大学って、何年あるの? 帰ってくるのはいつ?」
「大学は六年だ。それに研究者になればずっと向こうにいるかもしれない。それでね、レティシア」
マシューはレティシアの手を取った。
「君が卒業したらすぐに結婚しよう。そして、アルトゥーラで一緒に暮らさないか。僕の祖父はアルトゥーラ出身でね、向こうに親戚がいるんだ。だから住む所もある。両親が健在なうちは、学問の道を極めたいんだ。ついて来てくれる?」
「もちろんよ、マシュー! あなたといられるならどこへだって。むしろ、一年も離れていたくないわ。そうよ、私、学院を辞めてついて行きます!」
「えっ、学院を辞めるの? そんな勿体ないよ。君は優秀なのに」
「ううん、勉強ならどこでだって出来るわ。でも私、あなたと一緒にいたい。あなたも知ってるでしょう? 私が家で冷遇されていること。それでもあなたとこうして会う時間があるから耐えられたの。あなたがいなくなったら、どうしていいかわからないわ」
マシューはレティシアの髪をそっと撫でた。
「いいのかい? レティシア」
「ええ、マシュー」
「じゃあ僕の卒業とともに婚姻届を出してアルトゥーラへ行こう。まだ学生だから結婚式は挙げられないけれど……働くようになったら必ず式を挙げよう」
「式なんていいの。一緒にいられればそれだけで」
レティシアはそっとマシューの肩に頭を預けた。
マシューの卒業と同時に結婚することを報告すると、ダニエルとデミは喜んだ。
「学院を辞めるなら、学費もいらなくなるな」
「式も挙げないんですって? そうよね、どうせウエディングドレスなど似合わないでしょうしお金の無駄よ」
「いいなあお姉様。学院辞めるなんて羨ましい。お母様、私もジョナスと結婚して辞めたいわ! 勉強なんて面倒だもの」
「駄目だぞ、ヘザー。十六歳にならないと結婚は出来ないのだ。それまで我慢しなさい」
「わかったわ。でも誕生日が来たら、すぐに結婚させて。私の誕生日はすぐに来るわ」
「もちろんですとも。豪華な結婚式を挙げましょうね。きっととっても美しいカップルになるわ」
デミはその姿を想像しているのか、うっとりと宙を眺めた。
「そうそう。レティシア、あなた国外に出るのなら継承権だけでなく財産の相続権も放棄していってちょうだいね。これからはポーレット家の財産は全てヘザーとその子供の物。あなたやあなたの子供に分けるものなどありませんからね」
「結構よ、お母様。私は身一つで嫁ぎますから」
「物分かりのいい子で助かるわ。ねえ、あなた」
デミはニヤリと笑ってグラスに注がれたワインを飲み干した。
夕食後、執事のバーナードがこっそりとレティシアの部屋を訪れた。
「バーナード。今日でお勤めが終わるのね」
「はい。大旦那様、そしてフローラ様には長くお世話になりました。ポーレット家の未来はレティシア様にかかっている、必ずレティシア様をお支えしていこう……そう思っておりましたが、志半ばで辞めることになってしまい本当に残念です」
「あなたは何も悪くないわ。それに、私もこの家を追い出されるのだもの」
「正統な後継者であるレティシア様がこのような事に……私は悔しくてたまりません。フローラ様が懸命に守ってきたこのポーレット家があの親子によって衰退していくのが」
「バーナード、やはり状況は良くないの?」
「これまでの信用がありますから、すぐにということはないでしょう。ただ、あれ程の浪費を続けていたら、数年で困窮します。領地の方もダニエル様は今までまったく関わってこなかったのですから、上手く経営出来るとは思えません。早晩、土地を切り売りすることになるでしょうね」
「そう……仕方ないわね。お母様が頑張っていらした成果が無かったことになるのは辛いけど、そんなこといってる場合ではないわ」
「ええ、レティシア様。全ての権利を放棄するというのは却って好都合です。あの方達の不始末の責任を押し付けられる可能性が無くなるのですから」
「沈んでゆく泥舟からは逃げなければね。バーナード、あなたはこれからどうするの?」
「息子が隣国で商売をしておりますので、そこへ身を寄せようと思っています」
「今までありがとう、バーナード。あなたにはたくさんのことを教わったわ。いつかまた、会えますように」
「はい、レティシア様もお元気で。お幸せをお祈りしております」
そして、卒業パーティーの日が来た。前日に婚姻届を出したレティシアは、マシューから贈られたドレスで出席した。婚約者を伴ったアリスがレティシアに声を掛ける。
「おめでとう、レティシア! もうスコット夫人になったのよね? アルトゥーラに行ってしまうのは寂しいけど、幸せにね!」
「ありがとうアリス。あなたの結婚式には帰ってくるわ! あなたも幸せにね」
ヘザーは豪華なドレスを着てジョナスを連れて現れた。金髪に青い目の二人が並ぶとやはり美しく、会場の注目を集めている。いい意味の注目ではないらしいけれど。
「お姉様! どう、このドレス? すごく高かったけど、伯爵令嬢って感じでしょ?」
「ええ、ヘザー」
一応そう答えながらも内心では呆れているレティシア。
(上位貴族の令嬢達より派手なドレスを着てしまってるわ。色も被ってるし。メイドは何も注意しなかったのね)
昔からいるメイド達なら、着付ける時に気がついて進言する筈だ。
(経験のないメイドばかり雇ったようだけど、やはり弊害が出てきているわね。古参のリーダーがいないから統率も上手くいっていないし)
まあいい。自分はパーティーの後アルトゥーラに向けて出発するのだ。ポーレット家と縁を切って。再びこの国で暮らすのはマシューが男爵位を継ぐ時だから、しばらくはないだろう。
そういえばヘザーが誕生日を迎えるのは三ヶ月後だ。豪華な結婚式を開催するつもりらしいが、レティシアは招待されなかった。
「あなたはもうポーレット家とは関係ありませんからね。赤毛のみっともない姉がいるなんて世間様に思われたくないですから。それに、ジョナスをヘザーに奪われた逆恨みで、結婚式で変な振る舞いをされても困りますもの」
(本妻の残した娘を追い出して、伯爵位と伯爵家出身の美しい婿を自分の娘に与える。長年愛人として日陰の身にされていたことへの復讐が、ヘザーの結婚式でやっと完成されるということね。いいわ、私はここに何の未練も無い。遠いアルトゥーラで、あなた達の行く末を見届けておくわ)
卒業パーティーも終わり、マシューとレティシアはアルトゥーラで新生活を始めた。マシューは大学へ通い、レティシアは高等学院に編入して残りの単位を取得することになった。
驚いたのは、マシューの親戚というのはアルトゥーラの侯爵家だったことだ。大国の侯爵家だけあって、ポーレット家とは段違いの経済力がある。既に高齢のカート侯爵夫妻は子供が無く、遠縁をあたっても相続出来そうな男子はマシュー親子しか見当たらないらしい。
「……ということは?」
「うん、父はもう今さらアルトゥーラで侯爵家を継ぐのはしんどいからずっと男爵でいいと言っている。だから僕がここを継ぐことになるだろうね」
「それで、夫人は私にいろいろ教えて下さっているのね」
マシューは研究に忙しく、休日もなかなか取れない。そのため、カート侯爵夫人はレティシアをお茶会に伴ったり音楽会に連れて行ったりしてくれている。その時に、いろいろな人に紹介され、交友関係を広げているのだ。
「今後は、侯爵家を継ぐために必要な知識も教えるつもりだと思うよ。僕は侯爵から教わるから、君は夫人から学んで欲しい。大変だけど、構わないかい?」
マシューが少し不安そうな目をしてレティシアに問う。レティシアは安心させるように笑顔を見せた。
「もちろんよ。学ぶことはいつだって楽しいわ。夫人とも仲良くさせていただいてるし、心配しないで。あなたは研究に専念してね」
「ありがとう、レティシア。君と結婚出来て本当に良かった」
マシューはレティシアを抱きしめた。
「アルトゥーラに来て気付いたと思うけど、この国では赤毛の人は羨ましがられるんだ。皆に褒めて貰っているだろう?」
確かにその通りだ。会う人会う人がこの赤い髪を褒めてくれる。緑の目も、翡翠のようだと言われることが多い。
「アルトゥーラでは十人全員が君を綺麗だと言うよ。もちろん、僕は以前からずっと、君が一番だと思ってるけど」
「ありがとう、マシュー。私もあなたが一番素敵よ。誰よりも愛してるわ。ヘザーに感謝しなくちゃね。婚約者を交換してくれてありがとうって」
二人は笑って優しくキスをした。
その頃、ポーレット家では。
絢爛豪華な結婚式を挙げて幸せな新婚生活を送っているはずのヘザーとジョナスだったが……。
実はジョナスは結婚前から借金を抱えていた。悪い仲間に誘われて始めた賭け事にどっぷりハマり、どんどんと危ない金貸し業者から金を借りるようになり、借金取りがハワード伯爵家にまで押しかけていたのだという。
ハワード家には優秀な長男がおり、彼を後継者にするつもりだ。借金だらけの次男の後始末などする気はない。そこで、この醜聞が広まる前にどこかの貴族に押し付けてやろうと縁談を探していたのだ。それにまんまと引っかかったのがダニエルだった。
ろくに調べもせず、ダニエルはホイホイと縁談を受けた。ハワードとしてはこのチャンスを逃す筈がない。婚約者が平民上がりの娘に変更されようと関係ない、早く次男を家から追い出そうと必死だった。
幸い、ポーレットの方から結婚式を早めたいと連絡があり、予定より早く次男と縁を切ることが出来た。借金取りが来たら知らぬ存ぜぬ、ポーレット家へ行けと言うようになった。
「もういや! 何であんな奴らが毎日来るのよ」
「あなた、ノイローゼになりそうだわ。早く追っ払ってちょうだい」
「金を払わない限りあいつらは毎日やって来る。くそう。何でこんなことに」
当のジョナスはのんびりとお茶を飲んでいた。
「ごめんなさい、お義父さんお義母さん。若気の至りで作った借金です。もう賭け事はしませんから、今回は払っておいてもらえますか?」
「払いたくても金が無いんだ! 結婚式で使い過ぎた。もう手元にほとんど無い」
「だったら、領地を売ればいいじゃないですか。ポーレットにはまだまだ領地がたくさんあるでしょう?」
「くうう……仕方ない。生活費も必要だ。土地を割譲して金に変えよう」
「こんな男とわかっていたら、あのままレティシアと結婚させていたのに……離婚させたくても、もうヘザーのお腹には子供がいるのよ……こんな事だけはやるのが早いんだから」
デミは頭を抱えてソファに座り込んだ。テーブルの上の新聞には、『スコット男爵令息マシュー氏、アルトゥーラの侯爵位を継承する』という小さい記事が載っていた。
「私、お姉様に手紙を書いたわ。前も、婚約者をあっさりと交換してくれたんだもの。今回も頼めばまた交換してくれるはずだわ、きっと。私の方がアルトゥーラの侯爵夫人に相応しいに決まってる。そしたらお父様とお母様もアルトゥーラに呼んであげるわね」
能天気なことを言ってニコニコ微笑む娘を横目で見ながら、ポーレット夫妻はため息をついた。
手紙を受け取ったレティシアはマシューに見せた。
「こんな事言ってきてるわ」
「『お姉様、結婚相手を交換して』、か。ヘザーの言いそうなことだなあ」
「『絶対にイヤ』って返しておくわ。今後は手紙も受け取り拒否にする」
「君はポーレットから縁を切られたんだからそれで当然だよ。もう彼らのことは忘れて僕達はここで幸せになろう」
「ええ、あなた」
二人はその後子宝に恵まれ、カート侯爵家はアルトゥーラで長く栄えていった。スコット男爵位も子供の一人に引き継がれ、長く続いていった。
ポーレット家は領地を全て失い、今はどこでどうしているのか誰も知らない。