商人 気前が良すぎない?
「どれだけ」
か細い声でガッタは問いかける。
「あとどれだけ、こうして……」
「次の村までは、そう遠くないはずだ」
墓堀人は、低い声で答えた。
「旅程が遅れ気味なのは確かだが、この辺りは慣れている。この先の村に立ち寄る事は滅多にないが、だからといって迷うほどではない」
ガッタは、項垂れて焚火を見つめる。
「それは、わたしのせいで……あの」
何かを言いかけるガッタを、墓堀人は手で制した。素早く右手でショベルを引き寄せ、片膝を立てて周囲を警戒する。
鋭敏な墓堀人の耳には、誰かが下生えを踏む音が聞こえている。歩くリズムから推測できるのは、かなり体重がある、あるいは大荷物を運んでいるか、重武装をしている人物である事。人数は一人。
「妙だ」
墓堀人が呟く。
近づいてくる人物からは、甲冑に特有の金属音がしない。となれば、大荷物を運んでいる人物と推測できる。しかし、ここは好き好んで歩くものなど滅多に居ない森の中だ。商人などの平和的な人物とは考えにくい。
以上の推測からその人物は、街道沿いを歩けないお尋ね者であろうと彼は考えた。戦死者からの略奪は多い。生きている兵士と違って、死人は反撃しない。そのため、死体喰いなどが寄ってくる前に行えば安全だからだ。戦場の死体から装備品を剥いで、死体はそのまま転がしておく手合いは少なくない。むしろ、埋葬を目的として戦場に近寄る墓堀人が少数派だ。そして、死体からの物取りを生業とする人物は往々にして野盗をかねる。
墓堀人が妙だと感じたのは、その人物が一人である事だ。死体剥ぎや盗賊の類なら、徒党を組む。特にこのような国境付近で活動するなら、個人より盗賊団として活動するほうが普通だ。人数が多ければ少数の兵士になら対抗できる上に、戦場の死体から剥いだ装備類も多く運搬できる。
近寄ってくる何者かの気配に相対し、ガッタを背中にかばう墓堀人。彼の構えるショベルの前に、藪を突っ切って無警戒に顔を突き出したのは太り気味の中年男だった。
「ひゃっ」と声を上げて後ろにひっくり返る男。背中の大荷物が派手な音を立てた。
崩れる大荷物とひっくり返った男の身のこなしを見て、墓堀人は自分の推測が間違っていたと知る。
「盗賊ではないな」
墓堀人の声に、男は「違う違う」と手を振り身を起こす。
「商人でさ。行商人。ここいらを定期的に巡回する旅商人で」
「こんな紛争中の国境地帯の森の中をか」
「紛争でも戦争でも、無人になるわけじゃねぇんで。危険を嫌うの行き来が少なくなった分、私みたいな商人が潤うんでさ。しかしね……」
商人はため息一つつく。
「なじみの集落が、皆殺しになっていやしてね。そら、今私が来たほうに森を突っ切ったところにある……ね。そんなもんをみちまったら、さすがに恐ろしくてね。『目撃者は生かしておかん』なんて
事で兵士が追ってきたら一大事。森なら見つかり難いと思って、次の村まで隠れて進む事にしたってわけで。幸い獣にも出くわさず進んで来られたところに、ちょっと人の気配がしたんでね。『もしや集落の生き残りが逃げているのでは』ってんで顔を出したという次第。まぁ、目の前にそいつが突きつけられるとは思わなかったんですが……」商人の目がショベルに向き、ついでガッタを見る。
「子連れの墓堀人とは珍しいね……っと。いや、えー、あー。あれ?」
ガッタを凝視する商人。ガッタは体を縮め、顔を伏せる。
「帝国側の集落に住んでる娘さんだよね。私も、偶に国境越えてあっち側にも行くこともありやす。お見かけした事ございますよ。君のお母様には色々と買って頂やしてね。ほら、覚えてねぇですかい。ヴィ国から持ち込んだ薄桃色のリボンとか、ジチェのほうから運んできた人形とか」
ガッタは伏せていた顔を上げ、首を傾げる。商人は一方的に話し続けた。
「何分、結構昔なものですからね。お嬢ちゃんは覚えてないかもしれやせん。それがこんな場所で野営とは。何か難儀な事に巻き込まれているようですが、よければお家まで道案内をしやしょ。こう見えておじさんは、国境を越える裏道を知っているんでさ。夜が明けたらすぐにでも向かいやしょう」
誰にも返事をする暇を与えずまくし立てる商人。彼は、抱えてきた荷物から保存用のパンと干し肉を大量に取り出し焚火であぶりはじめた。
「さあ、そうときまれば腹ごしらえだ。お食べなせぇ。墓堀人のお方も、遠慮なく。なに、行き先がそう遠くないとなれば多すぎる食料は邪魔になるってもんで」
返事をする間もなく、商人は二人の手に食料をつかませ杯を渡す。
「さぁさぁどうぞどうぞ」と口の止まる暇のない商人に対して、墓堀人は渡されたものを慎重に検分する。
毒物の臭いはしない。怪しいところのない干し肉と保存用のパンだ。杯のほうは、安い葡萄酒。墓堀人の好みではないが、有害でもなさそうだ。
墓堀人はそれぞれを少量づつ口にしてから、ガッタに無害である事を伝える。思いがけない食料の確保は、なれない二人連れの逃避行を続ける上で有難いものであった。
「ライウィスキーはあるか」
警戒の解けた墓堀人は、商人に尋ねる。
「いや生憎と、運んでおりやせん。自分は、徒歩の行商なものでしてね。酒類はどうにも運搬しにくうござんしてね。道中に自分でのむ分の葡萄酒を運ぶのが精一杯でさ。売り物は主に雑貨類で」
商人は、頭をかいて答えた。
そんなやり取りのうちに、彼の目が焚火に照らされたガッタの足に向く。
「おや、足元がひでえもんだ。木靴が悪いとはいいやせんが如何せんボロボロだ」
商人は葡萄酒で一息ついているガッタの足元にひざまずくと、そんな事を言い出した。
「ここらはさすがに丈夫な革のブーツがほしいところ……とはいいやしてもねぇ」
「売り物があるなら、買おう」
墓堀人は、声をかける。商人は、頭をかいて口ごもった。
「荷物の中に革のブーツはありやすが、古くなったやつを兵隊から買い取ったもんでしてね」
「大きすぎるか。短期間ならそれでも暫くもつだろう」
「そうもいきやせん。墓堀人のお方にはちょいと解らないでしょうが、兵隊の規則ってやつでね。休憩中も、兵隊はブーツを脱げない。休んでいるときに敵兵の襲撃があったとしましょう。ブーツを脱いでいたら、履くまで何の抵抗もできません。有体に言えばそこで殺されやす。一方でブーツを脱いだまま裸足で抵抗したとする。そうしやすと、遠からず折れた刃物なんかを踏みつけることになりやすから結局は命を落とす事になりやす」
「何が言いたい」
「要するにですね、行軍中も休憩中も兵隊はずっと革のブーツを履いていやす。それで、森やら沼やら荒地やらを延々行軍する」
ああ、と墓堀人は思いあたる。要するに。
「水虫だな」
「左様で」
確かに問題だ。そんな状態で使われていたブーツを履けば、すぐに水虫がうつってしまうだろう。痒みが出始めれば、歩く速度は今以上に下がってしまう。
「一応、乾かしてはあるんですがね」
商人は申し訳なさ気に話を続ける。
「どうやってみたところで、完全に防ぐ事はできやせん。硫黄の粉も用意はありやすが、気休め程度でしてね。そんなわけで、害になるとわかっているものを売りつけるのは商人の道に障りやす」
そこでね……と商人は続け、荷物の中から革帯と靴底を取り出した。
「古代風ではありやすが、革帯を足に巻いてサンダルにしやす。幸い綺麗な革帯と皮ひも、それに未使用のブーツの底がありやすんで。えぇ、短期間なら充分持つでしょう。歩く速度も上がる」
満面の笑みで、商人は続ける。
「何、心配しなさるな。すぐに家まで送り届けられると思いやすよ。『ガッタ・マンマーリア』ちゃん」