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帝国首都って派手すぎない?

 大陸東部、ウィタエ帝国。首都レム・ヴィヴェンテム。城門から、華麗な甲冑を身にまとった騎士たちが出立してゆく。バナーには、後足で立つ虎の紋が金糸で縫い取られている。

 二足で立つ虎の紋章の主、帝国黎明期から皇帝の片腕として遇されているアニマーリア家のものだ。


 騎士達の出立を館のバルコニーから見送る男が居る。ビロードのプールポワンに身を包んでいて、流行している形の襞襟をつけている。袖には複雑な模様の縫い取りとスラッシュが入っており、その切り口から上質の白い裏地がのぞく。

 出陣に当たっての訓辞を終えて、今は帽子を脱いで右手に下げている。厚ぼったい瞼に、やや眠たげな瞳。そう高齢でもないが、頭は見事に禿げ上がっており、よく晴れた空からの光を反射している。


 彼が騎士達の総指揮官にして、アニマーリア家当主ティグリス・アニマーリアである。かれは、無意識のうちに硬く握り締めていた左手に気付く。右手で、左手の指を一本づつ掌から引き剥がすようにして伸ばした。ようやく動くようになった左手を見つめながら、握り締め、開き、握り締め。一連の動作を終始無言で眉間に皺を寄せたまま行うと、踵を返して館の中に戻った。

 人払いのしてある自室の机には、いくつもの報告書が載っている。そのうちの一つ、すでに封緘の破れている一巻を手に取る。羊皮紙を広げて、幾十度と読み返した内容に再度目を通した。「黒衣の墓堀人に介入され『指輪』『娘』共に所在不明」

 彼は渋面で報告書を巻き戻し、机に放る。そして、目頭を指で押さえ暫く動きを止めると、大きくため息をついた。


 部屋の外で、複数の足音がする。彼の人払いを気にもかけず躊躇なく接近する人間など、屋敷には一人しか居ない。ティグリスは書類を片付けてから、両手で顔を揉み解し扉の向こうに居るであろう相手に声をかけた。

「入っておいで」

扉の向こうに居たのは、彼の娘。栗色の髪に、とび色の目をしている。スカートの前に下げたタブリエは暗い色の生地の上に、幾種類もの宝石を止めた世界に二つとないものだ。ローブは袖部分を胴体部分と別の素材で織ったものを美麗な装飾のエポレットで繋いでいる。両手は覆うのは絹の手袋。

 彼女の背後には、護衛の騎士たち。ウィタエ帝国皇帝の近衛と比べてもそう遅れはとらないであろう剛の者達だ。ティグレの指示で、娘に付き従っている。

「お父様」

ティグレの娘、フェレスは今年で14歳になる。母親似の、無邪気な笑顔をティグレに向けて澄んだ声で呼びかけた。

「弟に会いに行こうと思いますの。いいでしょう」

「よいとも。共に行こう」

ティグリスは心労で強張る顔に笑顔を貼り付け、勤めて優しい声で娘の要請に答える。


 二ヶ月前に生まれたフェレスの弟は、要するにアニマーリア家次期当主だ。今は、乳母と共に多数の護衛に囲まれている。当主であるティグリスが同行しなければ、姉であるフェレスでさえ会うことはできない。

 ティグリスの居室から、育児の部屋までかなりの距離がある。当主と次期当主が同時に暗殺される危険を少しでも減らすためだ。広大な館の中を歩く長い道のりで、親娘は他愛のない会話をする。語学で躓いたこと、家庭教師の質について、学友の間で流行っているリボンの色について、滅多に会えないけれども弟が可愛らしいことについて。 そして、母親について。

「お前も、母親にずいぶんと似たものだ」

「嬉しい。ですが、お母様ももう少し長生きしてくだされば……」

ティグリスの妻が死亡したのは、世継ぎが生まれてすぐ。難産の末、産褥熱によるものだった。


 帝国の重鎮に世継ぎができたことに対する祝賀を行わなければならない。同時に、その母親の死を悼まなくてはならない。ありがちなこととはいえ、同時に性質の異なる式典をこなすことになる。そのためにアニマーリア家では暫くの間、当主から奴婢に至るまで多忙を極め、ティグリスがわが子に会いに出向く事ができたのも片手で数えるほどであった。


 厳重な警備の扉の奥に、次期当主の部屋がある。暖炉は、部屋を彩る暖色の内装をさらに赤く照らす。乳母の揺らすゆりかごに眠る嬰児は、ティグリスとフェレスが部屋に入ったことに気付かず眠り続けている。

 部屋に詰めている警備の騎士が敬礼を行おうとするのを、ティグリスが手で制する。フェレスは音を立てるなという意味で、人差し指を唇に当てる。

 忍び足で、揺りかごに近寄る二人。嬰児は綿と絹に包まれて、梱包される硝子細工にも似た有様で眠っている。その枕元の壁には、一枚の肖像が掛かっている。この赤子とフェレスの母親、ティグリスの妻であった女性だ。母親の肖像画は、穏やかな微笑で揺りかごを見下ろしている。その指には、淡い光を放つ銀の指輪が描かれている。そしてその瞳は、くすんだ赤色だ。


 次期当主たる赤子との面会を終えた二人は、手近な部屋に腰を落ち着けて葡萄酒と林檎酒を運ばせた。部屋の外に警備を残し、人払いを命ずる。親子水入らずでひとしきり赤子についての話題を巡らせ終わり、同時に飲み物を一口飲んだ。数秒の沈黙が降りる。

 フェレスが改まった様子で、ティグリスの顔を真っ直ぐ見据え問いを発した。

「お母様のあの指輪は、いまどうしていますか。お父様」

「その事については、皇帝陛下のご下問であったとしても答えられん。アニマーリア家当主は、あの指輪の保全する義務と、そのために全ての情報を隠匿する権利がある」

フェレスは、身を乗り出し小声で父親に詰め寄る。

「人の指から離れてすでにふた月です。指輪の消失まであとひと月ほどのはず。気が気ではありません」

「お前が気にするほどのことはない。アニマーリア家当主として今回は、指輪の隠匿方法に変化をつけるつもりなのだ」

ティグリスが渋い顔なのは、上等な葡萄酒の渋みによるものではない。フェレスは、居住まいを正して言う。

「『皇帝陛下のスペア』は時が来れば、陛下の指に触れる事になる指輪。滅多なものに預けるわけにはいきません。帝国に身を捧げるというお母様の志は、私が継がなくてはならぬことです。指輪を外すことが死を意味していることも、幼い頃から聞かされています。もし自分が指輪をつけた翌日に、陛下が指輪の持つ蘇りの力を必要とされたとしても覚悟の上のこと。どうぞ、私の命をお惜しみになりませぬよう」


 酒器を片付けさせて、親娘は廊下へと出る。フェレスの一礼にティグリスは一つ頷き返した。

 通路を去る娘の彼女の母親によく似ている後姿を見送りながら、ティグリスはため息をつく。自分の命を軽視しすぎだと呟いて彼は、禿げた頭をつるりとなでた。

「お前が生まれた瞬間から決めていたことなのだ。その命を指輪の犠牲にはしない、とな」

この選択が、誤算をもたらしたのは確実だ。しかし、アニマーリア家と帝国の歴史のうちには更なる逆境があったのも事実。祖先の霊にかけて、この程度の事件を苦境とは呼べまい。


 瑕疵なく全てを解決する。ティグリスはその決意を新たにし、執務へと戻る。歩きながら、右筆と官吏の幾人かを呼び出すように命じた。今回、戦力を動かしたことについての説明を宮廷で行わなければならない。

 

 自室に戻り、右筆に手紙を書かせる。各方面の有力者に宛てたものだ。それに付随させる贈り物の指示を終えてから、宮廷用の正式な礼服に着替える。

 ティグレは館の中庭で紋章入りの馬車に乗り込んだ。前後を武装した護衛の馬車に挟まれて、彼の乗る馬車はは文官としての戦場へ向かってゆっくりと進む。

 愛する妻の形見ともいうべき、子らの安寧のために。

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