さよなら おやすみ またいつか
真っ白な空間の中央に、ガッタは立っている。彼女は肌の上に簡単な白衣だけをきて背筋を伸ばし、前方を見つめる。両手も素肌を晒しており、左手の中指には薄赤く光る銀の指輪が嵌っている。視線の先に居るのは、二人の墓堀人だ。ふたりとも黒い外套に身を包み、手にはそれぞれ埋葬の為のショベルを一振り握っている。彼女は強張った面持ちで、空気を飲み込んだ。その音が何もない空間に響く。ガッタがとるその動作も面持ちも、今は指輪が再現している擬態に過ぎない。その事を知っているマルティーリョは悲しげに首を振った。
「ガッタ、心配はない。暫くの間気を失うだろうが、目が覚めたときには指輪は外れている」
グアドは勤めて快活に笑みを浮かべてそう話すが、目に浮かぶ悲しみを潜めることはできない。
「グアドおじい様。わたしの目が覚めるまで、側にいてください」
ガッタならばそう言うであろうと指輪が判断し、音声が発せられる。
「勿論だ。どこにも行かないと約束しよう」
グアドは頷いてそう答えた。
「おじいさま。約束よ」
彼女のか細い声に
「あぁ」
と、祖父は短く応じる。
暫しの沈黙。二人が見つめあい、マルティーリョは目をそらしている。グアドが再び口を開いた。
「原住生物探査装置。情報の緊急保全を要請する。
コードq***-c********-i****」
途端にガッタの身体は痙攣を始める。転倒だけはしないよう、最低限のバランスを保ちながら体の各所を震わせる。その口が言葉を紡いだ。
「命令者のケ権限をヲヲヲ確認できません。脅威を排除ハイジョハしまママす。職員は安全アンゼンアなナナ距離を保ち、シスススステム管理リ者に連絡してテテくだダダダさサイ」
もしや、すんなりいくのでは、という期待は絶たれた。老墓堀人二人は、各自のショベルの柄にカートリッジを装填した。カルデロの助力によって調整されたそれは、ショベルは本来の役目である『我々』のあらゆる機器を停止させるという機能を部分的に変更する。いまは本来の機能に加えて、指輪に特定の動作を要求するという機能を帯びた微小機械が、その縁に沿って循環している。
「指輪にあてる必要がある。他はダメだ」
グアドの呻くようにして絞り出した言葉にマルティーリョが答える。
「足もだめかの。動きをとめるのに」
「だめだな。この状態では、すぐに治癒するだろう。姿勢を崩すぐらいはあるかも知れんが」
それを聞いて、マルティーリョは大きく息をつき一歩前に出てショベルを構える。
「グアダニャよ。わしゃあ覚悟を決めたぞ」
未だに構えをとらないグアドを横目に、彼は宣言した。
「孫っ子ちゃんを傷つける覚悟じゃないわい。孫っ子ちゃんのために、この老体を砕く覚悟じゃ」
もう一歩、最も年老いた禿頭の墓堀人はガッタに近づいた。息を一つ吐き、グアドもまた、ショベルを構える。
ガッタの痙攣が止まったと見えた瞬間、彼女はマルティーリョの目の前まで踏み込んでいた。指輪のない、右手での平手打ち。熟練の墓堀人は、僅かにさがってこれをかわす。途端に彼の左頬が裂けた。彼は顔を裂く何かの動きに逆らわず、体を右に回転させながら今度は大きく下がる。そのままさらに半回転し、自分と少女の間の空間に向けてショベルを振るった。硝子を掻くような音とともに、明かりを反射してきらめく破片が辺りに飛び散った。一瞬の停滞をついて、横合いからグアドが仕掛ける。ガッタはショベルを避けて後退した。
「微小機械を固定して武器にできるのか。過剰戦力じゃろが」
顔を血まみれにしたマルティーリョが呻く。
「『奴ら』に鹵獲される危険も考慮しての事だろう。実際この自衛状態になるのを見るのは初めてだから、推測でしかないがな」
「設計した奴を、わしは恨むぞ」
今度はグアドの方から踏み込んだ。執拗に指輪を狙って振るわれるショベルは、その度に微小機械の形成する見えない盾に阻まれる。四合五合と火花を散らした後、あてると見せかけて胴と腕の間に通したショベルの柄を使って、グアドは彼女の左腕を拘束しようとする。
ガッタは背中にショベルの先をあてられ、左上腕を柄に押さえつけられる。彼女は到底、届きそうにない右手の肘から先だけを動かし、不可視の刃で彼の左肩を傷つけた。その牽制の一手の間に、拘束された左腕を大きく後ろから振り上げるようにして柄の拘束から外す。
指輪のついた手が胴体の中心から大きく離れるのを狙って、マルティーリョが打ってかかる。大柄な彼の一撃は、見えざる盾を砕き破片を撒き散らしながら進むがそれによって速度を大きく落とされた。ガッタは、左手を腹に抱きこむようにして守る。
ショベルは盾を破りはしたものの、彼女の肉体の寸前で動きを止めて引き戻された。
「すぐに治るとはいっても、やりにくいわい。孫っ子ちゃんを傷つける気にはどうしてもなれん」
ぼやくマルティーリョに、グアドが並ぶ。
「奇遇だな。同じく、だ」
彼が呻くように答えた途端、二人の老墓堀人は見えない何かに弾き飛ばされ床を転がった。マルティーリョは呻き、グアドは歯をかみ締めて何とか起き上がる。ガッタは両手を下げたまま落ち着いた足取りで、二人に向かって歩いてきていた。
「引っ掛けられたな。確かに微小機械を指揮するのに手振りは要らない」
グアドの言に、彼の相棒は懐の袋を探る。彼に小さく頷いて、老墓堀人はガッタに立ちふさがった。ガッタの僅かな視線の動きに反応し、眼前の虚空に向かって袈裟切りにショベルを振るう。機能を停止した微小機械の集合体が欠片となって散った。不可視の刃は同時に彼の肩を傷つける。負傷に動じず、老人は素早く頭を下げて踏み込んだ。白髪を切り飛ばしながら、その背後の床に硬質のものがあたる音が響いた。彼は、動きを止めずに、ショベルを突く。見えない盾が、その切っ先を遮り破片と化す。直後に破片に微小機械がまとわりつき、硝子のようなそれを高速で撃ち出した。グアドは引き戻したショベルの匙体でそれを防ぐが受け切れなかったものが、彼の側頭部に切り傷を作った。墓堀人は突然に顔面を庇っていたショベルの先端をを地面に向けた。腰を落として先端を床に突き刺す。無数の破片で気を逸らしてから脛の高さに繰り出された斬撃は、ショベルに触れた部分で停止した。一見何もない空中にひび割れが広がっていく。直後に跳ね上げられたショベルには停止した微小機械の粉塵が載っている。目視できる大きさの結晶状のものからウィルスの大きさの不可視のものまで。巻き上げられたそれらは、正常に作動し、刃を形成しようとしている微小機械の隙間に大量に侵入し動きを妨げる。指輪の主の視線の動きが、一段と激しくなった。
ガッタがさらに一歩、二人に近づいた瞬間。マルティーリョは握り締めていた袋を、彼女に投げつけた。空中で切断される袋からは粉塵があふれ出して、微小機械の刃の形を可視化する。その間隙を縫ってグアドは前進した。この瞬間だけは見えている彼女の刃の間をすり抜け、ショベルを振るう。ガッタは無表情のまま、指輪のある左手を体の後ろに隠してショベルの刃に向かって体を晒した。
「こっちも、引っ掛けだ」
グアドは呟きと共に、躊躇せずに無防備に投げ出されたガッタの右大腿部を斬りつけ、返すショベルで腹部を骨盤の右側から左第十肋骨までを切り上げた。
彼女の足の傷は即座に治癒し、微かに体勢を崩すに留まった。腹部の傷も同様に治癒し始める。しかし、傷から飛び出た腸が挟まって腹筋が回復しきれない。
姿勢を維持できずに、たたらを踏むガッタの顔を目掛けて、グアドのショベルが突き出される。彼女の上体は反り、彼から僅かに距離を離す。
ショベルは、ガッタの鼻先で止まった。グアドは踏み込みきれていない。突きの動作で無防備になった彼の胴に致命の一撃を入れるべく、微小機械への命令を発しようとする彼女は鼻腔に微かな違和感を覚えた。ショベルの先は、薄く緑色に染まっている。
兵士に拉致され、死体を目の当たりにして取り乱していたガッタを、グアドが落ち着かせるのに使った沈静用の薬草の匂い。さほど古くもない、印象的な匂いの記憶はガッタに指輪から肉体の主導権を取り戻させた。
グアドのショベルは引き戻され、ガッタの顔目掛けて横薙ぎに振るわれた。体の制御を指輪から取り戻したガッタは、この瞬間だけは人としての反応を示す。彼女は両掌で、顔を凶器から身を守ろうとした。激しい金属音が響く。
墓堀人のショベルの縁から、ガッタの左手の小指、薬指が転がり落ちた。横薙ぎに振るわれたそれは、彼女の中指にはまる指輪にあたって止まっている。彼がショベルを引くと、少女はその場に崩れ落ちた。
「呆けている場合じゃないぞ。はようせんか」
大きく息をついて立ち尽くすグアドに、マルティーリョが叫ぶ。彼は、空中に投影されるコンソールを触って治療用の停滞槽を『墓所』に要求した。
白い空間の中央に、真っ黒な直方体がせり上がってくる。棺とも見えるその中に、グアドは身動きしないガッタを横たえた。すぐに、内部の空間は治療ジェルで満たさる。その中では彼女の生命としての活動が抑制され、仮死のまま必要な治療だけが進行していく。
それを見つめるグアドに、マルティーリョが足を引きずりながら近づいて呟いた。
「どれくらいかかりそうかの」
「やはり、現地人とのハーフである事が影響する。『我々』と現地人との混血自体が、この指輪の設計の想定の外だからな。安全に指輪の影響を逃れるためには、数十年、悪くすれば数百年かかるかも知れん」
「そうか」とため息をつきマルティーリョは、空間の出口へと向かった。
「今回は些か疲れすぎた。先に戻ろう。お前さんはゆっくりでいいぞ」
出口で立ち止まって、そう述べる彼にグアドは背を向けて答えた。
「あぁ。あんたが泣き止むくらいには、遅れていこう」
グアドは、背後で空間の出入り口が閉じるのを感じるとその場に膝をついた。両目から涙が流れる。黒い棺の上に、雫が二つ三つ落ちた。
暫くの後に、彼は体の向きをかえてガッタの眠る箱に背を預け目を閉じる。
「心配するな、ガッタ。おじいちゃんは、ここにおる」




