ヒロイン登場 遅くない?
墓堀人は、構えを解かない。赤い目の少女は煙を吸い込み、咽る。やがて、両膝と手を地面について蹲った。
未だに煙を発する薬草玉を蹴り遠ざけて、墓堀人はようやくショベルをおろす。そして、低く凄みのある声で問いを発した。
「帝国兵が、探していたのは君か」
少女は答えられない。咳が止まらず、咽が詰まるような音を立てている。
墓堀人は少女に水を飲ませ、咳に利く薬草の葉を噛ませた。今更遅いだろうが、村人達の死体を見せないように少女をその場に座らせる。その間に墓堀人は、観察によって少女が武器の類を持っていないことを確認。体の動かし方からして、戦闘の訓練は受けていない。村娘にしては多少いい生地の服、茶色がかった黒い短めの髪、異様な赤い目。そして、不釣合いなほど上等の手袋。
「さて、改めて聞こう」
少女を座らせ、質問を再開する。墓堀人の声も、今度は幾分か優しい。
「君は何者だ。兵士に狙われる心当たりはあるか」
赤い目の少女は、首を振る。
「何も……何もわかりません。家に男の人達が、兵隊さん達がいて……それで。馬車に閉じ込められて。…目隠しをされていて。あとは、何も。ここがどこなのかも……」
「この村の娘さんではないということか。自分の村の場所はわかるか」
「いえ。村と、周辺の森の近いところにしか行ったことはないので……あ、お祭りのときに旗を立てます。金色の丸の下にお皿みたいな形があります」
「そいつは、国境東側のウィタエ帝国のものだな。小国連合側が誘拐したのか。当初の村の説明『帝国側からの越境で戦闘が起こった』は嘘だった……」
少女は涙目のまま、墓堀人を見上げている。
「あとは、その手袋だ。上等な、野猪の皮の手袋。都会でも手に入れるのは難しい代物だ」
「これは、兵隊さんたちに馬車に押し込まれてすぐにつけられました。外したら殺すと脅されて」
恐怖を想起して、涙ぐむ少女。
「納屋みたいなところに、閉じ込められて。騒がしくなって……誰かが、戸を壊し始めて。怖くて。もう少しで、戸が破れるところで、壊していた人が急にどこかへ行って。それから静かに……壊れた戸から外に出たら、人が……人が死んでいて」
とうとう、泣き出してしまう。
死体を見せない配慮は、遅かったようだった。とはいえ、墓堀人に予め何かができたわけでもない。
「攫ったやつらも追ってきた兵士らも、もう居ない。君はもう安全だ」
墓堀人は、少しあわて気味に応じる。動かず喋らない死人相手の生活が長く、泣く子の相手には慣れていない様子だ。
「安全ついでに、確認させてほしい。何かの仕掛けや、あー、なんというかな。魔法、そうだな魔法の品である場合もある」
墓堀人は泣きじゃくる少女の手から、手袋を慎重に外す。手袋自体に、仕掛けを仕込むような膨らみはない。何か危害を加えるなどの意図も見当たらない。本当にただの手袋。
ただ、少女の左手の中指に指輪がひとつ嵌っている。銀の素材に、赤い複雑な模様。指輪は、薄く光を発しているようだ。
「こいつだな、帝国兵が探していたのは」
淡いとはいえ光を発している以上、手袋は必須だろう。それはつけておいたほうがいい、と墓堀人は教える。
この指輪が狙いだとして、東の帝国側に引き渡せばいいものだろうか。いや、村ひとつ全滅させる必要がある代物ではそうもいかない。この指輪だけが重要という可能性もある。で、あるならば少女も無事に済むまい。
では、西方小国連合側。この村は小国連合を構成する四カ国のひとつ、南東に位置するレベン国の隅にある。そのレベン国に保護を要請するべきか。
これも、否。指輪の重要性、それが実際にどんなものかわからないが、それを考慮に入れる必要がある。少女は、何も知らず分からないまま帝国側との交渉の手札として使われることになるだろう。あまり、よい状況になるとはいえない。
指輪を捨てて去るという選択もあるが、それを周知できなければ状況は変わるまい。指輪を隠し持っているはずという前提で、追っ手がかかるであろう。墓堀人はそう少女に告げ、暫くの思案の後に方策を呈した。
「帝国兵の狼藉の現場に居合わせた、善意の墓堀人として……君を、保護しようと思う。そうだな、いつになるか分からないが君を家に変えす努力もしよう。この危機を乗り越えてからという順番になりはするが。なので、いつになったら君の村に帰せるかは分からない。その点においては、君を攫った兵士たちとあまり変わらんことになる。許してもらえるだろうか」
「おいていかないでください」
墓堀人が方針を検討している間も、少女は泣き続けていた。話も、聞こえていない様子。
「置いて行きはしない。大丈夫だ。墓堀人の名誉にかけて、死体でない人間を埋めることはない。生きている人間が『放置すれば死んで埋められてしまうような状況』にある場合これを見過ごすこともない……極力ではあるが」
言葉は、少女に届いていない。
「おいていかないで。いかないでぐだざい」
無理もない。突然の誘拐に戦闘、最後には人の死体まで目の当たりにしたのだ。年端の行かない少女に平静で居るべきというのは、酷だろう。
ひどく取り乱す少女を相手に、戸惑う墓堀人。やがて、鎮静作用のある薬草を指でつぶし、少女の鼻先に差し出す。甘く青臭い匂いは、少女をようやく落ち着かせた。
薬草の香りによって、落ち着いたまま少女は眠りについてしまう。
少女を広げたマントの上に横たえて、しばらくの思案。その後、墓堀人は村人の埋葬を断念した。このまま留まるのは、あまりに危険だ。時間を過ごせば、少女を連れての逃亡も不可能になるだろう。
帝国側に行くことはできない。捜索隊に鉢合わせる危険が高い。レベン国の内側へも、進めない。この村が襲撃されたいきさつから考えて、小国連合側も指輪を狙っているのだろう。見つかれば、少女も無事に済むまい。帝国の捜索隊も、越境を厭わずに真っ直ぐ追いかけてくる可能性がある。
進む方向は、北。いざこざの多い帝国と小国連合の国境付近を、戦闘や小競り合いに紛れながら突破する。墓堀人であれば国境付近を移動しても、そう怪しまれることもない。小国連合南東のレベン国と北東のアニマ国、そして小国連合の東方に位置するウィタエ帝国の三ヵ国の境目を目指す事にする。紛争の多いその地域であれば、墓堀人に縁のある人間が多い。伝を辿る事もできるかもしれない。
そこまで逃げ切れれば、頼りにできる知人にも繋ぎが取れる。問題は、少女を連れてどの程度の速さで逃げられるのかということだ。
迷う時間を逃る事に使ったほうがいい。方針が決まり、墓堀人は眠ったままの少女を担いで歩き出す。まずは、馬による追跡を振り切るために森へ向かう。
墓堀人の右手には、ショベル。左の肩には外套に包んだ少女を担ぎ、転がる死体を避けてブーツで血の混じる泥を踏み、背には食料と水と幾らかの資金が入った背嚢。腰には各種薬草を分類した野籠を下げる。ゆっくりと村を抜け下ばえを踏みしめて、彼は木々の間に姿を消した。