この二人が出ると、動きが少なくなりすぎない?
オルビス・ラクテウスの最も入り組んだ地域。そこにたつ一軒の襤褸屋の中に、二人の男の影があった。一人は細身で、身のこなしが軽い。もう一人は大柄で恰幅がよく、テーブルに向かって腰掛けている。蝋燭がつけられ、部屋の中が明らかになる。ベテルジューズの顔が頼りない明かりに照らされる。
「つまり、わたしは現在ヴィ国内に囚われているということになっているわけだな。グアドの奴とお嬢さんは、信じたと思うかね」
彼の問いに細身の男、フォマローが答える。
「グアド氏については、断言いたしかねます。しかし、ガッタお嬢様は大変同情的でした。それに引っ張られるようにして、老人もある程度は信じたのではないかと推測します」
「或いは、逃げ切る算段がついていてどちらでも良かった……か。いずれにしろ、奴の大事にしているお嬢さんの同情を引けたのは成果だ。あれが孫娘に甘いのはわかっているからな。機会があれば、付け入る隙ができるだろう」
彼は、差し出された書簡の束を次々に検分してゆく。町での騒乱、グアドの逃亡する方向と速度、それに対するレベン国の密偵たちについての詳細な報告が、オルビス・ラクテウスの各所に潜む部下から上がってきている。鼻を鳴らして、一通り目を通した書類を机に投げ出し、ベテルは笑みを浮かべた。
「アルコリクの手下では、奴は捕まるまい。どれだけ、足手まといがあろうともな」
その呟きをフォマローも肯定する。
「追跡に出た連中は、目と耳を負傷して後送されたようです。どうも、追跡した先で凄まじい音がしたとのこと。その音で商品が割れたと、硝子商が嘆いているのを広場で聞きました」
「ほぉ、珍しい事もあるものだ。グアドのやつが、そこまで派手にいくとは。まぁそんな現象を引き起こす手段は皆目、解らんが。状況から察して、お前がオッレ大公女に渡した、奴の伝言が原因かも知れんな。矢張り大公女の力は、量りかねる。この町で、あまり大騒ぎを起こすわけにもいかんか」
ベテルが片眉を上げて呟き、机に投げ出した書類から新たな手がかりを探そうとして、もう一度目を通し始める。そうしてからふと、目を上げた。
「馬はどうした、提供した馬は」
「確保してあります。どうも、彼らはあまり進まないうちに乗り捨てたようで」
「追っ手から逃げ切る最低限だけ、使ったといったところか。馬が覚えた道を辿られると考えたな。やはり、そう簡単にはいかんようだな」
彼は手を額に当てて考える。
「オルビス・ラクテウスから北なのはわかっている。問題はそこから北上するか北東側、帝国内部へと進むかがわからん。やつが、河を渡ってこちら側にきたのは分かっている。この大河をもう一度渡りなおすとは考えにくいか。此処より北では、今は渡河の手段もない」
「追っ手を増やしましょうか」
というフォマローの提案に、彼はあっさりと首を振る。
「だめだ、グアドの奴を追っているものは現時点での情報だけを持ち帰らせろ。長いこと尻尾を掴ませなかった奴の情報は惜しいが、今は此処までだ」
フォマローは、無言で頭を下げる。そうしておいてから、周囲の塞がれた窓に向かっていくつかの手振りを見せた。
「アルコリクをどうにかしなければ、今後の動きが取れん。なにより、あいつはレガール王の仇だ。それに現状では、レベン国の状況はよくなるまい」
フォマローは肯定して、机に散らかった資料をまとめた。つづいて別の報告書の束を取り出す。大量の報告を前に、ベテルは頭を抱えながらも手際よく目を通していった。
「このまま戦況が推移した場合、ヴィ国はどうなるか。所見を述べろ」
畏れながらと前置きしてフォマローは胸を張り、一言「保ちますまい」と斬ってすてた。ベテルは、かれをじっと見つめる。ややもして、大きく息をつき「俺も同意見だ」と応じた。
「この戦争は、帝国の勝利で終わる。アルコリクが自治を認められたとしても、すぐに始末されるだろう。あるいは、奴が待遇に不満を持って叛乱を起こすのが先か。当然そうなった場合は、ヴィ国滅亡が避けられまい」
暫しの瞑目の後、彼は薄く目を開き
「ならばどうする」
とフォマローに問いかける。彼の副官は唇を噛みしめて沈黙を守っている。
「レガール王の治世の元では、王の密偵である我らは即ちヴィ国の密偵であった。そこには二者を弁別すべき事情などない。いくらレガール王の密偵であると自分等で言っても、お前達に俺が施した教育はヴィ国への奉仕を前提としたものだ。だから、今お前が躊躇うのはわかる。自然な事だ」
密偵の頭は話しながら、書類の束から現王アルコリクの紋章のついているものを探す。腰から何の装飾もない、ただ鋭くとがれている短刀を取り出して紋章に傷をつけはじめた。
「で、あるからにはヴィ国密偵ではなく、徹底してレガール王の密偵として動けるものが実行しなければならん。アルコリクの始末は、俺が直接つけよう」
平常と変わらぬ上司の口調に、フォマローは微かに身を震わせる。ベテルジューズはアルコリクの紋章を削り落とし終わると、屑を床に捨てた。
その後の王位の継承についての副官の問いに、彼は明快に「廃止とする」と答えた。
「俺とレガール王の誓いは、ヴィ国の発展だ。王家と王政の存続は含まれていない。よって、王家を廃止し皇帝を君主と認めることにする。ただし、旧ヴィ国貴族による議会の設置を認めさせよう。ヴィ国の領域内では、その議会の議決を元に政治を行う議会制をとる。帝国人の議員と監査を受け入れる事で恭順を示す必要もあるかも知れん。その後に起こるであろう、帝国による弾圧と粛清の対応は……後日、案を起こそう」
冷厳に言い放った彼は、懐から一通の書簡を取り出しフォマローに「見ろ」促した。
「レガール王の遺言だ。アルコリク宛、自分の死後は万事に於いて我が旧友にして忠実無比なるベテルジューズに諮るべし。国璽。こいつを使って俺の案に正当性を持たせる。アルコリクに宛ててある部分を消せば、ヴィ国は実質俺が差配できる事になる」
「帝国が乗ってくるでしょうか」
フォマローの当然の問いに、ベテルジューズは歪んだ笑みで答えた。
「勿論、今のままでは無理だ。帝国が負けないまでも、もう少し苦戦を強いられなければならん。ヴィ国ひとつ、自治を認めて済むならそうしたい、と思わせる程度にな」
彼は、書類をどけたテーブルに地図を広げて各所を示しながら続ける。
「アニマ、ジチェ、レベン各国には、まだまだ抵抗を続けて貰わなければいかん。まだ勝ち目があると思わせる。アルコリクを迅速に始末した後に、レガール王の遺言を根拠として俺が暫定政権を率いる。そして、この三国にレガール王の遺志を継ぐと称して、大量の支援を行う事とする。惜しみなく、やってやろうじゃないか。資源も、人員もだ。同時に我々で、戦線各所に破壊工作を行う。そして、もう一方の手で帝国と手を繋ぐのだ。ヴィ共和国の自治を認めるならば、各国への支援を打ち切り、破壊工作も中止とする、とな」
「では」と呟く副官にベテルは頷く。
「工作の為の人員と物資は、ヴィ国内に分散して隠しておけ。帝国が自治の約束を反故にした場合に、報復できるようにな」
「そう思うと『皇帝陛下のスペア』は惜しかったですな」
とフォマーローが苦渋に満ちた顔で呻いた。
「あれひとつで、どれだけ話しが簡単になった事か。グアド氏に協力を仰げないでしょうか。立場上、その気になっていただければ隠然と力を振るうこともできるはず」
「あいつは、人には従わん。お前も知っているだろう。どうする気だ」
「例えばガッタお嬢様の御命を……」
そこまで彼が述べた途端、二人しかいないはずの部屋に得体の知れない冷酷な気配が漂う。全身の皮膚をこそげ取るような猛烈な殺気に、熟練の密偵ふたりは、口も聞けず立ち尽くした。大量の冷や汗をかきながら、フォマローは浅く速い呼吸を繰り返す。
「お嬢様の御命を、危ないところでお守りする……など。恩を売れるのではないかと」
咄嗟の機転で話の方向を変えるフォマローに、ベテルも頷く。
「グアドの奴の孫娘を見かけたら、それとなく護衛するよう伝えておけ」
それだけを何とか声に出して、二人は息を詰めて様子を見る。凍て付くような気配はやがて和らぎ、室内はもとの静寂が戻った。やがて、蝋燭の火が消える。暗闇の中で密偵たちは書類と荷物をまとめると、声を出さず音も立てずに姿を消した。




