馬がちょっと気の毒じゃない?
「川岸だ、走れ」
グアドが声をあげる。草地に棒立ちとなり暫し呆けていたガッタは、意識を取り戻し指示に従って走る。背後から駁毛の馬が迫る。ほか二人の密偵も馬を降り、徒歩で追ってきていた。ガッタは走りながら煙玉や爆竹を鳴らす。グアドも強力な獣避けの粉末を振りまき、更に馬目掛けて小振りのナイフを投擲する。駁毛の馬は負傷し、悪臭を発する粉を吹き付けられて転倒する。馬上にあった密偵は、すんでのところで馬から離れて川岸の草地に降り立った。
孫娘を背に庇う老墓堀人に、密偵たちは包囲を狭めてくる。職業柄単独での活動が多く人を守る経験の少ないグアドは、慣れぬ状況に陥って目の配りどころに迷う。ガッタはグアドから離れすぎない程度に後ずさった。真新しい革のブーツが、川の水に濡れる。流れに足を取られぬよう水面に目をやった彼女は、そこに映っているものを認識して息をのんだ。密偵たちもそれに気付き、僅かに後退する。様子の変化に気付いたグアドが、一瞬だけ川に目をやった。
大鐘塔。他に形容しようのない巨大建造物が水面に映っている。コメーテース大河とその河原の平原には当然そんな建造物はない。存在しないはずの荘厳な装飾の施された巨大な塔とその頂点にさがる鐘の映像は、遥かに霞む対岸までの川面を覆いつくしている。
「水底の大鐘塔。しかも、やりすぎだ。カルデロめ、もう少し加減があってもいいだろう。聞こえているか」
グアドは、絶望的な焦りと共に天に向かってそう叫ぶとありったけの煙玉を地面に叩き付けた。あたり一面を覆う煙の中、彼はガッタの手を取り、先ほどとは逆に川から離れようとする。密偵たちは、老人の必死の叫びと白煙に僅かな間、戸惑いを見せる。
「すぐに川から離れろ。いや、間に合わんその場でいい。伏せろ、目と耳を塞げ。口も開けておけ。すぐに。すぐにだ」
グアドの警告の叫びを頼りに、煙の中を捜索しようとする密偵たち。彼等の目と鼻の先では、水面にしか存在しない鐘がゆっくりと傾き、勢いよく振れた。
「水底の大鐘塔」から放たれた振動は、超音速の疎密波として大気を伝わった。グアドたちが身を隠していた煙幕を吹き飛ばし、川の反対側に頭を向けて伏せたグアドとガッタの背を弄って、衝撃が大気を伝わっていく。立ったままの姿勢で捜索を続けていた密偵たちは一次的爆傷によって視力と聴覚を失い、続いて吹き付けられた川の水と土砂を含む爆風に跳ね飛ばされた。猛烈な吹き戻しが川に向かって起こった後にやや遅れて、上空に吹き上げられた川の水が辺り一面に降ってくる。
暫くの間、誰も動かなかった。降り注ぐ水滴が尽きて後、ゆっくりと墓堀人の黒い影が起き上がる。彼は外套の中に庇ったガッタを助け起こして、手足の状態を確認した。孫娘の不安を和らげる為の小咄や冗談を交えるが、彼女は助け起こされたままの姿勢のまま反応を示そうとしない。その反応のなさに、グアドは孫娘の顔を覗き込み不安を口にする。彼女は少し首をかしげて唇を動かすが、老人の耳には何の声も届かなかった。
暫く不安な顔でのやり取りを続けて後、二人ともが爆音に耳をやられて互いの声が聞こえていない事に気付いた。両名は顔を見合わせて苦笑いすると、なんとか身振りで意思の疎通を図る。お互い軽傷である事、身につけているものは無事な事、追っ手は無事ではないであろう事、馬がいない事、聴覚の麻痺に苦労しながら二人はそれだけの事を確認した。グアドは河の流れる先、北へ向かっての進路を指し示し、ガッタはその後に続く。
彼女は歩きながら時折、首を振り、耳を擦りしていた。そのうちに少し耳が聞こえるようになってきたようだと祖父に伝えた。グアドはそれに気付かず、歩みも止めない。ガッタはちょっと立ち止まってから。もう一度声をかけた。そうしてから、変わらず歩き続けるグアドの隣に小走りで並んで手をつなぐ。ようやく孫娘の挙動に気がついた墓堀人は、彼女の顔を優しく見下ろした。ガッタもそれに微笑み返す。更なる追っ手を回避するために二人の進路は道を逸れ、かつてと同様に森へと向かっていった。
「カルデロの奴め、孫娘のためにあまり力は貸してくれそうになかったんだが……予想外だった。あんなものを持ち出してくるとは」
森の中での野営は、ガッタにとってもありふれた事になっている。できるだけ安全を確保し、なるべく熾火で暖を取る。煙を発見されないよう、明かりとしての焚火は最低限に抑えている。グアドは夜目が効くのを利用して道具の点検をしていた。ガッタは横になって体力の回復に努める。普段ならお互い無言で過ごす時間に、珍しくグアドが呟いたのはそんな一言だった。少女は、川辺で自分を巻き込みながらも救った一連の現象への不安を道中何度か訴えていた。聴覚が回復してから祖父は「大鐘塔」についていくらかの説明をしていたが、孫娘にとってそれはあまり理解できるものではなかった。
いま、火にあたりながらゆっくりと説明を聞いてもそれは変わらないようにも彼女には思えたが、一方で解らないなりに聞いておく必要があるようにも思った。何しろこれは自らの祖母の話であり、自分の出自に関わる話でもあるのだから。
「あれは本来ならば、もう少し小さな水面……水差しなんかに映して使うものだ。時間が来ると音を出して知らせてくれる。つまり、なんだ。目を覚まさなきゃいかんとか、料理の煮込み時間を計りたいとか、そういう用途の……なんというかな。そう、魔法の道具だ」
話しながらグアドは、乾燥した薬草を詰めた皮袋をひとつ、点検し終えた。それを脇にどけて、次の一つに取り掛かる。
「まえに、カルデロが魔法使いだと話したな」
低い声で問われ、ガッタは「はい」と答えた。
「おばあさまが魔法使いだと言う事は、もしや母も」
「ああ、わしらの娘はカルデロと同様だ。だが、ガッタ、おまえさんはそこまでではない。オルビス・ラクテウスで最初に会ったとき、カルデロはそれを確認したんだ。それで、興味を失ったように見えた。せいぜいが交流のない孫、会いにくれば親切にしてやろう程度に考えていると見た。間違いだったがな。あの『水底の大鐘塔』はあいつのお気に入りなんだ。本来の用途は説明した通りなんだが、欠陥がある。映す水の量によって、音量が際限なく大きくなるというひどい欠陥でな。大きな川なんかに映せば、実質的に音ではなく爆風を発生させる事になる。製造元は慌てて回収を行ったんだが、そこにカルデロの悪癖が出た。設計の意図と違う結果を出力するものを好んで集める、という嗜好がな」
ガッタは、しばらく黙った後に
「壊れている道具がお好きなんですか、おばあさまは」
「いや、壊れているわけではない。あいつは、設計者の意図と違う動作をしてしまう失敗作がすきなんだ。道具は意図した通りには働かないが、設計したとおりには動くなんて言っていたな。まぁ、意図したとおりに動くように努力していた製作者には迷惑な話だろうが」
「おばあさまの話、もっと聞きたいです」
「……ある人物がな、便利な道具を作ったんだ。周辺の地図や、自分の持ち物や、健康状態やそんなものを一度に管理できる道具。片手でもてるぐらいの大きさで、両手で操作するようになっている箱型の装置だった。当初はカルデロのやつ、見向きもしなかったんだが欠陥が見つかってな」
話しているうちに作業していたグアドの手は止まっていた。ガッタはその場に身を起こして聞いている。
「簡単に発火、爆発してしまう。バッテリーが……なんというかな、魔法の力の元になっている装置だ。そこが過熱して中身がもれるとか何とかで。そんな話が出るや回収する製造者とは逆に、カルデラは買いあさった。今でもあいつの所にはかなりの在庫があるはずだ」
「でも、燃えてしまうんですよね」
「あぁ。だから、手投げ弾として使うんだそうだ」
「それは……」
ガッタは続ける言葉を探せなかった。少し、笑い話の気配を残して二人は横になる。話しているうちに小さな焚火は消え、暗闇の中でごくうっすらと光る熾きだけがふたりを暖めていた。




