それ全部使うの?
その老人は、黒いフードを目深に被りショベルを一振り携えていた。奇異なのは、彼が肩には身動きひとつしない少女一人を載せていることだ。彼を目にした通行人はすぐに距離をとり、係わり合いになってはならぬとばかりに足早に道を変える。
そのような往来にあって、あえてその場で話し込む商人達の一団があった。熱心に話し込んでいるように見えて、常に一人は彼から目を話さない。彼等に目当てをつけると、老人は真っ直ぐそこに近づいていった。
「お前らの目当てをもってきてやった。責任者はどいつだ」
威圧的な口調と有無を言わせぬ態度に、一団のうち平凡で目立たない身なりの男が立ち上がってそれに対峙した。
「黒衣の墓堀人、グアダニャ・ネグラとガッタ・マンマーリア相違ないか」
「見ての通りだ」
やり取りの間に、男は後ろ手で部下に合図を送る。集団のうちの一人が、さりげなく建物の陰に消えるのをグアドはあえて放置した。
「お前らの目当てである指輪を進呈しよう。交換条件はわしの邪魔をしない事」
「具体的には」
「わしを付回すのをやめること。それと」
グアドは肩に担いでいるガッタをゆすって示した。
「指輪を所有していた少女は、これを外したとたんに絶命した。墓堀人としてこの子を埋葬しなくてはいかん。これを邪魔しないことだ」
「ならば、その不幸なお嬢さんには墓地を用意したい。こちらで遺体を引き取らせてもらえないか」
「遠慮する。これは墓堀人の矜持に関わる事だ。選択肢は二つだけ。この指輪を受け取って、わしらに関わるのをやめるか」
グアドはマントの内側から、銀色に光る指輪を取り出して太陽の光の中に掲げた。
「或いは、この場でやりあって指輪を失うか」
そういいながら、今度は掌に指輪を握る。しわがれた低く強い声で彼は密偵に告げた。
「選べ」
彼らを囲むようにできはじめた人だかりの中に部下の姿を認めた密偵頭の男は、一歩グアドに向かって踏み出すと手を差し出した。
「まずは指輪を渡してもらおう。偽物を掴まされてはかなわん」
墓堀人は、握った手から再び指輪を取り出し、彼の眼前へと差し出した。
「薄赤く光る銀の指輪、見まごうはずあるまい」
密偵はそれを確認する動作を装いながら、身体の陰で抜いた短刀を閃かそうと踏み込んだ瞬間
「確りと、うけとれ」
墓堀人の声と共に、銀の指輪がその指に弾かれて飛来する。反射的にそれを手で掴んだ彼が次に見たものは、膨らんだ皮袋を取り出すグアドの姿だった。
口の開いた袋の底を掴んで、腕の一振り。その動作と共に、無数の銀の指輪が往来に撒き散らされる。
地面に落ち、或いは転がり、飛び跳ねる。散らばる指輪に気をとられた瞬間に、グアドは走り出した。その背後で密偵頭が叫ぶ。
「薄赤く光る指輪だ、遠目からでもわかる。万が一のために数人残って全て確かめろ。あとは奴を追え」
「だめです。西日のせいで光など判別不能です。もう少し人数を」
部下の悲鳴に対して指示を出した男は、唸り声を上げて惑う。ああして逃げたからには、指輪は全て偽物だ。全力で追うべきだという判断は勿論ある。だが、もしも万が一にもそうでなかったら。目の前に転がる栄誉と栄光と多額の褒章を見逃し、国許で斬首の憂き目に会うとしたら。
「三名、奴を追え。残りの人数で、指輪の確認をする。全てだ、全て拾え」
彼の決断に、子飼の部下達が走り出す。しかし数歩も行かないうちに、追えと指示を出したその口から放たれた怒号がそれを遮った。
「お前、足元を見ろ。もしも本物を踏みでもすれば、お前、どうなるかわからんぞ、お前」
足元に散らばる指輪を慎重に避けながら進む密偵たちの追跡は摺り足を使ったものとなり、道を横断するだけでも相当の時を費やした。そうする間に場の混乱はその度合いを増していく。何も知らずに指輪の一つを拾い上げた野次馬の少女が、それを奪い取ろうとした野次馬男の頬を張りとばす。密偵のひとりは、その隙に指輪を掏り取ろうとして更に別の男に腕を掴まれた。露天の商品のなかに転がり込んだ指輪を回収しようとした密偵の部下が、商人と揉め始める。そこに大柄な大工が突き飛ばされて倒れこんできた。大工を突き倒したゴロツキは勝ち誇って、その目の前で拾った指輪を数え始める。酒場で評判の気風のいい女将さんが、さらにそのゴロツキの頭に箒を振り下ろして打ちのめし、説教を始めた。銀の指輪を巡っての騒擾が、通りから別の通りへと伝播する。
広がる騒ぎに、オルビス・ラクテウスの各所を見回る女大公の手下も次々に集まってくる。
「何の騒ぎだ」「おいやめろ」「おとなしくしろ」
彼らは、警棒と捕り縄で群集を制圧しようとして、苦戦を強いられる。
「殿下に知られる前に納めなければ、町ごと我々も吹っ飛んでしまうぞ」「おとなくしろ、命が惜しくないのか」「とにかく縛っておけ」「やめろ何をする」「その指輪をわたせ」「これは、私が拾ったんだ」「あんたたち、いい加減にしな」「いたたったた、足踏んでる」「ぐへぁ」「荷物をどけろ、そこに指輪があるんだ」「なんだ小僧、やんのか。やれんのか」「そこだ、まだ指輪が落ちてるぞ」「踏むな、踏んではならん」「さぁ、誰が勝ち残るか。一口銅貨三枚だ」「そこだ、なぐれ」「足を使え」「まだやれる」「諦めるな」「だめだ、タオルを」「財布を掏られた。その子供を捕まえてくれ」「ええい、埒が明かん」
ついに短刀を抜こうとする部下の腕を、密偵頭は素早く押さえつけた。先ほどの墓堀人と直接相対しての機会には、直接的な手段も有効であっただろう。しかし、現在の多人数を巻き込んでの混沌に刃傷沙汰が加われば、もう手の施しようがない。密偵頭は、一旦細い路地に身を隠し、部下達が拾い集めてきた指輪に掌の影を被せた。薄赤い光は見えず、全てただの指輪。やはり今からでも、墓堀人を追うべきかと混乱の収まらない大通りに彼は目を向けた。
騒乱が収まっている。あれほど騒ぎ、取っ組み合いをしていた人々は全員が道の脇に寄って跪いている。また、事態を把握していないと思しき者は、数人の男達の手によって路地裏へと引きずられていった。
「説明する、すぐに説明するから。今はおとなしくしてくれ」
とたしなめる声がする。
やがて、通りを静かに、歩いてくるものがあった。銀の髪をした真紅の目の女。彼女がオッレ・二グラム大公である事は、密偵達にはすぐに見当が付いた。もっとも、護衛も連れずに町に徒歩で出るなどの情報は彼らにとっても半信半疑と言ったしろものではある。本物であろうか、影武者であろうかと判断をつけかねている密偵頭の耳に、彼女の呟く声が聞こえた。
「どうしてこう、私は誤解されるのかしら。こんな事で怒りはしないし、なんなら頼ってくれても良いのに」
と。やがて大公は密偵たちの潜む路地の前で立ち止まり、彼等の潜む暗がりへと声をかけた。
「ヴィ国より遥々来られた方々よ、我が町の者どもの粗忽を詫びさせてはいただけなだろうか。私自身の方針としてあらゆる者に直答を赦しています。顔をお見せください」
そういわれては、黙殺もならず。密偵頭は路地の暗がりから出て、大公の前に頭を垂れた。最低限の礼儀として、顔を直視しないよう注意しながら彼は恐る恐る謝罪の辞を述べる。
「お目にかかれましたこと、光栄に存じます。私はヴィ国商人、カルマールと申すものにございます。この度は御膝元をお騒がせいたしました事、申し開きようもなく」
そんな彼に大公は柔和に微笑みかけた。
「あなた方が落とした銀の指輪は、此処にまとめました。どうぞこの町を嫌わないでいただきたいのです。この町は商人に支えられていますので」
大公の差し出す、片手一杯の指輪を「畏れながら」と受け取ったカルマールは、「苛烈な性格」と報告書にあった大公が友好的に接してきており、正体が露見していないであろう事に心のう安堵の息をついた。そして、この事によって自分も墓堀人の追跡に加われると考え、次の行動計画を脳裏に描いていた。
一通りのやり取りの後に、深々と跪礼をとるカルマールの前から大公は背を見せて立ち去りかけた。数歩すすんだところでふと、その足が止まる。そして、すぐに彼に向き直ると彼の前に手を差し出した。そこには、銀の指輪が一つ載っている。
「拾い残しがあったようです。許してくださいね」
その一言によってカルマールとその手下たちは日が完全に暮れるまでオルビス・ラクテウスの路上を這いずり回り、いくつあるかも解らない残りの銀の指輪を捜索する事になった。




