久しぶりの登場じゃない?
細い路地を白い煙が満たしている。荷車から飛び出してきた男たちは、袖で鼻と口を押さえながら煙を突っ切ろうとしていた。破裂音とともに、路地の先でさらに白煙が上がる。
「煙の先だ、追え」
一人が声を上げ、彼らは一斉に煙に包まれた路地の先へと走って行き、角を曲がった。
グアドとガッタは煙のなかで路地の入り口近くに雑然と詰まれた荷物の影でしゃがみ込み、息を殺していた。目の前を通り過ぎていく男達の、脚だけが見える。彼らが路地の先へと進む足音を確認して、グアドは大路への出口を確認した。荷馬車は未だに道を塞いでおり、御車台には人の気配がある。彼はガッタの手を引いて細い路地を進み、襲撃者達の進路とは逆の方向にある更に細い小道へと潜り込んだ。
細い路地を進もうとして、グアドはガッタの体がひどく震えていることに気付いた。一旦立ち止まり、彼女を抱きしめる。
「よく反応した。うまい手だったな」
と小声で賞賛を贈り、彼女の額に浮いている冷や汗を拭った。ガッタは、大きく息をつくと落ち着きを取り戻した。
「なんとか、体が動きました。森の中で、何度も練習したから」
切れ切れに言う孫娘に、彼は何度も頷いた。
「実にいい動きだった。あれのおかげで、わしが遅延式の煙玉を投げる隙ができたんだ。やつらは、遅れて破裂した煙玉を追いかけて行ったぞ。子犬みたいにな」
にやりと笑って余裕を見せる祖父に、ガッタも大きく頷いて見せた。
ふいに路地に面した勝手戸が開いた。そこから顔を出した男は、身構える二人を怪訝そうに見つめる。
「ひどい騒ぎだな」
口をゆがめてぼやく男に、グアドは警告を発する。
「すぐに落ち着く。建物に入っていろ、危険だ」
「難儀しておるようだね。手助けはいるかい」
「いや、巻き込むわけにはいかん」
通り過ぎようとするグアドに、対して場に不似合いな笑みを浮かべて男は囁いた。
「そういいなさるな。『よく冷えたライウィスキーをのんでいったらいい』」
グアドは彼の顔を見返し、何度か口の中で呟いた後に『地下室から出したてか』と返答した。
「勿論だとも。こちらを通りなされ」
男に道案内されて、二人はオルビス・ラクテウス内でも最も入り組んだ細い路地の奥へと入っていった。
みすぼらしい民家の本来の入り口とは別に設けられた隠し扉を入った室内で、二人は案内の男と向き合っていた。男は念入りに、家の外を確認した後にガッタに跪いた。
「当面、この場所は安全と存じます。お嬢様。私はフォマローと申す、ベテルジューズの部下に御座います。密偵としての手口とはいえ、先ほどからの無礼な申し上げようについては、どうぞ御寛恕頂きたく」
長々とした挨拶を遮って、グアドはフォマローに詰め寄った。
「わしらを追いかけてきたのは、連合側の密偵だな。帝国側のどんな奴も、この町でカルデロの機嫌を損ねるような真似はせん」
「お察しの通り。彼らはヴィ国の密偵で御座います」
「奴らは、ベテルの手のものか」
咄嗟に身構える墓堀人を両の掌で制してフォマローは続けた。
「別です、別です。連中は現在のヴィ国の密偵。私たちは前ヴィ国王レガール陛下の密偵に御座います。微妙な違いをお解かり頂きたく存じます」
「前といったか」
「はい、残念ながら。そのためベテルジューズは只今、囚われの身となっておりまして」
「その部分だけなら、朗報と言えるかも知れんな」
「ですが、そのためにヴィ国の各機関がお嬢様の指輪を狙う事態に至っております。レガール陛下を弑したアルコリク王太子、いえ現ヴィ国王アルコリクの指示にて」
「詳しく聞けるか。場合によっては目的地を考え直さねばならないかも知れん」
フォマローは、地下室からライウィスキーを取り出して銀の杯に注いだ。それをグアドにすすめてから、事情を語りだした。
発端は、帝国の戦線に起こった不均衡だった。南部のレベン国の非をならし戦線を押し上げる一方で、北部のアニマ国の戦線が退いた。アニマ国の国境を圧していた帝国軍はただ退いただけでなく、それまで使用していた拠点に物資や鹵獲品を整頓して残していったのだった。この事が、アニマ国に対する他の三国の疑念を招いた。
程なくして帝国重鎮のアニマーリア家の者がアニマ国王に頻繁に書簡を送っていると発覚、さらに同盟内の不和を煽る事となる。アニマ国王は裏切りの疑いを払拭するべく、何度も帝国内への侵攻を行った。しかし、自国内で堅陣を張る帝国軍を崩す事ができない。その際、捕虜になったアニマ国軍の兵が無事に送り返された。無事に帰される自国民を拒む事はできず、解放された兵を引き取ったアニマ国に対して「アニマ王家は帝国のアニマーリア家と縒りを戻そうとしている」などという言説が流布する。
アニマ国王は同盟の崩壊を阻止しようとした。アニマーリア家から送られてきた書簡を公開し目の前でこれを焼却すると提案したのだ。これは全て帝国の企みに過ぎない、と一連の動きを喝破するものであった。長年に渡ってアニマ国を支援してきたヴィ国王もそれを支持した。
「帝国は狡猾だが、諸国の王も聡明だ。この程度の計略で決定的な間違いは犯すまい」
グアドの指摘に、フォマローも頷く。
「はい、諸王同士のやりとりで多少の疑念と紛争は解決できたでしょう。帝国に対する国々の結束は固くあります。しかし、狙いはそこではなかった様で」
アニマ国王の対策が実施される直前に、ヴィ国王レガールが急死した。王太子アルコリクは、戦時下である事を理由に戴冠を待たず、即日にヴィ国王を名乗った。
「アニマ国王ヴィオロギア・アニマが連合を裏切り、ウィタエ帝国の走狗となったことは、これまでの証拠からして明白である」
というのが、彼が即位後に諸王に対して放った第一声である。彼は直後に対帝国戦線を支えるためにアニマ国に行われてきた支援を全て打ち切り、アニマ国との国境に軍を集結させた。それに対抗する為にアニマ国軍はヴィ国との国境に戦線を築く。事此処に至っても座して動かない帝国軍を見て、レベン国ジチェ国双方の反アニマ国勢力が勢いを増した。
とはいえ、この両国も足並みが揃ったとはいえなかった。アニマ国と共に戦線を支えてきたレベン国は、アニマ国が裏切ったと考えるのは早計であるとした。一方で直接国境を接していないジチェ国は、早くも戦線に対する支援を縮小して国境警備の増強を急ぐ。帝国の猛攻に直接晒されているアニマ国軍の将兵には、支援を減らすジチェ国への恨みが溜まりつつあった。
「状況は、まぁわかった。いや、よくわからんが。ベテルの奴がやられたのは、単に新体制の構築に邪魔だったからか」
「いえ。それ以上の問題があったのです。アルコリク王がベテルジューズを拘束しなければならない理由が」
普段ならば避けるような、国家間の紛争についての話を聞いてグアドは溜息をついた。
「ここらは、まだ安全でしょう、少しお休みになっては」
とフォマローは助言する。それをうけて彼は床に幾らかの道具を広げた。その中から、予備の煙玉を取り出してガッタに渡して身につけさせる。荷物を整理しなおして、走りやすくする。ガッタの足には、フォマローから提供されたブーツが装着された。
「なんで、ぴったりなんでしょう」
と気味悪がるガッタに、フォマローは
「ベテルジューズの特技でして、指で触れたものの大きさを正確に把握することができるのです。最初にお目にかかったときに、おみあしに触れる機会があったと言う事ですので、その際に記憶したのでしょう」
と澄まして答えた。




