そんな立場の人だったの?
「ウィタエ帝国大公オッレ・二グラムである。従者を持たぬ身であるため、直答を許す。ただし、皇帝陛下よりカルデロ・ネグラの名乗りをお許し頂いているゆえ、今後そう呼ばれよ」
プールマは取次ぎに出てきたと思しき女の意外な言葉をうけて、その場に立ち尽くした。
「控えよ」
と圧のある語気でさらに一喝され、ようやくその場に膝をつく。やがて理解が追いつき、震える声で釈明を始めた。
「よもや、直々にお出ましになるとは思いもよらず。御無礼をはたらきました」
「無理もないことである、拝跪の遅れた件は不問とする」
寛大な大公の言葉に、プールマは深く礼を施した。
「用件を述べよ」
「フェレス公女殿下より、お目通りのお願いに御座います」
「書面は」
「火急の事にて、したためる暇もなく」
「宜しい」
カルデロは威儀張って頷き
「急な事でこちらとしては饗応もできぬが、それでもよろしければ」
と応じた。
騎士は丁重に謝意を述べてのち、一旦馬を引き連れ来た道を戻っていく。彼女はその隙に素早く左右に視線を走らせ、夫と孫娘を逃がす道を探る。しかしそれを見出すよりはやく、木々の陰から馬を引いた三人の人影があらわれた。一人は先ほどの騎士、もう一人は上等の甲冑を着た人物。最後の一人は、上等ではあるが男物の旅装の少女、フェレス・アニマーリアであった。
「馬を使う必要があったため、斯様な服装での御無礼をお詫びいたします」
三人はカルデロの前に跪いて礼を施し、彼女も遠路を経ての来訪を歓迎する。儀礼的な言葉と動作のやり取りの後に三人を薬草店の中に招き入れて席を勧た。席にはフェレスのみが座り、騎士二人は兜を脱いで侍立している。
「何も無いが」と大公が手ずから菓子を切り分けて皿に載せ杯に葡萄酒を注いだ。ひどく恐縮していた騎士二人はそれが目の前に供される段になって、さらに困惑している。
「あまり帝国貴族流とはいえないが、姫君を見事守護してきた騎士二人に、この大公女が菓子を下賜します。本来なら持ち帰らせるところですが、ここは趣向としてひとつ」
カルデロはわざと儀式めいて騎士二人を称揚し「お座りなさい。立ったまま飲み食いもないでしょう」と強引に着席させた。
葡萄酒と菓子がいきわたり、やや寛いだ雰囲気が漂い始めてはじめてカルデロは本題に入る。
「急な来訪は稀にある事ながら、軍装とは珍しい。それもアニマーリア家の御息女が。来意を伺いたい」
「先だってアニマーリア家の分家筋に当たるマンマーリア家の娘がレベン国の兵に襲われました。我々は、その奪還に向かったのです。その際に、大公女殿下の夫君がそれを保護したとの報が御座いまして。是非ともお詫びとお礼を申し上げなければと、こうしてまかり越しました。また、ティグレ公も是非にその娘を帝都で保護したいと仰せであります」
ひやり、とカルデロの背を汗が伝う。強いて大公としての威厳を崩さぬよう、口調を乱さぬよう、舌を噛まぬように一息ついて葡萄酒の杯をとった。
「大儀である。しかし、我が夫たるグアダニャは、ここ数年にわたって姿を見せておらぬ。彼奴のことだ、帝国嫌い故にこの地は避けているのだろう。もし姿を見せる事があれば貴殿の言葉をしかと伝えるが、あまり期待はできないと思われよ」
その言葉に三人は改めて謝意を表した。
「夫君がこちらの方角に向かっていると報告にありました。なによりオルビス・ラクテウスは三国の国境が交わる要衝といえます。帝国を嫌っていたとしても通る可能性は高いように思われます」
「ならば、そう触申しておきましょう。彼が町を通るときには屹度連絡が来るように」
そこまで煩わすわけには、と慌てるフェレスにカルデロは柔和な微笑を見せて「お任せなさい」と諭す。
「それよりも、我々の滞在を認めていただけませんか。グアダニャ公が町においでになられるなら、その際にマンマーリア家のものを引き取らねばなりません」
途端にカルデロの顔が厳しくなる。空気は俄かに張り詰め、騎士達は酒盃を卓に置いて姿勢を正した。
「この地は、私が政に関わらぬという条件と引き換えに封されたウィタエ帝国カルデロ・ネグラ大公領。そこを他家のものが武装したまま闊歩すれば、統治者としての面目に関わります。またこの地を私に任せられた陛下にとっても良い事とはいえません。この場の暮らしぶりを見て心細く思ったのかもしれませんが、甘く見ない事です。私からの連絡をお待ちなさい」
厳しい言葉にフェレスは、非礼を詫びる。一方で「非武装ならば」と提案をした。それを聴いてカルデロの口調はますます厳しくなる。
「立場をお弁えなさい。人を探すとなれば、町中を歩き回らねばならないでしょう。たしかに、この私が統治するオルビス・ラクテウス。治安には些かの自信がある。しかしながら、公爵家の令嬢が非武装で歩き回ると言うわけにはいきません。町の警備に当たる手勢を護衛に回さねばならなくなる。そうなれば、我が夫の捜索も手薄とならざるを得ません。その集団を見かければ、夫はそこに居たとしても姿を隠してしまうでしょう」
静かに、しかし明確に述べられる拒絶の言葉に公女は悄然となった。声も無くうつむく彼女に大公は、表情を緩める。
「御身内の危機に焦る気持ちはわかります。なればこそ、まずは落ち着くことが肝要です。あなたはすでに、この私の協力を得ている。これは大きな成果と言えるでしょう。それをどのように生かすか、よくお考えなさい」
フェレスは、涙をうかべただ頷いている。窓から差し込む日の光は、カルデロの赤い目を一層輝かせた。
「あなたが、確かに手を尽くし成果を挙げたと言う証拠を贈りましょう。皇帝陛下への書状を一通。わたしが、あなたに協力すると言う内容のものを。あなたの任務は完全ではないけれど、成功を収めたことになります。少しだけお待ちなさい」
カルデロの書いた書状は、上等な羊皮紙で黒々としたインクで書かれていた。フェレスはそれを手渡され、丁寧に押し頂く。しかし、すぐにその書状を彼女の前に差し出した。
「大変申し上げにくいのですが。このまま、陛下にご報告申し上げるのは。その」
一時きょとんとした顔になるカルデロ。すぐに彼女は破顔微笑しそれを受け取った。
「そうね、確かにこの宛名はいけない」
差出人の「辺境に逃げ出した姉」を「ウィタエ帝国 臣オッレ・二グラム」に、宛先の「まだまだちっちゃな妹」を「レム・ヴィヴェンティムの第一市民 ステルラ・イネッランスの王 アストロノミアの支配者 セプテントリオーネスの上級護国卿 アニマーリアの盟主 神聖にして強大なるウィタエ帝国皇帝陛下」と書き換えた。
「二人とも小さい頃に、あの娘とこうして手紙をやりとりしてたのよ。もうお互い年なのに、癖って抜けないものね」
カルデロの笑顔にフェレスもようやく微笑を返して、小さなお茶会の席は穏やかさを取り戻した。家の外からは、鷽ののどかな鳴き声が聞こえる。
「では、おひらきにしましょうか。陛下への書状は確りと持ちましたね。菓子も包みましょう、帰路の慰めになるでしょうから」
カルデロにそう促されて、フェレスと騎士二人は帝都への道についた。三人は書状と菓子の包みを抱いて、何度も大公の寛大さと美しさを称えてから去った。
ひとり、戸口に残るカルデロは彼女らが見えなくなるまでそこに立って惜別を表していた。遠く去る彼らの馬蹄の響きが完全に聞こえなくなるまで耳を済ませて後に、大きく息をつき建物に戻る。奥の部屋へと続く扉を軽く叩いて、隠れていた二人を呼んだ。しかし、部屋は静まりかえり誰も出てくる気配が無い。戸を開けると、グアドは部屋の日向に座り込んでいる。ガッタは彼の膝に頭を乗せている。ふたりとも、眠り込んでしまっていた。
カルデロは、眠っているグアドの頬を引っ張った。目を覚ましてあたりを見回す彼の反対側の頬も間髪入れずに引っ張る。一方、ガッタに関しては優しく揺り起こす事にした。




