おばあちゃんが若すぎない?
ガッタは眼下に水と町の煌きを眼下にして、目を瞬かせる。薄暗い丘陵地の森林地帯から出てきたばかりで、その赤い両目はまだ町の様子をはっきりと捉えてはいない。ただ、森の香りに代わって水の匂いが強く彼女の鼻を擽った。いまだぼやけたままの視界に、森の端から見える都市は河岸に沿って伸びる灰色の採石場のように見えた
「あの町が『ガラクスィー』だ」
と、傍らに立つグアドが告げた。
「今、我々はレベン側にいるからな。もし帝国側の岸にいるか、町の北西部のアニマ側から見ているなら、あの町は『オルビス・ラクテウス』と呼ぶ。そこが三国の境界だ」
遠くから見ても活気の感じられるその巨大都市は、よく見れば大河に隔てられた東西で建築の様子が違う事がわかる。南北においても、それぞれの隅同士を比べれば、どことなく様子が違うのが見て取れた。
帝国と小国連合の戦争は、ここでも無関係ではないはずだ。それでも、町の大通りを或いは河にかかる大橋を多くの人と荷車と荷馬車と犬が行きかっているのが見える。そのことについて、ガッタは素直に疑問を口にする。墓堀人は、その解説として「紳士協定みたいなものだ」と述べた。
物流の要衝として、この都市を制圧する重要性は言うまでもない。だが三国のうちどこが手を出したとしても、すんなりとは行かないのが目に見えている。南のレベン国が手を出せば、帝国の反発を招く以上に北側のアニマ国の反抗にあい同盟が破綻する。アニマ国が手を出しても、立場を入れ替えるだけで同様となる。二国が協力して帝国を追い出そうとすれば、帝国の侵攻は容易に二国を追い返す。そして、河川を利用した物流を独占するだろう。
「ならば、帝国が攻めてこない理由はなんです」
とガッタが問うた。
「それは、この都市の帝国側を領有している奴が戦争嫌いだからだ。そいつは、強大な権限と崩しようのない立場を持っている」
グアドは、そう話しながら彼女を伴って河岸への道を進んだ。
「だから、この位置であれば帝国側へ渡っても危険は無い。逃げるための伝はそこにある。その伝を使って、さらに北に出て墓堀人の潜む『墓所』を目指す。そこならば、どの国も手は出してこないし指輪も取り外せる」
厭わしい指輪を外せると聞いて、ガッタの目が輝く。グアドは、あせらないように彼女に言い含め落ち着かせた。
都市に流れる河の上流から二人は小船で対岸の帝国側へと渡る。船の上ではグアドが「ここらはいいが、川下は匂いがひどい。船を使うのには覚悟がいる」と都市に関する知識を披露した。川の水は薄く濁り、ぼんやりと魚影が見える。
揺れるたびに軽く軋む小船は陽光と水音の中を進み、無事に対岸の桟橋に到着した。先に船を下りた墓堀人が、少女の手を取って陸に上がる手助けをした。彼女は桟橋の上でグアドの手を離し、少し弾むようにして河岸の草地を何歩か走った。そうしてから陽の光の中で振り向いた彼女の顔は、老人にとって森の中で見るよりも幾分か明るく見えた。
城壁の外、草原に小路が延びている。その路は、町へ行く途中の寄り道のようにして、小さな薬草店に向かっていた。それは薬草畑の中に建つ一軒家で、軒には薬草の束が吊り下がっている。薬草畑の脇には小ぶりの篭がいくつか置かれており、その中には収穫された葉や根が入っていた。
墓堀人は慣れた様子で農具類を避け、吊り下がっている薬草を捲って店の入り口に到達した。無造作に戸を開いて、踏み込んで行く。
「カルデロ、いるか」
「ここよ」
雑然とした店の中、奥の部屋から顔を出したのは真紅の目をもつ妙齢の女だった。肩口まで伸ばした銀の髪に黒檀の髪飾りをつけ、白い衣を着ている。その裾には薬草の匂いのする緑色の汚れが飛び散っていた。
「随分、久しぶりじゃない。どこいってたのよ」
「国境沿いを一通りな……。死体食い共が多くて効率がいい」
「その手法自体が、ひどい非効率じゃなくて?」
ひとしきりのやり取りの後に、彼女の目がガッタに向けられる。
「その娘は」と言いかけるグアドを無視してカルデロは、彼女へと歩み寄った。
挨拶をしようとするガッタの顔を両手で掴まえて、瞳を覗き込む。暫くの後にその両手を離し、彼女は静かに首を振った。
「精々のところ『半分』ね。そのうえ何かの影響を受けている。その指にあるものが原因かしらね」
「そう怖がらせないでくれ。紹介もまだだ」
グアドの制止に、カルデロは少女を解放して数歩さがった。その間に、老人が割ってはいる。
「これは失礼。それでは自己紹介させていただこうかしら」
彼女はそう言うと、優雅に頭を下げて続けた。
「はじめまして、お嬢さん。私は、カルデロ。グアダニャの妻ですわ」
先ほどとの無作法とは打って変わっての挨拶。その変容振りについていけず、ガッタは声を出せずになんども挨拶の動作を繰り返す。
「紹介しよう。彼女はガッタ。旅先で保護したんだが……」
「私たちの孫娘、ね」
言うべきことを先に言われて、言葉に詰まるグアドにカルデロは悪戯っぽく笑った。
「あれだけ見せてもらえば、わかるわ。私たちの可愛い娘は『現地人』と交配したみたいね」
その言葉に険しくなる老人の顔。彼女はそれを「悪気は無いのよ。ごめんなさいね」と軽くいなす。
「それより、随分汚れているわ。体を洗っていきなさい。少しだけ待っていてね。お湯、すぐ沸くから」
カルデロは、踵を返して店の奥への扉に入った。が、すぐに顔を出してグアドに問いかけた。
「まさか、この程度を咎めたりはしないわよね」
「咎めやせん。綺麗にしてやってくれ」
彼の返答に満足して、カルデロの鼻歌が遠ざかっていく。グアドは、二人のやり取りの間固まったままでいるガッタを近くの椅子に座らせた。彼は店のカウンターからカップを取り出して、香りのよい花茶を注ぐ。椅子に座っ落ち着いた少女にそれを手渡し、自分も椅子に座った。見慣れない飲み物に少し、首を傾げてからガッタは、ゆっくりと一口それを飲んだ。そうして一息ついてから「おばあさま、なんですか?」と信じ切れない様子で呟いた。
「そうだ。年は離れているがな」
とグアド。「あいつのほうが年上だ」と付け加える。
ガッタはそれを聞いて、啜っていた花茶を噴出しそうになった。
「グアドおじいさま、今何歳なんですか」
「当年とって……何歳だ。睡眠時間は勘定にいれないと言う事でいいのか?」
「なんで、寝ている時間は数えないなんて話になるんです?」
そんな問答の間に、カルデロが戻ってきた。すでに湯の匂いが漂い始めている。
「眠っている間、年を取らない手があるのよ。私は、グアドより眠りが長いから若く見えるの。だからこんな姿でも、名実ともにお婆ちゃんよ」
彼女は、染みも皺もない手でガッタの頭をなでてた。
「でも、すこししたら外見上の年齢が孫に追い抜かされそう。お婆ちゃんらしくしたほうが良いかしら?」
「いえ、あの。とても、きれいなおばあちゃんで、うれしいです」
ガッタのつっかえながらの返答に、相好を崩したカルデロは「さぁ、こっちへいらっしゃい」と彼女を店の奥に招く。
「あなたは、後でね。久しぶりに」
グアドに流し目を送ってから、彼の妻はガッタを伴って浴室へと続く扉に入っていった。
はしゃぐ妻の声と戸惑う孫娘の声が離れていくのを聞きながら、グアドはゆっくりと目を閉じた。あたりに漂う薬草の香りを吸いこんで、体の力を抜く。椅子の背に身を預け、暫くの間そのまま動かなくなった。




