勝ち戦の割りに辛くない?
帝国情報部により、ガッタ・マンマーリアが拉致され移送されたと報告された村は、今や怪物の巣と化していた。散らかされた村人の腐乱死体に、死体食い共が群がっている。野犬も集まってきており、死体食いと獲物の取り合いがおこっていた。
死体をあさる猛禽類が野犬と死体食いに追い散らさる。鳥の群れは空中に逃げては、別の死体の元へと降り立って死体を啄む。鳥の群れが空中から突進して野犬の目を嘴で抉りとり、餌場争いに勝利を収める場合もあった。
一際巨大な四足の獣が、人と獣の死体を蹴散らかして走り回っている。死体喰いを好んで捕食する獣だ。引き締まった筋肉の上に腐敗臭のする毛皮。ヤギとウシの中間のようなその顔には正面に一対、側面に一対の目がある。正面の目は縦長の瞳孔が光を反射し、側面の目は横長の瞳孔に周囲の景色を映す。時折開く口の中には、鋭い楔形の歯が並んでいる。巨体に似合わぬ細かい歯が、三列分。あちこちで、死体食いがその荒い鑢のような構造の口の犠牲者となって腐汁を撒き散らしていた。
騎士ロストルムはその風景を、離れた丘の上から遠目に見ていた。彼の背後には、巨大で壮麗な真紅の天幕が張られている。その周囲には二足で立つ虎の紋章を刺繍したバナーと、竜の頭を表した軍団旗がはためいていた。ウィタエ帝国アニマーリア公爵家の騎士団を示すものだ。さらに、軍団旗のポール先端は銀梅花で飾られている。それは、公爵の騎士団の中でも、最も壮麗とされる花冠騎士団のもの。その団長は代々、形式的にアニマーリア家の子女が務める事になっている。
「しかし、今回はな……」
彼はそう呟いて、背後に従う従騎士のプルーマを顧みた。この寡黙な従騎士も、今回の事態を把握しかねている節があった。行軍の間に些細な、しかし普段では見られないような不調法をしでかしている。彼だけではない、共に陣を張っている他の騎士達とその従者や従卒達も今回の出陣には戸惑いを隠せないでいた。
花冠騎士団はその壮麗な装いと、重鎮の子女を総長とする形式から儀仗としての性格が強い。構成員もアニマーリア家に縁のある上級貴族が幹部を占め、その下に騎士爵等の下級貴族を擁する。それでも、戦場に出る機会は多少なりとあった。勝利の決まった戦場を儀式的に一巡りして敗走する敵兵を蹂躙するという任務だ。帝国の勝利に華を添えアニマーリア家御息女の名誉とするために、彼らの戦いに敗北は許されない。このような立場によって必死の戦働きをする機会はなかったが、構成員が貧弱である事はなかった。
お飾りと後ろ指を差される懸念を払拭するために、騎士爵の団員達は訓練を怠ることはない。首都で定期的に行われる馬上槍試合においては、強豪としての地位を保っている。試合では、怪我人もでる。重傷を負う事も。死人すら出している。それでも、怯む事は許されなかった。 そんな彼らにとって、死が恐ろしいわけはなく、戦場の悪臭が厭わしいわけでもない。壮麗な甲冑が汚れるのもまた、皇帝陛下への奉仕の証として喜ぶべきものだ。そういった合意はあっても、目の前にあるのが怪物の群れでは彼らの気力も萎えてしまうようだった。何よりもまず、この怪物だらけの戦場には名誉がないといえた。
もともと帝都レム・ヴィヴェンティムから、ティグレが進発させたのは彼自身が団長を務める騎士団の十名からなる軍勢だった。その後を追うように、フェレスと彼女の率いる騎士団も数日後に都を出発している。
「此度の一戦、必ずやアニマーリア家の者が直々に出向くように。ティグレよ、卿には一人娘がいたな。確か、騎士団を率いていたはず。戦の大義を示す為に、彼女を派遣せよ」
という女帝陛下の勅命によるものだ。
その直後には代理派遣の提案や、補給の為の書類についての不備を口実とした、ティグレの多少の遅延工作がありはした。しかし、最後には父親である彼も、フェレス自身の報国への希望と熱意が勅令の後押しをうけたものに従わざるを得なくなった。
ティグレのささやかではあるが滅多に見られない、抗命とも取れる動きに女帝は「子煩悩よな」と微笑むだけで咎めはしなかった。むしろ「無事に役目を終えれば、これを機に床几特権の宣賜を下そう」との沙汰まであった。床几特権とは、君主の前で椅子に座る事が許されるという特権である。これを付与されたものは、女帝の私的な喫茶の場などに招かれるという栄誉に浴することができる。
かくして、フェレスは戦場へとたどり着く。必要と思われる以上の手勢をつけ「不利と見れば退くのも将器」という要するに「何かあれば逃げろ」という訓示を何度も父親から受けての後である。彼女に随伴する騎士達の配置は、身分よりも剣の腕で選別されていた。騎士爵にすぎないロストルムが比較的公女に近い位置の守りに選ばれたのもそのためだ。彼は戦場での経験こそ薄いが、馬上試合での成績において騎士団中五指に入る。
彼の背後から、甲冑の擦れる音が近づいてきた。複数の人数の足音がする。私語一つなく近づいてくる三名に対して、ロストルムは背筋を伸ばして振り返り敬礼を施した。従騎士であるプルーマはロストルムの背後に下がり、彼らの顔を直視しないよう膝をついて俯いている。三名のうち中央の一人は一際壮麗な甲冑を着ており、しかしその身長は騎士達の間にあっては頭一つ分低い。左右の二名は堂々たる体躯に比較的控えめな装飾の重甲冑を身につけている。向かって左側の人物は、ソリドゥム子爵。ウェントス家の家督を継いだばかりの若々しい貴族だ。力強い体躯に強い意志を感じる目をしており、口髭を細くまとめて横に伸ばしている。右側は、リクオル・ネブラ伯爵。初老に差し掛かり髪も髭も白いものが混じるが、若者に負けないがっしりした体格をしている。その顔つきには、将としての荒々しさと同時に思慮深さも見て取れた。彼らから遅れるようにして、かなりの人数の従者達が追従している。
「様子はどうですか」
三人組の中央に立つ、小柄な人物がロストルムに尋ねた。彼はその人物が、直に問いを発した事に狼狽する。戦場に似合わぬ涼やかな声で問うのは、花冠騎士団長フェレス・アニマーリア公女。それに対して騎士爵にすぎない彼では、同軍団内であっても直答の許されない身分差がある。 返答に窮するロストルムに対して、ソリドゥム子爵が声をかけた。
「馬上試合での活躍はよく目にするが、貴殿は戦場での経験が少なかったな。滅多にないことではあるが、戦場に甲冑姿でいる場合においては誰であっても殿下に対する直答が許される。殿下もまた戦場にあっては一人の騎士であられる故に。よって、忌憚なく所見を述べられよ」
要するに、甲冑を着る身分である騎士爵以上であれば、公女の問いに直接答えてよいということだ。
畏れながらと前置きして、ロストルムは公女に対し怪物に相対する難しさを述べた。
現在、怪物の相手には騎士達に随伴する従卒たちが当たっている。とはいえ、群がる死体食いや野犬を全滅させるのは現実的とはいえない。彼らの活動は怪物を一時でも後退させるという点に集中している。その隙に、食べ残された死体を回収して地中深くに埋めてしまう。その場から死臭が消えれば、いきおい怪物も数を減ずるはずであった。
話を聞いたフェレスは、先ほどまでロストルムが立っていた位置から遠く戦場を臨むと苛立たしげに爪先を鳴らしす。子爵が「妙ですなどうも」とぼやく様に呟いた。
「然り然り。ソリドゥム殿の仰せの通りだ。先発したアニマーリア公爵閣下の十騎士も、別の街道上で此処と同様の怪物に悩まされているとのこと。マンマーリア卿の娘御が連れ去られた場所に、後発の我々が先についしまうとは全く妙な話ですな」
と、リクオル伯爵がそれに応じる。
そのやり取りを平伏したまま聞いていたプルーマが、ロストルムに近寄りそっと耳打ちをした。彼は声を押し殺し「控えよ」と従騎士を叱る。
「公女殿下の御前である」と従騎士を退けるロストルム。彼を目の端に映したフェレスは「なにか」と再び直接に騎士に対して問いを発した。




