戦い方が地道すぎない?
突然の叫び声。しゃがれた老人の声だ。墓標の影から飛び出して怪物の横腹に飛びついた者がある。『慈母』についた炎の明かりで逆光になった人影は、棒切れに釘を貫通させただけの原始的なピックを怪物の腹につきたてながら言葉にならない叫び声をあげ続けている。
不意の襲撃に『慈母』は、ガッタを押しつぶす進路を外れる。怪物は体を襲撃者に向かって曲げると、勢いをつけて反対側に体を反らせた。
暴れる怪物の体に弾かれてピックは襲撃者の手から離れ、襲撃者自身も地面へと投げ出された。
怪物の体の上で燃える脂の明かりが襲撃者の顔を照らす。真っ赤に血走った目、めくれあがる唇、食いしばった歯。憎悪と憤怒と殺意を面の上に漲らせたそれは、ルーイヒの顔だ。
ルーイヒは辛うじて起き上がり地面に落ちたピックを探す。周囲を手で探った後それが近くには落ちていない事を察した彼は、大声を上げ素手で怪物の横腹に組み付こうと踏み出した。
ピックでつけた刺し傷に、指をねじ込んで広げようとするルーイヒ。彼を捕らえようと『死せる慈母』は体を起こした。グアドが怪物の体と地面の圧迫から開放される。墓堀人は満身の力を込めて、体を怪物から引き剥がした。さらに彼を捕らえようと伸びる腕を、ショベルで切り裂く。
怪物は、体を震わせる。その力に負けて、ルーイヒは墓地の泥濘に振り落とされた。『慈母』が彼の上に倒れこむ。すぐに怪物の咀嚼音が響はじめ、ルーイヒの上げていた怒りの声は苦痛を訴える叫びに変った。
老いた人間の体を齧りながら『慈母』は改めてガッタに向かった。その怪物の横腹をグアドがショベルで切りつけるが、動きを止めるほどの傷にはならない。怪物の顔が地表付近まで降り、威嚇的にガッタを睨みあげる位置で止まる。墓堀人の叫びが、暗闇に響いた。
ガッタは、両手で持ったピックをゆっくりと振り上げた。先ほどまでルーイヒが振るい、弾き飛ばされたものだ。一連の攻防で弾き飛ばされていたのを、拾ったらしい。
一歩、体重をかけ腰を落として踏み込む。足と硬い地面の間に泥濘を挟んでも尚、振動を感じる踏み込みと共に原始的なピックが怪物の頭部に叩き込まれる。『慈母』の頭に釘が根元まで刺さり、棒の部分があたり、さらにその棒がめり込んでいく。
頭部に甚大な損傷を負って、大きく体をのけぞらせる『慈母』。ガッタは怪物のその動きにピックを引っ張られ、空中に投げ出される。『慈母』の腕の多くは制御を失い痙攣しながら宙を掻いている。抱擁を受けていた野犬や死体食いの屍とともに、ルーイヒの体も地面に落ちた。
その怪物の腹に並ぶ口に、グアドはショベルを突き入れた。刺さってもなお両腕に力を込め、背中側まで貫通させる。そしてショベルから左手を離し野篭から毒液の小瓶を取り出すと、腕ごとそれをショベルに沿って怪物の体内に押し込んだ。
『慈母』の内側、口の奥にある消化器官のさらに先にある神経節まで腕が入る。そこで墓堀人は瓶の封蝋を破った。毒薬は『慈母』の梯子状神経を伝って、体の節ごとに存在する神経節を破壊。
巨大な怪物はその場に崩れ落ち動かなくなった。 グアドは、『慈母』の屍の下から這い出し周囲の確認をした。ガッタは、地面に落下して意識を失っている。ルーイヒは血まみれで泥の中に倒れていた。司祭の姿がない。彼の仕業であろう、死体を掘り起こして積んだ荷車も見当たらない。彼はガッタに駆け寄り、負傷のないことを確認した。そして彼女を担ぐと動かないルーイヒに一礼を捧げ、降り止まない雨の中を村の外に向かって歩き出した。
村のすぐ側の森の中。今は使われていない山菜採りの小屋に、グアドは倒れるようにして入り込んだ。長い間使われる事のなかったであろう小屋の中は、埃と蜘蛛の巣に塗れている。床も所々抜け、板壁も破損している部分がある。屋根からの雨漏りも絶え間ない。それでも、野外よりは幾分ましな環境であるといえた。
泥の中を転げ回って戦い、雨に打たれながら村から逃げた墓堀人の体は既に冷え切っている。彼は意識を失いそうになりながらも、目を覚まさないガッタを、少しでも状態のいい床に横たえる。朽ちた小屋の中央にある炉に火をおこし、かつては小屋の一部であったであろう木片を燃やして暖気を確保した。
今や彼の持ち物は着ている物の他には愛用のショベルと野篭のみ。食料や銀貨、防寒具一そろいも教会に置いてきてしまっていた。ガッタの方は手に薬草の灰がついている以外は着の身着のままといった有様だ。革帯で作った即席のサンダルを履いているだけマシとはいえる。
辛うじて持ち物の確認を終えたところで、墓堀人は疲労と暖気に負けてまどろみ始めた。小屋の外では、いまだ蛙が叫び声をあげている。
いつの間にか、雨は上がっていた。グアドが目を覚ましたときには既に日は高く昇っており、小屋の中にまで濡れた土と木の葉の匂いが満ちていた。屋根の割れ目から差し込む太陽光を、老人は手で遮りながら体を起こす。小屋の中央にある炉では、火が弱く燃えている。その周囲には、薪ともいえない木片や燃種が丁寧に積まれていた。
グアドは当面の腹ごしらえのために食料を炙ろうとして、荷物を探す。そして、未だぼんやりした頭で全て失ったことを確認した。物資を失い旅はさらに厳しいものになるだろう。しかし、ガッタの赤い目を司祭に見られた以上は戻って取り戻す危険は大きい。公から逃れるための、隠れ里に近いような集落とはいえ、これだけの騒ぎになったのだ。既にレベン国に通報されていてもおかしくはなかった。今はなにより、孫を守らなくてはいけない状況である。この子さえ無事ならばと、彼は少女を横たえた場所へ目をやった。
ガッタがいない。
その衝撃でグアドの意識がようやくはっきりした。炉の火を保ち、その側に木片を積み、その上で少女を連れ去った者がいる。それが誰であれ、孫娘を取り戻さねばならない。。
小屋の床には、サンダルの足跡がはっきりついている。ガッタを寝かせた場所から始まって、小屋の中を歩き回り外に出て行っている。かなり薄れてはいるが墓堀人の鼻には、ガッタの服にしみこんでいる何種類かの薬草の香りが感じ取れた。追跡のためにガッタが横たわっていた跡に近寄り、集中して匂いを嗅ぐ。背後から「まぁ、グアドおじいさま。どうしたんです」と声がかかる。
振り向けば、大きな荷物を抱えたガッタがそこにいた。グアドはその無事な姿を見た安堵と混乱から、暫くその場で固まる事となった。
「要するに、寝ぼけてたんですね。それで、私が攫われたと思い込んで追跡を……」
事情を聞きながら、ガッタは小屋の中に持ってきた荷物を下ろして広げた。それはグアドが教会に置いてきた物資だ。「取りに戻ったのか」というグアドの心配に少女は答えた。
「司祭様が、小屋の側まで持ってきてくださったんです。荷物と手紙を預かりました」
ガッタが差し出す亜麻紙には、黒いインクで書かれた整った姿の文字が並んでいた。
直接お会いせずに別れの挨拶を申し上げる御無礼、御寛恕願います。お連れ様の様子から見て、何か訳がお有りなのでしょう。お互い人目を避けるべきと、判断いたしました。
兎も角は、置いていかれた荷物をお返しいたします。墓地でご覧になったであろう荷車のことは、どうか御内密に。
口止めのためというわけではありませんが、ルーイヒさんは教会で看護いたします。よい状態とは言えませんが、お見舞いなどご無用に願います。
決して後戻りなさいませんよう。村の北側に向かって、森を抜ければ人目につきにくいでしょう。
重ねて申し上げますが、墓地で御覧になったことは他言なさいませぬようにお願いいたします。ルーイヒさんの治療についてはお任せください。
読み終わったグアドは、手紙を炉に入れて燃やし灰をかき混ぜた。ガッタは、荷物に食料が足してあるのを見つけて喜んでいる。暫くの間、旅に余裕ができそうだ。
「そういえば」
と少女が疑問を口にする。
「あの司祭様のお名前を、最後まで伺いませんでした」
「こちらの名も、問うことはなかったな。はじめから何か察していたのかも知れん」
荷物を身につけ、二人は森の中へ踏み出した。雨上がりで暖かくなる大気に、むせるような土の匂いが立ち上っている。
森の中を歩きながら、ガッタは村につくまでの旅程で習慣になった薬草の名前当てをはじめる。その声が、時折かすれる事に墓堀人は気付いた。少女が歩く位置も、以前より彼に一歩近い。不意に、ガッタが木の根に足をとられてよろける。グアドはそれを腕で支えると、そのまま彼女を抱きしめた。彼は後悔とともに「一人にして、悪かった」と囁く。暫くの沈黙の後、ガッタの目からは涙が溢れ始めた。
湿った森の木漏れ日の中、老人と孫娘は暫くその場に留まる事にした。




