アクションシーンは久々じゃない?
墓堀人は、夜中に、ふと目を覚ました。微かな違和感に周囲を見回す。
明かりは消えている。鎮静効果のために火をつけた薬草束も、すっかり灰になっていた。薬草の香りは未だに部屋を漂っている。
グアドはその中に嗅ぎなれた、しかし不自然な匂いを感じ取った。死体喰い避けの薬草の匂いだ。屋内においては必要がないため、焚いていないはずの匂い。墓堀人の使うものと違って、臭気もきつくない。それに混じって、蜜蝋の燃える匂いがする。教会の中で、微かに人の動く気配を感じた。
墓堀人は、部屋の扉を開き暗い廊下に出る。廊下の冷たい空気に微かに混じる、香の匂いは礼拝堂から漂っていた。
この集落にたどり着いたときの葬儀の光景を思い出し、グアドは一つの推測に至った。新鮮な遺体を狙って、夜中に死体喰いが墓を荒らす恐れが大きい。それを追い払う為に、司祭が見回りに行ったのだろう。血の臭い漂う戦場ならともかく、適切に埋葬された死体のあるだけの墓地だ。現れる死体食いも数は少なく、興奮も弱い。墓堀人達の使う強力なものでなくとも、簡単な香で追い払えるはずではある。
グアドは音もなく部屋に戻り、野篭を身につけショベルを手に取る。容易なはずの見回りだが、化け物が相手だ。万が一がないとは言い切れない。久しぶりに寝台で眠るガッタに、毛皮の寝具を被せ直して彼は雨音の響く廊下へと踏み出した。
礼拝堂には、既に人影はなかった。酒席は片付けられ、グアドが零した葡萄酒も綺麗にふき取られている。その床に蜜蝋が垂れて固まっており、その痕跡は教会の厨房にある裏口へと続いている。裏口の木戸の閂が抜けている。戸の外のぬかるんだ地面には足跡が残っていた。辺りは暗闇に覆われており、明かりになるもを持っているか墓堀人の視力がなければ何も見えないだろう。雨は集落についたときよりもだいぶ強くなっている。風に乗って吹き付ける雨粒が、厨房の床をぬらした。
グアドは黒いフードを目深に被り外套の前を閉じると、裏口から外へと踏み出した。司祭の足跡を追って裏から教会の表側へ、そこから夕暮れに通ってきた墓地への道を探す。教会の正面まで来たところで、泥濘を踏んで歩く墓堀人は、足の裏に微かな凹凸を感じた。細く筋状に泥が盛り上がっている。よく目を凝らせば、教会から墓地へと続く新しい轍があった。泥土についた痕跡は雨に流されはじめているが、それでも司祭が車輪のついたものを曳いていた事が見て取れた。蛙の叫び声は、ますます酷くなっていく。それに混じって、人の叫び声が。
墓地で目に入ったのは、地面に投げ出されたカンテラ、木製のショベル、掘り返された墓、荷車。荷車には、筵が被せてある。その端から突き出ているのは死体の足。地面に這いずる司祭は、汚泥に塗れながら教会のある方向へ逃げようと両手で地面を掻いていた。
投げ出されたカンテラの明かりに照らされているのは、二抱えはある巨大な女のような顔と、そこから芋虫のように伸びた躯。芋虫ならば疣足のあるべき部分から人間の腕が二列になって生え、蠢いている。何本かの腕は、死体食いや野犬を胴に押し付けるようにして抱きしめていた。咀嚼音、骨の折れる音、まだ生きている野犬の弱々しい唸り声。芋虫状の胴体の下、両腕の間には人のものに似た口がいくつも並んでいる。捕らえられている野犬が抵抗を試みるたびに、血に塗れた口で抱きしめた獲物を食い千切っているのが見えた。
墓堀人の間では『死せる慈母』として知られている怪物だ。獣や埋葬したばかりの死体を、抱きしめるような動作をする習性からそう呼ばれている。しかし、その動作は単に捕食する為だけのものだ。抱きしめられたものは、半時も経たないうちに怪物の腹の中に消える事になる。この怪物は巨大さ故に、死体喰いを避ける程度の香では効果が薄い。大凡の場合に退治を依頼される死体喰い程度の怪物と比べれば、その厄介さは比較にならない大物である。
グアドは、怪物の頭部に向けて薬草玉を投擲した。命中した玉は、細かく挽いた薬草粉末を撒き散らす。粉末を吸い込み咳き込むような動作をした後、司祭に向かってにじり寄っていた『慈母』は頭を持ち上げ口と腕の並ぶ腹を晒して墓堀人に向き直った。墓堀人から見えたのは『慈母』の左目の下にある傷。右側三番目から五番目の腕にある生え変わった痕跡。そして、上から二番目の口が裂かれた痕。数十年前に彼が仕留め損ね、惨事を引き起こした怪物の姿であった。
憎悪と悔恨の叫びをあげて、グアドはショベルを突き出す。泥濘に足を取られながらも怪物の胴を狙った一撃は、それを阻もうとした腕の一本を肘から切断した。地面に落ちた腕は激しく痙攣し、泥水を跳ね上げる。腕を切断された『慈母』の傷からは濁った黄色の血液が溢れた。
グアドは、怪物の他の腕がショベルを掴もうとするのを振り払い泥の中を横様に転がる。直後に倒れこむようにして飛び掛ってきた『慈母』の巨体が、地響きを立てて地面に衝突した。
汚泥の中で片膝をついた体勢になったグアドは野篭から素焼きの小瓶を取り出し『慈母』の長い胴体の後部に叩き付けた。割れた瓶からは、べたつく油脂が飛び散る。怪物が向き直るより早く、墓堀人のショベルが、地面に落ちたまま燃えている司祭のカンテラを掬いあげた。それを、油脂のついた胴体に叩きつけられ怪物は燃え上がる。炎は雨にさらされた程度では消えず、脂も怪物が暴れた程度では落ちない。『慈母』は自分の血液と泥土の中を炎上し煙をあげながら、のた打ち回る。
暴れる巨体に押しつぶされるのを避け、グアドは怪物から間合いを取ろうとした。雨と『慈母』の血液にぬかるむ、新しい墓の土が足に絡む。平衡を失いたたらを踏んだ墓堀人の体を、暴れのた打ち回る『慈母』の腕が掴んだ。
新たな獲物を、腕四本を使って口に押し込もうとする怪物。グアドは体と怪物の口の間にショベルを挟み、防御した。『慈母』がショベルに歯を立てる振動が伝わってくる。墓堀人はショベルを梃子にして、抱擁からの脱出を試みる。彼の視界の隅で、教会に続く道から小さな火が近づいてくるのが見えた。
暗闇から、赤い瞳の少女が墓地へと入ってくる。ガッタは火のついた薬草束の頼りない光量で足元を照らしながら歩いていた。小声で「おじいさま、グアダニャおじいさま」と呟いているのが、グアドの耳に微かに届く。「ひとりにしないで、ひとりにしないでください」と呟きながら彷徨うガッタは怪物を焼く炎の明かりに気付き、漸く目を上げる。彼女の目が『死せる慈母』を映し、怪物もまた彼女の姿を見とめた。
怪物を目の前に硬直するガッタ。予想外の出来事や精神的な衝撃で容易に恐慌に陥り動けなくなる彼女の性質は、迫る危機を回避させない。
『慈母』は頭を下ろして、地面を這いずる体勢をとった。怪物の腹に抱きしめられているグアドは、その体重で地面に押し付けられる。無数の手でぬかるむ地面を掴み、巨体は少女に近づいて行った。墓堀人の逃げろという声は、雨音と怪物の腕が泥を掻く音に消されている。
未だ動けないまま震え続けるだけのガッタに『慈母』は顔を近づけ、慎重に匂いをかぐ。怪物の顔の下から伸びた一本の腕が、彼女の持つ火のついた薬草束を払い落とした。薬草束の火が泥の中で消えるのを、怪物は目だけを動かして確認する。そして、ゆっくりとガッタを押しつぶすように前進を再開した。




