年寄りが主人公って地味じゃない?
宵の口、西の空が紫に染まり東の空には星が見え始める時分。浅い洞窟の中に、焚火が燃える。薪が爆ぜ、そばに座る男の影を揺らした。黒いフードを被り、黒いマントに包まって休む男。そのそばには使い古されたショベルが一本、洞窟の壁に立てかけてある。
男は傍らにまとめてある薬草の束を焚火に投じた。独特の匂いを発して煙が広がる。男は煙の中に手を広げ体のほうに扇いでから、自らの体の匂いを確認する。体に染み付いた屍臭が薄れているのを確認してから、男はフードをはずして夜気に素顔を晒した。伸びてしまった白髪交じりの髪を後ろで束ねている。傷痕だらけの顔。瞳は黒く、眼光は鋭い。真白な髭は、ここ数日ですっかり伸びてしまっていた。
男の行き先は、洞窟から歩いて半日ほどの小さな村。彼の来た元は、洞窟から歩いて一日ほどの戦場。実際には戦場跡だ。戦闘そのものは既に終わっていた。
その手には銀の指輪、小さな人形、血で汚れた手紙がある。どれも、戦場の死体から外してきた物である。ひとつふたつと数を確認し、落とせる汚れは布で拭っておく。作業を終えると、それらを荷物の深いところに仕舞い込んだ。そして疲れを幾らかでも癒すために、目を閉じて体の力を抜く。呼吸を安定させ、異変に反応できるだけの意識を保ちながら微睡みはじめる。
男は『墓堀人』と呼ばれている者の一人だ。戦場に捨てられた死体、街道沿いの行き倒れ、埋葬費用の出せない貧民街での死人。そういったものを埋葬する。そして、かわりに死人が身に着けているものを幾らか持っていく。そういう人間だ。
ハイエナやハゲタカと言われ、忌まれる事も多い。一方で、どうしてもたどり着けない場所にある死体を埋葬するように依頼されることもある。その場合は、遺品の回収と交換で報酬を受け取る。つまり、今回のような場合である。
西方の小国連合と東の帝国の仲が、ここ十年ばかりで険悪になった。繰り返される帝国兵の越境と集落への襲撃。それに対抗して、小国連合の国境付近の村とその住民には国境の防備の義務が課せられた。そのための武器供与、物資の支給、兵士の配置、教官を派遣しての訓練といった支援も行われている。帝国兵の発見、報告、撃退に関しての褒章もある。
そんな情勢の中、国境の防備に借り出されていた近隣の村の住人が帝国兵の斥候を発見した。帝国兵を仕留める事によって与えられる、租税の減免措置を目当てにして村人たちが盛んに攻撃を加える。斥候は帰還先を知られまいとして撤退を中断して、村人たちに反撃。こうして戦闘が起こった。墓堀人が滞在していた集落で受けた説明は、このようなものだった。
「戦闘の結果、村に戻ってこなかった者がいる。彼らと彼らの家族のために」そう言って長は、滞在していた墓堀人に依頼を出した。「遺体の埋葬と遺品の回収を頼みたい」と。
墓堀人は性質上、押されている側の国境付近を巡回することが多い。軍人で国境を固めている帝国側に対し、武装させた村民に国境の警備を頼っている小国連合側は戦死者の遺体の回収にさえ困る。村に派遣されている兵士の任務は、帝国兵の撃退が主だ。遺体の回収までは手が回っていない。そんな中で国境の緊張が特に高まっている、小競り合いがありそうだとなれば尚更、墓堀人の儲け話がある。小国連合内の国境付近、辺鄙な村落。そんな場所に、この黒衣の墓堀人がに居合わせたのもあながち偶然ではない。
戦場跡にあったのは、折れた剣と槍、地面に刺さった矢、折れた弓、捨てられた盾。轍、ひっくり返った馬車、死んだ馬。血の匂い、屍臭、腐敗臭。放置された死体、死体を食う獣、死体を啄む鳥。
墓堀人は、手にした薬草束に火をつける。獣と鳥が嫌う匂いと煙を靡かせて、戦場跡の中心へと歩く。最も戦闘が激しかったであろうその場所は、地面が赤黒く染まっている。村人の死体が折り重なって二つ、軽装の甲冑をつけた帝国兵の死体が一つ転がっていた。やや離れた場所にも、矢で射られた村人の死体がひとつ。薬草の煙を嫌って、死体を啄んでいた鳥たちが飛び立っていく。
不意に、村人の死体を跳ね除けて人型の怪物が飛び掛ってきた。燃える薬草の束を手放して墓堀人はショベルを両手で構える。怪物は、生きているものに食いつこうとして、頭部を突き出している。墓堀人は、その鼻先にショベルの鋭い一撃を加えて跳ね飛ばす。怪物は手足で着地すると、やや遠い間合いをとった。そして、体を低く構え、唸り声をあげ始めた。
怪物の皮膚は腐りかかったように爛れ、口からは乱杭歯が覗く。「死体喰い」だ。人型の肉食怪物だが、特に傷んで腐った死体を好んで食べる。とはいえ、無害なわけではない。生きているものを死体に変えて食べることも多い。
再度、死体喰いが飛び掛ってくる。先ほどの一撃に懲りたのか、今度は両手を前に出して押し倒す動きだ。
墓堀人は、即座に二歩後退。相手をつかみ損ね、両手で着地する死体喰い。その頭に、墓堀人の振り下ろすショベルの刃先が食い込んでいく。頭を二つに割られた死体喰いは、地面に倒れたまま二度、三度と痙攣して動かなくなった。
墓堀人は、死体喰いから牙を引き抜く。埋葬する死体から何かを取るのが、墓堀人の慣わしだ。それが、怪物であっても。
墓堀人が、墓を掘る。獣に荒らされない程度に深く。別の死体喰いが、臭いをかぎつけて掘り起こさない程度に深く。
墓堀人のショベルは、墓を掘るのに最も適している。通常なら四人と一匹分の墓堀など、一人でやるなど考えられない重労働である。しかしそれも、墓堀人とそのショベルにかかれば程なく終わる。彼ははその場の村人の死体から、指輪と手紙を抜き出した。少し離れた場所で、射られて死んでいた村人からは、小さな人形を無事見つけた。帝国兵からは、銀貨を数枚発見。三人の村人と一人の兵士をそれぞれの墓穴に横たえて、魔除けと獣除けの香草を振り掛ける。それが終わると、墓堀人は人間四人の埋葬を終えた。最後に摘んできた野花を供え、しばしの黙祷を以って、簡単な葬儀とする。最後に自らが仕留めた死人喰いを、墓穴に落とす。こちらは、香草とともに土をかけて埋めるにとどまる。
戦場の死体が、持ち物を奪われずにその場に残されているのは珍しい。比較的楽にすんだ依頼に、かえって墓堀人は微かに眉を顰めた。
このような経緯を辿って、墓堀人は洞窟に微睡む。傍らにはショベルが一本。持ち物は路銀に、香草と薬草の束。幾らかの食料、かなり小さくなった水袋。あとは、戦場の死体たちの持ち物が幾らか。
夜気が洞窟に吹き込み、焚火の上げる薬草くさい煙を揺らした。