第63話 新東京国際ピアノコンクール 準本選
マリアちゃん、戦いはなかなかありません。
(9月24日です。)
薫先生から、10月15日に行われる、新東京国際ピアノコンクール高校生部門の準本線に出場するように言われた。6月に予選が行われているのだが、ショパン国際ピアノコンクール・イン・アジア大会で優勝しているので、予選免除だそうだ。
高校生部門は、浪人も含む20歳まで出場できる激戦区だ。課題曲は、15分以内の自由課題らしい。
薫先生は、準本線には、フレデリック・ショパンの、
アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズ Op22 CT149変ホ長調
を演奏するように言われた。この曲は、この前から練習しており、12分半の長い曲だが、ほとんどノーミスで弾けるようになっていた。
準本選の2週間後には、本選なので、同時にもう1曲、フランツ・リストの
ハンガリー狂詩曲第2番 嬰ハ単調 S.244/R.106
の練習を始めた。ショパンも有名な曲だが、この曲もハンガリー狂詩曲全19曲の中で、最も有名な曲だ。
曲の終わり近くにカデンツァが指定されており、薫先生は、セルゲイ・ラフマニノフ作のカデンツァバージョンにするように指示された。
しかし、この曲もかなり超絶なため、そう簡単には弾けない。それに水曜日は歌のレッスン、金曜日は事務所打ち合わせ、土曜日か日曜日は、テレビかステージ、それとスタジオだ。とても忙しい。クラスのピアノ専攻17名のうち私以外の2名が、この大会の東京予選を通過している。
このコンクールの高校生部門はは、高校卒業後20歳まで出場できるので、かなりハードルが高いようだ。音大浪人が実績作りのため、大挙参加してくるのだ。
ミズハちゃんは勿論、予選を通過している。ずっと準備をしているらしいが、準予選と本予選の曲が難関らしい。普通の練習曲では時間が足りないし、リストやショパンでは、難易度が高すぎるらしいのだ。
ミズハちゃんは、準本選にはベートーベン、本選にはラフマニノフを選曲したみたいだ。
米良さんから、NHKの歌番組のオファーが来ていると伝えられた。9月10日発売のシルバー・プリンセス初のメジャーレーベル『青いチョコミント』のCD売り上げが順調で、週間売り上げ1位を記録したらしい。直ぐにベテランの男性ボーカルチームに抜かれたらしいが、結成間もない私達が、瞬間風速でも1位になれたのは凄い事だと思った。
ただNHKの収録が、木曜日の朝からと、平日なのが困ってしまう。放映は、翌々週の土曜日の午後11時から30分なのだが、その内の15分が私達の時間らしい。
米良さんが、このオファーは絶対に受けるべきだと言っていた。レコード大賞新人賞と紅白を狙うなら、断るという選択肢はないようだった。
サヤちゃん達は、出る気満々だったので、学校が欠席届を認めたらという条件で出演を了承した。
米良さんが、爆弾発言をした。今度の新曲のCDとダウンロード数の売り上げが、いわゆるヒット作品を大きく上回っているため、必要経費を控除しても、かなりの収益が見込まれ、事務所の経費を除いても、私達には、見たこともないような金額が振り込まれるそうだ。サヤちゃんが『100万円』と興奮して言っていたが、米良さんが、『0』の桁が違うと言っていた。それを聞いて、サヤちゃんがガッカリしていた。
私は、今までの例によれば、きっと『0』の多い方になるのかなと思ったが、黙っていることにした。振り込みは、12月だろうから、その時までのお楽しみだ。
それからは、毎朝7時には、学校に行く。守衛さんとは顔馴染みになっている。真っ直ぐピアノ練習室に行って、練習だ。ハノンを30分、ショパンを30分、リストを30分練習して、教室に戻るともう授業開始間近だ。
午後の実技も、コンクール出場者は課題曲の練習に当てている。恵美先生が、演奏のポイントを教えてくれる。
ゆったりした主題部。テンポが崩れやすいので、右手の跳躍やトリルに惑わされず、力強い演奏を心がけるようにとの事だった。
中盤以降の超有名なフレーズは、はっきり言ってピアニスト虐め以外の何者でもなかった。それに、セルゲイ・ラフマニノフ作のカデンツァ、これが難関だった。不協和音のような副旋律、間違いやすいし、技巧も超難関だ。
しかし、なんとか2週間で、楽譜は完全に覚えることができた。その間に、NHKでの収録打ち合わせがあった。代々木の放送局内なんて、今まで絶対に縁のない世界だったが、来週、ここのスタジオで収録されるのだ。
衣装は、あの銀仮面バージョンにする。スタッフの方が、一度、附属高校での練習風景を撮影に来たいと言ったので、『薫先生の許可があればOKです。』とサヤちゃんが答えていた。最近、サヤちゃん達も、山上校長先生のことを『薫先生』と呼んでいる。
学校での収録は、平日の午後行われたが、私のピアノ練習風景に吃驚していたようだ。ピアノの知識がなくても、今、練習している曲が、高校1年生レベルではないと言うことが分かるのだろう。サヤちゃん達のヴァイオリンは、それなりの絵が撮れたみたいだった。
NHKの収録の日が来た。朝、米良さんが黒塗りのワゴンハイヤーで迎えに来た。既にサヤちゃんとマコちゃん、キョウちゃんは乗っていた。キョウちゃんは、午前7時に東京駅中央口で待ち合わせていたらしい。
昨日の夜、作っておいたカツサンドを持ち込む。荻窪ルミネ店の中にあるとんかつチェーン店で、特上ロースカツを買い込み、キャベツと挟み込んで作った特製カツサンドだ。ソースも市販のソースに、デミグラソースとトマトソースを混ぜた特製ソースだ。あ、蜂蜜も少し入れたっけ。
ハイヤーの中にとんかつの匂いが充満している。運転手さん、ごめんなさい。キョウちゃんが5切れも食べていた。朝早かったのに、何も食べていなかったらしい。
午前7時45分に局に入った。すぐ、打ち合わせが始まる。この前の打ち合わせの確認だ。
それから、スタジオで音合わせだ。照明やカメラの位置も調整している。まだ衣装を着ていない。収録は、午後なので、衣装を汚さないようにしている。
何回も音合わせをやらされてやっと午前中のリハーサルが終わった。
楽屋でお弁当を食べるのだが、サヤちゃんが局内を見学したいと言ってきた。米良さんが、ADさんに頼んで案内して貰う。当然、私は、楽屋でお留守番だ。
今日のお弁当は、NHK特製幕の内弁当だった。オカズと俵型ご飯が別々の2段になっていて、甘い卵焼きが入っている。カツサンドの残りも冷蔵庫に入れておいたので、サヤちゃん達が帰ってくるまで、カツサンドを食べていた。
サヤちゃん達が興奮して帰って来た。女優の誰々を見たとか、お笑いの誰々さんがいたとか。私は、あまり詳しくないので、黙って聞いていた。
米良さんが、早くお弁当をたべるように言ってくれた。食べれる時に食べるのが、この業界の常識らしい。皆、残りのカツサンドとお弁当を食べることにした。
食事が終わったら、直ぐにスタンバッテて頂きたいと言われた。それからが忙しい。衣装を着替えて、ヘアさんとメイクさんが、大急ぎでセットしてくれた。皆、真っ赤なパンプスを履く。
収録は、私達の曲から始まった。最初は、いつものスタンダードナンバーを、弦楽三重奏ヴァージョンで演奏する。最後の方に、私のボーカルが入る。
次は、10年くらい前のJーPOP曲で、サヤちゃん達のコーラスがメインだった。それから私のソロで、『アーモンドチョコの想い出』を歌い、最後はこの前CDリリースをした『青いチョコミント』をコーラスで歌う。サヤちゃん達の声は、可愛らしい声だ。
全ての演奏が終わった。暫く待機が掛かり、最終的なOKを貰うことができた。それから、夕方のトークまで待機だ。いつも思うのだけど、待機時間が長すぎる。米良さんが、先輩や人気歌手のスケジュールに合わせて、新人は、合間に収録するので仕方が無いそうだ。
私たちの出演料は、NHKの基準の中では、最低ランクらしいのだが、それでもサヤちゃんが1か月バイトをした額よりも多いらしい。でも、民放局はその3倍以上のギャラらしいと米良さんが言っていた。
夕方6時から、スタジオ入りをして、トークの時間だ。MCは、超有名なお笑いの大御所と曲の女性アナウンサーだった。
いろいろと話を振って来ていたが、全てサヤちゃん達が対応してくれた。いくつかのカットの後で、サプライズが用意されていた。銀色のお面と玩具のサーベルが準備されていたのだ。お面は、昔の●●●大使のようなお面だったが、それを被ってポーズをするのだ。ポーズの付け方も指導されて、『銀仮面』と言ってポーズを取るのだ。少し恥ずかしかったが、しょうがない。1発でOKだった。恥ずかしげな雰囲気が良かったらしい。
収録が終わった。とても疲れてしまった。明日は、午前中、半休を取ることにした。
10月15日、いよいよ東京国際ピアノコンクールの準本選の日が来た。きょうは土曜日なので、母様や恵美先生も応援に来ている。勿論、サヤちゃん達も来ている。会場は、江戸川区の東大島駅から歩いて10分位の場所だ。
殆どの出場者が、高校3年生以上の人だった。準本線は、いくつかの部門に分かれて実施されたが、今日は高校生部門が最終組だった。ミズハちゃんは、最初の方だったが、大きなミスをしたと言ってベソをかいていた。
でも、ミスの無い奏者は今までいなかったので、結果は分からないと思った。
私の番が来た。ショパンを弾く人も何人かいたが、リズムが狂ったり、タッチミスが目立った。もしかしたら、この準本線は、ミス無しなら通過できるかも知れない。
今日の曲は、夏前から練習している曲だ。目を瞑っても、指が覚えている。入りから、上手く弾けている。右手もきれいに入っている。主題部、副主題部と順調だ。左手のトレモロが目まぐるしく変化していく。
12分半の演奏が終わった。ノーミスだ。何人かの観客が、ハンカチで目を押さえている。感動して、涙が止まらないらしい。
静かに立ち上がり、一礼をして、舞台袖に下がっていく。拍手が鳴り止まなかった。
ミズハちゃんも私も、準本線は無事通過した。
高校1年生で、準本線通過は、かなり難しいです。




