第56話 3年生って大人
3年生は、大学への進学で必死でした。
(6月16日です。)
今日は、3年生の公開実技試験だ。試験を公開でやるのは、観客のいる状況でも、いつも通りの実力を出すことができるかどうかも採点基準になっているからだ。
音楽家として大勢の観客の前で、ベストの演奏をするのは当然の事であり、それができない者は、いくら実力があっても自己満足にすぎないと言われた。
私は、最近、人前で演奏する機会が増えたせいか、他人の目はあまり気にしなくなった。演奏を始めれば、目の前には鍵盤しかないのだから、どんなに大勢の観客がいたって、見なければいいのだ。
その点、ヴァイオリニストなど、ほとんどの楽器は、観客の方を向いて演奏するので、観客がどうしても見えてしまう。
奉楽堂は、芸大の附属施設だ。定員は1100人と、かなり大きいが、今日の公開実技試験は、人気が高く、結構入っている。教員は最後部に座り、その前が1、2年生席だ。全員、見学が義務付けられている。
ダサ服を着ているから、うちの高校だと分かるが、お姉さん達は胸も大きく、ドレスを着たら絶対に普通のピアニストだ。
それに比べて私の胸は、未だに真っ平らだ。どうやら元の世界の父様の血を引いていると、発育が超ゆっくりだとシェル母様が言っていた。
演奏が始まった。1人の持ち時間は20分だが、18分以上の演奏が義務付けられている。
選曲にラフマニノフやラヴェルが多く、ショパンが少ないのは、ミスを極力避けるためなのだろう。先輩達は、この試験のためにどれ位練習しているのだろうか。
この高校を出ても、そのまま芸術大学に進学出来るわけではない。毎年、何人か進学できずに浪人している。この公開実技試験で、少しでも評価を上げておけば、大学に合格しやすいかもしれないと言う期待があるのだろう。
先輩達は、皆、素晴らしい演奏だった。ラフマニノフやラヴェルは演奏したことはないが、1度か2度は聞いた事がある曲ばかりだった。
私が3年生になった時は、何を弾こうかと思っていたら、最後の先輩の演奏を聞いてある程度予想がついた。最後の先輩は、私の知っている人だった。
去年のショパン国際ピアノコンクール・イン・アジア全国大会で金賞を取った『南清彦さん』だった。
一昨年、開催されたポーランド大会の予備予選に出場した実績を持っている。3年後の大会では、1次予選出場以上の成績を狙っているそうだ。
今回演奏する曲は、かなり難易度の高い曲だった。
アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 作品22
この曲は、入りから16分音符の6連符が続き、速度と正確性が要求される曲で、南さんの演奏は完璧だった。
しかし後半は、疲れたのかミスが目立って来た。と言っても、普通の人には分からないレベルだったが、音が抜けたり、ズレているところがあった。
この曲は、13分以上の曲だった。規定時間のためにはもう1曲、必要だった。南先輩が次に選曲していたのが、同じくショパンの
ポロネーズ 第3番イ長調 『軍隊』
だった。それほど難易度が高くないのに、幾つかミスがあった。絶対、この曲を先に演奏すべきだと思ったが、当然、誰にも言わなかった。
ミズハちゃんが、
『あの人素敵ねえ!』
と、ため息をついていた。確かに、身長も高くイケメンなのだが、アジア大会で、私を完全に無視していたような気がしたのを覚えていたので、あまり良い印象は無かった。
演奏が終わったら、場内中、物凄い拍手だった。今回の公開実技で最終演奏を弾くのだから、トップレベルの奏者だと認められている拍手だった。勿論、私も拍手をしている。
公開実技が終わった。ミズハちゃん達4人で、一緒に帰ることにした。ミズハちゃんが、
「あの曲、弾ける?」
と聞いていた。南先輩の最初の曲のことだろう。きっと弾けるだろうとは思ったが、弾いた事が無いので、首を横に振った。
「そうだよね。あれって最高難易度の曲だもんね。ああ、私もあんな風に弾けるようになるのかなあ。」
とため息をついている。そう言えば、ミズハちゃんのピアノって聞いた事がなかった。今、ミズハちゃんは、ショパンのマズルカを幾つか練習しているみたいだった。
駅に行く途中で、3年生男子が何人か立ち話をしていた。中に、南先輩がいる。私達は、頭を下げて、脇を通り過ぎようとしたら、南先輩から声をかけられた。
「君、新垣君だよね。へえ、うちの学校に入ったんだ。」
黙っている。と言うか、固まってしまった。ミズハちゃんが返事をする。
「はい、先輩。この子が、新垣さんです。ご存知だったのですか?」
ミズハちゃん、声が上ずっている。でも1学年40人しかいない学校だ。しかも黒い眼帯をしている女の子なんてそういない。覚えていて当然だろう。
「うん、アジア大会で一緒だったんだ。君、目が悪かったの?」
当然、答えられない。下を向いて黙っていると、ミズハちゃんが助け舟を出してくれた。
「この子、ちょっと訳ありで。目は悪くないんですが、眼帯を外せなくって。」
「へえ、そうなんだ。ねえ、君たち、今、暇?僕たち、これからカラオケ行くんだけど、良かったら一緒にどう?」
「え〜!良いんですか。ちょっと待って下さい。」
ミズハちゃん、直ぐにサヤちゃんとキョウちゃんに相談している。皆、行く気満々のようだった。最後に、私に聞いて来た。絶対に嫌だった。男子と一緒にカラオケなんて、怖すぎる。どう断ろう。
しばらく沈黙が続いた。ミズハちゃんの顔を涙目で見上げてから、ダッシュで反対方向に逃げ出した。ミズハちゃん、ごめん。
後で聞いたら、先輩達は大笑いをして、ミズハちゃん達とカラオケに行ったらしい。ミズハちゃんが、ライン交換をしたと言って興奮していた。
来週から、あの『アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ』を練習することにした。恵美先生が、将来、必ず必要になるからと言っていたが、よく分からなかった。
それから、ショパンの
ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 作品11
のフルバージョンの練習も始めた。今、サヤちゃん達と練習しているのは弦楽四重奏バージョンの簡略化されたものだ。
全部で40分以上の大作だ。恵美先生が、3年後のショパンコンクール・ポーランド大会では必須の曲らしい。うん、頑張ります。でも、毎日の課題だって結構大変なのに、そんなに別の課題を増やしたら、私はどうなってしまうの。恵美先生が、『あなたならできるわ。』と、まったく根拠のない励ましを言っていた。
恵美先生は、大学でもピアノの講師をしているが、教室も持っていないので、専従の担当学生もいないようだ。それで、結構、暇をしているみたいだった。結構、美人さんなので、彼氏さんがいないか聞いてみたら、まったく興味が無いらしい。と言うか、将来は、自分のピアノ教室を持って、生徒さんをショパンコンクールに出場させることだそうだ。なんか、とっても壮大な夢のような気がしてきた。
今度の日曜日、用事があるか聞いたところ、まったく無いそうなので、私のミニ・コンサートに来ませんかと聞いたら、ぜひ、行きたいと言うので、午前10時に、先生のご自宅に迎えに行くことにした。先生は、文京区の本駒込という所にご両親と一緒に住んでいるそうだ。
今度のミニコンサートの場所は、文京区春日にある『文京シビックホール』の小ホールで開催されるので、ちょうどよかった。
出演者は、サニー・アーティスツの若手歌手さん達で、私が最後のトリをやるらしい。え、先輩達もいるのにと思ったら、『これからCDを売り出そうという若手達とは違うので、あなたは最後よ。』と米良さんに言われてしまった。
私の専属になってから、米良さん、結構風格が出てきたみたい。でも、1週間に1度の出演だけをマネージメントなんて、楽過ぎる気がするのですが。
次の日曜日、迎えに来た米良さんと一緒に恵美先生のご自宅にお伺いした。恵美先生の自宅は、高級住宅街の中のお屋敷だった。六義園がすぐそばにあり、高い塀と大きな門がある。門のチャイムを鳴らすと、すぐに出て来てくれた。いつもの教師のスーツではなく、ラフなミニワンピースだった。あれ、眼鏡をかけていない。聞いたらコンタクトにしているとの事だった。すぐに春日にあるシビックホールに向かう。日曜日なので、白山通りもガラガラですぐについてしまった。
今日の会場は、小ホールということで、350人程度の席だった。もう、超満員で、空席はほとんどなかった。恵美先生の席は、米良さんが確保してくれたので、とても良い席に座って貰った。
公演が始まったが、最初は、見たことも、聞いたこともないような若手新人が、歌を歌ったり踊ったりしていた。
男の子の時は、キャーキャー女の子が騒ぎ、女の子のグループの時は、オタクっぽい男子が太いペンライトを振っている。キンブレというらしいのだが、押しの女の子のイメージカラーが決まっているらしいのだ。
何人かの若手ソロやグループが歌ってから、いよいよ私の番になった。大きなグランドピアノがステージ中央に運ばれる。スポットライトに当てられて、中央に進み出る。拍手が凄い。一礼して、ピアノの前に座る。今日のステージ衣装は、ピンクのトレーナーにダメージジーンズだ。
歌は、Queenのナンバーから3曲だった。
『ボヘミアン・ラプソディ』
『伝説のチャンピオン』
『キラー・クイーン』
いずれも知らない人がいない位有名な曲だった。フレディさんと言う人は、もう死んでしまっていたが、天才だったらしい。音域が広く、高音部が少し苦しいが、米良さんが、そのほうが自然で綺麗だと言ってくれた。
会場の中は、もう手拍子、足拍子のるつぼだった。ピアノも少し強めに弾いている。リズムが大切だ。テンポの良い曲ばかりだった。
3曲が終わったところで、終了の予定だったが、アンコールが来た。一旦、下がってから、もう一度ピアノの前に座る。今度は、日本語のスタンダードナンバーを歌う。中島みゆきさんの『地上の星』だ。この前、曲をDRして、耳コピしたのだ。ほぼ完ぺきに覚えていた。これで終了だ。さあ、帰ろう。遅い昼食をとらなくっちゃ。シビックホールの近くにある牛タン屋さんでお昼を食べる。勿論、支払いは米良さんだ。恵美先生が恐縮していたが、米良さんが気にしなくても良いと言っていた。あ、もしかして2人って同い年?
QEENの局は、皆、素晴らしい曲ばかりです。




