切っても切れない関係
あと一点取られたら負ける。現役最後の試合。
蒸し風呂のような体育館の中で、私はラケットを握り直す。
相手はサーブをどこに打つか。勝負を仕掛けてくるのか。ロングだったらどこへ返す?ショートだったら自分から仕掛けるべきか?
20-17、3点のビハインド。1点欲しさに相手がミスをした。
20-18、私のサーブ。まずは丁寧にラリーをつなぐ。
丁寧に、粘り強く。
20-19、ここだ!と勝負をかけた。
一気にスピードを上げ、相手を追い詰める。
苦し紛れのロブがきた。
あえてクリアを上げて、次の球をスマッシュで確実に決める。
20-20、試合はデュースにもつれ込んだ。
兄の影響で始めたバドミントン。
小学生の頃は楽しさが勝ち、中学生になると楽しさの陰で「本当に好きか」という気持ちが芽生え始めた。
高校では、中学時代のライバルたちとのレギュラー争い。
楽しさは、輝かしい戦績とともに過去へ置き去りにされた。
こんな気持ちになるのなら、バドミントンなんて嫌いだ。
ライバルたちのほうが「バドミントンが好き」という気持ちは大きいだろう。
だって、私が苦しくて出せなかったあと一歩を、彼女たちは出している。
シャトルがコートに落ちる、あと数秒を諦めていない。
その必死さを見るのが辛かった。
苦しいはずなのに、どうしてシャトルを追えるのか。
どうしてラスト一本のダッシュで全力を出し切ることができるのか。
どうしてそこまで自分を信じることができるのか。
私は、バドミントンを好きなのか。
卒業が近づき、ラケットを握る日が減った。
締め切った体育館とも、着替えでパンパンなボストンバッグとも、少し埃くさい部室とも、疎遠になりつつあった。
体育館に行くたびに、寂しい気持ちが大きくなった。
西日の傾く体育館でシューズを履いたとき、気がついた。
嫌いだけど、嫌いだけど、やっぱり好きだなぁ、と。
学生時代最後の試合。
13年間の締めくくり。
相手は体力が切れて足が動かなくなっていた。
私の体力にも限界が迫っていた。
でも、一本をつなぐ。
粘って、粘って、相手を苦しめる。
絶対に負けたくなかったから。
勝者サインを書き終えた。
応援に来てくれていた両親のほうへ顔を向けると、とても嬉しそうに笑っていた。
その笑顔と勝てたことへの安堵から、私も笑った。
ラケットはびしょびしょ。
コートから点々と反射する体育館のライトが、少しまぶしかった。