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四話 遥か彼方に咲く花のような

アルサヒネ歴 八六六年五月二七日

月村蒼一は異世界で恋に落ちる④


「え? 私も行って平気なの?」


「うん、もちろん。クレアさんが今日、時間あればの話だけど」


 僕、グラシュー、バリー、そして、途中から思いがけず加わった一ノ瀬さんの同い年四人は、ヌヴォレのバーで会話を交わしていた。


 その中で、今日の夕方、キャリダットにある野外コンサートホールで催される音楽祭に、バリーも出演するという話があり、一ノ瀬さんも一緒に来ないかと、誘ったところであった。


「うれしい、ありがとう。じゃあ、ご一緒させてもらおうかな」


「アルディンさんは平気? 早く帰って来いとか、言われてない?」


「うん、大丈夫。むしろ、これからは一人で暮らせるくらい強くなれって、言われてるし」


「そ、そうなんだ⋯⋯」


 僕らの誘いに、一ノ瀬さんは心躍らせるような口調で乗ってきた。


「じゃあオレ、準備あるからそろそろ行くわ」


 バリーは、凛とした表情で立ち上がった。


「ああ、そっか。じゃあ、俺たちも後で行くから」


「おう、よろしくな」


 リラックスしている僕らとは違い、バリーからは少し張り詰めた雰囲気を感じていた。


「がんばれよーっ!」


「応援してるからね」


 口調がまるで違う二人の女子に励まされたバリーは、爽やかな笑顔を返し、その場を去っていった。


「さて、ウチらはそれまで、どうしよっか?」


 グラシューは椅子に深くもたれかかり、手を頭の後ろに組み、問い掛けた。


「もう十一時過ぎか。今日の昼ごはんのお店、探しにでも行く?」


「そだねー。あっ、そういえば、ケーキがチョーおいしいって評判の店があったの、思い出した」


「そうなの?」


「うん、たしか音楽祭やるところの近くだった気がする。そこ、行ってみたい」


「なら、そうしようか」


 僕が淡々と答えると、グラシューは一ノ瀬さんの方を向いた。


「クレアは、甘いもの好き?」


 グラシューに問い掛けられた一ノ瀬さんは、輝かせるような目で彼女を見た。


「うん、大好きだよ」


「お、よかったー」


「太るから控えなきゃとは思いつつも、つい食べちゃうよね」


「わかるー」


 女子トークが展開され始めた。


 どうやら、しばらく収まりそうにない。


 僕がそこに入る隙間は無さそうで、大人しくしていることに決めた。


「けっこう高いお店みたいで、行こうと思ってもなかなか手が出なくてさー」


「そうなの? 私たちみたいな子供が行っても平気?」


「大丈夫! 今日はソーイチが、全部おごってくれるから」


「!?」


 聞き捨てならない台詞が飛んできて、僕はゆくりなく彼女たちの方を振り向いた。


「い、今なんて言った?」


「ん? 今日のランチ代、ソーイチがウチらの分もおごるということですけど、何か?」


「何かって⋯⋯。いつ決まったの? それ⋯⋯」


「いつって、ねえ、クレア」


 女子二人は、目を見合わせていた。


「ソーイチさん昨日、ご飯ご馳走してくれるって、言ってくれた」


 一ノ瀬さんは不敵な笑みを浮かべ、僕の方を見て言った。


 彼女のその顔は、彼女と闘った時にみせた妖艶な笑みにも似ていた。


「イチノセ⋯⋯あ、ゴメン⋯⋯。クレアさんには言ったけど、グラシューには⋯⋯」


 僕はたどたどしく言うと、女子二人は再び目を合わせた。


「えーっ、聞いたクレア、今の」


「うん、聞いた」


「アタシにはおごらないんだってさ。ひっでぇー男だよね〜。いつもお世話になってる師匠への感謝もカケラもないんだよ、コイツ」


 白々しい目で、グラシューは僕の方を見てきた。


「な、なんでそうなるのさ⋯⋯。関係なくない?」


「っていうか、こういう時くらい、俺が全部出すよとか言えないもんかね? どう思う? こういう男」


 グラシューに問われた一ノ瀬さんは、僕の方をじっと見てきた。


「うーん⋯⋯。ちょっと残念かな」


「!?」


 一ノ瀬さんは変わらず、妖艶な笑みを見せ、僕に言ってきた。


 その一言は、僕の心の奥底を突き刺してくる。


「そっかぁー。クレアは男らしくて、頼り甲斐のある人が好きなんだねー」


 グラシューは一ノ瀬さんの方を見て、皮肉混じりに言い放った。


--くそ、グラシューのヤツ⋯⋯、俺の気持ちを利用して、高級ランチをタダで済まそうとしやがって⋯⋯。


 実に女は恐ろしい。


 心の折れた僕は、悄然として口を開く。


「わ、わかりました。今日のみなさんのランチ代は、俺が出します⋯⋯」


「イェーイ! そうこなくっちゃ!」


「ソーイチさん、かっこいい!」


 女子二人は笑顔でハイタッチを交わし、僕はひたすら苦笑いするしかなかった。


--はあ⋯⋯。明日から、しばらく自炊しなきゃ。



 ヌヴォレから出掛ける間際、グラシューが席を外していた時であった。


『あの、月村くん』


 真剣な表情をした一ノ瀬さんが、僕を日本語で呼んだ。


『どうしたの?』


『グラシューのノリに合わせちゃったけど、さっきのランチの話、無理しなくていいからね。出すから、私も』


 上目遣いで申し訳なさそうに言う彼女の顔を見て、僕の体温は上昇した。


『いや、いいって。そもそも一ノ瀬さんには、ご馳走するつもりだったし。グラシューには⋯⋯まあ、いつも何だかんだで払わされてるし』


『そうなの? ええっ⋯⋯何か可哀想⋯⋯』


 一ノ瀬さんは、潤んだような瞳で見つめてくる。


 やめてほしい。


 そんな目で見られたら、自分自身を抑えられなくなる。


『き、気にしないでって。俺、それなりに余裕あるから』


 僕は、滅多に見せない見栄を張った。


 堂々とした表情を見せているつもりでいるが、浮き足立つ裏の心を見抜かれていないだろうか。


『⋯⋯ありがとう。月村くん、本当に優しいよね。じゃあ今度、私におごらせてね』


 一ノ瀬さんは、(ねんご)ろな笑顔を見せて言った。


 そんな圧倒的な気遣いを秘める彼女の発言に、僕はコクリと頷くことしかできなかった。


 やばい。


 天使すぎる。


 グラシューの言う通り、彼女は僕なんかにはもったいない。


 これから、一ノ瀬さんを口説き落とそうにも、彼女は僕にとって、高嶺の花という表現すら生温い。


 彼女は、途方も無く遠い所にいるような気がする。


 自分のものにすることなど、何億光年先のことか。


 彼女の笑顔を見ていると、気持ちが高揚するのは間違いないが、彼女との差を感じ、情けない気持ちも込み上げてきた。


『⋯⋯ら君?』


 何か声が耳に入ってくるが、よく聞こえない。


 背中が、ひたすら熱い。


『⋯⋯きむら君?』


 夢なら、覚めなきゃいいのに。


 どうか現実であってほしい。


『おーい、月村くーん?』


『!?』


 僕は澄み切った声に、反応した。


 気づけば、一ノ瀬さんが掌を開き、僕の目の前で縦に振っていた。


『大丈夫?』


 彼女は心配そうな表情で、僕を見ていた。


『あ、ああ⋯⋯うん』


『ホントに? 何か、目の焦点が合ってない感じだったけど⋯⋯』


『え⋯⋯そうなの?』


 いったい、僕はどんな顔をしていたのだろう。


 ダメだ。


 完全に、僕は自分を見失っている。


『もしかして、疲れてる? 昨日も仕事終わりに来てもらったみたいだし、無理してるんじゃ⋯⋯』


 小柄な一ノ瀬さんは、相変わらず上目遣いで僕を覗き込むように見つめ、声をかけてきた。


『ううん、大丈夫だから。ホントに』


 僕は気丈に振る舞った。


『ええっ⋯⋯でも、何か心配⋯⋯。昨日もボーっとしてる瞬間があったし、変な病気とかじゃないといいけど』


--敢えて言うなら、恋の病には冒されているかもしれないね。感染源はもちろん一ノ瀬さん、君だよ。


 ⋯⋯⋯⋯⋯⋯


 ⋯⋯⋯⋯


 ⋯⋯


--うわ、ダッセぇ⋯⋯。


 決して口には出さなかったものの、一瞬でもそんな台詞を頭に思い浮かべ、僕は激しく後悔した。


 僕は今、涙が出そうなくらいの羞恥心に襲われている。


「ごめーん! お待たせーっ!」


 甲高く威勢の良い声が、耳に入ってきた。


「ううん! 大丈夫だよ」


 戻ってきたグラシューに、一ノ瀬さんは明るく返事をしていた。


 何気ない一言だが、僕にとっては特別輝いたものに見える。


 相変わらず、彼女の一挙手一投足が、目の離せないものになっている。


「じゃ、行こっか!」


「うんっ!」


 すっかり打ち解けたグラシューと一ノ瀬さんが、ヌヴォレの出入口に向かって歩き出していた。


 二人の背中が並んでいるのを見ると、何だか不思議な感じがして、思わず見入ってしまう自分がいた。


「あれ? おーい、バカ弟子ーっ! 何してんだー?」


「ソーイチさんっ、早くーっ!」


 二人は振り向くと、動かなくなっていた僕に声をかけていた。


「あ、ああ! ゴメン、今行くよ!」


 病に冒されていた僕の足は、重い一歩を踏み出していた。

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