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九話 邪神の仮面を被りつつ

アルサヒネ歴 八六六年五月一三日

月村蒼一は異世界で再会を果たす⑨


 僕は控え室を出ると、コロシアムの中心に立つ一ノ瀬さんの姿を確認した。彼女は腕を組み、僕の到着を今か今かと待ち構えているように見えた。


 僕は怯まず、一歩一歩力強く地面を踏みしめ、彼女の立つ場所へ歩みを進めた。


 やることはやった。


 彼女を呪縛から解き放つ為に、この一ヶ月、ひたすら準備を重ねてきた。


 そして何より、先程のハプスさんとの闘いを見たおかげで、一ノ瀬さんの見えざる部分を知ることができ、僕は闘い易くなった。


 一ノ瀬さんのスタイルは魔術師タイプで、常に距離を置いて戦うのが基本。その距離を保つ為のスピードが、彼女は異様なほど優れている。まともに追いかけて捉えられるものではない。そして、中途半端に距離を詰めようものなら、彼女の振るう強烈な鞭の餌食となる。待ち受けてカウンターを狙うのが、妥当な作戦と言えるだろう。


 とはいえ、待ち受けると言っても、彼女の攻撃は遠隔射撃が中心。彼女自身が直接近付いてくるわけではないので、カウンター狙いなど以ての外。待ち受けているだけでは、ただひたすら的になるだけで、結局手詰まりに思える。


 しかし、一ノ瀬さんから魔術師タイプとして、決定的な弱点が窺えた。


 それは、ハプスさんが『怒らせて本気を出させた』という点にヒントがある。


 などと考えていると、僕はいつの間にやらコロシアムの中心まで到達しており、一ノ瀬さんの目の前に立っていた。


「!?」


 僕は一ノ瀬さんの顔を見て、驚愕した。


 彼女は顎を強く引き、まるで人の顔とは思えないくらいの鋭い目付きで、僕のことを睨んでいた。


 修羅の如く、


 鬼神の如く、


 般若の面を被るかの如く。


 それらの表現すら生温く思えるくらい、彼女の表情は常軌を逸していた。


 一ノ瀬さんは僕の顔を確認すると、彼女はまた表情を変えた。今度は顎を思いきりあげてニタリと笑い、こちらが吐き気を覚えるくらい不気味な笑顔を見せた。


「もうぅ⋯⋯遅かったじゃない。ビビって逃げたのかと思った」


 彼女の妙に優しい口調が、さらにその(おぞ)ましさを増幅させた。


 最早、同じ人間ではない。


 完全に悪魔に取り憑かれ、一ノ瀬紅彩という人間の魂は、この世に消え去ったかのように思えて仕方なかった。


「まあ⋯⋯逃げても地の果てだろうが、追っかけてくけど」


 目の前の悪魔はそう言うと、僕のすぐ側まで近付いて来て、僕の顔を覗き込むように見上げてきた。


「ねえ? 私だけの月村くん⋯⋯」


 僕は込み上げてくる気味の悪さを耐え、彼女の脅しとも取れる睨みを堂々と受け止めた。


 そして彼女の顔を凝視し、無表情を崩さなかった。


「俺は君のモノになった覚えはないけど」


 僕はサラりと言い放った。


 それを聞いた彼女は笑うのをやめ、再び眼光を鋭くさせた。


「⋯⋯ケンカ売ってんの? そんなに死にたい?」


 脅しをかける彼女を他所に、僕は右手を短剣の収まる鞘へと近付けた。


「君さあ⋯⋯そんなに俺に近付いていいの? 俺は⋯⋯」


 次の瞬間、僕は鞘から剣を抜き、一ノ瀬さんの上半身を横殴りに斬りかかった。


 それを察知した彼女はすぐさま反応し、後方へ素早く飛び上がった。


「つっ⋯⋯!」


 数メートル先で着地した一ノ瀬さんは、軽く顔をしかめ、右の腹部を手で押さえていた。


 その押さえた部分から、血が滲み出ているのが見えた。


「俺は短剣使いなんだけど。さっきみたいな間合いだったら、やりたい放題だよ?」


 淡々と喋る僕の方を、一ノ瀬さんは再び睨み付けた。


「この卑怯者っ! 試合はまだ始まってないでしょ⋯⋯!?」


「そうだね。君の言う通り、俺は邪神の使い。目的の為ならどんな手段も選ばない卑怯者。そんな外道の俺にとって、ルールなんて関係ないんだ」


「はあっ⋯⋯!?」


 僕が一ノ瀬さんに奇襲を仕掛けると、会場からブーイングの嵐が起こった。それはとりわけ、フィレス側の観客席から発生していた。


『ざけんなこのガキ!』


『試合はまだ始まってねえだろうが!』


 品のない罵声が、僕に浴びせられた。


『キャリダット大将ソーイチ、指導による減点!』


 審判席からも、激しく声をかけられた。


 だが、僕にとっては何の関係もない。


 この試合の勝ち負けなど、どうでもいい。


 僕のやることはどんな形であれ、一ノ瀬さんの心に縛り付けられている重荷を取り除くことだ。


「開き直りやがって⋯⋯! もう許せないっ!」


 一ノ瀬さんがそう言った瞬間、試合開始の鐘が鳴った。


 彼女は右手を腹部から離して身構え、臨戦態勢を整えた。


「開き直る? 言っている意味がわからないな。じゃあ何か? 君は俺のこと、本当は良い奴だと思ってたってことかい?」


「!?」


 僕の放つ台詞に、一ノ瀬さんは口を結んだ。


「そろそろ、君も気付いてるんじゃないのか?」


「やめてよ⋯⋯」


「君の主人であるアルディンさんは」


「黙れ⋯⋯!」


「俺が邪神の使いなどと、出鱈目を吹き込んで」


「うるさい⋯⋯!」


「君のことをいいように」


「黙れって言ってるのが⋯⋯!」


「洗脳しているということ」


「聞こえねえのかああああぁぁっ!」


 一ノ瀬さんの発狂した叫び声が、空高く響き渡っていた。

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