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五話 背中の感触と共に

アルサヒネ歴 八六六年四月二六日

月村蒼一は異世界で再会を果たす⑤


 僕はハプス派のアジトを出た。


 もう誰も助けてはくれないという絶望感を会得しつつも、乗り越えなければならない試練だと思うと、自然と足は前へ前へと踏み出していた。


 振り返ってはならない。


 ここに、僕に帰る場所は無い。


 精霊の使いとして、人間を超越する存在としての自覚を持って、新たな一歩を踏み出さねばならない。


 決意を胸に秘め、また一歩前に足を踏み出したその時であった。


「ソーイチ!」


 背後から、僕を呼び止める声がした。


 甲高く、聞き心地の良い声。


 振り返らずとも、誰だか分かる。


 僕は一瞬、足を止めたが、すぐに前へと足を運んだ。


 彼女を巻き込むわけにはいかないし、甘えるわけにもいかない。


「あ⋯⋯ちょっと⋯⋯待ってってば!」


 グラシューは変わらず僕を呼び止めているが、僕はひたすら無視を決め込み、歩く速度を上げた。


「もうっ⋯⋯! めんどくさいなあっ!」


「!?」


 次の瞬間、僕は背中に柔らかな感触を覚えた。


 腹回りには、透き通るような白い肌に加え、魔人族特有の幾ばくかの黒い筋を有した腕が絡まり、僕の歩みを止めた。


 こうして彼女に抱き締められるのは、何度目だろうか。


 ただ、今回の感触は一味違う。


 こうやって彼女が抱き締めてくる時、決まって彼女の身は、硬い防具で固められていた。


 今日、彼女はプライベートの日だったのだろうか。薄着のまま、僕の背中に身を寄せてきていたと思われる。


 その分、背中から得る胸の感触が、強く伝わってくる。


「!?」


 グラシューは、腕をさらに強く締め付けてきた。


 僕の冷め切った脳内は、さらに刺激される。


「⋯⋯放っといてくれって、言わなかったっけ?」


 それでも僕は目を瞑り、平静を保ったまま、淡々と喋った。


「放っとけないし⋯⋯! アンタみたいなバカ」


 グラシューが叫んだ後、しばらく僕らは沈黙した。


「⋯⋯それは失礼しました、師匠」


 僕はそろりと言ったが、彼女から返事はなかった。


 その後、僕は何も言われず、ひたすら背後から抱きしめられていた。


 背中に当たる柔らかな感触が、いちいち突き刺さって気になっていた。


「あの、師匠。胸が当たってますけど⋯⋯」


 僕は思わず声に出してしまった。


「⋯⋯ヘンタイ」


 僕は人差し指で、軽く頭を掻いた。


「いや、だって⋯⋯そっちが抱きついてきたんじゃないか」


「⋯⋯うるさい」


 グラシューは小声で言うと、また黙り込んだ。


 どうにも埒が開かないこの状況を、僕は何とか打破しようと、口を開く。


「俺、もう行かなきゃ。そろそろ放してくれないかな?」


「⋯⋯やだ」


 だだっこの如く要求を拒む彼女に対し、僕は溜息に似た鼻息を、強く吹き出すしかなかった。


「じゃあ、どうすれば放してくれる?」


「アタシにこれ以上心配かけないって、約束してくれたら」


「心配って言われても⋯⋯」


「ねえ、アンタが殺されかけたクレアって女の子、そんなに強いの?」


「!?」


 僕は息を飲んだ。


「⋯⋯ハプスさんから聞いたの?」


「誰だっていいじゃん」


 グラシューが相変わらず小さな声で言うと、僕らはまたしばらく黙り込んだ。


「⋯⋯その人も俺と同じ、精霊の使いなんだ。強さで言えば、この世の人間では到底追いつけないレベル」


「ふーん⋯⋯」


 しきりに、妙な間が僕らを襲う。


「だから⋯⋯俺じゃなきゃどうにもならないんだよ。これはもう、精霊の使いとしての問題なんだ。ハプスさんや君に、余計な心配をかけたくないんだ」


「だから、心配かけてんだって」


「あ⋯⋯」


 グラシューのもっともな突っ込みに、僕は閉口した。


「えっと⋯⋯」


「アタシは別に『精霊の使い』の仕事に首を突っ込む気なんざ、サラサラないし。でも『人』として悩んでるソーイチを、元気付けることくらいは出来る」


「⋯⋯うん」


「一人で抱えてないで、何でも言ってよ。ウチら、ずっと一緒に戦ってきた仲間じゃん」


「⋯⋯そうだよね」


 グラシューに諭させられると、僕の気持ちは何となくだが、晴れ始めた。


「ごめん⋯⋯、俺、何か変なこだわりを持ってたみたい。ハプス派の仲間達には関係の無い話だから、俺は精霊の使いだから、絶対に迷惑をかけちゃダメだって」


「関係ないよ。精霊の使いだろうが何だろうが、ソーイチはソーイチだから」


「⋯⋯ありがとう。でも、本当に心配しないで。俺、今の特訓をやりきれば、いちの⋯⋯いや、そのクレアって人に、必ず勝てる自信があるから」


「ふーん⋯⋯」


「いや、勝つんじゃなかったな。その人を、救ってあげなきゃいけないんだ」


「何それ? どういうこと?」


「その人はフィレスの精霊に、俺を邪神の使いだなんて吹き込まれて、俺を殺そうと洗脳されてるんだ」


「はあ⋯⋯」


 グラシューの呆れたような声が聞こえてくるが、僕の口調は激しくなる一方で、熱気がこもり始める。


「彼女は、元から抱く俺への思いと、植えつけられた俺を殺したいという思いの板挟みにあって、苦しんでる。だから、俺は彼女を救わなければならないんだ。彼女の気持ちに答えてあげる必要があるんだ」


「⋯⋯何かよくわかんねけど、クレアって人、ソーイチの恋人なの?」


「え!?」


 グラシューに問い掛けられ、僕は我に返った。


「前の世界の知り合いだって聞いてたけどさぁ⋯⋯。何かそれ聞くと、すごく大事な人って感じ」


 要らぬことを口走ってしまった。


 しかし、これはこの状況を打破するチャンスかもしれない。


「えっと⋯⋯もし、そうだとしたら?」


 僕は、意味を膨らませた一言を放った。


「⋯⋯別に。何も」


 グラシューは、少し間を置いて答えた。


「じゃあ、勘違いされるとアレだから、放してもらってもいい?」


 僕があっさりとした口調で言うと、しばらく静寂が訪れた。


 深々と吹きすさぶ風の音だけが、僕の鼓膜を刺激する。


「もしかしてアタシ⋯⋯、やんわりとフラれてる?」


 グラシューの静かに喋る言葉が聞こえると、僕は少し息を飲んで考えた。


「そうかもしれないね」


 僕は、明白な口調で答えた。


「⋯⋯サイテーだな、お前」


 グラシューの冷めきった声が耳に入ると、背中の柔らかい感覚が消え、締め付けられた腹回りが解放された。


 僕はすぐに後ろを向き、グラシューの表情を確認すると、口角を上げた。


「冗談だって。その人とは顔見知りなだけで、前の世界では喋ったこともないから」


「ふーーーーん⋯⋯」


「ははっ、怒らないでよ」


「怒ってねーし!」


 彼女は僕を睨み付けていた。


「そうそう、その顔だよ。俺が見たかったグラシューの顔」


「はあ!?」


「やっぱり、しんみりとした感じは、君には似合わないよ。そうやって元気よく怒ってる方が、君らしくていい。そんなグラシューの顔を、俺は求めてたんだ」


「ふざけんなっ⋯⋯! こんな時におちょくりやがって⋯⋯! どれだけアンタのこと心配したと思ってんだよっ!」


 グラシューは顔を膨らませつつも、目の色は赤く、潤み始めていた。


「グラシュー、ありがとう。お蔭で元気でてきたし、忘れてた大事なことも思い出した気がするよ」


「人の話、聞けって!」


「友好闘技会が終わったら、また一緒に仕事に行こう。それまで、もう少し待っててくれるかな?」


 僕はグラシューの両肩を軽く叩き、軽快に声を発した。


「もう⋯⋯何だよ、それ⋯⋯」


 力無く言う彼女の右目から、一筋の光るものが流れた。


 そして、僕はそれが地面に落ちるのを見届けた。


「じゃあ、またね!」


 僕はそう言い残して後ろを向くと、駆け出してその場を去った。

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