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外伝一話 罪深い人たち

グレゴリオ暦 二〇XX年七月三日

一ノ瀬紅彩は異世界に飛ばされる①


 ホームルームが終わり、教室の中に張り詰めていた空気がとぎほぐされた。


 私は鞄を肩にかけ、いつも一緒に帰っている友達に声をかけに行くことにした。


「!?」


 すると突然、私の肩に硬い何かがぶつかった。


 横を向くと、同じクラスの月村蒼一君がいた。


「あ! ゴメンね、大丈夫!?」


「えっ⋯⋯あっ⋯⋯」


 急な出来事に、私は慌てふためくような声を出すことしか出来なかった。


 また、私の体温が急に上がりだし、顔の周りが火照るように熱くなるのがわかった。


「おい蒼一! 早く行くぞ!」


 遠くから聞こえる品の無い男子の声に、彼はすぐさま反応し、向こうを見た。


 月村君は急いで部活に行く最中で、周りを気にする余裕がなく、気づかぬ内に私の肩にぶつかってしまったようだ。


「悪ぃ! 今いくから!」


 彼は大声でそう言ったかと思うと、私の方を見て、申し訳なさそうな顔をして両手を合わせた。


 その後、彼は慌てて廊下へと駆け出して行った。


 しばらくの間、ボーッと立ち尽くすことしか出来なかった。


 知らず知らずの内に、私は月村君の後を追うように教室を出て、彼が遠ざかって行くのをじっと見つめていた。


 彼とは一年生の時から同じクラスだが、他の人とは何か違うオーラを感じている。


 いや、そう感じているのは私だけではないはずだ。


 彼は成績優秀だし、運動神経も抜群。


 顔立ちも整っているし、背もスラリと伸びた細マッチョな体型。


 さらっと伸びた柔らかな黒髪と、丁寧に刈り上げられた耳元のツーブロックは、彼の清潔感を漂わせる。


 所謂、イケメンの月村君。


 そんな出来過ぎた存在を、多くの女子が放っておくはずが無い。


 それでも、彼には女っ気がないというか、何か地味な印象が拭えない。


 その原因はきっと、彼の交友関係にある。


 彼は所謂、オタクっぽい男子たちと一緒にいる場面をよく目にする。


 その秀でた部分を隠すかのように、女にはまるで興味などないと示すかのように、彼はそっちの世界へと歩を進めている。


 色恋沙汰に積極的でノリの良い女子から嫌煙されるのも、無理はない。


 だから、私のような消極的で地味な女子に目を付けられる。


 もちろん、私のような部類の女子は、奥手で気になっている男子に話しかけるなど、雲を掴むような話。寧ろ、気になる異性の話など、友達同士でも(はばか)られる。


 いや、違う。


 何が違うかって⋯⋯。


 そう、そんな一般論的なことで済まされる問題ではないのだ。


 彼は頭が良くて、運動神経抜群で、顔も良いけど、ちょっとオタクっぽい⋯⋯、それが私の瞳に彼を焼き付ける理由にはなり得ないということ。


 彼を気になる存在として扱う特別な理由が、私にはある。


紅彩(くれあ)ちゃん」


 月村君のことで脳内を冒されていた私の耳に、女子の声が突如として入ってきた。


 私は咄嗟にそれに反応し、現実に帰った。


「どうしたの? 大丈夫?」


 声のした方向を振り向くと、いつも一緒に帰っている友達の由利香(ゆりか)がいた。


 彼女の真っすぐ綺麗に整えられたセミロングの黒髪は、いつも変わらず印象的だった。


 そして、少しぽっちゃりとした体形と、大きく見開かれた二重の垂れ目は、彼女のほんわかとした雰囲気を強調していた。


「あ⋯⋯ううん。何でもないよ」


 何でもないことはわかっていても、私は何とか平静を保ち、由利香に答えた。


「そう、なら良かった。えっと⋯⋯ゴメンね。今日は一緒に帰れないかも。」


 由利香は申し訳なさそうに、私に向かって言った。


「あら、そうなの? 今日、何かあるの?」


「生徒会のことで呼ばれてて、けっこう時間がかかるみたい。待っててもらうのも悪いから、今日は先に帰っててもいいよ」


 真面目で大人しい由利香にはお似合いの『生徒会』というフレーズ。


 私は直感的に思ったが、周りから見た私は、きっと同じようなイメージを持たれているはず。


 全く人の事を言える立場ではない。


「そうなんだ。じゃあ、今日は一人で帰ろうかな」


 私は微笑みながら口にした。


 今日は由利香がいない方が好都合かもしれない。


 火照ってしまった私の気持ちを満足させるには『あの方法』しかないと思ったからだ。


「ゴメンね。あと、その集まりが始まるまで、ちょっと時間があって⋯⋯あの⋯⋯良かったら⋯⋯」


 由利香は私から視線を逸らし、モジモジしながら言った。


「あ、うん、いいよ。それまで一緒にいようよ。私もヒマだから」


 私はにっこりと笑い、由利香に答えた。


 すると、由利香の申し訳なさそうに眉を(ひそ)めていた顔が緩み始めた。


「本当に? ありがとう。いつもワガママ言ってゴメンね」


 相変わらずほんわかとした感じで、由利香は私に感謝の気持ちを表現した。


 もう一年以上の付き合いになるのに、由利香から他人行儀な振る舞いが一向に減らない。私に対しては遠慮せずに、頼み事でも何でもしてくれればいいのにと思うのだが。


 私と由利香は教室に戻り、由利香の『お呼ばれ』が始まるまで、時間をつぶすことにした。



 早くも、教室の中に残っている生徒は残り少なくなっていた。


 由利香は自席につき、私は空いている隣の席に座った。


「あれ!? この席って⋯⋯!」


 私は思わず声をあげた。


 たしか由利香の左隣の席に座っているのは⋯⋯。


<月村蒼一>


 私は座っている椅子の後ろに書かれている名前を確認すると、また体が熱くなった。


「どうしたの?」


 由利香は不思議そうな目で、私を見つめながら言った。


「え? ああ⋯⋯何でもないよっ!」


 何でもないことはないが、やはりそれを感じさせないよう、私は由利香に向かって答えた。



 由利香とはたわいもない話で盛り上がった。昨日観たテレビの話。お気に入りのマンガのキャラクターの話。


 そんな毒にも薬にもならない話題を繰り返し、二〇分程の時間を過ごした。


 話が途切れると、若干の静寂が訪れた。


 私も積極的に話をするのは得意ではないし、由利香に至ってはさらに上を行く。私が話を振らないと、こういった場面は都度都度やってくる。


 とはいえ、これが別に嫌というわけではない。


 私は話好きというわけでもないし、寧ろずっと話を続ける方が疲れる。こういった場面でも耐えられる付き合いができる由利香だからこそ、彼女とは馬が合うのかもしれない。


 その静寂の間、私は今腰掛けている椅子に、再び心を持っていかれた。


 月村君の温もりをお尻を通じて感じていると思うと、体全体が熱くなる。偶然にぶつかってきた後、私と近くで顔を合わせた時の月村君の顔が頭から離れない。しつこく私の心に絡みつく彼の罪は、あまりにも重い。


「ねえ、ユリちゃん」


 私は知らずと口を開いた。


「ん? なあに?」


 そう答える由利香の口調は、あまりにも純粋すぎる。何の悩みも無さそうな彼女もまた、罪深く思える。


「好きな人の事とか⋯⋯考えたことある?」


 私は無心で言葉を発していた。


「えっ? すきなひと?」


 由利香が驚くように声を出した次の瞬間、また静寂が訪れた。彼女は必死に考え込むような素振りを見せている。


「うーん、私にはよくわからないかな。マンガの世界とかなら、このキャラは素敵だな、あこがれるなぁ、とか思うことはあるけど。実際の男の人を好きになるとか、そういう感覚は、私にはちょっと⋯⋯」


「うんうん」


 一生懸命喋る由利香に対し、私はそれとなく相槌を打った。


「でも、好きな人の話をしてる女のコを見てると、大人だなって思うよね。そういう感覚がわからない私は、やっぱりまだ子供なのかなって」


「そっかぁ」


「紅彩ちゃんには好きな人がいるの?」


「えっ!?」


 それを聞いた私はようやく我に帰った。


 由利香はこの学校の中では最も気の知れた仲だが、恋愛の話は全くしたことがない。


 由利香に対してだけではない。


 今まで『恋バナ』などと呼ばれる類の話題を、一度も口にしたことが無い。


 私は無意識の内に、固く閉ざされた重い扉をこじ開けてしまっていたようだ。異様な羞恥心が心の底から込み上げてきた。頭の中が沸騰するように熱くなり、背中から変な汗が吹き出てくるのが感じられた。


「紅彩ちゃんに好きな人ができたら、私、一生懸命応援するよ。かっこいいよね、そういうの」


 待ってましたと言わんばかりに、由利香は生き生きと声を発した。


 大人しくて真面目で男女関係とは無縁な女子かと思いきや、色恋沙汰には目がないのか。この子の心中は全く底が知れない。


「ち、違うから! わ、私もユリちゃんと同じで⋯⋯、好きになるって感覚が全然わからなくて⋯⋯! 人を好きになるって、いったいどういう気持ちになるんだろうって、疑問に思っただけで⋯⋯その⋯⋯」


 私は何を口にしているのだろう。自分でも言っていることがサッパリ分からない。


「そうだよね。どういう気持ちになるんだろうね。私はちょっとこわいかも」


 焦る私を尻目に、由利香は至って冷静だった。冷静というよりも、何にもわかってない感じがする。


 しかし、何を私は隠しているのだろう。


 今、由利香以上に気の知れた友達はいない。彼女に相談出来ねば、誰にするというのか。


 月村君のことが気になっている。


 ただそれだけのことを口に出すことも出来ない。


 気になっている異性がいるということが知れるだけで、羞恥心が暴れ出す。


 ちっぽけで情けない自分の心を、本当に嘆きたくなる。


「あ、私、そろそろいかないと⋯⋯」


 由利香は壁に掛かった時計を見上げると、ゆっくりと腰を上げた。


「ありがとうね。わざわざ付き合ってくれて」


 屈託の無い笑顔で、由利香は私の方を見てそう言った。


「いや、いいのよ。私も暇だったし⋯⋯。それじゃあ、がんばってね」


「うん。それじゃあ、また明日ね」


 私と由利香は鞄を手に取った。私はお尻に残る感覚を名残惜しみながら、由利香と一緒に廊下へと歩いていった。

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