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七話 労せずに得た好機

アルサヒネ歴 八六六年五月二七日

月村蒼一は異世界で恋に落ちる⑦

 僕らは再び、シンセーロに戻ってきた。


 日が暮れ始め、満月も薄っすらと視界の上空に入るようになっていた。


 僕ら四人はシンセーロを見渡せる小高い山を登り、ワンスインナムーンを満喫できるスポットを目指した。


「やっぱり、けっこう人来てるね〜」


「だな。天気も良いし、今の季節、過ごしやすい気温だしな」


 僕らの訪れた高台には、それなりに多くの人が集まっていて、若干、歩き辛さを感じた。


 観光スポットでもあるシンセーロは、特に満月の夜は人が集まる。また、バリーの言う通り、天気も良く、今みたいな過ごしやすい季節だと、尚更である。


「あ! あそこ空いてる!」


 グラシューがとあるスペースを目指し、小走りを始めた。


 僕も彼女を追いかけるようにそこへ辿り着くと、広大なシンセーロの水面が眼前に映し出された。


「すごい。いい感じの場所だね」


 僕は見慣れた光景ながらも、相変わらず神秘的で美しい姿を晒すシンセーロに目を奪われつつ、声を漏らした。


「いやー、間に合ってよかったな。もう少し遅かったら、見られる場所が無かったかもしれねーわ」


「だねー! めっちゃタイミングいいし! 何か今日のウチら、持ってんじゃない!?」


「ははっ、かもなー」


 グラシューとバリーが何気なく会話を交わしていたが、バリーが都度、僕の方を注視している様子が窺えた。


「さてと、場所も取れたことだし、飯でも調達してくっかな! グラシュー、その辺の出店で何か買ってこようぜ」


「え? あ、ちょっと⋯⋯!」


 バリーは、グラシューの手を取った。


「じゃあ、二人はその場所、キープしといとくれや!」


「え!? ちょっと待ってよ! おい、バリー!」


 バリーは僕の制止を聞かず、グラシューを強引に引っ張るように歩き出した。


 バリーは少し遠ざかったところで振り向くと、僕に何やら不敵な笑みを見せていた。


 僕と一ノ瀬さんは、澄み切った湖が見渡せる絶景の前に、取り残されてしまった。



 巧まずして手に入れた状況に直面し、歓喜すべきはずの僕は、徐々に小さくなっていくバリーとグラシューの背中を、何故か恨めしく見ていた。


「何だか悪いね。ご飯、買ってきてくれるなんて」


「!?」


 出し抜けに聞こえた優美な声に向かい、僕は首は即座に動いていた。


 目線の先には、少し困ったような顔をした一ノ瀬さんがいた。


「そ、そうだね」


 僕の声は意図せずに震えていた。


『あ、っていうか⋯⋯』


 一ノ瀬さんは、片手で口元を覆った。


『月村くんと二人だから、別に日本語でも大丈夫なんだよね』


 彼女は口元から手を離すと、軽く舌を出し、おちゃらけた表情を見せた。


 そんな顔も持っているのか。


 また新たな彼女の一面を知った僕は、一段と心臓の鼓動が激しくなる。


『やっぱり、アルサヒネ語って、慣れないよね。コミュニケーション取れないと何も始まらないと思って、必死に覚えたけど、きっとネイティヴの人からすれば、変な訛りがあるって思ってるんだろうなぁ』


『そう⋯⋯かもしれないね』


 やたらと緊張する。


 僕の発する言葉の一つ一つに、キレがない。


『月村くんは、どうやって言葉を覚えたの? 私は、アルディン様に叩き込まれた感じだけど』


『あ⋯⋯えっと、そうだね⋯⋯、始めは本とかを見て文法を叩き込んで⋯⋯。後は住込みで働いてたところの人たちと話してるうちに、覚えていった感じかな』


 僕が答えると、一ノ瀬さんは目を大きく張り、視線を向けてきた。


『へえ、それって独学ってことだよね? すごいな。サフィローネ様から、教えてもらったんじゃないんだ』


『うん⋯⋯。あの人は基本、放置プレイだったから』


『そうなんだ。さすが月村くん。アルディン様がいないと何も出来なかった私とは、大違い』


『いや、そんな大したことじゃ⋯⋯』


『やっぱり、この世界でも優等生なんだね』


『え⋯⋯?』


 僕はそれを言われ、改めて実感した。


 この人は紛れもなく、前の世界でクラスメイトだった一ノ瀬 紅彩なんだと。


『月村くんとお話できるなんて、夢にも思わなかったからなぁ⋯⋯』


『そ、そうなの⋯⋯?』


 こっちの台詞である。


 今こうして、これだけの美少女と二人きりで話しているなんて。


 キモオタ野郎の僕にとって、奇跡のような状況である。


『あ、いや⋯⋯何て言うか、一般的な話だよ。月村くんって、勉強も出来てスポーツ万能で、クラスっていうか、学年でも目立ってたじゃない。だから、誰でも憧れるっていうかさ』


 一ノ瀬さんは、僕との距離はまだ離れていることを補足するよう、歯切れの悪い言葉を紡いでいた。


『そんなことないと思うけど⋯⋯』


 僕は頭を掻きながら言った。


『またまたー、出来る人に限ってそういうこと言うんだよね。意地悪だなあ』


『え⋯⋯!?』


 少し膨れたような顔をする一ノ瀬さんを見て、僕は慌てた。


『じゃあさ、この世界に来る前日だったかな。私にぶつかってきたの、覚えてる?』


『ぶつかってきた⋯⋯? 俺が一ノ瀬さんに?』


『うん。それで月村くん、すごく申し訳なさそうな顔で謝ってた』


 まずい。


 全く思い出せない。


『ほらー、やっぱり記憶の片隅にもない感じ。出来る人にとっては、ものすごく些細なことだったってわけでしょ? 地味で目立たない、スクールカースト下位の私にとっては、衝撃的な事件だったけど』


『な、何か⋯⋯ゴメン』


『ふふっ。だから、月村くんは誰もが憧れるすごい人なのよ。ちょっとは自覚してよね。そんな風に謙遜されると、私、むなしくなっちゃうから』


『は、はい⋯⋯わかりました、気をつけます』


 彼女の言わんとすることがよく分からないが、僕はとりあえず謝っておいた。


『あっ! もしかしてこれが⋯⋯!』


 一ノ瀬さんは湖の方を振り向き、その水面を注視していた。



 辺りはすっかり暗くなっていたが、上空に現れた大きな満月が、その闇夜を忘れさせるくらい、輝きを示していた。


 そして、神秘的な美しさを誇る湖、シンセーロの水面は、常闇を照らす満月の姿をありのままに映し出していた。


 上空と水面、二重に照らされる月明かりは、夜の時間を過ごす感覚を奪うに十分なものであった。


 やはり、何度見てもこの光景には、目を奪われる。


『素敵⋯⋯。これが、ワンスインナムーン?』


 一ノ瀬さんは湖の方向を見ながら、声を漏らしていた。彼女も眼前に映し出される圧倒的な景観に、心を奪われている様子が窺えた。


『だね。やっぱり、いつ見てもすごいや』


『そうなんだ。でも、わかる。たぶん、何度見ても飽きないくらい綺麗。まるで、心があの湖に吸い込まれそうな気持ちになる⋯⋯』


 一ノ瀬さんは、水面に映る満月の姿を見つめ、その瞳を離さなかった。


 月明かりに照らされる彼女の横顔もまた、湖に映し出される光景と同等の輝きを放っている。


『ふふっ、今日は来て本当によかった』


 一ノ瀬さんは僕の方を振り向き、満面の笑みを見せた。


『美味しいものも食べられたし、素敵な音楽と景色が楽しめて、こんなに幸せな思いをしたの、初めてかも』


『う、うん⋯⋯』


『ありがとね、月村くん』


 眩しすぎる彼女の笑顔に心を奪われた僕は、逡巡(しゅんじゅん)とした態度を崩せずにいた。


『いや⋯⋯俺も元気になった一ノ瀬さんが見られて、よかったよ』


 僕が絞り出すように言うと、一ノ瀬さんは何も言わずに目を細め、笑顔を見せた。


 彼女は再び、湖の方に目をやった。


 僕も彼女に合わせ、湖の絶景に目線を移した。


 しばらく、僕らは沈黙の時を過ごし、周囲に集まるギャラリーの喋り声だけが、僕の耳を刺激していた。


--口説き落とすなら、最高のシチュエーションなんだろうけど⋯⋯。


 僕は心の中で呟きつつも、一ノ瀬さんの心を奪ってやろうという勇気を奮い立てるには至らなかった。



 その後、僕と一ノ瀬さんはしばらく目の前の絶景に酔いしれた。


 しかし、会話の方は一言、二言でキャッチボールが途切れてしまい、重苦しい雰囲気が続いていた。


--何してんだ俺⋯⋯。バリーがくれたこのチャンス、活かさない手はないってのに⋯⋯!


 バリーが去り際に見せた、あの不敵な笑み。


 彼は僕に気を使い、一ノ瀬さんと二人きりになるチャンスを作ってくれたことは間違いない。


 しかも、ここから出店までの距離を考えれば、買い物から戻ってくるにも大した時間はかからないはず。


 チャンスを作ってくれたことに加え、その時間すら伸ばしてくれている。


 それなのに、僕は一ノ瀬さんとの距離を、ちっとも詰められていない。


 自分のちっぽけな勇気と話術の無さに、まったく嫌気がさしてきた。

 

『⋯⋯遅いね。グラシューとバリー』


 その時、一ノ瀬さんは沈黙を破った。


--う⋯⋯なんか一ノ瀬さん、俺と一緒にいるの、飽きてる感じじゃん⋯⋯。ヤバイ、何とかしないと⋯⋯。


『ホントだね。何してんだろう⋯⋯?』


 僕が思考を失った一言を放つと、一ノ瀬さんは少し強めに息を吹き出した。


--って⋯⋯何言ってんだ、俺⋯⋯。そりゃ溜息の一つもつかれるさ、そりゃ⋯⋯。うう⋯⋯、何でもっと、気の利いたことを言えないのかっ⋯⋯!


 一ノ瀬さんが、つまらなそうにシンセーロを眺める姿が、痛々しかった。


--助けてくれ⋯⋯マジで。


 この世界に来て、二度に渡って彼女から敗北を味わった気がする。


 恋愛力にもチートをつけて欲しかったと、この付近に住んでいると思われる我が主に懇願したいと、今、改めて思った。


「お待たせーっ!」


 心が沈みかけていたところに、グラシューの甲高い声が聞こえてきた。


 僕と一ノ瀬さんは、後ろを振り向いた。


 そこにはグラシューとバリーが立っていて、香ばしい匂いを放つ袋を携えていた。


「あ、帰ってきた!」


 一ノ瀬さんは、意気盛んな声を発した。


「けっこう遅かったね。お店、混んでたの?」


 彼女は続け様に、心配そうな目をして二人へ声をかけた。


「ああ〜、わりぃわりぃ! 混んでるのもあったけど、店のオヤジが肉焼くのチョー遅くてさ!」


 グラシューは照れながら言うが、同時に妙な視線を僕に送っていた。


 また、隣にいるバリーも似たような類のものを、僕に突きつけてきた。


 ⋯⋯で、どうなのよ?


 彼らは僕に対し、無言でそんな尋問しているような気がした。


--すみません、せっかくのチャンスをふいにしました。三者残塁です⋯⋯。


 僕はそのような意図を伝えるよう、目配せした。


「お! 今日はいい感じじゃん!」


 バリーが、湖に映る景色を見て言った。


「ここまでキレイなもんが見られるの、なかなかないぜ!」


「おおー、ホントだ! キレイ! 良かったね、クレア。こんなにハッキリ月が映るの、珍しいかも」


「へえー、そうなんだ。よかったぁ」


 ⋯⋯絶好のコンディションにも関わらず、チャンスを無駄にしやがって。


 グラシューとバリーの言葉には、そうした意味が含まれている気がしてならなかった。


「腹減った! 食おーぜっ! 適当に買ってきちまったけど、クレアに苦手なものがなきゃいいけど」


「あ、ううん。そんな気にしないで。わざわざありがとう」


 ⋯⋯お前がボーっとしてんなら、俺が奪っちまうぜ。


 彼が一ノ瀬さんに放った配慮の一言が、そんな雰囲気を窺わせた。


 いや、そんなわけないと思うのだが⋯⋯。


 どうも神経が過敏になってしまっていて、何でも僕の都合の悪い方に、考えが及んでしまう。


 その後、僕ら四人は、チャンスメイクによって生まれた産物⋯⋯つまり出店で買ってきた食べ物と、優雅に映える神聖な湖の絶景をつまみに、会話に華を咲かせた。

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