婚約決定の日
今日、この国の未来の王妃が決まる。
王太子殿下と伯爵令嬢の婚約が、正式に決定されるのだ。
謁見の間には、王と王妃、宰相、王太子が並び立ち、その前に跪いているのはグラントリ伯爵と、その娘シーラだった。
名だたる婚約者候補から選りすぐられた令嬢。
その姿は体は細く華奢であるのに、腰や胸は豊満で、何とも言えない色香を放ち、肌は抜けるように白く、赤く小さな唇を際立たせていた。ピンクゴールドの豊かな髪から覗く首筋は細く、それに支えられる小さな顔は、妖精に例えられるような儚い美しさを兼ね備えていた。
今は王の御前にあるため伏せられているその顔に浮かぶ表情は、いつも淡く微笑みを浮かべ、髪色と同じ金に縁どられた大きな瞳は優しく細められていた。
「面を上げよ」
王が声をかけると、跪いていた親子は、少し緊張した面持ちで顔を上げる。
「シーラ・グラントリ。そなたをこの王太子の婚約者として……」
「お待ちください」
王が発する言葉を遮るなど、あるまじき暴挙をやってのけたのは、王の隣に立つ王太子であった。
王太子は不機嫌そうに眉を顰め、王に視線を投げた。
「私は彼女と婚約をするつもりはないと言っているでしょう」
そして――驚くべきことを言った。
グラントリ伯爵親子が息を呑む姿に彼は初めてシーラに視線を向け、ふうとため息を吐いた。
とんでもない暴挙に、シーラは瞬きさえすることを忘れたかのように固まっていた。
シーラが婚約者となることは、暗黙の了解で決定事項だった。
公爵、侯爵家の娘は年齢が釣り合わなかったり、すでに嫁いでいたりと条件に合わなかった。
他国から王女をという話もあったが、友好的でない雰囲気が周辺国に漂っており、今の状況でどれか一つの国と縁つながりになるのは得策ではないとされた。
もちろん、貴族の中にはシーラのほかにも令嬢はたくさんいた。
しかし、シーラ以外の候補と言われていた令嬢は、シーラを見た瞬間に感嘆のため息とともに、別の嫁ぎ先を探したのだ。
だから、王太子の結婚相手は、シーラ以外にいないはず。
大臣たちからも最善として推された婚約者候補がシーラだったのだ。
これに否やの唱えられるはずもない。
正式発表こそまだであったが、シーラは、王太子の婚約者としての扱いをほぼ受けていた。
その扱いの中には、優遇されることはもちろんだが、勉学や外交などの仕事も含まれていた。
――それが覆されることなど考えようもないはずだった。
シーラはいつも浮かべている笑顔を消して、王太子を大きく見開いた目で見つめた。
その横で、だらだらと脂汗を書くグラントリ伯爵に、王太子は目を向け声をかける。
「グラントリ伯爵。申し訳ないが、婚約などありえない。娘の結婚相手は他を当たってくれ」
王太子の勝手な言葉に、王は眉を顰める。
「レアン、婚約者が決まったと伝えたはずだろう」
「承諾した覚えはありませんね」
そんな親子の会話に、伯爵は驚いたまま微動だにせず、なんといって口を開いて良いのか分からない様子だった。
そして、王の言葉にさえ、そっけなく答える王太子に、シーラが初めて口を開いた。
「殿下……私は、この三年間、殿下の婚約者になるために学んでまいりました」
王太子を見つめて言うシーラに、王太子は鷹揚に頷いた。
「悪いが、私に最初からそんな気はない」
「最初、から……」
王太子が発した言葉を、シーラが呆然としたように繰り返した。
いつもは小鳥がさえずるような美しい声も、今はショックのためにかすれていた。
王も宰相も、王太子ですらシーラが泣くだろうと思った。この場でさめざめと泣かれる様子を想像して、王太子は煩わし気に首を振った。
「公式の場で涙を流されるのは困る。本題は終わったのだ。謁見の間にいる必要はない」
ただでさえ、泣くなどの感情の高ぶりを高位の令嬢が見せるのは、はしたないとされている中で、公式の場で涙を流すのは、シーラの恥となる。
王太子はせめて、シーラのその立場だけでも守ろうとしたのだろうか。
この場で正式な発表がされると思っていた謁見は、短時間で終わり、シーラたちは隣の控えの間へと移された。