008 魔王様、夢を見る。
伏線まみれの回。
意識がぼんやりとしていて、はっきりとしない。
何処かふよふよと漂う様な心地好さがあった。
「――――」
声が聞こえる。誰の声だったか、それはとても懐かしく感じた。
そう、これは、栗色の髪をツインテールに纏めている、あのきゃんきゃんと喧しい侍女の声だ。
そう理解すると、魔王様の胸に悪戯心が芽生えた。意地悪してやろうとバレないようにほくそ笑み、布団を頭まで被り、違和感を感じた。
「……?」
それは小さな既知感。
この動作は、昨日今日と魔王様の記憶では二回目なのに、何故か、慣れた作業を繰り返すように、半自動的に意識せずとも腕が自然と動いたのだ。
自分はまだ、してやろう、としか思っていないのに体が勝手に、反射的とまで言っても良いほどに動いた。
「起きろぉーーーー! この寝坊助大魔人ぅぅぅーーーー!」
布団が盛大に剥ぎ取られる。侍女は相変わらず喧しくきゃんきゃんと喚いているようだ。
小さな頃からずっと一緒に居たせいか、今ではもう不快に感じなくなり、寧ろ困らせたくなる。そうすれば専属侍女は勢いよく喚くのだから。
(…………?)
小さな頃から?
「うるさいぞ」
口から勝手に言葉が出た。
重い瞼を苦労して開け、眼前で控える侍女に文句を言ってやる。
「キャン、寝させろ。俺はまだ眠い」
だから返せと後ろへ隠されている布団に手を伸ばす。
それは小さな、少年の様な腕だった。
キャンも何故だか幼くなり、はっきり言うとちんちくりんである。長かったツインテールも短なビッグテールである。慎ましやかながらも少しは膨らみのあった胸も、完全なすとーんである。
そこで魔王様はようやく理解した。
これは、夢だ、と。
少年魔王様はふんわり柔らかな寝台の上で、怠そうにのびをする。涙の滲んだ目尻を拭おうとすると、熱い湯を絞ったタオルを渡された。
大人しく受け取り、少年魔王様は顔を拭う。
ほかほかとしていて気持ち良い。
「キャン。朝食はなんだ」
「芋です」
「むぅ。芋か。前のジャイアントコーンはでかすぎて食べ難かったが、今回は大丈夫なのだろうな?」
「今回もジャイアントです」
「おい」
苛立ったように眉を寄せる少年魔王様だが、キャンはやれやれと肩を竦めて溜め息を吐いて見せる。ピクピクと青筋が立った。
「いいですか魔王様? 今魔族は恒久的な人手不足と食料不足に喘いでいるんです。優先的に食料や日用品が回されてるんですから、我が儘はめっですよ?」
可愛らしく「めっ」と指を突き付けるキャン。少年魔王様はあろう事かその指をはむっと口に含んで見せる。驚いたようにビクッと体を震わせた彼女に気を良くしたのか、ぺろりとひと舐めするだけで解放した。
キャンは気持ち悪そうに「うげぇー」と舐められた指を見て、侍女服にすっこくる。
「ははっ! 貴様はキレイ好きであるな。だが案ずるでない、我が唾液は治癒効果があり、更には肌艶を増す効能も秘めている。故に汚くない!」
「生理的に嫌なんです! 全くもう、このクソバカ魔王様は何故こうもポジティブなのやら」
「それはな、世界は俺を中心に回っているからだ」
「……それ、本気で言ってます?」
「冗談に聞こえたか?」
「はい」
「ふっ、分かっているではないか」
普通に冗談だったらしい。
少年魔王様は愉快愉快と子供然とした高笑いをあげる。腕を組んで、無邪気に笑う様は魔族の現状を一時的にでも忘れさせる程で、釣られてキャンもくすりと微笑む。
ユーモアに溢れた少年魔王様の一日は、こうして始まっていた。
***
場面が変わる。いや、正確には場に変化はない、どちらかと言うと、時間だろう。
すぅすぅと穏やかに眠る魔王様。だが、その部屋の空気は暗く、淀んでいた。
日が登り、朝日が差す。扉が開かれ、少しだけ成長したらしきキャンが顔を覗かせる。
ビッグテールだった髪はもう立派なツインテール。だが、その表情には拭いきれない心労の陰があった。疲れているのか、鮮やかな栗色の双眸は若干濁っていて、眠る少年魔王様を見ると悲しそうに溜め息を吐く。
物音なく近より、キャンは優しく揺すり始める。
「魔王様。魔王様、起きてください」
少年魔王様の睫毛がふるふると震え、薄く目が開く。
その目に光はない。何も映さない虚ろであり、そこにキャンの姿を捉えると、布団を頭まで被る。
キャンは痛ましいものを見るようにきゅっと口をつぐみ、泣きそうな思いを抑え込んでいつもの様に、人形と成った魔王様を目覚めさせる儀式をする。
「すぅーーー。起きろぉーー! このバカタレ魔王ぉぉーー!」
叫び声と、罵倒。これが少年魔王様を起こすのに必要なプロセスだった。
少年魔王様はむくりと起き出す。その瞳に何も映さず、ただぼんやりとするだけで一言も発しない。
今日も、魔王様はおかしいまま。
キャンは落胆する。
「…………魔王様、私はもうおかしくなってしまいそうです。毎日、貴方を怒鳴る日々に疲れてしまいました」
少年魔王様の寝台にもたれ掛かり、力なく言葉を吐き出す。
こうすれば愛しの魔王様が戻ってくる様な気がする。それはキャンの数少ない支えだった。
「…………今日の朝食はジャイアントコーンですよ? 魔王様。生でも食べれますよ? ジャガイモも、私ひとりで蒸かせるようになりました。この間レイモスを偶然捕まえられたので、鍛えて貰ってるんですよ? 目を覚ました時、私の方が強くなってるかもしれませんね」
自嘲するような痛々しい微笑み。疲れの見え隠れする瞳の輝きは、日に日に不安定になっていった。
***
意識が目覚める。
眠っていた筈なのに妙な疲れのある体。正直な所、もう少し夢の世界へ旅立っていたかったが、寝台のすぐ傍に気配を感じて、寝るに寝れなくなってしまった。
ぱちりと重い瞼を押し上げると、覗き見る仕草のキャンと目が合う。彼女は驚きに瞠目した。
「キャンよ」
夢というものはすぐに忘れてしまう。だから、これは真っ先に伝えておかなければならないだろうと思い、魔王様は寝たまま声を掛ける。
「もう、怒鳴り、罵倒する必要はない」
少女が固まる。まるで時間事その場に固定してしまったかの如く、瞬きのひとつもなく停止して、そして、涙が溢れ始めた。
「あっ! これは、その、違うんです」
強い意思の光を放つ眼を隠すように俯いて、何度も何度も拭う。が、溢れる涙は止まる気配を見せない。
「違うんです。違うんですっ。これは、これはですね」
震える声で、涙に濡れた声音で、乱れた口調で彼女は何事かを否定する。
そんな彼女に魔王様は手を伸ばして、ぐっと引き寄せる。
「もう良い。擦るな。擦れば眼を痛めるぞ」
分かりやすい理由を与えて、キャンを胸に抱え込む。
少女は慟哭をする。溜め込んでいた何かが、我慢していたものが堰を切ったように溢れだし、どうしようもない衝動に駆られて魔王の背中へ手を這わせ、強く抱き締める。何かを確かめる様に、もう放したくないと訴える様に。ただただその強烈なまでの存在感を、体一杯で感じ取る様にして、少女は涙を滂沱と流し続ける。
キャンを抱きすくめると同時に、魔王様は夢の内容を熟思していた。
依然として魔王様には記憶がない。目覚めたのは昨日、魔族に活を入れ、島から無事人間を駆逐した。それだけだ。記憶はそれだけしかない。
他にも細々とした事があったが、それは脇へ置いておく。
何故、あの様な夢を見たのか。そもそも何故あの様な有り様になったのか。謎は未だ残っている。
キャンに聞こうにも、当の本人は胸の中で、もう少し時間が要るだろう。多分復活初めに取り乱すのでまた時間を食うだろうが、今の今まで、心を壊す事なく、己の覚醒を待っていたのだ。
魔王様はそれくらいの時間は付き合ってやろうと思っていた。
だが、眠気はそれとこれとは別で、頭がぐらぐらとする。
ゆっくりと体を倒し、柔らかな寝台に受け止められて横になる。腕の中には依然キャンが居るが、魔王様の様子には気が付いていない。
そして、ひとの気を知らない魔王様は、泣き喚くキャンをそのまま放置して、ひとり幸せそうにして微睡みの中へ身を投じた。
なお、食堂に待機していたロサンティーヌは、ようやく姿を現した魔王様の頬に小さな拳の跡がある事が大層気になったそうな。
マイペース魔王様。部下を気遣ったり蔑ろにしたりの自由人。
基本やりたい事だけやるひとです。