002 魔王様、腹を抱える
使っているスマホの問題なのか、漢字変換されない言葉があります。
ご理解の程をお願いします。
喧しい栗色の少女に連れられて部屋を出る。
広く落ち着かない個室から既に予想できていたが、廊下の幅の広さに、壁にある絵画の収められた額縁を見て確信した。
額縁には色とりどりの宝飾が為されていて、画かれた人物の偉大さを代弁している様だった。
「おい、栗色よ」
「栗色!? さっきご挨拶したでしょうが! キャンですキャン! キ・ャ・ン!」
「うむ。きゃんきゃんうるさい貴様に似合っている。良い名だ」
「喧嘩売ってます?」
「ふむ。買うぞ?」
「いやいやいや、この場合買うのは私でしょ?」
呆れる栗色の少女改めキャン。魔王様はふむと顎に手を当て思案に耽る。
「あの、魔王様?」
「……貴様は俺を魔王様と呼ぶな。では、この人物画は何者だ」
そう言って、魔王様は壁の人物画に視線を移す。
廊下の天井は高く、身長二メートルの魔王様の倍はあるだろう。絵画は魔王様よりも一メートル程大きく画かれている。
「その御方は魔王様、だったそうです」
「ふむ? 貴様は俺を魔王様と呼ぶが、どういう違いだ」
「あ、すみません、言葉足らずで。この御方は先代の魔王様で、300年前、お亡くなりになられるまで世界を統治していた御方、だったそうです」
先程からの曖昧な答えは伝承がはっきりとしていないからか、と魔王様は思い至る。
直接見聞きした訳でもなく、間接的に関係があっても300年も昔の事では赤の他人もいい所なのだろう。
しかし、
「では、貴様は何故俺を魔王様と呼ぶ」
「魔王様は魔王様です。私はそう教わっています。魔王様は、何か理由があった方がよろしかったのですか?」
頭を振る。
「いや、貴様はキャンという名だ。魔王様は称号であって、名ではないであろう」
目覚めてからずっと喉に引っ掛かっていた疑問。自分の名前はなんなのか? 栗色の少女にはあるのに自分にはないのかと魔王様は地味にショックを受けていたのだ。
「答えられねば貴様を未来永劫栗色と呼ぶ!」
「そんな事を力強く言わないで下さい!」
全くもう、とキャンは頬を膨らませ、答えずに歩き出す。
「おい――」
「魔王様のお名前、多分知ってるであろう人に会いに行きます。私はその、知らない、ので」
言葉尻が力なく萎んでいき、決まり悪く視線をさ迷わせる。その様子に魔王様は呆れ、ちょっぴり傷付いた。
単純に、個人の名が羨ましいのである。
「……良い、案内しろ栗色」
「また!? ちゃんと名前で呼んでくださいよ!」
「知るか。俺の名を呼ぶまで貴様は栗色だ。とっとと行けい」
「横暴! 全く、今まで誰がお世話してたと思ってるんだか……」
「む? 世話?」
「なんでもありませーん! 行きますよっ」
ぷんすかぷんと怒りながら、栗色は大股で案内をする。
魔王様は歩幅を変える事なく普通に付いていった。
廊下に出てすぐに確信したように、この屋敷、いや城はうんざりする程に広い。
歩き始めて10分。休みなく進みどれ程歩いただろうか。
先代魔王の人物画を三度見掛けた辺りで、魔王様は栗色に声を掛けた。
「おい」
栗色はビクリと震えた。
華奢な背中を半眼で睨み付けながら、恐らく冷や汗をだらだら流しているであろう栗色に言ってやる。
「貴様、迷ったな」
***
魔王城の図書館には赤毛の女が居た。
所狭しと敷き詰められた本棚の上を歩き、魔術によって浮遊する一冊を手に取る。
タイトルを読み、求めていた物と違う事を確かめると宙へと放る。書物は落ちる事なくただ漂うと、空いている本棚へとすっぽり収まった。
図書館は魔王城三階分をぶち抜かれて作られており、壁も天井も床すらも、本本本で埋め尽くされている。
施された魔術名は『求める叡知をその手に』であり、探し求める文献が自動的に手元に来るという仕組み。
本を投げたのは、既に読み、大体の内容を頭に詰め込んであったからだ。
そんな魔術が施されているにも関わらず、彼女がわざわざ歩くのは気晴らしなどではなく、魔術も万能ではないからである。
つまり、一定の範囲に入らねば本がやって来ないのだ。
女が座り込み、ぽつりと呟く。
「疲れた」
脹ら脛は既にぱんぱんに膨れていた。
求める叡智が手に入るまで歩きづめで、若干涙目であった。
「うぅ~~、こんなに歩いてるのになんで見付からないのよ~~っ! もう! インドアを歩かせるな~バカ!」
彼女の本職は魔術研究であり、一日中机に張り付いてガリガリガリガリ何かを書き留める事である。適度な運動はしているが、それも頭脳が疲れない程度で激しいものではない。寧ろ温すぎる。
一頻り泣き言を喚いて虚しくなり、ボーッとしていると突如、尋常ではない存在感が近付いてくるのを感じ取る。
「これは、魔王様? にしては結構な速度、というよりもまさかこれってっ!?」
バッ! と頭上を見上げる。
ドシャアン! という破砕音を伴い、栗色の少女を担いだ漆黒の巨漢が本の敷き詰められた壁をぶち抜いて現れた。
「無茶苦茶にも程があるでしょうがぁーーーー!!??」
少女の悲鳴を背に、取り敢えず女はその場から退避した。
***
図書館に激震が走った。
それは魔王様の落下が原因であり、見た目よりも遥かに重い魔王様の垂直落下。着地地点であった大の大人が三人並んで歩ける程もある本棚を真っ二つに踏み割り、貴重な本を大量に巻き込んで魔王城の床に衝撃を殺す事なくドシンと降り立ったのだ。
まるで隕石の様に。
「どうだ。いちいち道に従い、迂回を繰り返すよりも圧倒的に早かったであろう栗色よ。……む? どうした栗色よ、げんなりしよって」
「………………衝撃が、諸に」
もしも、同じ事を小動物を抱えて魔王様がしたとしよう。その時の結果は魔王様は無事でも小動物は衝撃に耐えきれずに見るも無惨にひしゃげ果てるであろう。
下手をしたら自分がそうなっていたのだ、己の頑丈さに感謝しつつ、キャンは襲い来る吐き気に己の頑健さを恨んだ。何故気絶しなかったのかと。
衝撃の圧を諸に受け、栗色はしばらく再起不能だろう。
キョロキョロと見回し、ここが図書館である事を理解する。
……勝手に浮遊してくる書物には全く理解出来なかったが。
本を手に取ると、まるで書物の内容が頭に叩き込まれた様な錯覚を覚えた。
「これは、…………成る程。貴様達は我が一部であったか」
魔王様の周りを舞う本の数々は、代々受け継がれて来た魔王の叡智の塊である。それ等は次代へと継承され、一部となる。
つまり、この図書館は魔王様の頭脳と言えるのだ。
……つい先程物理的に引っ掻き回したが、頭脳は頭脳なのである。
図書館にある全ての書物の内容が魔王様の頭に刷り込まれ、直ぐ様右から左へと受け流した。
示された方向へ壁をぶち抜きながらやって来た魔王様は肉体派で、頭脳労働は苦手である。基本的な知識があれば後は必要になるまで不要であった。
「あの、魔王様、ですか?」
「む?」
瓦礫の山から声がした。女の声だ。
魔王様は口をあんぐりとさせ、瓦礫を指差した。
「栗色よ! 瓦礫が喋ったぞ! これは愉快!」
「なんで!? 普通瓦礫の下敷きになってるって思わないの!?」
瓦礫が怒鳴る。魔王様が笑う。栗色は気分が悪くグロッキーであった。
赤毛の女は結局自力で脱出し、魔王様の顔をまじまじと見つめ始めた。
「ふ~ん。本物だ。気配も魔力も威圧感も、偽者では再現出来ないレベルね」
「貴様、殺すぞ」
ぞくりとした悪寒が赤毛の女に走る。死神の鎌を首に添えられた様に冷や汗を流し、背中に嫌な汗を滲ませた。
慌ててひざまずく。
「申し訳ありません魔王様。あなた様に不躾な視線を晒した事を――」
「それは良い。俺が気に入らないのは、訳もなく、ただ無意味にこの身を観察される事だ。何か理由があるのならば申せ。無いのなら、この図書館を貴様の鮮血で彩ろうぞ」
なん足る理不尽か。ただ観察するだけで機嫌を損ない、その代償は命だと宣う。
赤毛の女は渇く喉を唾液で湿らせて、噛む事なく再び謝罪を口にし、説明する。
「昨日の魔王様とはまるで違う」と。
瞳は虚ろ、口も開かず、ただぼんやりと日々を過ごす昨日までの魔王様。それが今日、突如として激変した。それまでなんの反応もなく、ついつい癖の様に観察してしまったのだと、赤毛の女は言い終える。
「成る程」
ふむと頷く。
「して、観察した結果は如何様だ」
「はい。まるで水を得た魚の様に生気が宿り、まるで幽体離脱していた魂が戻って来たかの様です」
「ほう? つまり昨日までの俺は死んだ魚の目だったと、そう言うのだな貴様は」
失言した! と赤毛の女が慌てて言葉を重ねるが、その視線は終始床へと注がれている。
だから気付かない、魔王様の口角がつり上がり、明らかに遊んでいる様子に。気持ち悪さにダウンするキャンのみが気付いていたが、声すら出すのも億劫で、しばらく魔王様の揚げ足取りが続いた。
「アッハッハッハッハ! アーッハッハッハッハッハ!」
魔王様の高笑いが響く。赤毛の女は全身を怒りで赤く染め上げ、しかし手を上げる事も言葉を荒げる事も出来ずただわなわなと打ち震えていた。
「いやはや愉快愉快! 貴様の弁解っぷりは聞いていて飽きぬな~、何度でも揚げ足を取れるとは、芸として売れるのではないか?」
「お、お、おおおおおお褒めに与り光栄――」
「すぐに飽きられるだろうがな!」
「こんのクソ魔王ぉおおおおおおーーーーーーー!!」
怒りの暴言すらも可笑しいのか、魔王様は腹を抱えて爆笑する。
変な所でプライドが高く、また変な所で寛大な魔王様であった。
戯れるのが好きな魔王様。今後も部下(予定)を振り回します。
……壁をぶち抜くのはまだまだ序の口です。