001 ぷろろー
「――時は来た」
災厄の魔王が静かに告げる。
雷雲立ち込める天を見つめ、背中に吊るした大剣を片手で軽々と引き抜き宣言する。
「今宵我等は大罪人となる! 天に仇なす咎人と化す!」
魔王の背後に控える全軍は身動ぎせず静聴する。その一言一句を聞き逃してなるものかと、決して忘れて堪るかと胸に刻み込む。
軍に属する一人一人が魔王に忠誠を誓い、主の為に死する事も躊躇わない狂い人。
その胸は今、過去に例を見ない程の高揚感で満たされている。
「我等が死した時、天ではなく地へと行く。業火に焼かれ、魂は跡形もなく消滅するだろう。だがっ! それがどうしたっ! 奴等にされた事を、これまでの苦行を思い出せ! 本来あるべきだった幸福を理不尽にも奴等は奪い取った。理不尽には理不尽を、力には力を、あらゆる不条理に怒りを燃やせ!」
大剣を天に突き付け、憤怒を瞳に宿して声高々に再度宣言する。
「我は憤怒の代弁者。貴様等の怒りはこの魔王が背負おう! そして! 神をこの手で討つ事をここに約束しよう! そして次は――」
視線を落とすと、前方には勇者が決然と立っている。人間の軍を背後に控えさせ、一時的に手を組む事になった宿敵に大剣を向ける。
「人類だ。神を討った後、貴様等人類に報復する! 覚悟するが良い!」
こうして、後に語られる人魔大戦の前哨戦として、歴史に記される事のない戦争が始まる。
勇者は友の為に剣を取り、魔王は種の為に憤怒する。
似た者同士の二人は道を違え、激突した先に待つ結末は決して、光に満ち溢れたものではないであろう。
かつて、親友であったのだから、尚更に。
***
「くたばれ!」
グシャ! と何かがひしゃげ、人が錐揉みしながら2メートル程吹き飛ぶ。拳とは思えぬ威力に、男の仲間が脚をもつれさせ尻餅をついた。その顔は恐怖に引きつっている。
薄暗い路地裏は今や血生臭い臭いが漂い、日差しが悪い関係で空気がひんやりとしていた。
「テメーも死ぬか? オイ?」
パキパキと拳を鳴らして近付く。
その冷たい空気が男の仲間の首筋を撫でた時、まるで刃物を突き付けられたように幻視してしまい、気絶した。
「チッ。骨のねー奴」
救急車を呼んでから、急いでその場を離れる。既に成人している彼を社会的に守る盾はもうない。喧嘩など、写真を撮られてネットに上げられるだけでこの先大変生きづらくなる。それは堪らない。
それが分かっていながらも、彼が喧嘩をするのは、大学の勉強によるストレスの発散などではなく、単純に、降り掛かる火の粉を全力で払った結果でしかない。
わざわざ人目につかない路地裏を選んでいるのは、保身などではなく、いや、数%程面倒事を避ける意味で保身の為だが、本当の理由は彼が気持ち良く暴力を振るうに他ならない。
彼――浜辺拓斗は所謂脳筋である。
勉強こそ毎日こつこつと努力を積み上げるが、事試験前日などは何を血迷ったのか一夜漬けをして頭をふらふらさせながらテストに臨むという意味不明っぷり。
彼曰く、前日にたっぷり勉強した方が得だろ? との事。全くもって意味が分からない。
思考は直結型で短絡的、沸点が低く直情的で人間社会を生きられるのか親も疑問視するレベル。そんな一体何処で育て方を間違ったのかと頭を抱える親は脇は置いておき、彼にも親友と呼べる者が居る。
逃走先として向かった目的地は焼肉屋で、中に入ると奥の方から入り口まで聞こえる笑い声に眉をしかめる。
黒色の壁、淡いLEDライト、七輪で肉を焼く際に発生する煙で目を痛くさせながら、店員に言って奥の団体客が陣取る広間に案内してもらう。
三つの個室を繋げた広間には18人の人が思い思いに会話を弾ませている。
彼等彼女等は浜辺拓斗の高校時代の同級生である。中には社会人となり齷齪働く者や、留学した者、遠くの大学に進学し寮に住む者とで全員が集まっている訳ではない。音信不通の人も居れば知っていて来ない者も居るのだ。
「お! タクぅー! やっと来たかぁー」
既に酒が入っているのか、拓斗の親友――神藤祐介が顔を赤く上気させ陽気に手招きすると、周りも気付いたのか、拓斗に好意的な目を向ける。
「女か? 女なんだろぉ? お?」
「そりゃお前が飢えてるだけだろダッハハハハハ!!」
「だまらっしゃい非モテ仲間一号! 共に魔法使いになろうぜ!」
「残念でしたぁ! 彼女が出来ましたぁ~~~」
「だにぃ!? テッメ紹介しろオラ! 祝ってやる! 飲め飲めぇ~」
「うわっはははは! 入れすぎ入れすぎだってば」
喧騒が続く中を進んで、親友の隣に腰掛けると、焼かれた肉の盛られた皿を渡される。
「良い具合に焼けてますぜぇ~旦那ぁ~」
「酔ってんなー、ユウ」
「当たり前だのクラッカーーハハハハハ!」
酒臭い息を吹き掛けられ、拓斗は眉を嫌そうに寄せて祐介を押しやる。店員を呼んでビールとライスを注文して、焼き肉をタレに浸けて口へ運び、顔を綻ばせる。
運動の後の肉は最高だ。
「お前、まぁ~た喧嘩してきたのかぁ?」
「流石、よく分かる」
苦笑する。幼稚園からの付き合いである祐介には、遅れた理由がすぐに察せられるようだ。
とはいえ、こうして集まりに遅れる事は一度や二度じゃないので、祐介以外にも親しい者にはバレているのだろうが、誰もその事を気にする素振りすらない。
気を使われている、または何時もの事と受け入れられている。そのどちらかなのだろう。
指摘されないのなら拓斗自身、自分から話題にするつもりもない。わざわざ血生臭い話をして場の空気を殺すのは宜しくない事だ。
運ばれて来たビールを一口煽る。
「はぁ。……別に、向こうから絡んでこないなら俺も何もしないんだけどなー」
「誰にでも不遜な態度なんだからぁ~タクはぁ~。お相手さんはへりくだって欲しいんじゃないの? 謙遜、謙遜」
「へりくだって欲しいならそれ相応の結果を出すべきだと思うがね、俺は」
「自尊心ってやつぅ? 人間ってほら、傲慢じゃん? 歳上ってだけで態度でかくなる奴も居るじゃんさぁ~」
「殴ろう」
ぺしっ、と叩かれる。
「すぅ~ぐ手を出すぅ。ダメだぞそんなんじゃ~、暴力の通じない相手の方が多いんだからさぁ~」
「だったら権力者になって黙らせる」
「あぁ~、ダメだこりゃ」
ああ言えばこう言う拓斗に、とうとう祐介は話題を放棄する。
そのまま行けば平行線が続くので妥当な判断と言えよう。
結果として、拓斗は若干不機嫌になるが、肉の旨味ですぐに吹き飛んだ。
ここに集まった18人は浅い繋がりではない。拓斗と祐介のように幼少期から、または小学校からの付き合いで、謂わば腐れ縁というものだ。
気心知れた仲間内でしか集まれなかったが、拓斗はそこそこ気に入っている。孤独は嫌いなのだ。
拓斗の後ろ、座布団に胡座をかく男が悪酔いしたようにしなだれ掛かる。突然の事に驚き、体がビクンと震えた。
「テッメ、ビックリさせんじゃねぇよ。肉を落とす所だっただろ?」
怒った様にドスの利いた低い声で言うが、酔った男はなんのその、全く気にした様子もなく拓斗の皿に焦げ目の付いた玉ねぎやビーマンを乗せていく。
「たくとー? 野菜も食えよー野菜ー。栄養バランスは大事だぞー」
「お前、目が据わってね? 水飲め水。ほらほら」
流石に虚ろな目が心配になり、酔いを覚まさせる為に水を勧めるが、男は無視してビールを一気飲みする。ぷはぁ~っと満足気に息を吐いて、そのままぶっ倒れた。
「あ~……、うん、放置」
気を使うだけ疲れるだけだなと結論を出し放置する。が、そのままだと邪魔なので壁側の畳へと滑らせ、座布団を折って簡単な枕にした。
「タクは世話好きだなぁ~アッハッハッハッハ!」
何が面白いのか大口を開けて笑う祐介。うざったくなったので肉を詰め込んで強制的に黙らせ、自身もビールを煽る。
軽く頭がぼやけ始め、酔いが回って来たようだ。
(バイト有るし、二日酔いは勘弁)
貧乏学生である拓斗はバイトを幾つか掛け持ちしていて、この日は同窓会の為に後輩に無理を言って代わって貰っていた。翌日はその後輩とバイトに入るので、二日酔いでグロッキーでは決まりが悪い。
という事でビールは自重、ただし肉はガツガツ食べる。
大皿など、ペロリと平らげる勢いだ。
「そういやお前仕事はどんなもん? あそこブラックって聞くけど」
「あ、お前聞いちゃう? それ聞いちゃうの? アハハハハハ」
「やべぇ、地雷だ」
「もうね、やべぇの、何がやばいって? そりゃあ度重なる修正修正また修正、酷い時は最初からとかあるからな? もうね、笑うしかねぇの。あぇひひひひひいひひひひ」
「悪かった! 俺が悪かった! 飲め! 飲んで吐き出しちまえ!」
(嫌な社会人人生を聞いてしまった)
げんなりとした。
ピーマンにタレに浸した肉を詰めて、お遊びビーマンの肉詰めを作り、大口を開けて一口に放り込む。
うむ、しょっぱい。
男は男、女は女で盛り上がっていても、気心知れた同窓の者達。当然酔った勢いでプライベートに踏み込む輩や、無遠慮に踏み荒らしていく者が現れる。
「ねぇ、拓斗はいい加減彼女とか出来たん?」
肌を小麦色に焼いたギャル風の女――高坂南が遠慮なく聞いてくる。彼女も幼馴染みと言える付き合いの長さで、祐介の次に仲の良い人物だ。
「メンドイから作る気ねぇ」
「うわっ、引くわ~」
「あん?」
「そこの非モテ共を見てそんな事を言える普通?」
「あんなー、彼女とかぶっちゃけメンドイだけじゃねぇの? 頻繁にライン飛ばしてくるわ暇があれば電話するわ猫撫で声出すわ。個人的に最後が一番嫌だね。腹立つ」
「酷い偏見を見た。女の方だって綺麗に成りたくて化粧するんだし気に入られたいから媚び売るんじゃん。その辺分かってる?」
「しーるーか」
「アァン?」
「アッ?」
仲の良い人物である、喧嘩友達という名の。
そんな二人のやり取りを見て、祐介はニンマリとにやける。
「仲がよろしい事で」
この後、祐介は赤くなった両耳を押さえて涙目になった。
***
割り勘で勘定を済ませて、一行は帰路へつく。とは言っても最寄りの駅まではみな一緒なので、現地解散であってもしばらくは集団行動が続いた。
そんな時、拓斗は立ち眩みを起こした。
頭を押さえて、なんだ? と思う。
飲酒を控え、睡眠時間も充分に取っている。朝昼夕と三食きちんと食べている健康体だ。長時間座っていた訳でもなく、頭を下にしていた訳でもない突然の立ち眩み。
視界がぐんにゃりと歪み、足元が覚束無くなる。
祐介達の声も遠く、やがて騒然となる様子もはっきりとしない。
そして、拓斗の体は光の粒となり消滅し、祐介を中心とした円形の幾何学模様が地面に広がる。混乱が広がり、どうにかその光の範囲から出ようと足掻くも時既に遅く、拓斗を引いた17名の男女がこの日行方不明となった。
彼等彼女等は忽然と姿を消し、一時ニュースにもなったがすぐに次の話題へと流れ。ついに、二度と姿を現す事はなかった。
***
深い、微睡みの中に居た。
「――」
頭に靄が掛かり、響く声も夢か何かだと誤認し、深い深い闇へと落ちていき。
唐突に目が覚めた。
「――っ?」
(――――――あ?)
最初に感じたのは酷い倦怠感だった。瞼を開けるのすらも怠く、ぬくぬくとしたベッドの中、朝の光が鬱陶しいとばかりに布団にすっぽりと収まり、ぶん取られた。
「魔王様」
布団を剥がした張本人。栗色の髪を頭の両脇で結びツインテールにし、メイド服に身を包んだ胸の慎ましやかな少女は頬をぴくぴくとさせながら静かに、だが重く、怒りの乗った声音を張り上げた。
「いい加減、起きろぉー! このぐうたら野郎ぉぉぉぉーーーーー!!」
「うるさいぞ」
「……………………へ?」
何故か栗色の少女は阿呆の様にきょとんとし、わなわなと震え始めた。
「喋っ、た?」
「なんだ、喋ったら悪いのか?」
「喋ったああああぁぁぁぁぁーーーーーーー!!??」
快晴に轟く少女の絶叫。
耳を押さえてなんなのだ? と首を傾げながら魔王様の胸中には激しい動揺があった。
目の前の栗色の少女が誰なのか。何故自分がここに居るのか。
そして――、己が名前すらも、魔王様は思い出せないでいた。
勇者sideの話はしばらく先です。
流石にプロローグで視点をぶん回す勇気はありませんですはい。