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12.ライラー1

ライラ視点でのお話です。

 ――君は強いから、一人でも生きていけるだろう?

 その言葉は、私の胸を深く深く抉った。


 物心ついた時には、父は爵位を手放していた。だから、生まれた時には、自分は一応貴族令嬢だったのだという意識は全く無い。

 ただ、漠然と考える。仮に、どれだけ没落しようとも爵位だけは手放さずにいてくれたら、きっと騎士になることはなかった。

 だとしたら、自分は一体、どんな人生を歩んでいたのだろう、と。


 没落し、爵位を手放したとはいえ、我が家はさほど困窮した様子ではなかった。

 それまでの負債は、爵位を豪商に売ったことで完済し終えていたし、父が旧知の貴族家に執事として雇われていたので、親子五人が平民並みの生活をするには支障はなかった。

 坂を転げ落ちるように状況が悪化したのは、十四の頃だった。

 かつて貴族だったという矜持が、日々、父の心をじわじわと蝕んでいたことに、家族の誰も気付くことができなかった。旧知の仲だった貴族に使用人として扱われることで、父は次第に精神を病むようになっていたのだ。ある日、些細なことで父は雇い主の貴族と諍いを起こし、決裂と同時に解雇され、ついでに悪評を立てられてしまった。

 職を失い、悪評と元雇用主からの紹介状を得られないせいで、再就職もままならない父は自暴自棄になり、酒浸りになった。

 まるで人が変わったようになった父に代わって、弟妹の子育てがひと段落した母が働きに出ることになった。けれど、父の悪評が祟ったことと、誰からも紹介状を書いて貰えなかったせいで、どこの貴族家にも使用人として雇ってもらうことはできなかった。結局、街の片隅にある食堂で働き始めた母には、かつて花の様に美しかったという貴族令嬢の輝きはどこにもなかった。

 母は何度か、母の実家に支援を求めていたようだ。けれど、それは根本的な問題解決にはならなかった。家族が生きていく為には、母の僅かな収入ではとても足りない。父が働かないのなら、一番年長の私が働くしかなかった。けれど、貴族家の使用人として雇ってもらえないことは、私も母と同様だった。

 そんな折、とある話を耳にした。

 最近は隣国との関係が悪化の一途を辿っており、国は騎士の大幅増員を決定したというのだ。試験日に十五歳になっていれば、受験資格がある。合格すれば、騎士見習いとなり、その時点から給与が支給される。

 女性にしては背が高く、男勝りで近所の男の子たちと喧嘩をしても負けたことがなかった私は、物事を深く考える間もなく応募した。

 この国には、女性騎士はいない。ただ、採用規定に目を通しても、そこには男子に限るとは書かれていなかった。

 必要最低限の知識や読み書き等の筆記試験、健康診断に体力試験を通過して、私は二次試験に進んだ。

 面接では、国への忠誠心を問うと同時に、精神的な不安定さがないか等も探られた。

「騎士団は男性の職場である。女性だからといって特別な配慮はできないがそれでも構わないか」

 その中で、面接官にそう幾度となく念を押された。

「構いません」

 勿論、それは嘘だ。けれど、採用してもらうにはそう答えるしかないではないか。

 最終試験の模擬戦では、剣を扱ったことのない私は呆気なく初戦敗退してしまった。だが、その試験は戦いに臨むに当たり、恐怖に駆られて逃げの姿勢をとるかとらないかを審査するものであり、勝敗は二の次らしい。

 そして、騎士を大幅に増員する方針だったこともあり、私は何とか騎士見習いとなることができた。


 騎士見習いの日々は、決して平穏ではなかった。

 身の危険を感じることは日常的で、空き部屋に数人がかりで引きずり込まれそうになったこともあった。

 貴族家の子息達だけなら、清廉潔白な騎士の矜持がどうのという精神論で彼らの欲情を抑えることもできただろうが、貴賤を問わず大量採用され、騎士の精神が叩き込まれていない騎士見習いにはそういう綺麗事が通用しない者も多い。

 規則に基づいて彼らを解雇するのは容易いだろうが、それよりも根本的な原因である私を排除することのほうが、騎士団にとっては手っ取り早い解決法だった。

 被害を訴えれば、加害者には懲罰が課されたが、同時に上司は私にも辞職をほのめかした。

 あまりの理不尽さに泣いて、泣いても何も解決しないことに気付き、強くなるしかないと決意した。

 あいつに手をだしたら命が危ないと思われるほど、強くならなければならないと。


 何故、そこまで騎士に拘ったのか。

 十五の女が街の飲食店に雇われて貰える金よりも、ずっと給与が良かったのもある。

 それと、もう一つ。騎士になって出世すれば、貴族の称号が授与されることもあると聞いたからだった。

 そうなれば、かつて貴族の令嬢だった母を、平民に雇われてこき使われるという屈辱から解放することができる。今は酒浸りになっている父の心も救えるかも知れない。

 私の事情を知った上司が、紹介状を書くから王宮の侍女にならないかと持ち掛けてくれた時には、私は血の滲むような努力の末に、他の同期の男共には負けないほどの実力を手に入れ、騎士として生きられるだけの強さを身に付けていた。


 ブライアンと出会ったのは、十七になったばかりの頃だった。

 いよいよ隣国との戦いが避けられなくなり、新米騎士の私達も戦場に派遣された。その戦場に先に派遣されていた隊の中に、当時十九歳の彼がいた。

 国境に近い砦で、明日は出撃かと気を張って過ごす日々の中で、彼の存在など特別なものとして目に入ることなどなかった。同じ騎士の制服を着た、私とは顔見知りでも何でもない、味方の戦力の一人。最初はそんな認識だった。

 それが一変したのは、軍事衝突の後。偶然、敵兵に追い詰められていた彼を救ったことで、私の人生は変わった。

 彼は、命を救ってもらったと感謝してくれた。それだけではなく、その後、男ばかりの戦場で私が不便を感じていないか、不快な思いをしていないかと気に掛けてくれた。

 それまで、貴族出身の騎士など、ただプライドが高いだけで、平民出身の騎士を見下すのが当然だと思い込んでいた。そんな価値観を打ち砕いたのが彼だった。

 騎士の世界に飛び込んで二年余り。女だからと特別扱いはしないと言われ、少しでも気を抜けば貞操を狙われる。常に気を張り、気負って生きてきた私に、彼は自然に接してくれた。

 同じ騎士団に所属する同僚から、お互いに命を預け合う大切な仲間、そして、それ以上の存在へ。駄目だと分かっていても、私は次第に彼に心を開き、いつしか惹かれるようになっていた。

 だから、彼が私と同じ気持ちだと知った時は、天にも昇るほど嬉しかった。彼の家の事情だとか、身分の差だとか、そういった難しいことなど二の次だった。そういうことがすぐに頭に浮かばない辺り、生まれは貴族でも、私は完全に平民だった。


 任務の合間を見つけては共に幸せなひと時を過ごす、そんな日々は一年と続かなかった。ブライアンが、伯爵家を継ぐことになり、騎士を辞めることになったからだ。

「一緒についてきて欲しい」

 そう言われた時、私は一瞬躊躇った。それまで、私は騎士の給与の中から、実家へ仕送りを続けていた。

 ブライアンからの申し出で、弟を学校へ通わせる為に作った借金の返済や、父の医療費等は彼に援助して貰っていた。それが無くなる上に、私の仕送りまで途絶えたら、まだ独り立ちしていない弟妹を抱えた両親は生活していくことが出来なくなってしまう。

「とは言っても、実はステイフォート伯爵家の財政状態はあまり良くない。君とはすぐにでも結婚したいけれど、そういう訳にもいかないだろう。……だから、君にその気がないのなら、無理にとは言えない」

 口ではそう言いながら、縋りつくような目をして私を見つめているブライアンの手を振りほどくことはできなかった。

「そんなことは構わない。どれほど年月を重ねても、私達のこの思いが色褪せることなどないのだから」

 そう。待つことなど全然苦にはならない。ブライアンと共に生きて行けるのなら、どこへだってついて行く。

 彼の実家ステイフォート伯爵家では、最近従僕が辞めてしまった後、後任が見つかっていないという。そこで、私はひとまず従僕として雇って貰えないかと提案した。給与はいらないから、それを全て実家へ送金して欲しいと。

 彼は嬉しそうに微笑んで、私をきつく抱きしめた。

 平民から、見初められて貴族家に嫁ぐ。まるで、巷で流行りの物語の主人公のようだ、と私は自分の身に起きた幸運にただ浸っていた。


 話に聞いていた通り、ステイフォート伯爵家は裕福とは言えないようだった。けれど、平民の暮らししか知らない私には、それでも充分に思えた。

 予想通り、彼の両親にはあまりいい顔はされなかった。けれど、すぐに地方の別邸へ移ってしまったので、ほとんど顔を合わせることもなく、平穏な日々が続いた。

 執事のロアンに従僕としての仕事を教わり、主となったブライアンの傍で働く日々は、とても幸せだった。私が思い描いていた貴族夫人の生活とはかけ離れていたけれど、寧ろ男性と同じ従僕の格好をして動き回るほうが私の性に合っていた。

 使用人達も親切にしてくれた。私の手が回らないことも、黙ってフォローしてくれた。皆、優しかったけれど、特にマリラは親しくしてくれた。同性の親友が初めてできたことが、正直嬉しかった。

「まるで物語の主人公のようにロマンチックね。私、何があってもあなたを応援するわ」

 興奮したように幾度となく繰り返されるマリラの言葉は、まるで麻薬のようだった。

 私達はこの強い愛情で身分の差を乗り越え、誰よりも幸せになるのだと、周囲から注目される度に私もブライアンも更にそう思うようになっていた。


 けれど、やはり幸せな日々は長くは続かなかった。

 ブライアンに、私とは別の女性との結婚話が浮上した。お相手は、同じ伯爵家でも格も財力も格段に違う、裕福なハイネル伯爵家のご令嬢だった。

 大丈夫。ブライアンが私を裏切ることなんてない。

 そんな希望は、呆気なく打ち砕かれた。

「すまない、許してくれライラ……」

 彼は、死んでしまうのではないかと思うほど憔悴した顔で、私に許しを乞うた。

 けれど、彼に愛しているのは君だけだと幾度繰り返されても、嫌悪感を抑えることはできなかった。

 私を妻に迎えると約束したのではなかったのか。今更、騎士には戻れない。莫大な持参金に目が眩んで、そんなにも愛している女を捨てるというの?

 そんな黒々しい感情が渦巻く心を抑えつけながら、私は健気に微笑んで見せた。

「あなたへの思いは一生変わらないわ。でも、ここにいることはできない。せめて、新しい就職先への紹介状を書いていただけますか?」

 押しつぶされそうな胸の痛みを堪え、涙を浮かべてそう言えば、ブライアンはきつくきつく私を抱きしめた。

「どこにもいかないでくれ。妻となる人に、指一本触れるつもりはない。愛しているのは、今までもこれからも君だけだ……」

 その言葉を聞いた時、私の中で眠っていた感情が揺り起こされた。

 没落し平民となった貴族として育ち、心無い陰口を耳にしたことは数え切れない。理不尽な理由をつけて解雇された父と、薄汚い食堂で平民にこき使われる母の姿。騎士という高潔であるはずの者達から欲望混じりの蔑視を浴びせられ続けてきた日々。その中で培われてきた、どす黒い本来の私が目を覚ましたのだ。

 ……許せない。

 富と権力を笠に着て、愛し合う二人を引き裂こうとする輩に、絶対に屈したくはない。私は父や母とは違う。これまでも、逆境の中、騎士の世界で生きてきたのだ。

 絶対に負けたりなどしない。


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