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1.

 この国に貴族の娘として生まれてきた以上、政略結婚は避けられない。

 寧ろ、恋愛感情なんて持つものではない。恋なんて感情、結婚相手として定められた相手に無理矢理抱けばいい。そうすれば、政略結婚という虚しさを少しでも和らげることができる。

 そんな風に、私は昔から、少し冷めたところのある娘だった。

 ハイネル伯爵家の三女アンネローゼとして生まれた私は、年の離れた姉二人が、自分の意に沿わない婚姻に翻弄され、本来の輝きを失っていくのを目の当たりにしてきた。

 だから、例え見目麗しい殿方にトキメキを感じることはあっても、その度に自制心をフル活用して恋心など抱かないようにしてきた。

 恋愛なんて、するものじゃない。したところで、どうせ叶わないのだもの。

 そして、適齢期を迎えた十七歳の春、私の政略結婚のお相手が決まった。

どんな方がお相手でも、私は絶対に取り乱すこともせず、受け入れようと決心していた。それなのに、親が決めてきたその縁談に驚愕したのは、そのお相手の名があまりにも有名だったからだ。

 相手が二十も三十も年上の、素行の悪い醜悪な寡という訳ではない。それだったら、いっそどんなに楽だったか。

 私のお相手は、この国では知らない者などいないほど、気高く美しいと評判のステイフォート伯爵様だった。二十歳で騎士団を退団して伯爵位を継いだ彼は、現在二十三。独身貴族の中では人気の高い御方だ。

 そんな素晴らしい人の何が不満なのかと、疑問に思われても仕方がない。

 けれど、彼には問題があった。

 騎士団時代に知り合った平民出身だという女騎士を、従僕として傍に置いているのだ。貴族令嬢と並んでも引けを取らないほど美しい彼女が、男装をして常に傍で彼に仕えている。その様子は、ただの主従関係とは思えない親密ぶりだと評判だった。

 ――二人は、恋仲だ。

 それも、この国では知らない者のいない事実だった。

 そして、厄介なことに、二人の関係を好ましく思わない身内や一部の者達とは別に、身分違いの美男美女の許されない危険な恋を、密かに応援しているファンが多数いるのも事実だった。

 そんな伯爵様の元に嫁ぐというのがどういうことか。……そう、私は二人の燃え盛る恋の炎に飛びこむ、お邪魔虫そのものだった。



 我がハイネル家は古くから続く由緒正しい伯爵家で、伯爵とはいえ父は王宮内でそれなりの権力を得ている。それは、姉二人が格上の侯爵家や宰相家に嫁いだお蔭でもある。

 二番目の姉が嫁いだ宰相家が、ステイフォート伯爵家との結束を図りたいというのが、私の縁談の理由だ。つまり、我が家より格上である宰相家からの依頼であるので、私や父の意志でこの縁談をどうこうできるものではない。

 私は、幼い頃から自由な恋愛などするものではないと思っていた。けれど、例えどんな相手と結婚したとしても、誠意を持って尽くし、お相手と良好な関係を築こうと決めていた。そうすれば、いずれ夫婦であっても、恋人同士のような甘い関係にもなれようというものだ。

 けれど、ステイフォート伯爵は、最初からそのような望みを持ってはいけない御方だった。

 婚約者として顔を合わせた時から、彼の紳士的な態度の裏には、義務感が滲み出ていた。そして、従僕として伴っている男装の麗人に対する、隠そうとしても隠しきれない愛情が漏れ出ていた。

 ああ、いっそ、「私はあなたを愛することはできない。私が愛しているのはライラだけだ」と、宣言してくれれば楽だったのに。

 ステイフォート伯爵は、あくまで紳士的に、私を婚約者として受け入れた。

 彼としても、致し方ないのだろう。宰相家からの圧力もあっただろうし、若くして伯爵位を継いだと身となれば、多大な不利益を被ることを覚悟で身分違いの恋を貫く訳にはいかなかったのだ。

 けれど、私を見る目はまるで何も映し出さない鏡のようだった。絶対に、心の大切な部分を開くことは無いと宣言しているその瞳に、私はいたく傷付いた。

 一番上の姉は、何故親子ほども年の離れた侯爵の後添いにならねばならないのかと、嫁ぐ日の朝まで泣いていた。

 二番目の姉は、他に好いた御方がいたのに無理矢理引き離されて、気難しいと評判の宰相家子息と結婚させられた。

 けれども、今では二人とも、自分の夫に愛され、穏やかな愛情に包まれている。縁談が決まった当初は絶望感に打ちひしがれていた姉たちだったが、婚家でそれなりの幸せを見出し、夫にも愛情を抱くようになったようだ。

 けれど、そんな幸せなんて、私には絶対に訪れることはない。

 人によっては、私を羨ましがる者もいた。今をときめくステイフォート伯爵と結婚できるなんて、と羨ましがる者もいた。

 けれど、嫉妬する者よりも、憐みの目で見る者、そして身分違いの恋のお邪魔虫だと私を悪役とみなす者の方が多かった。

 私とて、何も好き好んで人の恋路を邪魔している訳ではない。けれど、政略結婚は貴族令嬢に生まれた者の宿命なのだ。人の恨みや憎しみを買うような存在になりたくはない、という理由で拒めるような話ではなかった。

 愛情の全く籠らない結婚の宣誓、誓いのキス、そして一人寂しい初夜。

 広いベッドで寝がえりを打ち、冷たいシーツの表面を撫でながら、しっかりと夫となった人の意志が心に刻み込まれるのを感じた。

 ――表向きは妻として扱っても、決してあなたを妻として受け入れることはできない。

 面と向かって言われた訳ではない。そんなことを言って、私が実家に泣きつけば彼の立場が悪くなるとでも思っているのか、彼はあくまで紳士的に振る舞う。そう、他人に接するように。

 大体、政略結婚であっても、体面を保つために子をもうけるものだ。冷めた夫婦間ならなおのこと、早々に子供をなし、後継者を残すという義務を果たした後は、寝室を別にして互いに干渉することも止める。

 けれど、夫は愛しい従僕の前で、例え義務であったとしても、他の女を抱くことなどできないのだろう。その誠実さはいっそ素晴らしいと思う。その抱けない女というのが、妻となった私でなければ。これが、巷で流行りの恋愛小説であれば。傍観者として、私は純粋に身分違いの恋を応援していただろう。

 常に主の傍に陰のように寄り添う男装の麗人は、私の想像を遥かに超える美しい人だった。そして、明らかに二人は、主従関係以上の絆で固く結ばれていた。それを目の当たりにしても、いつかは夫が彼女から私に心を移してくれると思えるほど、私の頭はおめでたくはなかった。

 夫に愛情を抱くことも、子を望むこともできない。ならば、私はこれから何を楽しみにこの先生きて行けばいいのだろうか。

 シーツを撫でる指先から伝わる冷たさが、胸の奥に沁みるようだった。

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