その9
自分は人の話を聞くのが好きだ。
人の考えを生で聞くのはとても心地良く、たとえその言葉の意味を本当に理解してなくても自分の中で満たすものがあった。それが何なのか見当もつかないが、その充足感は自身にある間隙を埋めるものとして、とても手ごろなものだった。
いつからそんな性分なのか自分ではもう分からない。彼女は小学生の時の自分とは違うと言っていたので、それ以降のことであるのは予想できるけれど。
幸いな事に、自分の周りにはおしゃべりが多くて、自分の口を開かずとも言葉が沸いてくる。自分は黙ってそれを聞いていればいいだけだった。
友人は言う。
「話を聞いてくれるだけで、オレみたいなのは救われるんだよ」
普段行儀の良い友人らしくもなく、意味もなくカチャカチャと音を立ててコーヒーの水面を濁す。
需要と供給のバランスがとれてしまったから、自分はこうなってしまったのかもしれない。現状に満足してしまい、それ以上自分を変えずとも良くなってしまったから、自分はこのようになってしまったのかもしれない。
結果的にこうなっていた。自分にはそれ以上のことは言えなかった。
「現状に満足してしまうとそれ以上の変化を望まないし、望む必要がない。けれどそんな生き方はバカな功利主義者でも分かるくらいにどうしようもないことだ。満足な豚が滑稽な事くらい誰でも分かるだろう」
自分の本心は自分よりも友人の方が分かるのかもしれない。
何一つ確かなものなんてない。あるのは雲のように不確かな妄想だけで、受動的な考えばかりが強まるばかりだった。
このままでいいのだろうか、という思考を挟んだ方が良いのだろうか。
高校3年を振り返った所で、わざわざ鑑みる必要のある事が何かあるとは思えなかった。
本を読んで、友人たちの言葉を聞く。ただひたすらに一貫してそんな毎日が続いていた。それに実質的な生産性を感じられない。
「君のおかげでオレは救われている。けれど、君の生き方がそれで良いとは思えない
喋らなければ人は分からない。何も残そうとしない時点で人生とは言えない」
自分はそれでも黙って友人の言葉を聞く。
これ以上自分は変わりそうになかった。あとは変化量の少ない日々を消化する位しかない気がする。
正直なところ、今まで出会った人たちが羨ましく思わないわけではない。
しかし、それでも変わらなかったこの性分がどうしようもないことはとうに分かっていた。
シャボンのように薄い気持ちが大きく膨らんでいく。いつか割れてしまいそうで、少しの不安を抱えて浮かんでいく。そんな薄い膜で不安を囲うにはどうしても心もとなくて、口も身体も思う様に動かない。
あえて選択という言葉で取り繕うのなら、自分は“何もしない”ということを選択したのだろうと思う。そこから派生する事態全てを承知した上で、自分は選んだのだ。そう考えるほかない。
自分は弱々しい笑みを浮かべるほかなかった。間を誤魔化すようにコーヒーを口に含む。
すでに冷たくなっており、いつもより苦く感じた。