その8
「別に話す相手は誰でも良かったの。でも私は友達がいないし、店長さんにする話でもないでしょう。あなたにする話でもないけど」
再び自分は喫茶店へと舞い戻り、彼女と対面して座っていた。この流れは誰かによって作為的に作られたように思い、キョロキョロと辺りを見回す。
「ずっと同じクラスだったのに、面と向かって話すのは初めてね。けど、私はあなたの事を知らないわけじゃないよ。あなたの友達は目立つし、その側にいるあなたが目立たないわけがないもの。それに、あなたは知らないかもしれないけど、図書館とか本屋でよく見かけていたから知ってるの。怪しい新書とかを好んで買うこととか」
彼女は朗々と言葉を尽くす。波出る言葉は友人のように力のあるものではないけれど、底の見えない意思の様なものを感じた。
「話相手に選んだのは、あなたが黙って私の言葉を聞いてくれると思ったから。ここでよくあなたが長ったらしい校長の話の様なものを聞いてたのは知ってたし、あなたが推薦で進路が決まってる事も知ってたしね」
彼女は笑みを浮かべる。それは普段見る笑みとは別種のもので、自身を摩耗させるような抵抗力を感じさせないものだった。
それをジッと見る事が出来ず、視線から逃げるように手元のコーヒーを飲む。なぜか味がよく分からない。
「普段からこの位はっきりと意思表示できるだけの心を持てたなら、私はもっと別の何かになれたんじゃないかなって、ずっと思うの。でも、こんなことが出来るのも、本当にたまたまそんな気分で、ほんのちょっとの勇気があって、それを聞く相手もたまたま暇をしてたからというだけね。
だからこれは、私の覚悟とか勇気が示されたわけじゃないし、多分これから先も似たような毎日が続くんだろうなぁって思う」
彼女も、視線を下ろしてコーヒーを口につける。
マジマジ見た事はないが、彼女は髪が長かった。口元にほくろがあるのも今気がついた。もう何年も同じ生活圏にいるのに、そんな事に気がついたのには今更感が否めない。
育ちの良さを感じる外見だけど、思いのほか、ずぼらさが見え隠れする。ズルッと音を立ててコーヒーを飲むし、スプーンもガチャガチャと音を立てる。
「私としては、別に何か責任のある事をするのは嫌ではなかったりするの。やっぱり面倒くささはあるけど、それも大したものではなくて、無視出来る位のものだったりするの」
友人の口上よりも言葉尻が小さく、力が弱い。でも、そうやって何かを主張する彼女を見るのは初めてだった。
「自分には誰かを従わせる力がない事は分かっているけど、それでもやると決まったからにはしっかりやりたいとは思うでしょう。いえ、私はそう思ってた。それが当たり前で、常識で、当然だと思ってた。
そうした時、じゃあ周りの人はどうするべきだと思う?
大した意見もないのに適当な事を並べて、挙句には色んな物が破たんして、残るのは私に課せられた責任だけ。それってどういうことなのか私にも分からない。
多分それもこれも自分に他人を御するだけの力がない為の結果だと思う。結局はそれに落ち着いて、自分に責任を求めて、あぁ、自分が変わらないといけないんだなんて、そういう悲観的な結果しか残らない。
でも、じゃあ私は何も努力してこなかったという事なのかな。ううん、努力が足りなかったのかな。自分に大した利益もないのに人のために時間を割いて、目的を定めて行動してきたのに、最後には文句と形ばかりの義務と責任。結局私はどうすれば良かったのかな」
淀みのない言葉はそれだけ身の内で時間をかけて生成されたものだという事が分かり、その在り方は友人のそれにとても似ていた。なぜ友人も彼女も、それほどまでに確固とした考えを持てるのか自分には分からないが。
「私はただ権威というものを信じたかっただけかもしれないね」
ボソッと彼女は呟く。
「あなたはそういうことはないの?」
問われ、自分は答えに窮する。でも、そんな自分を見て彼女はすぐに口を開く。
「言葉なんて期待してないよ。普段あなたが口を開けている所なんて、コーヒーを飲んでるかモノを食べている時くらいしかみたことないもの」
言われて、ふと顔を上げる。そこにはやはり普段見ない彼女の笑みがあり、自分はただ苦笑するしかなかった。
「でもしゃべれないわけではないんでしょ? 小学生の時はあんなにもおしゃべりだったし」
どうやら自分の事を小学生の頃から知っているらしい。自分には全く覚えがない。
「なんであなたがひたすらに喋らないのか、私には見当がつかないけど、こっちとしては都合が良いかな。あまり同意とかそういうのして欲しくないもの。どちらが非道徳的かなんて一目瞭然でしょ?」
なんて、彼女は最後まで言葉を濁していた。