SEASONS~桜~ 7
おうちの前に死体が一つ。
アパートの前に倒れているそれを見つけてしまった。慌てふためく松戸と、警戒しまくる浅見を余所に110番通報しなきゃと携帯を取り出し、珍しい着信に気が付いた。見ると昨夜から今朝までに21件。全て同一人物からで最新のはほんの6分前になる。
死体はもしかしたら遺体なのかも。ついでに言えばまだ生きてるかも。
遠巻きに見ていたところを数歩近づき、体を揺する。私の行動にギョッとしている二人を余所にうつ伏せだった体を横向きにすると
「起きて貰える?修也君」
3年ぶりに見た義弟の顔があった。
行き倒れている義弟を叩き起こしてアパートに連れ込む。単身学生用アパートに家主と成人済み男性三人が押し込められている光景はとてもむさ苦しい。
買ってきた食材を冷蔵庫に早々と仕舞ったが、非常食に確保しといた冷凍食品は彼の胃袋に収められて行く。
「随分とお腹が減ってたのね」
最初の着信は昨夜0時過ぎ。夜更けに電話されても、私は一人で修羅場していたし、帰ったら帰ったで泥のように眠っていた。起きてからも忙しくて現在に至る。その間にこの弟は飢え死にしそうなくらい逼迫していたらしい。
「最終電車でこっちまで来たけど、金が無くなって。ここまでは歩いて来た」
「どこから?」
聞いた地名は5つ先の主要駅。無理ではない距離を迷いながら歩いた彼はアパートを目の前にして力尽きた……と。
「永治さんはお金くれなかったの?」
罷り間違っても『父』とは呼びたくない私の血縁である彼の恋人は何をしているんだ。言葉にはしないにせよ態度では私を家から追い出したくて仕方がないと示していた奴は、大切な恋人を亡き者にでもしたかったのか。こづかいくらいしっかり渡しておけ。
「永治さんは……知らない」
言葉を詰まらせる修也に嫌な予感しかしなかった。これは痴話喧嘩して家を飛び出してきて、泊る場所がないからとりあえず遠方に住む義姉を頼ろうと言ったパターンか。どうせ数時間後か下手したら5分後にはアパートの玄関の前で『修也、俺が悪かった!一緒に帰ろう!』ってなるんだろ。アホらしい。
「そう。じゃあ帰りの電車賃はあげるから暗くならないうちに家に帰りなさい」
「姉さん、俺の話聞いてた?」
「聞いてた。だけど私にはよくわからないから。早く帰らないと心配してるわ」
「してないよ!だって、家には永治さんの恋人がいるんだ」
……おーっと、これは。
深呼吸をして部屋を見渡す。狭い部屋だ。テーブルには空の器とマグカップが3つ。テーブルを囲む男三人。
「ごめん、今日は帰って」
この先の話を他人に聞かせられるほど、世間を知らないわけではない。ましてや私にとって家の恥とも暗部とも言える部分。無理無理無理。
松戸も浅見も妙な雰囲気を感じ取ったのか、静かに頷き腰を上げようとしたのだが
「一昨日、俺が仕事から帰ったら家の明かりが全部消えてて、永治さんはもう寝たのかななんて軽い気持ちで寝室に入ったら……永治さんと知らない男が俺たちのベッドで」
「わかった、わかったからもう話さないで頂戴。姉さんが悪かったわ」
「俺が『なんで』って聞いたら、永治さんは謝るばかりだし、相手の男はキャーキャー叫んでシーツに包まって出てこないし。最後には『すまない、本気で彼を好きになってしまったんだ』って男を抱きしめるしで、俺家を飛び出してた。気が付いたらこっちまで来てて、昨日は知らない人が家に泊めてくれたけど、朝になったら宿代払えって言われて服を脱がされそうになって、急いで逃げて」
「お願いだから黙って。聞きたくない」
「俺、俺、永治さんのこと本気で好きだったのに。永治さんは違ったんだ。だからあいつを本気に好きになったって……」
「いい加減にしないと追い出すわよ」
修也のマシンガントークに呆気に取られた二人は逃亡のタイミングを逃してしまった。本当なら私が真っ先に逃げたかったけどね。
「山岸の弟って」
「松戸、それ以上言ったら怒る」
「沙世ちゃんの弟君、久しぶりに会ったけど大きくなったねぇ」
「いつどこで会ったか知らないけれど、今は何を言われてもムカつくからやめて」
この件に関しては何人たりとも触れて欲しくない話題なの。
他人に聞かれてしまったのは致命傷だが、不幸中の幸いとしては修也の恋人『永治さん』が誰であるかまでは知られていないことか。
これで義理とは言え親子関係にあると言うことまでバレたら……あぁ、嫌だ。考えたくない。
「姉さん、俺どうしたら良いんだろう」
そんなこと聞かれても困るから帰れ。
……言いたいけど言えない。
言ったら最後。BL小説の意地悪な女脇役として悲惨な最期を迎えるに違いない。なんたって外野がしっかりと見張ってるんだもん。他の視線がなくったってこの世界では恐ろしい神がゲイに理解のない女に罰を与えるんだから。
「まず仕事があるんだったら一回あっちに帰りなさい。仕事休んでるんじゃないの?」
進学してから早3年。実家への興味を失った私は義弟が今何をしているのかも知らない。進学してるのかと思ったが話を聞いて見るとどうやら就職しているようだ。ならば社会人としての責務を果たすためにも地元に帰って仕事しろ。家に帰れとは言わない。大学生が保証人になれるとは思えないが、アパート探しくらいなら遠く離れたこの地からサポートしてあげよう。
「仕事は辞めた。前から永治さんと話をしてて、専業主夫になるつもりだったから。けど辞めて帰ったら家に新しい恋人がいた」
わぁ、バッドタイミング。
おい、親父。別にどちらの味方をするわけでもないけれど、あまりにも酷くないかい?無職の一文無しを家から追い出すなんて。追い出す気はなかったと主張してもこの状態は強制退去に近いぞ。
「家も職も恋人も全部なくなった……」
唯一持って出た仕事用カバンも泊めて貰った見知らぬ人物の家に置いて来てしまったようで、まさに着の身着のまま。辛うじてポケットに入れていた携帯電話と財布だけが今の彼の財産だ。
あぁ、頭が痛い。
血が繋がらないとは言え、幼少期、思春期と共に過ごしてきた家族だ。
しかも困っている原因は私の血縁。奴の身勝手な振る舞いにより雨風を凌ぐ屋根を失ったとなれば……
「暫くはここにいなさい。狭いけど客用布団ならあるから」
手を差し伸べるしかない。
「……良いの?」
「私を頼ってきたんでしょ。良いわよ、私は貴方の姉さんなんだから」
テレビ台の上に飾ってある亡き母の写真を見て心の中で謝罪する。
お母さん、ごめんなさい。うちのバカでどうしようもない父親は貴女の息子さんに手を出した揚句、ポイ捨てしました。あいつさえいなければ息子さんは健全な好青年として今頃は素敵な彼女と楽しいキャンパスライフを送っていたかも知れません。
この罪はあの最低男が償うべきなのですが、今は私が息子さんの生活の手助けをすることで一先ず許して下さい。愚父で申し訳ない。あの世に行くのが待てなければ今すぐ煮るなり焼くなりして下さい。
同居人が出来ました。
さて、外野二人には何から説明しよう。