次の夢へ
さて、じゃあ最後? なので、総括でもしますか。
この作品の結末についてですが、これは当初考えていたものと変わっていません。
主人公が過去を振り切って、最後まで自分の過去を思い出さないまま終わるってやつです。
偏った主観ではありますが、主人公に『忘れられない過去』がある作品というのは、大抵その物語の進行中で『過去』を思い出す傾向にあると私は思っていました。そんな中で『だったら、逆に思い出さないようにしてみよう』と捻くれた考えがついつい働いてしまい、この作品が誕生しました。
まぁ、上記の理由が全てではないんですけどねw
本当は『FictionJunction YUUKA』さんの、『Silly Go Round』という曲を聴いていて、それに触発されたという経緯もあったり無かったり……。
機会があったら聴いてみてね! ドットハ……(以下ry
作品が出来た経緯についてはそのぐらいですかね。
余談ですが、この作品は読者様を愉しませるというよりも、自分がどこまで書けるか? という事に挑戦した作品です。なので行き当たりばったりだったり、冗長であったり、穴があったりと欠点ばかりです。ま、まぁ……処女作って事ですから、勘弁して……orz
それでは伏線の方にでも触れてみましょうか。
伏線というにはあまりにお粗末な出来ですが、ご容赦下さい。
・スノードロップのペンダント。
これは最初の方にしか描写が無いので、気付かなくても不思議ではないですね。葎が白い庭に招かれた際に、ガラの胸元で光っていたものがこのペンダントです。
・「最初にお前言ったろ『全て救ってやる』って。約束はちゃんと守れよ」という台詞について。
実は伏線回収かと見せかけて、伏線回収してません。時系列が問題なんですね。ガラはこの台詞に類似した『ゼンインスクッテヤル』という台詞を当初言っていますが、コレを意識した台詞ではありません。作中にまだ出ていないという台詞だったり……(以下ry
・黒幕の伊井都雅峰について
バレバレですね。最初の頃から彼は一人称が乱れていました。しかも真さんの姿を見て、『真さんの力…凄い力だよね。欲しいよ私も、ああいう力』とか、モロに口に出しちゃっています。寧さんとの関係性については、出会った当初に、寧さんが『…あなた…どこかで…遇(←誤字)いませんでした…?』
と言っていたりします。その他、神出鬼没であったりする所なのですね。ちなみに彼は自分の持つ複数の二重存在を分散する事で、葎やら真などの二重存在が見える人間の眼を誤魔化していました。基本的には俄面陰我である『イン』と、あの喧しい二重存在の『ヨウ』しか傍に置かないというスタンスです。分散させた二重存在は他の二重存在を監視する役割を持っていました。だから複数の気配がしたり、笑い声が聞こえたりしていたんですね。
こんな所でしょうか?
・葎が急に覚醒しちゃった件について
伏線では無いですが、ご指摘頂いたので触れたいと思います。
以下、ご指摘頂いた方への返答をそのまま転載させて頂きます。
葎が得たのは紅い少女の力の一部……まぁ厳密にはそうでは無いのですが……。
紅い少女と赤い鎖。そして伊井都雅峰の赤い亡者――字こそ違えど『赤』と『紅』が入ってますよね。しかも少女は赤い鎖について何かを知っている素振りを……(以下ry
葎が亡者と解き放った力は、毒を持って毒を制すと言いますか、同じものをぶつけてやれば中和するんじゃない? 方式でですね……。続きは最終話の解説にしましょうか……。
ちなみにガラが葎の体に急に出現したのも『赤い鎖』の影響があったり無かったり……。
という事です。
・赤い鎖と紅い少女。そして伊井都雅峰の操る赤い亡者達について
これまた伏線の類ではないのですが、これらには何らかの関係があったという事だけ言及して置きましょう。しつこいぐらいに『赤』です。
そもそも、あんな危なっかしい力を持つ赤い鎖が道端に落ちている自体が不自然なんですよね……。
色についても意味があります。それと解り難いのですが、葎が紅い焔を出している時の人格は、件の『紅い少女』です。葎と話しながら雅峰と戦っていたんですね。
もう一つ、ついでにこの作品の力関係でも……。
真=紅い少女憑きの葎>広尾>覚醒葎>雅峰>ヒーロー>アリカ>アシ>空鉦
とこんな所でしょうか?
真さんが圧倒的ですね。彼を出してしまうと、一瞬にして雅峰が負けます。それ程強いです。だからこそ広尾で足止めさせる必要がありました。彼を登場させるとパワーバランスがヤバイんです。
広尾も本気を出せば雅峰よりも強いという設定です。彼女の場合、ある技?がチートであり、それを更に上回るチート技を真さんが持っています。
無論そんな彼らが本気を出すという時が来たのだとしたら、それは相当に危険な事態が差し迫っているという意味ですのであしからず。
とりあえず彼ら二人は大人しくしてもらいましょうかね……。
・ガラさんについて
おそらくこれから先もガラさんの具体的な正体について触れる事は無いと思いますので、書いて置きます。彼は近年鯛をよく釣っています。そして性別の無い両性であるというのもヒントです。
……それだけで解るよね?
とりあえず今日はここまでで……。ご指摘があれば追加で補足説明も掲載致します。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。
……これで本当に最後かどうかは怪しい所ですが……。
――昔の夢を見た。
今度はちゃんと実感のある、生々しいというのは変だが、現実味のある夢だった。
俺は窓辺に立っていて――通い慣れた学校の教室の窓辺だ。
幾つもの引っかき傷が付いたアルミサッシから、優しい風が吹き流れていた。
無心で窓の外を眺めていると、敷地内に植えられている木々から瑞々しい木の葉の擦れた音が聞こえてきて心地がよかった。その音は色褪せた淋しげな響きを持っている。
立っているのも疲れてきて、俺は窓際の机に後ろ手を支えにして寄りかかった。ひんやりとした木の肌触りが酷く懐かしかった。夢の中だから感覚なんてある筈がないのに、確かな温度を感じた。
机に触れている指先を強く滑らかな表面に擦り付けると、さらりとした感触に行き着いた。きっと誰かが机の上に落書きでもしていたのだろう。細かな粒子が指に吸い付いているのが分かる。
これは――いつ頃の記憶なんだろうか。ふと俺は自分の夢の中で考えた。
窓の外は蒼い空と薄い黄色の光で輝いている。遠い遠い情景――素直に綺麗だと感じた。
教室の中には――。
『もしかして自分が夢の中に居るんじゃないかって――そう思ったりしない?』
――教室の中には、俺ともう一人の『誰か』しか居なかった。
『何だそれ、お前ってたまに変な事を言うよな』
色の薄い香染色の髪が風に靡き、『誰か』の顔を隠していく。
影のような輪郭だけの姿。部分部分は思い出せるのに、全体像を思い出そうとすると何か違うものになってしまう。でもその声だけは覚えている。
ああ、そうだった。『彼女』の声はこんな風に。
『変かな。君だって人の事は言えないと思うけどなぁ』
夕暮れが近いのか、窓から射し込む光が弱まり、教室内に張り巡らされている影が煮詰めたように黒々とし始めた。黄金色の光と夕闇が複雑に絡み合い、教室の中を色付けしていく。
『っていうかさ。夢だったら覚めちゃうだろ』
俺がそう言うと彼女は笑った。
『そう思う?』
もったいぶるように『彼女』は自分の顎に人差し指を当てた。
夢の中の俺はその仕草が可笑しかったのか、苦い笑いを零した。
『だってそうだろ、夢って覚めるもんだよ』
夢――か。あながち『彼女』の言っている事は間違っていないのかも知れない。
夢の中の俺は納得していないみたいだが。
こう、二つの意思があるというのは変な感じだ。自分なのに自分ではない。
だが、その境界は曖昧で、結局はどちらも自分自身なのだ。
ガラとは性格の区別がはっきりとしているからこのような違和感を感じ得なかったが、今のように似通った思考でありつつも違う結論に至ってしまうと凄く違和感がある。
『覚めないよ。この長い夢はずっと続く。通り過ぎた夢は忘れてしまうかもしれないけど。人は次々に夢を乗り換えて生きているんじゃないかな、多分だけどね』
この夢も――今俺が見ているこの夢も、通り過ぎてしまえば朝靄のように僅かな残滓すら残さずに消えてしまうのか。いつか見た夢の数々のように。未だ思い出せない記憶のように。
風で揺れているカーテンに移りこんだ、沈みかけの日の光が宝石のような輝きで踊狂う。
――静かだ。
『何か嫌だな――それ』
『そういうものさ、夢っていうのは。通り過ぎたら直ぐに忘れてしまう』
夢物語のように現実味の無い話。それなのに俺はそれを真剣に聴いている。昔の俺もそれは同じようで、石のように固まったままじっと『彼女』の顔を見返している。
『……一つ……約束しない?』
『何を』
『いいから』
『彼女』は折れてしまそうな程に細い小指を差し出してきた。指切りをしようというのだ。
しかし夢の中の俺はそれが無性に恥ずかしくて、指を出すのを渋っていた。
『ほらほら』
『彼女』は踏み切れないでいる俺の手を掴み、自分の指を絡めた。
ひんやりとした冷たさが絡んだ指から伝わる。陶器人形に触れているような無機質な冷たさ。
『お、おいちょっと……!』
『いいから――大人しく観念する』
『彼女』には得体の知れない何かがある。
しいて言うのなら――間違えて人形が動き出してしまったかのような不可解さ。
『何を約束するんだよ……』
夢の中の俺はそれについて別段気付く様子もなく、渋々といった感じで『彼女』と指を絡めた。
『……君の中から私を消さないで』
どういう意味なのか、それは今の俺にも昔の俺にも解らなかった。
ただ――彼女の声が酷く寂しそうに聞こえた。
何と返事をしたのだろうか。それを聞き届ける前に夢から覚めた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「――早く食べちゃいなさいよ。今日帰るんでしょ?」
学生時代と何も変らぬ母の声が台所から飛んでくる。
いちいち解り切っている事を確認するように言う所まで、学生の時分と変わらない。
「分かってるって」
「支度は出来てるの? 今からじゃないでしょうね」
「もう出来てるよー……」
気の無い声を返してから俺は四人掛けのダイニングテーブルの椅子に座った。
急き立てるような忙しい雰囲気を肌身に感じる。母のものだ。全く、たまには戻って来いと言っていたのは自分の方なのに。今度はそんなに早く追い出したいのだろうか。
向かい側の父の定位置である筈の席は空白である。俺が目覚める前に出勤したらしい。
母に伝言を残していたらしく『気をつけて帰りなさい。PS:父さんは絶対に甘食の負けを認めません』との事だ。昨日のメロンパンと甘食の優劣を決める熱い論議が尾を引いているのがよく分かる伝言――もとい捨て台詞だ。昨日は確実に俺の論説の方が優勢だった。それなのにあの強情親父め。
ところで――テーブルの上に箸立てと醤油瓶しか無いのだが、醤油を啜れという事なのだろうか。
「はい、出来たよー」
と言いながら母が目玉焼きと焦げ目の付いたソーセージが乗った皿と昨日の残り物である、なめこと豆腐の味噌汁が入ったお椀をそれぞれ右手と左手に持って歩いて来た。
そう――朝食はまだ来ていなかったのだ。こいつは誤算だった。
「んー……いただきます」
白い皿と朱塗りのお椀を受け取り、俺は箸立てから自分の箸を取り出した。
さて食べようか――と思っていたら今度はご飯が無い。これは由々しき事態である。
おかずだけ先に食べていようかと思っている内に母が白磁に青い横線の入った茶碗と胡瓜の漬物が乗った小皿を持って来た。我が家にはお盆という便利な道具があるのに、いちいち往復して運ぶのか不思議でならない。そういう所が我が家らしくもあるのだが。
目玉焼きに白米、そしてソーセージに白米。組み合わせとしてはおかしいのだろうが、これはこれでいける。真の和洋折衷というものじゃないだろうか。
ご飯の上に半熟の目玉焼きを乗せながら、俺は窓の向こうにある突き抜けるような蒼い空を見た。
数日前に俺は実家に帰って来た。理由は特に――無いと思う。単純に暫く戻って無かったというのが理由らしい理由だろう。他の理由としては少し『気になる事』があったという所か。
けれど、その『気になる事』については足掛かりすら見出せなかった。
あくまでついでだから別に気にしていないのだけれど、少々がっかりした。
黙々と食事を進めていると、緑茶の匂いが香る急須を持った母が台所からやって来て、斜向かいの席に腰を下した。家に戻って来た当初は物凄く久しぶりに顔を見たような気分になったが、幾日か経ってしまえばその懐かしみのような気持ちもすっかり消え失せてしまった。考えてみれば、生まれてからずっとこの家で暮らしてきたのだ。たかだか一年――いいや、まだ一年経っていないのか。とにかくそれぐらいの短い間会わなかっただけでは、懐かしいもへったくれもない――。
などと思っていたら、突然母が口を開いた。
「連休でもないのに、あんた、こんなに休んでも大丈夫なの?」
それは今更ながらの質問だろう。もう帰るとなったその時に言うには遅過ぎる。
「まとまったお休みを貰ったから大丈夫だって」
それには理由があるのだが、言っても絶対に信じて貰えないから言わない。
「ふうん……。それならいいけど――」
さしてその事自体には興味が無さそうな反応を示して、母はにっこりと笑った。
「気をつけて帰るのよ? 忘れ物はしないようにね、あんたおっちょこちょいだから」
「はいはい、気をつけますって――父さんも同じ事言ってたよ。……やっぱ夫婦って似るんだな……」
「あらぁ、似ちゃいけないの? それだけ心が通っているって事よ。愛ってやつよ。愛」
しれっと真顔でそんな事を言える図太さは見習うべきだろう。
「……お熱い事で」
親の惚気話を聞かされる程の苦痛がこの世に存在するだろうか。いいや、無い筈だ。
「ま、ゆっくり食べなさいな。食器はちゃんと水に漬けといてね」
ゆっくり食べていいのか、それとも早く食べるべきなのか、どっちなのだ。
ああ、今の内に洗濯物干しちゃおう、と母は急須を置いたまま席を立った。
ちなみに卓上にあるのは急須だけだ。湯飲みなどの類は一切見受けられない。後で持ってくるつもりなのだろうか。そのまま急須から直接飲む可能性も――流石に無いか。
母が居なくなると、急に家の中が静かになった。点けっぱなしになっているテレビから、ニュース番組の音が小さな囁き声のように聞こえてくる。音が小さいので何を言っているのかは解らない。
静寂には近いが、完全には静かであるとは言えない空間で俺は耽った。
鈍い思考に浮き沈みするのは、あの夜の後の事だった――。
伊井都雅峰は死んだ。自分自身を食べてしまうという、斬新というか奇怪な自殺方法で――。
違うか。あれは自殺なのではない。自らの空腹を満たす為に動いたのに過ぎないのだ。
とても嬉しそうに、満足そうに、彼は最期のその瞬間まで哂っていた。
彼の今際の際の表情が未だに眼に焼き付いている。伊井都雅峰という人間がどんな人間であったか、彼が亡くなった今としてはそれも知る由も無いが、最期に見せたあの表情が本来の――彼自身の素顔だったのだろうと俺は思う。そう、あの時に俺は初めて伊井都雅峰という人物を垣間見たのだ。
亡骸は何も残っていなかったそうだ。肉の一片すらも。毛髪ですらも。あたかも彼が殺した人々のように綺麗に消失していた。家族関係も一切不明であったから、事後処理は公園内の破損のみだったらしい。その辺は意識を無事取り戻した瑞樹神さんがこっそりと裏から手を回してうやむやにしたようだ。
気絶していた羽藤涼麻さんは特に怪我をする事もなく、普段通りの生活に戻ったらしい。
彼だけに関わらず、伊井都雅峰の死による他の二重存在への影響は無かった。
ガラが言うには二重存在というものは元々あった魂を粉砕して更にそれを再成形したようなものに過ぎず、其処に伊井都雅峰が関わっていたという事も特に無いそうだ。
あの赤い鎖が深く関わっているかどうかは不明だが、とりあえず安心しても良いらしい。
もう一つ、伊井都雅峰の死と同時に『JRPC』で見せてもらった記憶を消す不思議な物品、確か『亡蛾の繭』と言ったか。あれが何故か消えてしまったと聞いた。伊井都雅峰の死に関係があるのかは分からないが、奇怪な話ではある。
奇怪と言えば――あの赤い鎖は結局何だったのだろうか。
――ガラ様、そちらが焼けてますよ。ああ、駄目ですよ、お肉ばかりではなくお野菜もお召し上がりになって下さい。健康に悪いですよ――
「…………」
――何を言っているんだい。バーベキューと言えば肉を食べてこそじゃないか――
――いいえ、焦げた玉葱なども素晴らしいお味です。ガラ様はそれをご存知になられない――
「…………バーベキュー……」
実際にはそんな匂いはしない筈なのだが、香ばしい匂いが脳内に満ち溢れている。炭が熱く熱せられる煙っぽい匂い。肉の脂が滴り落ちる美味そうな匂い。野菜の青臭に匂いと甘い匂い。
――ふむ……そんなに言うのなら少し食べてみようか――
――こちらにいい感じに焼けたものがありますので、どうぞ。お熱いのでお気をつけ下さい――
「……おい……」
――ほっ……ほっほ。ほう……これは甘いな。うむ……美味だ!――
――でしょう。物にもよりますが、お野菜は熱すると甘みが増し、更に美味しく頂けるのです――
――どこぞやの、ひたすら菓子パンばかり食べている男に聞かせてやりたいね――
――ですねぇ――
「聞こえてるよ、てめえら!」
――おや、盗み聞きかね。趣味の悪い――
――きゃー、変態ー――
「うるさいよ!? 嫌でも聞こえるっつーの! っていうかお前ら何やってんの!?」
――葎よ……分かってないな。休みの日にはバーベキュー。定番じゃあないか――
「そんな定番知らねえけど!? やけにアメリカチックじゃねえか!」
――遅れてるな。そのままでは時代に取り残されてしまうぞ。君も文明開化するべきだ――
「年中明治時代みたいな格好している奴に言われたくないんだけど」
――葎様も如何ですか。丁度玉蜀黍が焼けていますよ――
――悪いけどまた今度……――
――そうですか……。別にいいんですよ? 私なんて……。この前だってお二人で勝手に盛り上がっちゃって、私だけ見知らぬ空間にほっぽり出されて……。ううっ……どうせ私は都合のいい女……――
――葎君サイテー。ひきこちゃんを泣ーかしたー――
「人聞きの悪い事を言わないでくれる? それとガラは黙っとけ。うぜえ」
あれからガラとの関係がどう変わったのか――実はあまり変わっていなかったりする。
そもそも変わる要素が全く無いのである。どちらかの性格が劇的に変わったという事もなく、いつもの日常に戻っただけだ。あいつが茶化して俺が突っ込む――ただそれだけ。
一つ変わった事があるとしたら、それはあいつを全面的に信じられるようになったという事か。
理由とか、理屈とかそういうのを抜きにしてもガラを信じられるようになったというのが唯一であり、最大の変化なのだと俺はそう思っている。
「朝っぱらからバーベキューっていうのも中々ヘビーじゃないか?」
――いやいや、そうでもないさ。ちゃんと野菜もあるからね――
「……お前、肉ばっかり取ってるだろ」
――ハハハハ、冗談を言っちゃいけない。きちんとバランスよく食べているぞ――
――あぁ、私のお肉……! 取らないで下さいませ!――
「子供か! 返してあげなさい!」
眼の前には誰も居ないのに騒がしいというのもおかしなものだ。
ガラの箸がひきこさんの皿からひょいひょいとこんがりと焼き目の付いた肉を取り上げる様を想像しながら、俺はのんびりと口を動かし続けた。
――そうだ、お土産はどうするのだね。燐太に頼まれていただろう――
「お土産っつってもなぁ。この辺は普通の住宅地だし、土産はおろか特産品すら無いんだよなあ」
――だろうね。田舎というには発達しているし、都会というには寂れている。
「半端だよな。おっと……ちゃっちゃと喰っちまって出ないとな。電車に乗り遅れる」
――はて? 時間がまだ存分にあったと思うのだが――
「少し歩こうかと思って。目的も無く歩くのも悪くないだろ?」
一瞬黙ったガラは、小さな笑い声を零した。
何となくだが、あいつが微笑みながら頷くのが眼に浮かぶような声だ。
――是非そうしようか――
それ以上言わなくても解ってる――あいつも俺も考えている事はおそらく同じだ。
窓が風に揺らされ、カタカタと鳴っている。少し風が強いようだ。
窓の外の晴れた空には綿菓子のような雲が浮いている。雲は急流のように流れており、それと共に時間の流れも早くなっているような印象を受ける。もたもたしていたら置いていかれそうだ。
よし、と言ってから俺は茶碗の中身をかきこみ始めた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
伊井都雅峰の死から数日後、俺は真さんと共に瑞樹神さんのお見舞いに赴いた。
幸い瑞樹神さんには外傷らしい外傷も無く、安静にしていれば数日で退院出来ると聞いた。
真さんによると、瑞樹神さんは今回の件に関して相当に責任を感じているらしい。何でも彼女だけは伊井都雅峰の不審な動向に気が付いており、その為に彼を自分の監視下に置いていたそうだ。
眼の届く範囲に置く事で伊井都雅峰が他の二重存在に手を出さないように牽制していたのだと――。
しかし、今回はそれが裏目に出てしまった。
相次ぐ二重存在の失踪を不審に思っていた瑞樹神さんは、羽藤さんの身辺を警護がてらに探っていた。それには伊井都雅峰も同行しており、彼が怪しい動きをしていないか見極めるという意味合いも含まれていたようである。二重存在持ちを狙っているのなら、必ず何かしらの動きを見せる――。
これは瑞樹神さんの勘繰りではあったが、結果的には当たってしまった。
奇しくも伊井都雅峰の次の目標は羽藤涼麻その人であったのである。
だが、伊井都雅峰は中々尻尾を出さなかった。伊井都雅峰ばかりに注意を向け過ぎていた瑞樹神さんは彼が差し向けた二重存在の分身体に不意を衝かれ、身体を乗っ取られた。
伊井都雅峰の立場上、二重存在持ちの居場所を特定するのは容易であっただろう。それでも奇跡的に被害者が少なかったの一重に瑞樹神さんの尽力に因る所が大きい。伊井都雅峰が手をかける前に彼女が先手を打っていなければ更に被害は広がっていた筈だ。
「――赤い鎖……か」
薬品臭さが鼻に付く病院の通路を歩きながら、俺は伊井都雅峰の最期と事の顛末について真さんに説明していた。陽射しが眩しい昼間の病院内は見舞い客も程々に多く、当然看護士や医師も頻繁に行き交うので、賑やかという訳でもないが人の気配をひしひしと感じる場であった。
瑞樹神さんの病室は病棟の一番奥まった場所にあり、俺達は其処を目指していた。
「そうです。こう、体の周りにぐるぐるって巻き付いていて……」
真さんは考えるように顎に手を当てると、そんな筈はない、と呟くように言った。
「真さん……? どうしたんですか?」
あまりにもその表情が深刻そうだったので、声を掛けずにはいられなかった。
「あ――ああ、いや、別に何でもないよ」
何となく歯切れの悪い物言いだ。
「そうですか……? ならいいんですけど……」
歩き進む度に人の気配が希薄になってきているような気がする。
病室の扉の間隔も徐々に狭まっているようにも思える。
この辺りはおそらく個室が集まっている区画なのだろう。一味違う雰囲気が漂っている。
仄かに香る――これは――裕福な匂いだ。仮にそんな匂いがあればの話だが。
「――着いたよ」
真さんが他の病室とは明らかに一線を画している木製の扉の前で立ち止まった。
形状こそ普通の病室の入り口に設えてあるものと変わらないが、赤みがかった光沢のある木材が、自分は高級であるからして迂闊に触れるべからず、とでも主張しているようだ。
そんな俺の妄想の中にのみ存在する主張にも臆せず、真さんは静かに扉の腹を手の甲で叩いた。
どうぞ、という聞いた事もないような上品な声が扉の向こう側から返って来た。
そういえば瑞樹神さんはかなり立派な家柄の出らしい。古くからある名家の一人娘なのだと。
要するにお嬢さん――。
「大人しくしていましたか、瑞樹神さ――」
扉を開いた先には、女子小学生が無理をして口に出すのも憚られるような過激な黒の下着を着用し、身分不相応の扇情的なポージングを取っているような図が繰り広げられていた。
無論小学生はどうあっても小学生なので何も感じないのが道理である。実は小学生ですら無いが。
「やぁん! やっと来てくれたんだ、真っ! ささ、そんな他人行儀な挨拶は抜きにワタシのベッドに……。いや! むしろそのまま直接ワタシにライドオン! そして裏表、上下左右、三百六十度ひっくり返しては二人の愛を確かめ合い――うおおおおおおおっ! 滾ってきたーッ! 病院っていいよね! エロいよね! えっ? エロくない? エロいって! っていうかエロくあって欲しい! エロくなきゃ病院じゃない! と・に・か・く! 早速二人でぇぇぇ病室を愛の巣にィィィィィ塗り替えようじゃないかぁぁぁ! よっしゃぁぁぁぁ! そうそう、真は受けとせ――」
真さんは眼で追えない程の速さで扉を閉めた。
開いたと思ったら既に閉まっていた――という表現が最も的確であろうか。
『光速』など足元にも及ばぬ。俺はその日、『神速』というものを生まれて始めて見た。
閉ざされた扉の内側からは、凄まじいまでの金切り声と喘ぎ声、その他おぞましいピンク色の声が反響し、尚且つ扉をがりがりと小動物が引っ掻いているような音が聞こえてきたが、真さんが片手でバリアフリータイプになっている扉の取っ手を押さえ付けているので開く事は無かった。
ちなみに扉を押さえている真さんの手には青筋が浮かんでいる。本気だ。
「…………あの……瑞樹神さん元気そう――」
「帰ろうか」
「でもお見舞いは――」
「帰ろうか」
俺は頑なに『帰ろうか』と繰り返す真さんを苦心の末どうにか説得し、その扉の封印――じゃなくて真さんの手を取り除く事に成功した。人生の中で二番目ぐらいには頑張ったのではないだろうか。
入室してからも、飛びかかって来たり擦り寄ってくる瑞樹神さんを真さんが何度か窓に向かって放り投げるという若干のアクシデントもあったが、全部見なかった事にした。
「――ふうん……。死んだんだ」
事のあらましを聞き終えた瑞樹神さんは、無感情な口調でそう言った。
やけに淡白な反応だと思った。瑞樹神さんは前日まで意識を失っていたので、伊井都雅峰が死んだ事を知らなかった筈。もう少し驚いてもよさそうなものなのだが――反応を見る限りそうでもないらしい。
「どうせ死ぬなら、目の前で面白い死に方でもしろっつーの。……そう思うだろ?」
「はぁ……何かですか」
「例えば腹ん中に爆薬詰めて爆発するとかさ、色々あるじゃん」
赤い風船が破裂する情景を想像してしまい、季節などが関係なくとも薄ら寒くなる。
「スプラッターっすね……」
「それぐらいやんないとな。派手なのだと余計に滑稽で笑えてくるんだよ。見てみる?」
「いえ……遠慮しときます……」
「冗談だよーっと……。真に受けんなって」
つまらなさそうに彼女は言い、掛け布団の上に両手を伸ばして窓の外へと視線を遣った。
磨き上げられた窓硝子に瑞樹神さんの少女のような横顔が映り込む。
「せっかくさー……。今度お前らもひっくるめて、ワタシん所の別荘にでも招いてやろうかと思ってたのにな。……面白くない奴だよ、せめて何か言ってから死ねよってなァ?」
冬の厳しい風が、唸りながら窓の外に降り積もる色付きかけた木の葉を高く舞い上げる。
「勝手に死ぬなんてあの恩知らずめ。ゲームも貸しっ放しだし、ぜってー許してやらないからな――」
後から聞いた話なのだが、瑞樹神さんは伊井都雅峰を弟のように可愛がっていたそうだ。
彼女はあれで意外と情が深い人だから――と真さんは言っていた。かなり性格が丸くなったとも。昔の瑞樹神さんならば、伊井都雅峰はとうの昔に消し炭になっていたらしい。
そうしなかったのも、瑞樹神さんが伊井都雅峰に更生の余地を見出していたから――だとか。
硝子に映った瑞樹神さんが心なしか寂しそうに見えるのは、窓の寒々しい風景と彼女のぼんやりとした顔が一枚の絵の如くぴったりと重なっているからなのだろうか。
彼女が当たり前のように発する棘のあるような言葉も、枯れ花の如く萎れているように思えた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
朝方に雨でも降ったのだろうか。瑞々しい湿り気を帯びた風が肌を撫でる。
俺は冷たい風に首を縮めながら線路沿いの道をとぼとぼと、一枚の写真を片手に歩いている。
その写真には中学時代の俺が情けない表情で写っていた。その隣には一人分の間隔を空けて虐めっ子――今となっては数少ない友人の一人となっている江上幸平が不貞腐れたような顔で立っている。
自分を虐めていた奴と一緒に写っているなんて奇妙な写真だとは思うが、後に友人関係へと発展した事を鑑みると、特別不思議な写真であるという訳でもない。
彼とは何故友達になったんだっけ――何かしらのきっかけがあったに違いないのだが、上手く思い出せない。写真をじっくり見てみても、写真の中に閉じ込められた幸平の姿は不機嫌そうで、とても友人であるようには見えない。となればこれ以降に何かがあったという事になるのだが――。
――その写真が気になるのかい――
写真を見ているとガラが問いかけてきた。
「ん……? ……ああ。何かさ、この間にもう一人誰か居たような気がするんだよ」
一人分――それがやけに引っ掛かる。
――……君も隅に置けないねぇ。いい加減にメロンパンから脱却したらどうかね――
「そりゃどういう事だよ。メロンパンを貶すと許さないぞ!」
――さて、もうそろそろお昼寝の時間だ。おやまあ、ひきこは既に寝ているっ。主人よりも先に眠りに就くとはこの不忠者め。という訳だ。夢で――あ――――
「おい? おーい? ……んだよあいつ……」
ガラの言葉は途中で途切れた。途中まで饒舌だっただけに歯切れが悪く感じる。
しょうがないので一人で歩き続けた。
歩きながら周囲の景観を眺めてみる。昔よく通ったこの道は何一つ変わっていないように感じる。ここまで変わっていないと、歩いているだけで今の自分が過去の自分と少しずつ重なっていっているような気分になってくる。今の俺が中学校の時に着ていた制服を着たらどんな風になるだろう――改めて考えてみると不恰好な姿が頭に浮かんできて、苦笑が零れた。
平日の昼間であるから人通りは少ない。居たとしてもお年寄りばかりで自分と同じぐらいの歳の人間は何処にも見当たらない。朝ならそれなりに混雑しているであろう駅に辿り着いた俺は、入り口の手前の方で立ち止まり、何をするでもなくその場に立ち尽くした。
結局――何の手がかりも攫めなかったな。こっちに戻ってくれば何かしらの記憶が戻るかと思ったのだが、最後まで何も思い出せなかった。
「……まぁ……いいか……」
最早過去にはそこまで拘っていない。あくまで物の序でに過ぎないのだ。
駅内へと歩み込み、いつに間にやら電子通貨対応になっていた改札を出てホームへと進む。
静まり返ったホームには誰も居なかった。こんな事は滅多にない。自分だけがこの空間を独り占めしているような気分になる。いつもなら聞こえてくる紳士と女中の喧しい声も聞こえないから、その感動も一入である。電車が来るまで立っているのもどうかと思い、近くにあったプラスチックの連なった椅子に腰を下した。一息吐いてから俺は梁が錆びている天井を見上げた。
赤茶けた鉄骨は眼を細めてみると木材のようにも見えない事も無い。視界の上半分を瞼が覆うと、何だか眠くなってきた。散々寝たのにも関わらず――である。
今朝見た夢のせいなのかも知れない。内容はよく思い出せないが、悪夢ではなくいい夢だったのを記憶している。その空間に居るだけでささくれた神経が癒されていくような。固まった心が解き解されていくような夢。それと同じ夢を見たいと本心では願っている。
もう一度同じ夢の中に行けるのなら――どんなにいいのだろうか。あの子に逢えたら――。
「――もしかして自分が夢の中に居るんじゃないかって、そう思ったりしませんか」
しゃぼん玉が弾けるように、儚い夢の膜が破けた。
「……な、何っ? 何だって?」
夢の世界に片足を突っ込んでいた俺は、自分が聞いても間抜けに聞こえるであろう声を発した。
首を左右に振って周囲を窺う。がらんとしたホームの中には先程と同じく人っ子一人見受けられない。
――まさか――幽霊とか――。
縁起でもない事を考えてしまった。こういうのが考えないのが恐怖を紛らわす方法なのに。
第一、幽霊の類なら見慣れている筈なのだ。今更怖いなどと――。
――やっぱり怖い。
「――あ、こっちだよ。こっち」
俺はついつい声の来た方向――つまり自分の頭上を仰いでしまった。
西洋人形のように不気味な程に整った顔。枝垂れ柳のようにこちらへと向いている香染色の髪。
女ガラや紅い少女の美しさが自然なものだとしたら、この人の顔には人工的な――そう言っても整形などではなく、名のある彫刻や絵画のように、稀代の芸術家が一から作り上げた傑作の如き輝きがある。
どう形容すべきか――そう――この人は作り物めいているのだ。
「随分と気持ちよさそうに寝ていたね。だけど、こんな所で寝ていると風邪を引きますよ」
人形が絶対に作る事が出来ないであろう、温かみのある笑みをその人は浮かべた。
作り物――ではないらしい。確実に血の通っている人間だ。
その人は俺の視線から心情までをも読み取ったのか、表情を苦笑いへと変化させた。
「人形じゃないよ。よく言われるけどね。そんなに変かなぁ、私……」
そのいかにも人間臭い表情と声色に俺は思わず噴出した。
「あ――これは……すいません、見ず知らずの人に……」
急ぎ頭を下げた。気を悪くしていなければいいのだが。
「いいよ、別に気にしていないから。それよりも、その畏まった口調の方が気になる。見た所、君は私と同年代でしょう。敬語じゃない方がお互いに話しやすいと思うんだけど……どうかな?」
俺は頭を上げた。絵に描いたかのような惚れ惚れしてしまう微笑みが眼の前にある。
凝視するのも悪い気がして、反射的に視線を逸らした。
「……嫌われちゃったかな。まぁ、出合い頭にあんな問いかけをする私が悪いんだけど」
照れ臭そうにその人は頭に手を当てた。ますます感情豊かに思える。
「そういう事じゃなんですけど……。あんまりじろじろ見るのもどうかと思って……」
視線を合わす事が出来ない。つまり――恥ずかしい。
「ハハハ……、こちらとしては構わないんだけどね」
と言って、その人は俺の正面へと回り、慣れた仕草で手を差し伸べてきた。
「兜槍慧。物々しい名前だけど、普通の人間だよ」
少し躊躇したものの、どう考えても幽霊ではないので握手には応じる事にした。
冷たい手だ。冬だからしょうがないか。俺の手も少し悴んでいる気がする。
兜と名乗るその女性は自分の事を『一応教師』と説明した。『一応』という事は教育実習生であるという事なのだろうか。それだと、どう考えても俺よりも歳が上になる――。
俺は眼の前の人物をちらりと盗み見た。
とても年上のようには見えない。それどころか年下にすら見える。
互いがそこそこに自己紹介を済ませると、兜さんは俺の横の席に座った。
話してみると思いもよらず彼女は聞き上手であり、同じ空間を共有している唯一の人物という事もあって、ついつい話が弾んだ。初対面の筈なのに初めて会ったようには思えない程である。
「――こっちへは旅行とか? 私は少し野暮用で来たんだけど」
「俺もまぁそんなもんですよ。探し物を――」
置き忘れた記憶を――。
「……探し物をしに来たんです――」
兜さんはこちらに向けていた顔を正面の――線路の方へと向けた。
さわり、という雑草が擦れ合う音が静寂に形のいい波紋を広げる。この場に音らしい音は殆ど存在しない。一度会話が途切れてしまえば無音に等しいのである。
こういう清冽な雰囲気も悪くない。嫌な感じの静けさではないから居心地がいい。
蒼天からはうららかな陽射しが降り注ぐ。ホームの屋根に遮られているから、日向と影がくっきりと分かれている。このような光景をどこかで見た事がある。確か――。
「……その探し物は見つかったのかい?」
面食らいながらも、俺は兜さんの方を振り向いた。
質問の主である兜さんは、線路の真上に広がる、白雲が斑となっている蒼穹を見たまま動かない。
彼女は整った横顔をそっと、その美麗な空へと寄せている。
「いえ――でも……それが俺にはもう必要ないって……。だから、後腐れは無いかな……残念ですけど」
彼女に倣って、俺も空を見詰める事にした。
空はどこまでも続きそうで、海の水面のように蒼く淡く深かった。
「……後悔はしていない?」
「もっと……大切なものが近くにあるって解りましたから」
潮騒のように風が満ち干きする音が、耳の奥にまで染み渡る。
「さっき……。あの、声を掛けてきた時に夢がどうとか言ってましたけど、あれって何です?」
「ん? あれか。君が椅子の上でうっつらうっつらしてたからさ、皮肉を交えて起こしてあげようかと」
この人は性格が良さそうに見えて、意外と人が悪いタイプなのかも知れない。
「でも……たまに思わないかな? この現実ってものが途方も無く長い夢だって。生まれた時に夢を見始めて――死ぬ時にその夢から覚めて――そんな感じ」
「……途中で夢が終わってしまったら?」
「新しい夢が始まるんだろうね。そうやって、死ぬまで覚めない夢をずっと見続けるんだ」
だからね――と兜さんは続けた。
「夢が終わっても心配しなくたっていい。直ぐに次の夢が始まるからね。それがいい夢なのか、悪い夢なのかは誰にも判らないけど、もしかしたら昔の夢の中に置き忘れてしまったものと、思いもよらぬ場所でまた巡り会えるかもよ? 例えば――」
兜さんの唇が時の流れに逆らっているかのようにゆっくりと動く。
しかし彼女が何を言っているのか――言葉は風に流されてしまい、解らなかった。
さて――と、兜さんは立ち上がり、うんと背伸びをした。
「どうやら私も忘れ物をしちゃったみたいだ。取りに戻るよ」
「え? でも、後ちょっとで電車来ますよ?」
「次のに乗るから大丈夫。あぁ、そうだ。ちょっと眼を閉じていてくれないかな?」
俺は訳が分からないまま、眼を閉じた。
「――次の夢で逢おうね、葎」
耳元にそんな言葉が囁きかけられた。
「……なっ……」
――夢が覚めたような気がした。
瞼を開いても、其処には誰も居なかった。
立ち上がって振り返ってみたが、矢張り人影すら見当たらない。
―――葎よ。どうした、葎。おい、大丈夫か――
聞き慣れたガラの声がする。
「お前――何で……寝てたんじゃ……」
――寝ていた? 寝てなどいないよ。さっきから呼びかけているのに、君が反応しなかっただけじゃないか――
狐に抓まれたのか。それとも――まさか本当に夢だったのか。
考えられなくもない。椅子の上で寝ていて、そのまま夢を見ていた――。
「夢か……」
――夢? 君の方こそ寝ていたんじゃないかね?――
「……そうみたいだ。夢を――見ていたんだろうな」
――……本格的に心配になってきたんだが……。病院……行く?――
ガラは深刻な声で俺を気遣うような声を出してきた。
「寝惚けてただけだっての! ……何とも無いって」
俺は上着のポケットにしまっていた、あの写真を取り出した。
一人分の空白――その中に収まるべきなのは――。
「まさかな……」
突風が吹き荒んだ。砂埃が舞い上がり眼に入る。
涙が滲んできたので、目頭を写真を持っている手の横で押さえた。
その瞬間、更に強い風が吹いてきた。
「――っ……! あ――」
荒々しい風は俺の手から写真を取り上げ、空中へと吹き飛ばした。
彼方より滔々と流るる風によって、思い出の塊でもある一枚の紙が流されていく。
俺は何故かそれを追う気にはなれなかった。理由は分からない。そうするのが自然なのだと――。
ひらひらと蝶のように写真は舞い遊びながら遠くなる。まるで自由になったように。
そして――写真は見えなくなった。
「……行っちまった」
――追わなくてもよかったのかい――
「うん……多分、あれでいいんだ」
突然写真を入れていたポケットが震えた。
「な、何だ!?」
――落ち着きたまえよ、携帯が震えているだけじゃないか――
「あ、ああ携帯か……。まったく……吃驚させんなって――」
ポケットの中から携帯電話を取り出すと、発光するディスプレイに寧さんの名前が表示されていた。
出てみると寧さんの明るい声が聞こえた。近くには真さんと空鉦さんも、果ては瑞樹神さんまでもが居るらしく、背後から聞こえる音は混沌としていた。
内容は簡単だ。『天儀屋』にぞくぞくと人が集まっているから、マンションの方ではなく店の方に直接来て欲しいと。後で学生組も合流するらしい。
『みんな待ってますからね! も、勿論あたしだって――。(――寧ちゃぁぁぁぁあん、あーそびましょー)(――きゃぁああぁっ! こっち来ないでぇっ!)(――瑞樹神さん?)(――ハッ……!? 真……!)(何をやっているんですか)(やばっ、いけ! 空鉦ガードッ)(何で俺ふがぶッ!)(怖いよー……。死にたくないよー……)――っと……葎君かい? 不儀です。ちょっとうるさくて悪いね。とにかく気をつけて帰ってきてくれ。橋間さんは俺が責任を持って守るから大丈夫だ。それじゃあ、また後で――』
――あっちは賑やかだね――
「もう一泊こっちに泊まる……?」
帰ったら、ろくでもない事が待っていそうだ。
携帯をしまって、再び俺はプラスチックの椅子へと腰掛けた。
暫くするとホームの中でじきに電車が来るというアナウンスが鳴り響いた。
遠くの方で大きなものが風を裂いてやってくる音が聞こえる。
風を纏った電車がホームに滑り込んでくる。自動扉が音を立てて開く。
次はどんな夢が見られるのだろう――そんな事を考えながら、俺は電車へと乗り込んだ。
仄かに残る記憶の残り香を、空白の目立つ写真を、そして昔の夢を手放した後で。
終わり――あれ、完結設定が……(以下ry




