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duplices  作者: rakia
68/71

二対一

 

 

  ※注意書き。

 


 ※これは最終話ではありません。


 ※尚、こちらの曲をかけながら前回とぶっ通しで読まれると更にお楽しみ頂けると思われます。


 URL:http://www.youtube.com/watch?v=5tSOEEj6YRs&feature=player_detailpage


 ※というか、小説を読まず、この曲のみを聴いてみるのもいいかも知れません。つまりこの小説については……(お察し下さい


 ※『BGMとかこの作者恥ずかしいー』とか言ってはいけません。知ってます。


 ※決して『あれ? これジャンヌにちょっと似てね?』 とか言ってはいけません。


 ※読んでいて精神的に著しい損害が出たり、頭が痛くなったり、時間を無駄に費やしてしまったと思われても、当方は一切の責任を取りませんのであしからず。


 ※これらの注意をよくよく踏まえてお読みになって下さい。


 

 眼の前の闇の中から姥季淡慈の白い顔がぼう、と浮かび上がった。 

 赤い眼と赤い舌がちらちらと、揺れ動きながら肉迫する。

 白い歯が燐太の首に噛み付こうとしたその瞬間――。


「――友の危機(ピンチ)にヒーロー参ッ上ッ!」


 小さな影が夜を裂き、燐太の襲い掛かろうとした淡慈の身体を真横に吹き飛ばした。

 骨のへし折れたような嫌な音を響かせながら淡慈の身体がアスファルトの上に投げ出される。

 彼に衝突した小柄な影は空中で身を翻すと燐太の直ぐ傍に着地した。

 影は誇らしげに胸を張り、手を腰に当てている。

 何が起きたのか全く解らない燐太と藍子は、唖然とした表情でお互いの顔を見合わせた。

 小柄な影が蒼い月の淡光に照らされていく。その月を背に立つその人物は――。


「間一髪だな! 無事か、燐太!」


 制服姿の秋葉正一の身体を借りた二重存在――『ヒーロー』であった。


「お前……。えっ何で此処にいんの……」


 気の抜けたような声で燐太は『ヒーロー』に言う。


「悪の臭いを感じ取ったものでな! 臭いを辿って来てみたらこうなっていた、という事だ!」


 ヒーローは静けさをぶち壊すような大声で答えた。其処に遠慮という文字は見受けられない。


「えぇッ! マジかそれ!」


 燐太まで釣られて大声になってしまった。


「実は嘘だ! 本当は――ほれ、そこの――」


 ヒーローは藍子の背後を指差した。

 燐太が眼を向け、赤い少女に身体を押さえつけられたままの藍子が首だけで振り返る。

 其処には、今正に両手で持ったビール瓶を赤い少女に振り下ろそうとしている伊織理沙が立っていた。


「え、えいっ!」


 眼を瞑りながら理沙は思いがけず強い力で、赤い少女の脳天目掛け瓶を叩き付けた。

 ビール瓶が大きく粉砕し、赤い少女の手が一瞬緩んだ。藍子はその隙を見計らって赤い少女の腕からすり抜け、飴色の瓶の口だけを持っておろおろとしている理沙の手を取って駆け出した。


「あ……柳葉さん……」


 頼りなさげな子犬のような表情で、理沙は自分の前を走る藍子の背中に小さな声を投げかけた。

 藍子は急に立ち止まり、自分の背中に衝突した理沙に向かって振り返った。


「よくやった! ホントはダメなんだろうけど、よくやった!」


 苦笑い顔の藍子は理沙の頭を抱き寄せ、ぐりぐりと撫で回した。擽ったそうな顔で理沙は眼を閉じる。

 赤い少女とある程度の距離を取った藍子は警戒を緩めずに少女へと眼を動かした。瓶で殴られた赤い少女は全く動かない。藍子と理沙をぼんやりと眺めているのみだ。 

 短い間に色々な事が起きてしまい、理解が追いついていない燐太に、藍子は自分達は無事であると親指を突き出した。戸惑いながらも燐太はそれに頷いた。藍子は続けて倒れている姥季淡慈をちらりと見て、突き出し立てたままの親指を半回転させ、下に向けた。

 『やってしまえ(、、、、、、)』という意味である。

 燐太はその『やってしまえ』がどの『やってしまえ』なのか判らず、首を縦に振るでもなく、横に振るでもなく、中途半端に斜めに振った。つまり『考えさせてくれ』――と。

 彼らがそのようなやりとりを交わしている間にもヒーローの説明は続く。


「――彼女が何だか『風早君と柳葉さんのでいと(、、、)』がどうだの言っていてな! お前らの後を後を付けて行く事にしたんだ! 尾行というのはこそこそしていてあまり好きでは無かったが、してみると案外悪くないな! ヒーローとしてはあるまじき行為だが、結構愉しかったぞ!」


 明朗な声で、あっけらかんとヒーローは言ってのけた。


「…………正一はそれについて何て?」


 抑揚の無い他人行儀な口ぶりである。


「いやな、最初は『あんまりそういうのはよくないから止めておけ』と渋っていたんだがな、その内ノリノリになってきてだな、理沙と共にニヤニヤし始め――していないッ!」


 途中から唐突に口調が変わったヒーローは叫んでしまってから困惑している燐太の顔を見て、しまったとでも言わんばかりに口を押さえた。その所作はヒーローではなく、明らかに秋葉正一のものである。


「……ノリノリ……」


 ぼそりと燐太が呟くと、ヒーローの――正一の身体がびくっと固まった。

 ぎこちない動きで正一の顔が燐太に向けられる。

 捲くし立てるような機関銃の如き言葉が燐太を襲った。


「さっきまで言っていた事は全部冗談だ! 尾行なんてしていない! そうさ、冗談だとも! 本当は散歩に出ていたら偶然にも君達――じゃなくてお前ら見かけてな! それで……えーっとえーっと……。とにかくヒーローは嘘を吐いていない!! 問答無用で頭を空っぽにして信じるがいい!!」


 ヒーローの口調を真似ているのか、正一は極めて不自然な口調で、務めて明るく言った。


「でも、正一だよな?」


 無論そのような調子であるから、現在喋っているのが正一だという事はバレている。

 正一の顔は茹でた蛸のように、暗闇でも判るぐらいに赤くなった。


「そ、そんな事よりもだ! ……気をつけろ……! まだ倒れていないようだぞ!」


 真っ赤な顔のままで、正一は燐太の背後に視線を移した。

 燐太が釣られて後ろを振り向くと、丁度、姥季淡慈がゆらりと幽鬼のように立ち上がる所であった。


「ひひひひ! 不意打ちなんて卑怯ですよねぇ! あー……痛かった……」


 淡慈は自身の折れ曲がった首(、、、、、、、)を軋む音を立てながら元の位置に戻した。

 遠目からそれを見ていた理沙が小さな悲鳴を上げる。だが、淡慈は燐太と正一のみに意識を集中しているらしく、見向きもしない。 


「ヒーロー……! やるぞ!」


 厳しい口調で正一が言った。


「やっぱてめー、正一じゃねえか!」


 燐太としては淡慈よりも正一の方が気になるようだ。


「そんな事は今はどうでもい――という訳で……ヒーロー再び……参ッ上ッ!」


 正一と入れ代わったヒーローは、自分に身体の主導権が移った途端に淡慈へと飛びかかった。


「ヒーローっていうより猿じゃあないですかぁ?」


 拳を振り上げ、ヒーローは真っ直ぐ淡慈に突っ込んでいく。 

 しかしその瞬間、霞のように淡慈の姿が消失した。

 

「何……!? どこへ――」


 目標を失った拳が虚しく空を切る。

 見間違いなどではない。確かに姥季淡慈の姿は消えている。ヒーローは先程まで淡慈が立っていた場所に着地した。その足下を赤い影が生き物のように背中側に抜けていく。

 燐太は眉を顰めた。やけにその影が気になったのだ。まるで――。

  

「……ヒーローッ! 下だ(、、)!」 

 

 まるでそれは人の影のよう――。

 影が浮き上がり、立体的に変化した。人の姿に。姥季淡慈の姿に。

 ヒーローの背後に突如出現した淡慈は、長く伸びた爪をヒーローの首に突き立てようと両手を伸ばした。その一撃を、反応が遅れながらもヒーローは腕を楯代わりにする事で防いだ。


「うおらぁぁぁぁぁッ!」


 雄叫びを上げながら、影踏みのように燐太は両足の裏で淡慈に蹴りかかる。

 しかし、それが命中する前に淡慈の姿はまた消えてしまった。

 

「ちくしょうが! ウナギか! 影だ! 動いてる影狙え!」


 首をきょろきょろと回しながら燐太は淡慈を捜す。


「影か! 心得た!」


 ――と言うとヒーローは何故かその場で立ち止まり、呼吸を落ち着け、眼を閉じた。

 

「な……何やってんだ!? 眼なんか閉じてたらやられちまうぞ!」

「いいから動くな。その場でじっとしていろ」


 相手がどのように襲ってくるか分からず落ち着きを無くしてる燐太に対し、ヒーローは静かな口調で言い返した。いつもとは違う圧のある物言いである。

 その穏やかでありながら強い雰囲気に、燐太は押し黙った。

 何を――そう思っている内に小さな音が聞こえてきた。微細ながら聞こえる――。

 ――これは複数の人間の哂い声。

 膜を張りかけた静寂を突き破るように哂い声は大きくなり、ヒーローの正面に移動していった。

 

「どォうしたんですかぁぁぁ? もう諦めましたか――」


 おどけたような声と同時に赤い影が地面を離れ、質量を持った実体として闇夜に浮き彫りになる。

 ヒーローの眼の前に姥季淡慈の半身が現れた。半身は下方の地面に曳いている赤い影に繋がっている。

 それを待っていたかのようにヒーローは瞼を一気に開き、左手で淡慈の頭を掴み取った。

 

「お前、いちいち煩いんだよ。声がだな……駄々漏れだ! それと大きい!」


 大きな声で(、、、、、)そう叫んだヒーローは、淡慈の顔面に右拳で思いっきり叩き付けた。

 淡慈は投げ捨て放り出された人形のように宙を舞い、燐太の居る方向へと飛ばされていった。


「燐太、行ったぞ! 決めろ!」


 一連のやり取りを他人事のように見ていた燐太にヒーローの声が掛かる。

 そこで漸く燐太にも当事者の自覚が芽生え、うろたえた。


「なんか来た!」


 驚く燐太を尻目にヒーローは淡慈に向かって走った。追撃を加えるつもりなのだ。


「いいから蹴れ!」


 ヒーローの言葉に燐太は覚悟を決めたような表情となった。

 彼は腰を低く構え、確りと両足で地面を掴んだ。


「おっしゃ……! 任せとけ! 頼むぜ、アシ!」


 燐太の声に呼応するように彼の足は自然に動いた。風が唸り、抉じ開けられていく。

 腰を強く捻るようにした強烈な蹴りが姥季淡慈の後頭部を突き刺す。遅れてヒーローの駄目押しの拳撃が淡慈の顔面を捉える。両側からそろぞれ致命的な打撃を受けた淡慈の頭部はぐしゃりと潰れた(、、、)

 音を欠いた空白が訪れる。一瞬でこそあったが、その場に居た当人達にとっては長い空白である。

 そして――命令系統を失った淡慈の身体は動くような素振りを見せた後、膝から地面に崩れ落ちた。


「お……おおやった……のか?」


 おずおずと燐太が口を開いた。ヒーローはそれに無言で笑って応え、正一と入れ代わった。

 理沙は藍子に身を寄せており、藍子は視線だけは燐太達の方に向けたまま理沙の頭を激しく撫でている。


「――おっしゃぁッ! あの変態野郎を――」


 意気揚々と叫びかけた燐太の顔色は、瞬時に蒼くなった。

 感情任せに生きているようで意外と冷静なのである。


「何やってんだぁぁぁぁ! こ、こ、殺しちまったじゃねえかぁぁぁ!」


 蒼褪めながら掴みかかってくる燐太の頭を、呆れ顔の正一が手刀で叩いた。


「馬鹿か。よく見ろ。それは人間じゃないよ」


 溜息雑じりに正一は淡慈の方に視線を向ける。 


「はぁ!? 人間だろうがどう見ても――」


 燐太は頭部を失った淡慈の身体を横目で見た。

 淡慈の頭部からは、ごぼごぼと月光に照らされた赤黒い液体が流れ出ている。

 否――液体というには質感が厚過ぎる。粘性があるどころではない。ぶよぶよした肉の塊のようなものが淡慈から滲みだしている。そしてそれは人のような形に叙々に凝固しているのであった。

 

「人間――じゃねえな……。え、何あれ、ビックリ人間……?」

「分からない……けど……」


 正一は口を閉じ、その異常な光景を眺め見た。彼としてもこのようなものを見るのは初めてなのだ。

 赤い色の人間のようなもの達は、地面に這い蹲ったまま動かない。

 ふいにその中の一体が燐太の方に向けて顔を上げた。


「な――そんな……! てめえさっき……!」


 見間違う訳が無い。それは姥季淡慈の顔である。


「よかったー人殺しにならなくて――じゃねえよっ! 何で生きてんだ……!」


 色だけが赤く染まっている姥季淡慈が其処に居た。見れば他の赤い人間のようなもの達も個性的な様相を表している。一人の人間から複数の(、、、、、、、、、、)人間が分裂するように(、、、、、、、、、、)現れ出たのだ(、、、、、、)

 燐太は先程自分が頭部を粉砕した方の淡慈の方に急ぎ、視線を送った。


「ど、どういう事だよ……!」


 先程まで其処にあった淡慈の身体が何処にも見当たらない。漠然とした闇が広がっているのみである。

 彼が視線を戻すと、にたりと笑いながら(、、、、、)自分を仰ぎ見ている淡慈の顔が視界に入った。

 淡慈の女性のような唇が音を発さずに動いていく。

 一文字一文字、見る事の叶わない空気に刻んでいくように、ゆっくりと――。

『また会ったわね』――本物の淡慈の二重存在(、、、、、、、、、、)であったもの(、、、、、、)は唇だけでそう言った。

 

「変態野郎……! こりゃ一体……! 何だよ! 何なんだ! 説明しろ!」


 燐太が頭を掻き毟ったその時――天を地鳴りのような音が揺るがした。

 続けて雲の切れ間から無数の赤い鎖がとてつもない速さで地上へと降り注ぎ、淡慈や他の人間の姿をした赤いもの達の首元に繋がった(、、、、)。それは藍子を捕らえていた赤色の少女も例外ではなく、燐太、藍子、正一、理沙、生身の人間を除く異形の者達全てに赤い鎖による束縛が見受けられる。

 続けて赤い眼を輝かせていた人々が地面へと倒れた。そこからも無数の鎖が伸びている。

 ぐん、と鎖が引っ張られていく。異形の者達は地へ、または空へと吸い込まれるように消えていった。

 けたたましい哂い声が闇の向こう側から聞こえてくる。

 

 ――ひひひひひっ。お呼びがかかったみたいなんでこれにて失礼させて貰いますよ。


 それは淡慈の面相をしていた、あの正体不明の何者かの声音である。


 ――安心して下さいよォ、また後で来ますから。ちゃあんと殺してあげますって。


 燐太と正一の身体が同時に動かなくなった。

 それはどちらとも彼らの中に居る二体の二重存在の仕業である。


「お前なんかに俺の友人を殺させるものか。もう二度とな」


 ヒーローが語気を強めて言う。その眼光は武士(もののふ)のように研ぎ澄まされている。


「そういう事でさァ。今度は(、、、)そんなに簡単にやられやしませんぜ」


 足を支える力を失ったアシは、地べたに胡坐を掻いたまま声の聞こえる方向を睨んだ。


「ん?」

「はい?」


 全く同じタイミングで出てきた二体の二重存在はお互いの声に気づくと、引っ越してきたばかりの隣人のようにぺこぺこと頭を下げた。ヒーローはともかく、アシは専ら燐太の足の補助に専念しているので、互いの二重存在が顔を合わせる機会など滅多に無かった。つまりこれは彼らにとって、事実上の初対面と言える。


 ――へえ。ああ、そうかそうかなるほどねえ。ひひひひ、こりゃ傑作だ。


 胸の内側を掻き乱されるような哂い声は徐々に遠ざかり、一寸すると聞こえなくなった。

 ヒーローとアシも燐太と正一に身体の主導権を戻した。


「はぁ……マジで何だったんだ……? っておい、アシ。お前、代わるなら言ってから代われよな。吃驚したじゃねえか」


 胡坐の格好のまま、燐太は首をコキコキと鳴らした。


 ――へえ、すんません。ちょっとあの野郎にむかっ腹が立ったもんで――


「……ヒーローもだぞ」


 正一は夜空を見上げながら、大きく息を吐いた。


 ――すまんすまん! つい言ってやらねばならないなーと、そう思ったんだ――


 全く――と正一は笑った。


「あ、そうだ、正一。助かったわ、ありがとな!」


 同じように顔を星の瞬く空に向けた燐太は、思い出したように言った。


「……礼なんていらないさ」


 そう言う正一の表情は心なしか笑っているようにも見える。

 いや――笑っているのだ。安堵したような柔らかい笑みを彼は浮かべている。


「……? 何笑ってんだよ?」


 訝しげに燐太は訊いた。


「少しだけ嬉しいんだよ。今度は友達を見殺しにしなくて済んで」


 正一は軽く笑いながら、藍子と理沙の方に視線を移した。


「ばっか、てめーな! そう簡単に死んで堪るかっつーの」


 釣られて燐太も藍子達の方を向く。


「っはは……、知ってる。君はしぶといからなぁ。叩いても叩いても、ギリギリで死なない気がする」

「うっせーよ! ゴキブリみたいに言うなよ! せめてカブトムシにしろよ!」


 見るものを同じくしていた燐太が、正一の方を向いて歯を剥いて言った。


「……君って図太いよな。こう……転んでもただでは起きないような……」


 首を振って正一は肩を竦める。


「俺の長所だぜ!」


 街に元の雰囲気が戻り始めている。

 倒れていた人々が、皆一様にきょとんとした様子で身を起こし、薄暗さが漂っていた街に明かりが灯った。ざわついた空気が日常が戻って来た事を示し、どこか滞っていた風が次第に流れていく。

 正一は地べたに座っている燐太に手を貸し、立ち上がらせた。

 彼らから少し離れた所で、藍子が犬を可愛がるように無心で理沙の顎を撫で続けている。理沙も満更では無いようだ。正一と燐太はその光景に顔を見合わせて噴出した。

 燐太達に気付いた藍子が右手を大きく振った。理沙も照れているような赤い顔で小さく手を上げている。燐太と正一は同時に赤い鎖の消えた方角を一瞥し、彼女達の方へ、だらだらと歩いて行った。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 朽た老木を蝕む虫のように、亡者達はじわりじわりと焔の壁を侵食していく。

 肌が焼け爛れようとも、熱気で喉が潰れようとも、はたまた灰燼になろうとも、亡者達は歩みを止めぬ。首に繋がれた赤い鎖がある限り、彼らはその鎖の主に従い続けるしか無いのである。

 火焔が彼らを焼き、彼らは鎖の力によって再び灰から再生する。歪な循環――そこには救いも、ましてや僅かな安息さえも存在しない。ただ、地獄のような苦痛のみがある。

 亡者達の苦しむ様子を別段気にする素振りも見せずに眺めているだけの男、伊井都雅峰は、中心で赤々と燃えている焔の塊を見て、けらけらと軽い哂い声を立てた。

 もう直ぐ自分はもっと強くなれる。あの不気味なほどに自分の力と酷似している焔を手に入れて――。 いいや、それだけではない。ガランサスの力も――である。

 あれはあれで中々に興味深い(ケース)だ。類稀なる能力を秘めているのは間違いない。

 雅峰は何を見るでもなく留めていた視線を亡者達が群がる焔に向けて動かした。

 このまま嬲り殺すように待つのもいいが――いい加減にじれったくなってきた。

 彼は背中から飛び出ている鎖を通じて赤色の亡者達に命じた。

 さっさと殺してしまえ――と。

 歪んだ意思の伝達が為された亡者達は勢いを増し、呻き声を響かせながら焔に喰らい付き始めた。

 焔の壁が次第に狭まっていく。そして紅の焔は人一人がやっとスペースを残すのみとなった。


「いただきまぁーす――」


 最後の壁が剥がされた。亡者達が破れた紅の境界になだれ込んでいく。

 その先には――。


「――えっ……? ……いきなりかよッ!」


 張り詰めた空気には似つかわしくない、素っ頓狂な声が聞こえた。

 その声を聞いた途端に、雅峰の顔から笑みが消え失せた。

 次の瞬間、蠢く赤色の隙間から紫色の閃光が迸ったかと思うと、焔に集っていた亡者達が蜘蛛の子を散らすように次々に弾き飛ばされていった。

 穴の開いた亡者達の包囲網の真っ只中には、情けない顔の青年が佇んでいる。

 

「危ねえ……。……うん? うるせーって! 初めてなんだから仕方ないだろッ!」


 ――にしてもだよ。私ならもっと上手く、かつ華麗に切り抜けるのだがね――


 青年――栖小埜葎は、自身の内側から聞こえる声に憤然と言い返した。


「なぁーにが華麗だ! 質実剛健って言葉もあんだよ!」


 馬鹿な。そんな筈はない。今の――今の栖小埜葎は――。


 ――若干用法が間違っていないかい? ……ぷぷっ……――


 雅峰の内で緊張が高まっていく。


「ええい! 黙れい! いいの! これが俺の使い方なの! ってそんな事よりも――」   


 と言って、葎は開けた視界の先に伊井都雅峰に顔を向けた。

 強い意志の籠った眼――そして紫色に色付いた眼。葎の瞳は雅峰を確りと見据えている。

 雅峰は開きかけた口を閉じると、くすりとも哂わずに葎を見返した。

 赤と紫、葎と雅峰。両者の視線が闇の中で交差する。


「すごいなァ。……何か特別な事でも?」


 でなればこうなった説明がつかない。雅峰は葎の全身をジロリと観察した。


「別に何も。普通にぶん殴っただけだよ、伊井都さん。いや……伊井都雅峰……!」


 真っ向から葎は雅峰と対峙する。彼の表情には最早迷いの一片すらも無い。


「改めて呼ばれると照れるね」


 口の線を歪めて雅峰は言う。しかしその赤い眼だけは笑っていない。


「あんたを止めに戻って来た。覚悟しやがれ」 

「止める……? ははっ、止める……か。……それは無理な相談だなァ!」


 雪崩のように亡者達が葎に襲い掛っていき、一瞬の内に葎の姿が見えなくなった。

 だが――。 

 

「ほうら――言わんこっちゃな――」


 揚々と言いかけた所で、妙な違和感が雅峰の胸の内を過ぎった。

 ――待て、何か――感触がない(、、、、、)?  

 自らの背にある鎖。その末端の感触が悉く消え失せているのだ。 


「勝手に終わらせんじゃねえ」


 途切れた鎖の向こう――其処には葎のみが立っている。

 亡者達の姿は影も形も見受けられない。ただの一人すらも存在しない。

 その代わりに、彼らの魂を縛っていた赤い鎖が錆びれた残骸のように千切れ落ちている。


「お前……何をッ……何をした……!」


 途切れた鎖を見た雅峰の表情は一変した。憎々しげな視線が葎を射止める。

 涼しい風が木陰を通り抜けていく。静けさが向かい合う二人を包み込む。


「――ふん……そんな事も解らないとはね。もう一度小学校でお勉強し直して来るべきだよ、貴様は」


 ガラの口調――しかしその雰囲気は葎とガラが混ざり合ったものである。


「――あんたがどんなに力を付けても、俺達には通用しない」


 再び葎の喋り方に戻る。其処にいつもの人格交代のような、たどたどしさは無い。

 雅峰は奇妙な錯覚を覚えた。それは自分が一度に葎とガラの二人を同時に相手にしているのではないか――という現実には有り得ない感覚である。

 ガラと葎が立ち並ぶ――実際には無い、有り得ない情景――。


「――力を付けても君は結局独りだ。それらがどんな力であっても、所詮は他人の借り物でしかない。君自身が勝ち得た力ではない。ましてや君は自分の人格すら他人の人格で塗り固めている。そのような歪な紛い物が私達に勝るとでも? 思い違いも甚だしいね」


 しかし、雅峰の前には確かに二人の人物が一つの身体を共有した上で肩を並べていた。


「ま……そういう事だ。どんなに弱くたって、俺達は二人――」


 魂が重なっている。一つの器に二つの異なるものが注がれているのだ。互いに主張しているが、どちらも雅峰のように力で支配する事もなく、反発し合いながらも調和している。


『二対一で勝てると思うなよ』


 臆病ではあるが芯の通った声。

 そして涼やかであり深みのある声。

 両者が入り混じった二重の声が闇夜に響き渡る。


「――欲しい……」


 顔を俯かせた雅峰は人知れず呟いた。

 静かに――しかし、明らかに今までとは違う不穏な声質で呟いた。


「……へ……? ほ……欲しい……?」


 その不吉を臭わせる声を、唯一、葎だけが聞き取った。

 

 ――中々美味い口上が出来たじゃあないか。よし、次は恒例のお説教タイムだ!――


 にも関わらず、ガラは相変わらずの調子であった。


「待て待て、何かヤバそうな――……」


 沼地が泡立つような音が聞こえた。


「欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい! お前らばっかりずるいもんなぁ! ちょっとぐらい分けて貰ったっていいよなぁ! お前らの魂を肉を力を――くれ(、、)!」


 次の瞬間、壊れた噴水のように雅峰の背中から赤い鎖が噴き上がった。

 空を切り取り、地を這いずり、幾多もの鎖が張り巡らされていく。それに呼応するように亡者達も悲痛な叫び声を強め、宙に手を伸ばし猛り狂った。

 勢いもさる事ながら、その本数自体も凄まじい。空中の殆どが真っ赤に染まった程である。

 だが、その異常な光景が繰り広げられる中ですら、葎は微動だにしなかった。


「これ……どうすんだよ……。公園の修繕費とかさぁ……俺知らないよ? つーかさ、何でこんなに静かなんだろうな? こんだけ派手にやってれば誰か来たっておかしくないのにさ」


 疲れたような顔で葎はガラに尋ねる。


 ――私が思うに、これも雅峰の仕業と考えるのが妥当だと思うが――


「だよなぁ……」


 荒れ狂う赤い鎖は鞭のように撓り、空気を引き裂きながら葎へと飛んでいった。


「あ、来た――。…………来たじゃねえよ! アホか!」


 赤い鎖が直撃する寸前で葎は飛び退き、すれすれの所でそれを避けた。


 ――セルフ突っ込みかね――


 皮肉交じりの指摘に、葎は半分だけ笑っているような奇妙な顔で応じた。

 とりあえず先程の自分の行動を無かった事にしたい葎は、着地した後、酷く真剣な表情となった。


「ガラ、動きの補助、任せてもいいか? 自分の身体だけど動かし難い」


 ――何とだらしない。まぁ……任せたまえ。お手本を見せてあげよう――


 葎はガラと入れ代わり、駆け出した。雨のように降り注ぐ赤い鎖を掻い潜り、亡者達の手をかわしつつ、まるで阻むものが無いかのように元凶である雅峰に向けて一直線に進んでいく。

 途中、葎はガラと意識を交代し、暗闇に紛れて見えなくなっているアリカの方に視線を遣ると、にやりと微笑み、声を出さずに唇だけを動かした。

 『待っていたまえ、アリカちゃん。早々に終わらせよう。ああ、怖かったね。うんうん安心していい。別に泣いたっていいのだよ。いやあ、というかもう泣いている? やだーアリカちゃん可愛いー』と。

 当然、アリカは泣いてもいないし、それどころか今にも木から飛び降りていってガラに頭から、がぶりと噛み付きそうな険悪な表情をしていた。

 だが、今降りたらどう考えても巻き添えを喰らうので、彼女は渋々我慢した。


「……後で土に埋める。つーか殺す」


 アリカがそう呟いた直後、正面、そして左右の三方向から亡者達が葎に向かって襲い掛かった。

 石畳を薄氷のように剥がしつつ、亡者たちは地を這いながら突進していく。

 後方に逃げようにも、今の亡者達の勢いでは直ぐに追いつかれてしまう。仮にどうにか逃げ果せたとしても、その先には次の亡者達が待ち構えている。三方から囲まれている葎に退路は無きに等しい。


 ――逃げてもいられないようだね。……葎、いけるな?――


「ああ!」


 一斉に飛びかかってくる亡者達に対して葎は立ち止まり、掌を差し出した。


「……あんた達も楽になりたいだろ――」

 

 亡者の馬蹄を合わせたような歯が大きく開く。

 しかし顎の外れたような口が葎に到達する前に、彼の掌が亡者の額に触れた。

 何かが砕けたかの如き鈍く脆い音が空気に染み渡る。

 直後には奇妙な沈黙だけが残り、誰もが――先程まで余裕綽々であった雅峰でさえ息を吸うのを忘れ、その光景(、、、)に釘付けとなった。

 雅峰は思いもせず取り乱し、静寂打ち破るように叫んだ。


「動け……。動けよ! 何で止まっている! 早くそいつらを喰い殺せ!」


 ――亡者達が動きを止めている。

 時を止めたかのように、ぴくりとも動かず、彫像のように空中で固まっている。

 動きが止まったというより、そのままの形で空間ごと固めてしまったという方が近い。

 異変を感じ取った雅峰は、寸分も動かない亡者達を自身から切り離した。

 根拠のない直感である。このままでは取り返しのつかない事が起きてしまいそうな気がしたのだ。

 刹那、口を広げたまま制止している亡者の顔に紫色の光の亀裂が走った。

 一度罅が入ってしまった硝子細工が元通りにならないように、眩い亀裂はみるみる内に亡者の身体、そしてその亡者に不恰好な形で繋がっている他の亡者達にも広がり――。

 

「そんな……! ふ――」


 亀裂の入った亡者達は跡形も無く、彼らを地上へと縛り付けていた鎖と共に、粉々に砕け散った。 

 

「ふざけるなぁぁッ! 俺の……! 俺の力が……!」

 

 赤い雪が降りしきる。梅のような淡い色の雪は、どこからか吹き流れてきた心地のいい風によって、既に禍々しさを失っている夜空の彼方へと運ばれていった。

 

「力を……返せえッ!」


 怒号を発しながら我を失った雅峰は葎に向けて駆け出した。鎖が、亡者達が、地響きを立てつつ葎に向けて放たれていく。だが、それらも葎が一度触れてしまえば無意味なものへと変化してしまった。

 鎖は失速し、地に落ちる。亡者達には先程と同様の亀裂が入り、次々に砕け散る。

 一撃たりとも葎に加えられないまま、赤い亡者達の大群の殆どは消え失せた。


「返せ……! 寄越せ……! 欲しい欲しい欲しい! 全部欲しい!」


 赤い鎖と僅かに残った亡者達に囲まれている雅峰は、目前に迫った葎を理性の欠片すら残されていない悪鬼のような形相で睨めつけた。


「いい加減にしろ! あんた……まだそんな事言ってるのか! 俺には……理解出来ねえ……!」


 葎は雅峰の間合いに向かって、苦い顔で飛び込んでいった。


「……くく……はははははっ! だろうねぇ! 僕はだって理解出来ないよ、お前らの事! 二対一だって? 自分を殺した奴と? どうして疑わない! 疑えよ! 疑って疑って潰し合え!」


 勢いの無くなった亡者達の壁や千切れた鎖の束が行く手を阻む。


「……悪いけどそれは無理だね……! 一度信じまったんだ、それを覆せるかよっ」


 しかし、それすらも葎の前には意味を為さなかった。

 伸びゆく亡者の手は葎に触れるだけで動きを止め、崩れ落ちていく。

 鎌首を擡げていた鎖は、一度(ひとたび)掴まれてしまえばただの鎖と同然と化した。

 腕で亡者を払い除け、赤い鎖を掻き分けて、葎は雅峰の懐に入り込んだ。


「……あ? 無……理? ははっ……。笑わせるなッ! みんなそうだよなぁ……! 簡単に『信じる』だの、『信じろ』だの、ぬかすんだ! 根拠も無い――大した理由も無いくせに……!」


 怯まぬ雅峰の背から、のっぺりとした顔を持つ男の身体が蛇のように捻りを加えながら飛び出した。

 能面の男、雅峰が生まれるよりも遥か前に餓鬼道に堕ちた人物――俄面陰我の姿である。

 無機質でもあり不気味でもあるその面相は、蛇蝎の如く強かで狡猾な雰囲気を匂わせている。

 冷たく黒い光で瞳の中を満たしながら裂けた大口を開けて襲い来る陰我に、葎は己の左拳を叩き込んだ。


「だからどうした!」


 陰我の顔に紫の閃光が幾つものぎくしゃくとした線が引かれていく。

 そうなる事を予期していたかのように、俄面陰我は最後の瞬間に自嘲気味な笑みを浮かべ、散った。

 続けてげっそりとした男が高い哂い声を発しつつ雅峰の背中から現れた。

 

「ガラは俺がどんなに足掻いても救えないものを、ずっと俺の代わりに救ってくれていた! すごぉーく、うるさくて! しかも年中うざいけど、いつも傍に居た!」


 脇腹に噛み付こうとする男を、葎は左肘で地面に叩き落した。

 痩せた男は地面に到達する前に砕け、砂のように細かくなって吹き流された。

 最後の守りが破れ無防備になった雅峰に、右腕を大きく振りかぶった葎が迫る。


「あいつを信じる理由なんざ、それだけで十分なんだよッ!」  

 

 重ねた想いの数だけその拳は重く、迷った数だけその拳は硬く、伊井都雅峰の胸を強く貫いた。

 数多くの魂を喰らった男の身体は、その業の深さとは釣り合わぬ軽さで殴り飛ばされ、焔により融かされ不自然な形で再び冷え固まった石畳の上をニ、三度跳ねてから落下した。

 

「あーっくそっ……。手ェ痛ってえな……!」


 手を軽く振りつつ、葎はげんなりとした表情で言った。

 同時にこれが自分の代わりにガラが引き受け続けていた痛みだと思うと、妙に感慨深くも感じるのであった。漸く自分もガラに肩を並べられた――それが少しだけ誇らしい。ほんの少しだけであるが。

 

 ――普段から慣れてないからだろう。今度は殴っても痛くないように堅固な拳作りを推奨するよ。例えばだな、数種類の毒を配合した液体に腕を浸し、後に薬草から抽出した液体で毒を中和する。それを交互に繰り返すのだよ。すると、あら不思議……何と腕に毒が染み込んで丁度いい塩梅に……――


 ガラの声が内側から軽やかに響く。まるで緊迫感のない口調である。


「それ、違うやつだろ。拳は強くならないだろ。欲しくもない毒属性獲得しちゃうじゃねえか」


 ――それなら公園の砂場にひたすら指を突き立てるといい。夏場なら更に効果的だね――


「熱いし通報されるわ」


 ――自信を持っていいぞ、君は立派な不審者になれる――


「どの辺に自信を持ったらいいか教えてくれる?」


 ――まぁまぁ、兎にも角にも――よくやった相棒。君ならやれると思っていたぞ――


「けっ……。調子のいい事言ってじゃねえよ……。身体が痒くなるから、そういうの止めろよ」


 ――おやおや、これは本心なんだが――


「そうかよ。そりゃどーも、ありがとさん」


 そっぽを向いてそう言った葎は、雅峰へと視線を動かした。

 何とか立ち上がろうと苦心している雅峰の身体には、胸を中心とした紫に輝く裂傷が何本も刻まれている。罅割れのようなその傷は、雅峰が動く度に彼の身体を深く広く蝕んでいく。

 既に限界だったのだ。無理矢理に他人の魂を詰め込んでいた雅峰の肉体は遅かれ早かれ崩壊していた。彼は今までは自らが喰らった魂を何体かの二重存在の塊として分けていたが、ここにきてそれらの分身体達を一気に取り込んでしまった。過度な暴食に胃が拒否反応を引き起こすように、肉体にも魂の許容量があり、容量以上の魂を受け入れる事は出来ない。にも関わらず雅峰の制御不能の食欲は、その許容量の限界値を超えても尚止まる事は無く、ひたすらに求め続けた。結果、他人の魂によって埋め尽くされた雅峰の中身は変質してしまい、身体の殆どが二重存在と同質のものだけで構成された存在と化した。

 空気を入れ続けた風船が割れやすくなるのと同じで、魂によって膨張した彼の身体はふとした拍子に壊れてしまう危険性があったと言える。

 欲望のみで膨れ上がった男の(からだ)を壊すのに、葎とガラの拳は十分であった。


「まだ……っ! 終わってッ……な……い……! 俺はもっと……!」 


 半哂いのまま、雅峰はよろよろと立ち上がった。

 彼の周囲には、赤い鎖が明滅するように現れては消え、現れては消えを繰り返しているのが見受けられ、同時にその出現から消失までの間隔も狭まっているように感じられる。


「おい、あんた……! それ以上動くと……!」


 葎の言葉など届いていないかのように雅峰はぶつぶつと呟き続けている。

 その顔は覚めない夢に毒されてしまったかのように精気が感じられない。

 

「喰わなきゃ……。食わないと消えちゃうんだよ……。物凄くお腹が……減るんだ……。何を喰っても美味くない……。何でもいいから喰わせてくれ……。何でもいいんだ……。何でも――」 


 虚ろな眼で雅峰は自分の両手を見た。


「はははははは……! あるじゃないか、こんな所に……!」


 途端に彼は嬉しそうな声を上げ、死んだような瞳に貪欲な光を蘇らせた。


「伊井都さん……何を――」


 刹那、雅峰を取り巻いていた赤い鎖が砕け散り、彼の背中から赤いものがずるり、と這い出た。

 人間の皮を持つ(さなぎ)がその硬い皮を破り、おぞましい中身を羽化させるように、それ(、、)は徐々に形を定め、雅峰と寸分違わぬ姿を露にした。

 ――赤い色をした伊井都雅峰が背中から生え出している。

 もう一人の雅峰は、本物の雅峰に倣うようにして哂い、彼の肩に顔を近づけた。

 葎はこれから雅峰が何をしようとしているのかが解ってしまった。


「ッ……! 待て! あんた逃げる(、、、)つもりかッ!」


 次の瞬間、がぶり、と林檎を丸齧りしたような音が空気を震わせた。


「はははは……美味いなぁ! こんな美味いものを喰ったのは生まれて初めてだ……! ああ……満たされている! もっと……! もっと欲しい……! 俺、やっと腹が膨れそうなんだよ――。あはっはははは……。ハハハハハハハハハハハハっ!!」

 

 満足そうな笑みを浮かべている雅峰の肩を、もう一人の雅峰が喰っている(、、、、、)

 真っ赤に染まった肩の肉が無くなり白い骨が露出するようになると、喉を震わせている首筋に赤い石膏の如き歯が噛み付いた。皮が弾け、肉が裂け、破れた動脈から噴水のように血が噴き上がる。

 耳に纏わり付くような湿っぽい音が際限の無い空間に満ち、掠れた哂い声と共に休まる事無く広がっていく。肉に齧り付き、骨をしゃぶり、髄まで吸い尽くす――餓鬼道の音色が延々と奏でられる。

 弱弱しくも心の底から満たされたような哂い声は、伊井都雅峰の息の根が止まるまで響き続けた。

 恍惚的な声が聞こえなくなった夜の闇には、生臭い血の匂いと焼けた石の匂いだけが残留している。

 惨劇の幕引きは笑ってしまいそうな程に呆気なかった。

 

「……自分まで食っちまったら世話ないだろうが……!」


 葎は残された僅かな血溜まりを見て、遣り切れずに呟いた。


 ――……彼としてはこれで良かったのだろうよ――


 諭すかのようにガラが言った。


「いいもんかよ……。大勢の人を巻き込んで、殺してさ……! ……全然……良くねえよ……」


 哂い声の消えた月夜はどこまでも静かであり、湖の湖面を思わせる。

 しかし、葎の耳には雅峰の哂い声が耳を塞ぎたくなるような残響として残っていた。  

 

 ――……これ以上犠牲者が出ない事だけでも喜ぶべきだよ――


 遅れてガラが小さく葎に向けて言った。きっぱりとした口調である。

 断言するようなガラの言葉に、葎は遠くの闇に眼を遣りながら答えた。


「…………かもな……」


 静謐な静けさが漣のように押し寄せてくる。

 この静けさが訪れるまでにどれだけの血が流れたのか――葎には想像も付かない。

 忘れ難い惨劇とはいえ、もう終わってしまった事なのだ。 


「……そうだ……真さんに説明して後の事を任せないと――」


 と、歩き出そうとした葎は、力が抜けたように棒立ち状態で倒れた。


 ――何をやっているのだね。前受身かね――


「う……受身じゃねえよ……。取れてないだろ……! ち、力が入んない……。助けて……ヘルプ」


 地面にへばり付いたような格好の葎は、潰れた頬をもごもごと動かして言った。


 ――苦難の道こそ一人で立たねばならないのだよ。さあ立て、立つんだ葎――


「鬼か! ……あ……もう叫ぶ気力すら無くなってきた……。アリカー……助けてー……」


 葎は遠くの方に居るアリカに助けを求めた。未だガラとの繋がりを絶っていないので夜目は利く。羽藤涼麻を抱き抱え、木から降り、こちらをじっと見ているアリカは――。

 

「――キザ紳士がむかつくからやだ」


 ――眼を逸らした。当然その時に言った声も、葎にはばっちり聞こえた。


「なんで!? とばっちりじゃん! 助けてくれよ!」


 ――日頃の行いが悪いせいだな。反省するべきだ――


「いや、お前のせいだけどな!?」 


 相も変わらず突っ込むも、いつもの勢いが無い。

 

 ――寝ていたまえ。心配しなくてもアリカが運んでくれる――


 ガラの声が小さくなっていく。


「だな……。俺も――」


 緊張の糸が切れると、途端に強烈な眠気が頭を鈍らせてきた。

 見ている情景が絵の具を混ぜたかのように歪んでいき、一つずつ消えていく。

 ふいに夜の帳の向こうから、誰かが近づいてくるのが分かった。

 足音はなく、滑るように葎に向かって来る。それは二つの人影であった。

 葎は顔を上げた。アリカではないようだ。影は二つ、そのどちらもがアリカよりは大きい。

 顔の見えない影に、葎はどことなく見覚えがあった。


 ほら、私の言った通りになったでしょ。

 得意げに言う事か……。まあ……確かにそうだが……。


 片方は女性のものであろうか。小柄な影で、束ねた髪が馬の尾のようにシルエットとして揺れている。

 もう一つの影の方は体格のいい男の影である。筋骨隆々としていて、女性のような影とのアンバランスさが際立っている。


 彼らならちゃんと敵討ちしてくれると思ったんだよ。持つべきものは信頼の置ける友人だね。

 それは言えてるな……。あのままあの鎖に繋がれていたら、きっと俺達もおかしくなっていた。

 本当に感謝しっぱなしだよね。栖小埜君もガラ君も偉い!


 いきなり褒められたので、葎は半分眠りに落ちながらも照れた。


 俺からも礼を言わせてもらう。彼女共々助かった。……実を言うと、君とは話す機会さえ少なかったが何となく同じ人種(、、)の匂いがしていた。お互い苦労しているが、これからも頑張ろう。


 大柄な影に、葎は以前にも感じた事のある共感を再度覚えた。


 それ……どういう意味……? ねえ。


 小柄な影の方が大柄な影を肘で突付いている。何となくその仕草がおかしい。


 奇人変人に関わっている凡人は苦労するって事なんだが。

 何それ、酷いなあ。ガラ君や私が変人って言いたいのー?


 げしげしと小柄な影は大柄な影を突付きまくる。


 ……さ、さあ、もう行く時間だ……。


 取り直すように大柄な影が言った。


 あっ、誤魔化したな。……全く……何だかなあ。


 小柄な影は不承不承といった感じで腕組みした。


 それじゃ――またな。栖小埜君。

 ……あの絵、大事にしてね。本当にありがとう。そして――。

 

 ――さようなら。


 絵――。葎にはそれが何の事を言っているのかちゃんと解っていた。

 小柄な影が手を振っている。少しずつ遠ざかっていき、薄れていく。

 葎にはその二つの影のどちらもが、にっこりと微笑んでいるように見えた。

 顔は見えないが、確かに見えている。もう一つの――自分の奥にあるもう一つの眼で確りと。

 自分は彼女達を救えたのだろうか――葎にはその答えは見出せない。だが、彼女らの安らかな顔を見る限り、自分のした事が全くの無駄では無かったという事だけは解った。

 夢うつつの中で、二人の影は寄り添うようにして去って行く。其処にもう一つ――今度は少女らしき影が加わった。その影は戸惑っているような小柄な影の手と、落ち着いた様子の大柄な影の手をぱっと掴み、走り出した。三つの影はその内見えなくなった。

 直後、安堵した葎は瞼を閉じ、眠りに落ちた。深く安らかな眠りだったという。

 そして彼はその日、珍しく夢を見なかった――。  


 



 

 我ながら尻すぼみだなァとは思いますが、ご勘弁下さい……。作風です……。


 最終話は出来たら明日……出来たらね……ウン、デキタラヨ。


 ※追記 デキナカッタヨ……ゴメンヨ……。マタアシタヨ……。


 それでは ノシ

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