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duplices  作者: rakia
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口開く夜

 久々です! その割りに短いです! 


 特に書く事も無かろうと思いますので、つべこべ言わず……じゃなくて……ぐだぐだぬかさず……じゃなくて……とりあえず本編をどうぞ!



 おまけ? 何それ、どこの毛ですか?


 


 耳元で風が轟々と激しい音で唸る。今日はやけに風が強い。風は夜になってから更に強くなった様だ。おまけに俺自身も寝起きが悪かったせいか、気分が晴れない。空も一応晴れてはいるが、薄っすらと雲が漂い、全てが中途半端に隠されている印象を受ける。永久(とこしえ)の暗闇でさえ、何かが混ざり、濁っている。あまりこういう夜は好きじゃない。以前、古雫さんが姿を消した夜に似ているからだ。

 あの人が姿を消したのもこんな夜だった。俺は最初から最後まで何も解らず、何をしたらいいのかも解らず、結局何も出来ずに見ている事しか出来なかった。無力で、無様で、無知だった。

 関係者であるのにも関わらず、事の顛末を俺は部分的にしか知らない。それどころか自分の記憶ですら不確かだ。古雫さんを追いかけて――それから――その後だ。その後(、、、)を俺は忘れてしまっている。追いかけた後の記憶が欠如してしまっているのだ。思い出そうにも、霞がかかったかのように不明瞭にしか思い出せない。あの人達に対して何も出来なかった悔恨のみだけが実体をもって残留している。

 俺があの胸糞悪くなる気配の正体をちゃんと突き止めていれば――。

 ――何か変わったのか。

 それすら解らない。自分が関わる事によってあの結末が変わったのか自信が無いのだ。何をしようがどうしてもあの結末に行き着いてしまったのではないか、という漠然とした想いが今でもある。

 だけど――それでも俺は彼女達(、、、)を助けたかった。それがたとえ無駄になったとしても、仮に自分の身が危うくなってでも俺は最後まで諦めたくなかった。

 本当に自分がぶん殴りたくなってくる。力が無いというのは本当に歯痒い。いつも最終的に手を伸ばすのは俺ではなくガラなのだ。いつもあいつに頼り切りなくせに、大見得張って人を助けたいと願う。それはとんでもなく傲慢な願望なのだろう。俺は。俺には何も出来ない。それが悔しくて堪らない。

 あの夜あった事で確信を持って言える事は一つしか無い。あの時、あの場所の出来事は全て理から外れている(、、、、、、、、)。俺はそれが気に入らないし、認めない。狂った理が平然と罷り通るなどという事は許されないのだ。あんなのは絶対に間違っている(、、、、、、)。 

 気も漫ろに俺は自販機の淡い光が洩れる道路の端で、二人の会話に耳を澄ませた。小声の会話が途切れ途切れに聞こえる。悪い人では無さそうだ。彼に会いに行った瑞樹神さんが行方不明になったと聞いていたので、もっとヤバイ人なのかと思っていたが至って普通の青年だ。 

 真さんが説明をする傍らで、ガラと入れ代わった俺はその人物、羽藤涼麻の全身を眺めた。

 うん、至って写真で見た通りの好青年って感じだ。特に不審な部分もない。何というか、俺には持ち得ないモテそう(、、、、)な爽やかオーラを放っている。


 ――葎様よりもイケメソですね――


 ――うむ。葎よりイケメソだ――


 うるせえ声が二つ聞こえた。正体不明の紳士野郎と、その従者の声である。


「イケメンって言えや! イケメソって何だよ!」


 あまりにもひきこさんとガラが煩かったので、思わず突っ込んでしまった。すっかり一人突っ込みが癖になっているらしい。気が付けば、真さんと羽藤さんの視線が俺に集まっている。

 ――駄目だこれ……、とっても気まずいぞ……。


「あ……いや……違うんですよ! これは違ってですね――……」


 何が違うというのか。傍から見れば一人で喋っていた事には変わりが無い。弁解しようにも説明がまず不可能であるので、言い訳にしかならないだろう。

 誤魔化すような笑顔を作っていると、羽藤さんが不思議そうな顔で真さんの方を向いた。


「……もしかしてあいつも……?」


 羽藤さんが真さんの方を見ながら確認する様に言う。真さんはそれに苦笑をしつつも頷いた。おそらく同じ二重存在を持っている、という意味なのだろう。

 この通常の人間から見れば、一人コントをしているようにしか見えない苦労を解ってくれる人間は非常に少ないので、一寸感動してしまった。


「じゃ、じゃあ……! あの笑い声も聞こえているんだろ……!?」


 顔面蒼白の様相で、羽藤さんは俺に向かって言った。

 笑い声――? 何故か俺はその響きに、引っ掛かる様な感覚を覚えた。

 誰かが笑っているのか? しかしこの場で笑い声を立てている人間など――。

 彼は怯え震えながら続ける。その尋常でない様子に俺は閉口した。


「なぁ……! 聞こえてるんだろッ! あれは……何なんだよ……! あの声が聞こえた後に、あの女の子もどっか行っちまったしさ……! 訳分かんねえよ……!」


 羽藤さんは、酷く狼狽した様子で自分の体をきつく抱き締めた。

 一体どういう事だ? 笑い声? 女の子とは瑞樹神さんの事だろうか? 女の子というだけでは情報が不足していて、誰の事を指しているのか判らない。一体誰の事を言っているのだ。

 夜風が嘶く。その音は耳元に纏わり付いているかの如くしつこい。

 粘着質であるから流れていかないのだ。暫く停留した後、諦めたかのように流動していく。

 嫌な――風。

 

「どうしたんだ……? 詳しく聞かせくれないか?」


 真さんが羽藤さんの肩を掴んだ。真さんも羽藤さんの只ならぬ様子に眉を顰めている。

 羽藤さんの体がビクリと痙攣するかの如く震え始めた。


「ま――まただ……! また……聞こえるっ……! 声が……! 声が聞こえるッ!」


 青年は叫ぶ。俺や真さんの姿は既に彼の視野からは完全に外れてしまっている。


 ――見付けた――。


 誰かの声。この場に立つ俺を含めた三人の、どの声にも当て嵌まらない声だ。


「この声は――」


 その声は、確かに俺にも聞こえた。


「来た……!」


 羽藤さんは空を見上げながら呟いた。俺は彼の視線の先を追った。

 民家の屋根に誰かが乗っている。流石にこの時間帯だと暗いので、よく見えないが、あれは――。

 ――仮面だ。

 何者かが仮面を被り、薄雲に隠れた月を背に屋根の上に立っている。

 見た事が無い仮面だった。能面の一種なのだろうか。顔は暗闇でも判るほどに赤く、弓形の眉の下にある黄色の眼は大きく見開かれており、鼻は広く広がり、口は大きく、まるで笑っているかの如く開かれている。得体の知れない気味の悪さが漂う獣と人を混ぜ合わせたかのような仮面である。

 おそらくあの人物は男だろう。服装を見れば人目で判る。何故なら、時代劇にでも出てきそうな男物の着物の様なものを身に纏っているのだから。

 しかし何故あんな奇妙な格好で、あんな場所に――何が目的なのか。


「あ……あいつが……。あいつがず、ずっと……笑ってたのか……」

 

 羽藤さんはドサリと尻餅を着いた。腰が抜けた様だ。

 ――あの人が笑っていた? 声は聞こえたが、笑っていた様には――。

 俺には(、、、)あの人物が笑っていたようには聞こえなかった。だとすれば何だ。羽藤さんだけに聞こえていた幻聴とでも言うのか。それは――。

 視線を動かし、地べたに呆けた表情で座る羽藤さんを眺めた。

 ――有り得るのか。可能性は全く無い訳ではない。

 彼は何かに恐怖し、かなり取り乱している。この状況であのような得体の知れない人物が登場したとなっては、聞こえる筈の無い声が何かの弾みで聞こえたとしても不思議ではない。

 が――本当にそうなのだろうか? 先程話した印象で判断するのならば、そうとも言い難いのもまた事実である。怯えていたものの、口ぶりは確りとしていたし、特に精神的に病んでいた訳でもない。

 もしかしたら、俺と真さんだけ(、、)に聞こえていなかった、という事もあるのか。

 再び視線を上部、屋根の上の人物に遣る。靄の様な雲が掛かった白い月を背に立つその人物は、屋根の上で佇むばかりで一向に動こうとはしない。何もしない――何もしないが故に不気味だった。


「――ま――」


 俺は真さんの名前を呼ぼうとした。


「貴女は……何をやっているんですか……!」


 ――が、それは彼の声によって遮られてしまった。

 それは俺に向けられた声でも、ましてや、屋根の上の人物に向けられた声でも無かった。真さんの声は暗がりの奥。泥沼の如き暗黒に立つ、瑞樹神広尾に向けられていた。


「みっ……! 瑞樹神さん……!?」


 間違いない。連絡が付かなくなったと聞いている瑞樹神広尾の姿が其処にはあった。彼女は枝の様に伸びた癖のある黒髪を俯き加減に垂らしながらじっと立っている。

 そして――彼女の足元には大きな白蛇がとぐろを巻いていた。

 しゅるしゅると。しゅるしゅると。蛇は縄の擦れた様な音を発しながら絶え間なく動く。

 何だ。何が起きている。どうして行方不明になった筈の瑞樹神さんが今になって現れるのだ。

 無事を知らせに来たのか? それも何か違う気がする。

 いつもの彼女とはどうも様子が異なっている。いつもなら真っ先に真さんに飛び付こうとして叩き落とされるのが常であるが、その素振りすら見せていない。

 突然閃光が迸った。声を出す間も無く、瑞樹神さんの足元で蠢く白蛇の尾から鋭い雷撃が飛ぶ。

 それは真さんへと一直線に――。

 

「――金行――無形」


 地中から三本の金属柱が飛び出し、白蛇の蒼白い電光を吸収した。生き物の様に伸びた側雷撃も、先頭の金属柱の斜め後ろに生えた二本の柱に流れていく。柱が赤く輝き、暗闇をぼんやりと照らす。

 雷撃は柱を、その強いエネルギーで熱しながら地面へと吸収された。

 真さんの右手の甲には、先程の電撃に劣らない眩さを放つ白い光が輝いている。


「どういうつもりですか……、瑞樹神さん……!」


 真さんの声に反応してか、瑞樹神さんは顔を上げた。蛇の様に所々跳ねた彼女の髪が揺れ動く。

 俺は息を呑んだ。様子がおかしいどころの騒ぎじゃない。それ程に瑞樹神さんの形相は明らかに異質(、、)だった。


「何で……赤――」


 乱れ髪の奥、彼女の瞳は赤く鈍く光っている。

 血走っている訳ではない。彼女の眼球には、瞳の光彩には淡く仄かな赤い輝きがあるのだ。夜の闇にその光は気持ちが悪いぐらいに映えている。不吉をそのまま表したかの様な色である。

 季節柄に似合わない生温い風が吹き抜ける。気が付けば、屋根の上の人物が、俺の背後で腰を抜かしている羽藤さんの真近にまで迫っていた。表情の動かぬ顔が闇に浮かぶ様は、この世のものとは思えない。


「……ッ! ガ――」


 俺は咄嗟にガラな名前を呼び、入れ代わろうとした。だが――。

 

「なっ……!」


 遅かった。夜天より降り立った仮面の人物は、羽藤さんの顔を横殴りにし、昏倒させた後、彼を肩に担いだ。そしてその仮面の人物は俺とガラが入れ代わる間も無く、猿の様に後方へと飛び退いた。

 動作が人間のものではないように感じる。否、そもそも人間なのか。


「てめェッ! 待ちやがれ!」


 男の一連の動作よりワンテンポ遅れて、俺はガラと入れ代わった。


「――やれやれ、さっきから見ていれば、随分と気持ちの悪い動きをするじゃないか。二足歩行しているのならば、それに見合った動きをしたまえよ」


 俺と代わったガラは、安穏たる闇の渦中に佇む男に問いかけた。


「………………」

「無視……か。言葉が喋れないという訳ではなさそうだが……。話す気はないと?」


 男は何も応えようはしない。応えようとしないまま、男は夜の帳に姿を消した。 

 後方で再び電流の迸る音が響く。稲光が空中に亀裂を入れた。瑞樹神さんの操る白蛇のものだ。

 真さんの顔がこちらに向けられる。彼は静かだがよく通る声で言う。


「葎君……いや、ガラ君か……。すまないが、あれを追ってくれ。俺は瑞樹神さんを食い止める……!」


 ガラはその言葉に相槌を打つ。


「……分かった。そっちは頼むぞ、真」


 俺とガラは男の後を追い始めた。背後からとてつもない爆音が聞こえたが、今はそんな事を気にしている暇はない。羽藤さんが攫われたのだ。まずはこっちを優先すべきだ。

 それに真さんなら一人でも心配は必要ないだろう。むしろ心配なのは瑞樹神さん――いや、俺の方かも知れない。何せあのような不気味な風貌の人物を相手にする可能性がある。

 あれは一体何なのか。闇の先を見詰める。何も見えない。しかしガラにはちゃんと見えている。俺に見えてないだけであってちゃんとあいつには見えているのだ。

 このままでは何も見えない。仕方が無いので視覚を共有させて貰う事にした。ガラの視界を借りると容易に男の姿は見付かった。ぐったりとした羽藤さんを担ぎ、夜の住宅街を駆け抜けている。

 今日に限って人が少なく感じる夜道を横切り、ひたすらに街灯のみが光源となっている道を走る。

 何処へ行こうとしている? 何が目的なんだ? 皆目見当がつかない。解る事は唯一つ――。

 あれは二重存在と同質の――しかしそれとは本質的に異なる何か(、、)だ。

 感じの悪い風がまた吹いた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 意外と自分は本という物に縁があるのかも知れない――と風早燐太は怪しげな書籍が所狭しと並べられている書棚を眺めた。奇妙な場所である。狭い店内には、溢れる程の書籍が積まれ、並べられ、整頓され、放置されている。おそらくは――おそらくじゃなくてもこの場所は書籍を取り扱っている店なのだという事は燐太にも理解は出来る。ただ、ジャンルが不安定だ。何が目的なのかよく分からない書籍が多過ぎるのである。雑多という事ならば、大手の本屋と大差無いとも言えるが、どうにもそうでもないらしい。時流に合っていない書籍が置いてるのが証明である。かといって、古本屋という訳でもない。新品の本だって探せば無い事も無いだろう。現に燐太は今週発売したばかりの週間少年誌の最新号を見かけたばかりだ。下手をしたら、この本屋にはその週刊誌の創刊号までもがある可能性がある。

 不思議な空間に佇む燐太は、自分をこの場所に連れてきた人物が本を選んでいる間の暇潰しを膨大な書棚から探そうと、適当に手を伸ばした。彼が手に取ったのは、表紙らしい表紙が見当たらない珍妙な本である。燐太はつまらなさそうな表情でその本の一ページ目を捲った。その瞬間、彼の眼が眼球が飛び出そうな程に開かれた。其処にあったのは桃源郷であった。眼の至福、脳内の極楽である。主な作用として、心拍数の増加、血圧の上昇、顔部の紅潮、多少心が薄汚れてしまうなどがあるが、燐太は気にしない。

 燐太は無言でこそこそと背後を確認した。誰も居ない。問題はない。

よし見よう――と彼が決心した時の事であった。           


「へえ……そういうのが趣味なのね」


 その声に燐太の足が――いや、全身が硬直した。

 彼は感じ取った。自分の真後ろに立つ柳葉藍子の存在を。無論、声の時点で気づいてはいたが――。

 燐太の額に嫌な油汗が滲む。何故ならば、こんなもの(、、、、、)を見ている所を、同じ学校の、しかも同じクラスの女子などに見付かった日には、泣いて土下座して口止めするしか無いからである。更にそれが近所の幼馴染ともなると、家に帰っても逃げ場が消失してしまう可能性さえ出てくる。家では家族に笑われ、学校ではクラスメイトに笑われ、不登校になった自分は自宅警備員へ道を――と、燐太はそこまで想像したが、その先を考えるのが怖くなってしまったので即時中止した。

 

「………………」


 燐太は死にそうな顔で至って自然に振舞いながら、件の書籍を元の場所へと戻した。そして、これも違和感の無い様にと、取り繕った笑顔を顔に貼り付けつつも、後ろを振り返った。


「藍子これはだな……――」


 燐太の背後、彼が振り返った先には彼の幼馴染であり、クラスメイトでもある柳葉藍子が、慈母の様に優しい暖かい微笑みを湛えていた。


「あの……。え?」


 燐太はその不可解な表情に、燐太は呆気に取られた。

 彼女は何故笑っているのか――それが彼には理解不能である。


「いいんだよ……燐太……皆にはあんたの趣味は言わないから」


 藍子はあくまで(、、、、)慈しむ様な笑顔を燐太に向けている。


「おい、その顔止めろ。何だその笑顔は。おい止めなさいったら」


 藍子は、まるで実子のいけない本を偶然(、、)発見した母親の様な穏やかな顔で微笑む。その包容力たるや並大抵のものではなく、燐太を清濁織り交ぜて受け入れている事が窺える。

 しかし、その清濁を垂れ流している当人からすれば死にたくなってくるような表情である。

 無論藍子もそれは承知の上でわざ(、、)とこういった表情を作っているのだ。


「いいよいいよ、気にしなくて。私、見てない見てない」


 ――と言いつつも、藍子の眼は燐太がよからぬ書籍を戻した箇所を確りと捉えている。


「いや、見てる見てる」


 どう考えても見ている。

 藍子は、何を今更恥ずかしがっているんだ――とでも言うように燐太の近くに寄り、肘で彼の腕を母性が限界突破しているような笑顔で突付いた。燐太はそれをうっとおしそうに叩き落しては、また突付かれ、叩き落すを羞恥心に満ち溢れた赤い顔で繰り返した。


「やめろよー。何かやだー! その顔やめろよー!」 

「しししし……! 照れんなよ、燐太君。今日はどんなの見てたの?」

 

 まるで男女関係が逆である。


「こっちくんなよー! ちょっとー! やめてよー! 女子ー! そういうの最低ー!」


 燐太は女々しい声を上げた。心なしかその仕草まで女々しく見えてくるのであるから不思議だ。


「教えてくれてもいいじゃない。減るもんじゃないし」


 一方藍子は男らしく燐太に決断を迫る。既に先程までの慈母のような笑顔は消えている。


「減る! 減ってる! 今! 正に! 精神的にガリガリ削れてるから! 第一知ってどうすんだ!」

「後学の為に。矢張り予習をしておかないと、いざと言う時困るでしょう」


 燐太は自分が書籍を戻した本棚に向けて進行しようとする藍子の前に立ち塞がった。反復横飛びのような俊敏かつ、奇妙な動きをしつつ彼は言う。

 

「しなくていいし! する相手もいないのに何言ってんだよ!」

「ほう……本当にそう思っているの……? 私にはそういう相手がいない――と? へぇ……」


 静かであり、挑発的にも聞き取れる藍子の言葉に燐太は気持ちの悪い動きを止めた。

 沈黙する藍子は遠くの方に視線を遣っている。何を考えているのかはその様子からは読み取れない。


「えっ、何その反応。まさか!? まさかの!?」


 今度は燐太の方が藍子に迫った。古くから馴染みのある少女が何時の間にか自分を追い抜かしてしまったのではないか、といった危惧が――その他諸々の感情がその顔には顕著に現れている。

 彼に肩を掴まれた藍子は含みのある顔で口の端を歪め、燐太から顔を逸らした。


「さぁ……? どうでしょうか……? ……知りたい?」

 

 焦らすように藍子は続ける。何とも不敵な表情である。

 その姿に燐太は大人の女性の片鱗を見た――勿論そんな片鱗は無いのであるが。


「…………ちょ、ちょっとだけー……。いえね、興味は無いんですよ、はい。ホントにね、ええはい」


 挙動不審の動きをしたまま、燐太はやけに馬鹿丁寧な口調になった。それを見た藍子は一瞬虚を衝かれたかのように口を閉じると軽く噴出し、そのまま燐太の肩を痛いぐらいに何度も叩いた。


「知りたいんだ!? でも教えてあげない!」 


 非常に嬉しそうな声である。聞いているだけで喜んでいる事が伝わりそうな声色だ。


「何なのお前!? 何なの!? こんだけ煽っといて!」


 焦らされるだけ焦らされた燐太は憤然と藍子の頭を両手で挟み、ぐらぐらと揺さぶった。

 だが藍子には利いていない。涼しい顔で揺れている。


「世の中には知らなくてもいい事があるのよ」


 首をふらつかせながら藍子は真顔で、しかもぶれない口ぶりで言う。よくもこのような不安定極まりない状態で喋れるものだと、燐太はある意味関心した。


「ちょっと格好いい事言ってんじゃねえよ!」


 どこをどうしたのか、燐太の手からすり抜けた藍子は彼の背後へと回り、背中を軽く鞄の端で小突いた。後ろを取ったのに関わらずそれ以上動かない所を見ると、これ以上は燐太が何を見ようとしていたかを追求する気は無い様だ。


「さ、じゃあ用事も済んだし帰ろうか。今日はこれぐらいで勘弁してあげる」


 にこやかに藍子は燐太の背を出口に向かって押していく。


「ちくしょう、ちくしょう……。こんなのってあんまりだ……」


 抵抗する気力も薄れたのか、燐太はたどたどしい足取りで藍子に押されていく。


「ほら行くよ。今日は叔母さんも私のお母さんも居ないんだから、早く戻って晩御飯の支度しないと」


 両親共に働きに出ている彼らの家では、稀に――むしろ頻繁に食事の同席という光景が見られる。両家の両親からして、手間が省けるので理には適ってるのだ。


「うう……俺、卵料理以外だったら何でもいいよ……」


 幾ら落ち込んでいても言うべき事は言わねばならない。でなければ自分の命が危うい。


「何だって? 卵料理? それも卵焼きが食べたいって? あい分かった」


 どうにも話が通じているようで通じていないようだ。


「言ってない! 『以外』って言ったんだよ、俺は! 何で卵を全面に押し出してくるの!?」


 藍子がこうまで卵料理に拘る理由が燐太には見付からない。食べたら食べたで謎の体調不良が発生するのは当然であるし、下手をすれば胃潰瘍になり得る可能性さえある。現時点でそのような症状は確認されていないが、それも時間の問題であると思われる。

 ちなみに彼女の手料理の特徴としては、卵料理以外(、、)はまともである事が挙げられる。つまり卵料理を除けば安全性は確保されているという事である。更に言及するならば、卵料理以外の料理は非常に美味であるのだ。それなのに藍子は好んで卵料理――それも玉子焼きを好んで作ろうとする。全くもって不可解と言うべきか、不思議である。

 頻繁に作る事が『得意料理』の条件となるのならば、十分にその項目を満たしているのだろうが、燐太にはそうは思えないのだ。何故ならそれ(、、)は人体の活動に多大なる支障を与える物質である。それ(、、)による燐太の肉体的損害は計り知れず、人に食べさせるものではない事は明白だ。


「だって玉子焼きが食べたいんでしょう? さあ、本当の気持ちを聞かせて貰おうか」

 

 本当の気持ちはとうに伝えているのだが、これ以上何を言えばいいのか燐太には判らなかった。


「僕はまだ死にたくないです。生きたいんです。八十歳ぐらいまで生きたいんです」

 

 なのでとりあえず、命乞いだけはしておく事にした。


「大丈夫、大丈夫だから。ちょっとだけね、一口。一口食べれば済むから」

「何が済むの!? おい、待てそれは俺の命が済むって事!?」


 命が済む――理解不能の言葉であるが、それは命の終着『死』を暗喩している事に他ならない。

 藍子は燐太の顔面蒼白の表情など気にも留めず、店のカウンターで常時渋い顔をして座っている店主に一言声を掛け、燐太と共に外へと続く暗い階段に足を踏み入れた。


「しょうがないなぁ……じゃあ今日は昨日の挽肉のあまりがあるし、中華風、とろみあんかけ肉団子にでもしますか。どう? 名前からして美味しそうでしょ」


 前方を進む燐太の背中を両手で軽く押しながら藍子は問いかける。


「そーそー……そういうので良いんだって……。お前、卵料理以外はすっごい上手なんだからさ」


 顔だけで振り向きつつ、燐太は暗闇の中では判らないげっそりとした表情で返事をする。それを聞いた藍子は顔を俯き加減に横に向け、小さな声を発した。


「……真正面から褒められると照れるわね……」

「あ! 何ぃ? 照れちゃってんの? やだぁー藍子ちゃん可愛い~」


 新宿二丁目に数多くある飲食店の従業員のような口調で燐太は藍子をからかった。が――。


「燐太、虫が背中に止まってる。くたばれ」

「うあいってぇッ!」


 鋭い張り手が燐太の背中を襲った。しかし藍子の左手が燐太の胸部を丁度挟み込むような形で反対側から押さえているので、転落の心配は無かった。その辺りは流石に用意周到であると言えよう。


「な、何すんだよ!」


 燐太は立ち止まり、背中を押さえながら憤然と抗議した。


「いや、だって虫がいたから」


 聞くだけで体温がニ、三度下がりそうな声を藍子は発する。燐太を見下ろすその眼も悉く冷たい。


「虫ぃ! そんなのどこに――」


 幼馴染の冷徹な雰囲気を敏感に感じ取った燐太は、若干の寒気を感じつつも引き下がらない。


「此処よ」


 藍子の視線は燐太を明らかに捉えていた。そして燐太の言語中枢が家出してしまった。


「……さ、帰ろうね。……帰ったら覚えとけ」


 何事も無かったかのように藍子は再び燐太の背中を押し始めた。


「え……ちょっと!? え!? 何をする気なの!? 痛いのとか嫌だぞ!?」

「なあに、直ぐに気持ちよくなるわよ。ししし……」


 背後から聞こえ、壁に反響する不気味な笑声に、燐太の心臓の鼓動は悪い意味で加速した。


「夜が愉しみだね……。きししししし……」


 何が『愉しみ』なのだろうか。鳥肌がびっしりと立った燐太は身を震わせた。


「ちょ……ちょっと藍子さん……? あの……ちょっと聞いてます?」

「はいはい、そんな事よりさっさと進んだ進んだ。後がつっかえてるでしょ」

 

 さらりと受け流し、藍子は燐太の背中を優しく叩く。燐太は恐怖に怯えながらも進む事にした。

 閉塞感のみが押し寄せる横壁、乾いた臭い。一寸先も分からぬ暗闇の中を二人で下る。埃っぽい闇を抜けると、濃紺の空が星々を従えて大きく広がっていた。街灯は薄らぼんやりとした不明瞭な光を放ち、その中で夜の様相を呈している街路の人通りは非常に少ない。殆ど居ないと言ってもいい程だ。

 珍しい事もあるものだ――と藍子は眉を顰めた。この石動駅裏通りは夜が本番だ。元々が成人を対象とした歓楽街であるので、暗くならなければ殆どの店が営業を開始しないのである。中天に月が懸かる頃には昼間に少なかった人の流れは急激に勢いを増し、その汚らしいネオンライトで彩った濁流を露にするのだが、今日に限ってはやけに人の気配が希薄であり、事実、周囲には藍子と燐太のみしか確認出来ない。少し離れた場所に客引きの黒服やら、何やらがちらほらと居るのみだ。

 静かだ。いつもなら賑わっている筈の場所が静寂に包まれている。燐太は背中を押す形で立ち止まっている藍子に両手を背中に付けられたまま、首を捻った。

 勘のいい藍子ばかりでなく、鈍感な彼でさえ、街の異変には気付いている。何か異様なのである。それが何かと問われれば返答には困るが、異様である事は間違いない。

 びゅう、と温い風が吹き過ぎた。季節柄に合わない温度の風である。人の吐息を真近で首に吐きかけられているような気持ちの悪さがある。 


 ――うふふふふふふ……。


 笑い声――哂い声。それは何処からともなく夜道に嫌な響きをもって燐太の耳に届いた。

 ――視られている。

 顔色の変わった燐太は周囲を見渡した。何処からか見られているような――そんな気がしたのだ。振り返れば藍子は何となく腑に落ちないような顔で黙っている。彼女には先程の声が聞こえていなかった。

 燐太のみに聞こえる声。一般的には幻聴として片付けられてしまうのであろう声。

 そんな馬鹿な事があるのか――燐太は眼を先の見えない暗闇に巡らせ、先程の声の正体を捜す。

 薄汚れた何の用途に使用するのかも判らないホテルの屋根。

 澄んだ空気を通り抜け、視界の奥深くまでに入り込んでくる白色の街灯。

 背後の、煉瓦模様の壁をそのままくり貫いたかのような見た目の書店。

 人の姿が殆ど見受けられない、暗く乾いた夜道。不安げな顔の少女の横に――。

 飴色のワンピース。そして黒いサブリナパンツを身に着けた一人の女が立っていた。

 藍子は自分の隣に見知らぬ女が佇んでいる事に全く気付いていない。燐太は薄暗闇の中に溶けかけている女の顔がゆっくりと自分の方に向くのに、大きく眼を見開いた。

 知っている顔。女のような美形。口の端を嬉しそうに吊り上げ、歪に微笑んでいる。

 屍から切り取った部位(パーツ)を愛す男。性的に倒錯している蒐集者(コレクター)。二重存在の連続殺人犯。


「――姥季……淡慈……!」


 思わず燐太は藍子の隣のその女――否、()の名前を呼んでしまった。

 闇夜に浮かび上がった淡慈の眼が、すう、と細められる。淡慈は燐太だけ(、、)を見ている。


「燐太……何を言ってるの……?」


 藍子は燐太が独り言のように口走った『姥季淡慈』という名を聞き逃さず、燐太に聞き返した。燐太はそんな彼女の問いにも答えようとせず、彼女の隣ばかりをしきりに見詰めている。


「うふふふふふ……」


 哂い声が響く。藍子にも漸くそれは実像を得た形で鮮明に聞こえた。彼女は横を向く。横には――。


「こぉーんばーんわ、風早燐太君……でしたっけ?」


 かつて自分と燐太を手に掛けようとした人物が居た。

 藍子は声になっていない悲鳴を上げ、淡慈から逃れるようにじりじりと後退った。

 逃げようとしているのだ。しかし、淡慈は藍子などまるで眼中に無いようで、燐太だけを気味の悪い微笑を浮かべつつ眺めている。燐太は何をするでもなく一歩踏み出した。


「うふふ……ふひっ……ひひひひひっひひひひひひひひひ!」


 記憶にこびり付いて離れない、狂った殺人鬼の声――それは何故か燐太の記憶にあるものとは少し違っている。以前の淡慈の声も狂気染みていた事には違いないのだが、今回のはそれとはまた違った壊れ方(、、、)をしているのだ。人を馬鹿にする声、嘲笑い、貶めるかの如き不愉快な声音なのである。

 ――こいつ……誰だ……?

 姿形(すがたかたち)は淡慈のものであるが、燐太には目の前のそれが以前自分が出遭い、殺されかけた姥季淡慈と同一人物とは思えない。根本的に異なっている。

 まるで淡慈の皮を頭から被った別人のような――。


「……てめえ……っ離れろっ!」


 叫ぶのと同時に、燐太は藍子の隣の淡慈目掛け飛び蹴りを繰り出した。

 淡路はそれを難なく片手で受け止め、再びあの不愉快な哂い声を発した。


「ひひひひひひひひひひひっ! つぅかまぁえたぁ!」

「うるせえよッ!」


 燐太は淡慈の手を蹴り飛ばし、くるりと身を翻してから藍子の近くに着地する。硬直して動けないでいた藍子は、そこでやっと動けるようになった。


「……そんな……何で今になって……」


 藍子の声が湖面の落とした水滴のように、輪を描いて周辺に静かに――それでも確実に広がっていく。

 耳聡くそれを聞いていた淡慈が、わざとらしく驚いたような表情を作り、藍子に話しかけた。


「あらぁ! お嬢さん! 私を知ってるんですかぁー? それじゃあ以前の私(、、、、)とお知り合いですか。だけど残念……二重存在では無いようですねえ……」


 そこで淡慈は言葉を止め、恐ろしく冷たい眼で藍子を一瞥した。


「だったら――用は無いかな」


 それだけ言うと淡慈は燐太の方に視線を移した。男のものとは思えぬ大きな瞳が、艶っぽい輝きを放ちながら燐太の姿を捉えている。燐太は淡慈のその瞳に今までに感じたことの無い悪寒を覚えた。 

 狙われているのは藍子ではなく自分自身――燐太はその事実を無理矢理呑み込む。

 何故こんな事になっている。以前の淡慈は明らかに藍子だけ(、、、、)に執拗に執着していた筈である。淡慈は死体の一部を切り取りその一部を蒐集するという常軌を逸した性癖を持っていた。藍子が狙われたのは脚。陸上で鍛えたその美しい脚があったからこそ、彼女は淡慈に付け狙われたのだ。

 淡慈の格好を見る限り、彼は女性に何かしらの劣等感(コンプレックス)があったと言わざるおえない。それについては燐太も藍子も警察にて事情を聞かれた際に知らされている。だからこそ淡慈は基本的に女性しか(、、、、)その手にかけない。しかも彼は女性という存在ではなく、女性の部位(パーツ)のみ(、、)にしか固執していない。欲しい部位があれば誰でも構わないのだ。故に一つの目標(ターゲット)を執拗に狙う事は少なく、彼の毒牙から逃げ切った人物達は再び襲われる事は少ないのである。無論男性など論外であって、対象にさえもならない。

 彼はあくまで女性を愛しているのだ(、、、、、、、)。性的に狂っているとはいえ、その根本原理は変わらない。彼は女性を愛すが故に殺し、蒐集している。そんな彼が燐太のみを例外的に『殺し』の対象に入れるとは考え難い。しかし、淡慈は今回は燐太を狙いに来ている(、、、、、、、)。本来ならば、それは有り得ない事なのである。


「てめえ……誰だ……! 姥季の野郎じゃねえだろ……!」


 燐太は呆然とする藍子を余所に、姥季淡慈と同じ顔をしている何者かに問いかけた。

 淡慈と全く同じ顔の人物はからからと哂い、強張った表情の燐太に向けて舌をだらんと見せて言う。


「さて、だぁれでしょうねェ? 当てみたらどうですかぁ? まぁ――」


 ひゅるりと冷たい風が吹く。その一瞬の間に淡慈の姿は燐太の目の前から消え去った。

 赤い色。赤い霧のような飛沫が宙に拡散していく。

 次の瞬間、燐太の眼の前に淡慈の顔がぬるり、と下から突き上げるように現れた。


「んな……!?」

「それまで生きてたらの話ですけどねえー」

 

 現実的とは思えない光景である。水蒸気の密度が濃くなり水へと凝固したかのように、淡慈は燐太の足元から前触れも無く急に出現(、、、、)したのだ。

 手入れのされた爪が電灯の輝きを受け、生白く光る。淡慈の手先が燐太の首に向かって伸びていく。

 咄嗟の判断で燐太は左に体を捻り、体を半回転させるようにして右足で淡慈の手を蹴った。

 ぐしゃりと、鈍く、歯切れの悪い音がして――同時に燐太は確かな手ごたえを感じ取った。

 ――やった……!

 形容し難い不安は、相手に一撃をくれてやった達成感に摩り替わりつつあった。二重存在と言えど、それは生身の人間の体を二重存在というもの(、、)が覆っているに過ぎない。その二重存在が損傷(ダメージ)を受け、剥がれ落ちれば当然その下の生身の肉体(、、、、、)は無防備になる。剥がしてしまえば簡単なのだ。後はその無防備になった箇所を重点的に攻めればいい。

 しかし――。


「痛いですねェー。痛い痛い。どうしてこんな損な役回りばかりなんでしょうねぇ? あっちの方はあっちの方で愉しそうなのに……。あ、でもまたあんなに陰湿な人達(、、)を相手にするぐらいなら、こっちの方がいいですよねぇ。痛いの嫌ですから。ひひひひひひひひっ! それで……」


 耳元で小馬鹿にするような囁きが聞こえる。眼の前には誰も居ない。

 誰も。

 ――淡慈は何処だ?


「当たりましたかぁー!? 当たってませんよねぇ! そうでしょう、そうですねぇ! ひゃははは……! ひはっひひひひいひひひっひひひひ!!」


 燐太は振り返った。だが――遅かった。彼の顔を大きな赤い手が握り掴む。歪で、忌まわしい発色の赤色の手である。その先の腕も赤い。二の腕も。肩も。上半身さえも。全て赤く染まっている。

 姥季淡慈は燐太の真後ろで陰湿な笑顔で哂っていた。その背中には赤いものが蠢いている。人の形をした赤いマネキンのようなものである。そこから燐太の顔を掴む赤い手が――腕が伸びていた。


「――燐太っ!」


 高い声が勇ましく燐太の名を呼んだかと思うと、赤い腕を藍子の紺色の学生鞄が弾いた。勢い付いた鞄の平らな紐が赤い腕の右片方にぐるりと巻き付く。赤い左手はその巻き付いた紐を煩わしそうに強引な力で引き千切り、投げ捨てた。中身の詰まった鞄が反発の少ない音を立てる。

 赤い手が顔から離れた燐太はそのまま背中から地面へと落ち、呆然と紐の千切れた鞄が無残に転がるアスファルトを、そしてそれが飛んできた方向を仰ぎ見た。


「燐太! 無事!?」


 燐太の視線の先には自分の鞄を投擲したままの格好で荒い息を吐いている藍子の姿があった。息は荒いが、それとは正反対に顔色は真っ白だ。表立ってはいないが、彼女は姥季淡慈に深い恐怖を刻み付けられている。こうして燐太の窮地を救った事でさえ、彼女としては相当に勇気を振り絞り苦心した結果の行動なのだ。その証拠に彼女の掌には幾つかの深い爪痕が残っている。それは恐怖心から体が竦んでいる自分を奮い立たせる為に自ら付けた傷である。

 一時的に勝っていた恐怖がぶり返したのか、藍子はその場にへなりと座り込んでしまった。

 

「お……おお……! マジで助かった……」


 驚きつつも返事をし、これは二度と藍子に足を向けて寝れないな――と燐太は思った。


「お礼の件に関してはまた後日改めて相談よ――それよりもあっちを……!」


 藍子は燐太の前の淡慈を指差した。淡慈は面白く無さそうに藍子を見ている。


「邪魔はいけませんよぉ……。せっかくのチャンスが消えてしまった……だから――」


 赤い影が藍子の足元にまで伸びていく。それは平面から立体へと変化し、人間の形と成った(、、、)。小柄な体躯。輪郭だけでも幼いと判る造形。少女の顔――。

 影は赤い少女の形へと無音で変化を遂げた。しかしそんな異常な光景に眼もくれず、藍子は違う方向を向いていた。自分達の来た方角である。


「……眼が……赤い……?」


 現在、石動駅裏通りの街路ではまばらな人間のみが確認出来る。全く人が居ないという訳ではないのだ。故に何か騒ぎがあれば、それなりに野次馬やら仲裁を買って出る人間がいつもなら(、、、、、)少なからず出てくる筈なのである。しかしこのような傍から見ても異様な騒ぎが起きているのにも関わらず、誰もこちらに来ようとしない。それどころか抑止力となる警察すら呼ぼうとしない。

 では、彼らは囃し立てる事も、諌める事もせずに何をしているのか――。 

 怯えながらも好奇の視線を注いでいる訳でもない。迷惑そうに蔑視している訳でもない。

 赤い眼で(、、、、)、ただ視ているだけなのだ。

 呆けた顔でその光景を見る藍子の肩を誰かが掴んだ。


「誰――……」


 彼女は振り返る――其処には赤い造形の少女の形をした影が、実像を結び立っていた。見た目は普通の少女のものと何ら変わりが無い。色のみが赤い。それだけに余計に不気味であった。

 毒々しい色彩を除外すれば、通常の人間のそれと変わらない――それは表情についても同じ事で、ちゃんとその顔には悲しげ(、、、)な表情を不鮮明に浮かべている。

 真っ赤な一滴(ひとしずく)――それが赤い影の少女の目元からぽつりと零れ落ちた。 

 ――泣いている……?

 藍子にはその赤い影の少女が悲嘆に暮れ、涙を流しているようにしか見えない。

 眼を見開く彼女の脇の下から赤い両腕がするりと腕に巻き付くように回される。抵抗する間も無く、藍子は赤い影の少女によって、持ち上げられるような形で羽交い絞めにされてしまった。 


「邪魔ですから、其処で大人しくしていて下さいねぇ。直ぐに終わりますから」


 淡慈の顔をした何者かは愉しげに藍子に向かって言い放ち、燐太の方に向き直った。

 

「やだ……! 離してよ……! 離してってば!」


 抵抗しても意味は無かった。腕を振ろうが、体を捻ろうが、地団駄を踏もうが赤い造形の少女はぴったりと藍子に取り付いて離れない。苦痛と悲しみに(まみ)れた顔で黙々と命じられた仕事をこなすのみである。赤い少女には確りとした感情がある。しかしどうしても逆らえない(、、、、、)のだ。

 ――赤い呪縛が彼女を縛っている限り――。


「くそっ……! 藍子、今……!――」

「今どうするつもりなんですかぁ? 自分の心配をまずしないと――ね」


 藍子の許に駆け出そうとする燐太の前に淡慈が立ち塞がる。ぬるりとした気持ちの悪い動き――。

 淡慈は燐太の懐にそんな動きで入り込むと、彼の顎を拳で突き上げた。

 顎が打ち鳴らされ、眼窩の奥で火花が散る。燐太はその一撃だけでも気を失いそうだった。

 それも当然なのだ。燐太の二重存在、『アシ』は彼の足の付け根から下までしか覆っていない。そこから上、上半身は完全に無防備なのである。故に強力な攻撃を受ければ簡単に昏倒してしまう。

 宙に力なく舞い上がる。だが――燐太は辛うじて気を失わなかった。

 正体不明の赤い少女に捕らわれている藍子の為にも。

 両足を支える、再び自分を走れるようにしてくれた友人の為にも。

 そして今度こそ自分の力のみでこの窮地を乗り越える為にも。

 絶対に倒れる訳にはいかなかったのだ。


 ――燐太さん。いきやすぜ――


 燐太の内部――脚から声が伝わる。

 返事は要らぬ。無言でも十分に次に起こす行動(アクション)はお互いに理解している。

 飛びかけた意識に活力が戻り、脚にも強烈に力が籠められる。


「――っうおらぁぁぁぁぁっ!」


 心の中で強く思う。こいつだけには負けたくない――と。今度は負けたくないと。

 打ち上げられた体を急旋回させ、右の踵を淡慈の頭上に振り下ろす。


「ぐ……っ……!?」


 硬い物同士がぶつかり合う鈍重な音が空気を揺らし、一寸遅れて淡慈の体が地に崩れ落ちた。

 燐太は不安定な体勢でよろめきながら着地する。そして顎を右手の甲で拭いながら大きく息を吐いた。


「見たかよ……くそったれ……! 二度も負けて堪るかっつーの……!」


 彼は自分が打ち倒した筈の淡慈が倒れているであろう方向に振り返ろうとした――。


「まだ――まだ終わってない! 燐太ッ!」


 ――え――?

 藍子の悲鳴にも似た声が響き渡る。燐太はそれが何を意味しているのか解らなかった。

 二つの赤い光が暗夜にくっきりと浮かび上がっている。その下には真っ赤な三日月が――。

 違う。あれは――口だ。哂い、歪んでいる口だ。

 赤い光がぐるりと回転した。それは気味悪く鮮やかに発光する一対の眼球であった。


「痛い――ですねぇ。まともに当たっていたら首が折れたかも知れませんよ。だけど駄目です……それじゃあ、ちゃんと殺せていないんですよぉ。ひっひひひ……。だって――殆ど当たってませんからねぇ!」

 

 まるで自分の時間だけが急に遅くなったかのように何も出来なかった。

 淡慈の口が蛇の口のように裂け、燐太の喉笛を噛み切ろうと上下に開いていく。

 黒色とは対照的な不気味なほどに白い歯。その狭間ある赤い舌。

 漠然とした死の予感――。

 一瞬だけ気後れしてしまったが為の命取り――。


「ひゃひゃひゃ……いひひっひひっひひひひひひひひひひひ!!」


 嫌な哂い声が燐太の耳に届く。下卑た哂い声以外は排除されてしまっている。

 遠くの方で藍子が声が枯れんばかりに何度も叫んでいる。しかしその声は燐太には届かない。

 色の掠れた無声(サイレント)映画のように音は無く、その仕草のみで何をしているのかを判断しなければならないのだ。必死の叫びでさえ、音を吹き込み忘れた劇中では意味を為さない。

 とろり、と僅かな粘性のある質感の闇の中では、数多の赤い眼が星のように瞬く。どこか歯車が噛合っていない歪な星空は、それを内包している理自体が狂ってしまっているとしか言えぬ。

 無音の渦中で哂い声のみが跳ね返り、行き場を失くしたかのように暴れ狂った。

 二つの赤い光が暗闇に螺旋を描き、迫る。

 そして――。




  

 これ……実は一つの話をニ分割したものなんですよね……。

 

 いえいえ、引き伸ばしとかではないですよ。単に要領オーバーしてしまって、ニ分割せざるおえないって事です。


 では何故そのもう片方を即時投下しないか? それは次回の話とその次の話が一度に投下しないと意味が無い……(以下ry


 まぁ早めに更新出来たらいいのではないかと思っています。


 じゃあ、それではまた次回! 


 ……ん? おまけ……? それ何系ですか? 渋谷系とか、秋葉系なんですか。


 え? 違う? 名古屋系? 黒いんですか。黒いんですね! ひゃほおぉぉぉ!


 そんな訳でおまけ……始まるよッ!? 


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 寧「――頭撫でてみてくださいよ!」


 葎「あの……再開したばかりなのに、こういう事を言うのは心苦しいんだけど……。君・は・い・き・な・り・何・を・言・っ・て・る・ん・だ・?」


 寧「だって! 世に満ち溢れる作品では、男が女の頭を撫でたら簡単に落とせるみたいになっているじゃないですか! やりましょうよ!」


 葎「いや、『だって』がおかしいし……。本編と繋がりが……」


 寧「本編なんてその辺の河川敷にでも捨てておけばいいんですよ。どーせ……あたしの出番は無いんですし」


 葎「とんでもねえ事言い出したよ、この人」


 寧「ねぇー! やりましょうよぉー! ねぇったらー! あ、ちなみにこの『ねぇ』は『寧』とかけている訳じゃありませんからね」


 葎「聞いてないし、知らないし……。第一、何でそんな事をする必要があるのさ」


 寧「だからぁー。頭ぽんぽんすると楽勝で、落とせるっていうー」


 葎「どんどん説明が雑になってる……」


 寧「えー? やりましょうってー! 一度でいいんですよ! 一度だけ! ね、ね? それならいいでしょ? メロンパンあげますからぁ」


 葎「よし、やろう。今すぐやろう」


 寧「何であたしの懇願より、メロンパンに心を動かされてるんですか」


 葎「事情が変わったんだ。メロンパンさえあればそれでいい」


 寧「……うわぁ……。ま、まぁ……やってくれるなら……ね! ほらほら!」


 葎「こうですか、お客さん」


 ――ぽんぽん。


 寧「んん……。もっとこう……熱い情熱が欲しいですね」


 ――どすどす。


 葎「こうか! こうなのか!」


 寧「ふっ……甘い甘い……その程度ではこの『nei』を倒す事は出来ませんよ」


 ――どおーんどおーん。


 葎「ならばこれを喰らえェェェェェェ! 滅老反メロンパン!!」


 寧「何をこれしき、出蛮臥拿射でばんがない!!」


 ――そして……伝説……じゃなくて……何やかんやの後……。


 葎「はぁはぁはぁ……な、何か……か、変わった……?」


 寧「はぁ……はぁ……ちょ、ちょっと……背がち、縮んだ……気がします!」


 葎「えっ」


 寧「えっ」


 ――……そっか……。


 ――あ、でも、嬉しかったですよ?


 ――結局……何を……やってたんだろうね……俺達……。


 ――さぁ……?


 ――……帰ろうか。


 ――そうですね……。お夕飯はカレーにしましょうか……。


 ――ああ……それいいね……。

 

                

                終了。


 それではノシ

 



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