予兆
という訳で今日も更新ですー。
この物語の主人公はあれですね。忘れ過ぎですね。
まあ、他の人も色々と忘れているみたいですが、主人公はそれ以上です……。
彼がその忘れている事に対してどう向き合うかそれが……かゆ……うま……。
――――作者の前書きはそこで途切れていたという。
熱風が肌を刺す。あまりに乾いた風に目を閉じた。
――――あははははははは……。
再び眼を開く。其処はいつもの白い花畑では無かった。白い待雪草の代わりに咲き誇るは紅の花。真っ赤な太陽にも似た炎の花である。
此処は何処なんだろう。一つだけ分かる事は、此処はいつもの夢の中ではないという事だ。
燃える空。燃える地上。全てが赤に、紅蓮の炎に包まれている。清らかな雰囲気は心をざわめかせる扇情的なものに。めらめらと何かを焼くでもなく、炎は揺らめきながら俺の視界を覆う。
紅色に燃ゆる花畑の中心に人影が見えた。それは俺よりもはるかに小さい、少女の様な影であった。
「ガラか……?」
一面に広がる炎の様に影が広がる。ふいに視界を遮っていた炎が弱まった。
「ガラにしては小さい……」
目の前で蜃気楼の様な姿を現している影は、いつものガラの姿とは異なっていた。
「女ガラの方か……? あんにゃろう……また悪戯でも……」
だが、あいつがこんなに手の込んだ悪戯をするのか? 自ら世界を赤色に染め上げるなど……。 ありえなくは無いが――――。……そもそもあれはガラなのか?
突然唄声が聞こえ始めた。それは小鳥の囀る様な綺麗な音色で、とても人間が出しているとは思えない声である。綺麗だ。綺麗だが――――何だか――――。危なげなのだ。
その音は聞いた者の心を乱す様な危なげな気配を、美しい旋律に潜めている。聞き惚れながらも、恐ろしさを感じずにはいられない。そんな音色である。
歌声に反応する様に炎は動く。灼熱の花弁が空気へと散る。熱気はちりちりと肌を焦がす。
影が居る場所。丁度影の背後にあるものがちらりと赤いヴェールの隙間から垣間見えた。
「建物……?」
大きな建造物。それを小さな影は背にしている。俺は導かれる様にそちらの方へと歩いて行った。
影の正体は腰まで伸びた長髪が眼を引く、一人の少女であった。
赤い服。赤い服を着ている。これではまるでガラが性別を入れ違えた時の服装とは対比の様だ。
黒い髪に簡素な装い。そして黒い色の艶髪。どれもあの時のガラに似ている。唯一つ違う箇所があるとしたら、それはその表情だけだ。
少女の顔に浮かぶ表情は、悲しげであり、同時に蟲惑的にも感じられる。遠目から見ても魅力的だ。
だが――――俺はそれを恐ろしく感じた。うっかり触れてしまったら、焼き尽くされてしまう。そんな仄かな破滅の色が彼女から伝わってきたのだ。
気のせいだ。自分に言い聞かせてもそれ以上足は進まない。俺は歩みを止め、奇妙な歌声に耳を傾けた。
ああ、そうか。先程から聞こえるこの歌声は彼女の喉から出ものであったか。
少女は自らの喉元に手を当てながら囀る。熱風に乗せられた奇妙であり美しい調べが、俺の脳を揺さぶる。このまま聞いていたらどうなるのだろう。ずっと聞いていたい気もする。しかし、そうしてしまえば俺はもう二度と後戻りは出来なくなってしまうのではないか。夢に囚われたまま、目を覚まさず延々と眠りの世界に浸されてしまうのではないか。
唐突に歌声が止まった。俺の視線に気付いたのだろう、気が付けば少女が俺の方を向いている。
炎熱が舞う。少女は踊るようにこちらへと近づいて来た。
「―――――――――――――――――」
何か聞こえる。きっと少女の声だ。
はっきりとは聞き取れない。距離がまだ遠いのだ。燃え盛る火の粉に音が攫われてしまっている。
「―――――――――――――――――」
赤熱に照らされた少女の姿が明らかになっていく。
目の前までに近づいた美しい少女の瞳は紅玉の様に透き通った赤色だった。
「君……誰だ? それに……この場所は……」
はらりと火の花が舞う。
少女はいきなり俺の首を両腕で引き寄せた。
「なっ……何する――――」
「逢いたかったよ……。葎……」
何故俺の名を――――。
「逢いたかった……?」
冷たい指が俺の肌を這い、甘い吐息が耳にかかる。少女は整った顔を俺の顔に近づけ、耳元で囁いた。
「忘れちゃったの……? ……あっははははは……。しょうがないか……。一度壊れたから」
心臓が高鳴った。どうして――――どうしてこの子の声は俺の心をここまで揺さぶるのだろう?
少女は俺の頬に軽く口づけをしてから離れた。
「貴方が望めばまた全部壊してあげる」
炎の壁が二つに割れる。少女の背後に聳え立つものが俺の眼にはっきりと映る。
爛れた空気が喉を刺し、俺は堪らない息苦しさを覚えた。
「昔みたいにね」
夢が崩れていく。熱き火炎に空が塗りつぶされ、終わりの音が鳴り響く。
ああ、俺はこの光景を知っている。記憶が――――魂がこれを知っている。
俺の体を凄まじい熱気が包む。紅の少女は終焉を賛美するかの如く、再び謳い始めた。
何故彼女は謳う? 行き着く先は破滅だというのに。そんなにも喉をすり減らし、悲しい声を絞り出しながら何故謳う?
――――少女は謳う。
「何故? それは貴方が願ったから――――」
灼熱の吐息が吹き荒び、ちりちりと肌を焼く。崩壊の足音が空気に亀裂を入れる。
あれは――――。
焔の海から現れたのは、荘厳なる紅き扉であった。
「――――葎様? 葎様! 大丈夫ですか!」
「――――えっ……?」
眼を開けると、生真面目そうな少女の顔が正面にあった。
「……ひきこさん……」
彼女、ひきこさんは、苛めっ子を引き摺り殺すという都市伝説から誕生した少女だ。
一度は壊れかけたものの、この白き庭に招かれ、再生した『怪談』である。彼女は最初に俺が遭遇したのから数えて三人目――――本当は二人目だが、生まれ変わったという意味で『ひきこMKⅢ』と称している。しかしそれでは『さん』付けをした場合に、『ひきこMKⅢさん』と、『さん』が被ってしまうので、『MKⅢ』とか『ひっきー』とか、名称を考えあぐねた結果、とりあえず今は『ひきこさん』で通している。
「随分魘されていましたね……あまりにも酷いので心配しましたよ」
彼女は本当に心配そうに俺に手を貸し、立ち上がらせた。
乱れ咲く待雪草の花畑。色を欠いた廃墟の様に地中から生える白い壁。
此処は――――ガラの世界……。
広がる景観はいつも通りの白さを湛えている。空はどこまでも蒼く、紅くなど染まってはいない。
夢……だったのか……。おかしな夢だ……。夢の中で夢を見る事自体がおかしいというのに……。
「嫌な夢でもご覧になられましたか……?」
いかにも女中然としたメイド服を着る少女は、眉を顰めながら尋ねてきた。
「いや――――……。ただの……夢だよ……」
そうだ……あれはただの夢だ……。現に夢の内容だって既に薄れかけている。
あの少女の顔だって――――。
「ガラ様をお呼びいたしましょうか?」
「いや、いいよ。つーかあいつ何やってんの? いつもなら真っ先に出てくるのに」
「御休みになられてます」
「へぇ……あいつがね……珍しい事もあるんだな……」
俺の二重存在――――つまり、俺とは別個であり、俺の体を借りている魂であるガラの事だ。
ガラは時々眠る。いつもではない。本当なら二重存在は人間と同じ様に定期的な睡眠と休養が必要なのだが、ガラだけは何故かその必要性が薄い。
彼――――彼女とも言うのかも知れないが。彼が言うには『寝ていると暇』らしく、その活動時間は驚くべきものである。
特別とも言うのだろうが、奴は特別と言うより異常という言葉がよく似合う。この空間に縛られているとはいえ、俺の体を使えば大抵の事は可能であるし、この空間でのみならやりたい放題であるからだ。
無論あいつの性格だと、どこでもやりたい放題なのだろうが、本人曰く『自由に行動した結果』だそうだ。巻き込まれる側の人間としては堪ったもんじゃない。
まぁ――――、一概に傍若無人だとは言えなくも無い部分はある。行動は奇妙奇天烈そのものであるが、ちゃんと筋は通している。それだけは素直に尊敬していて、俺には出来ない事だとも思う。
あくまでそれだけではあるが。
「ガラの寝姿ねえ……。見てみたい気もするけど……」
異邦人の様な風貌であるから、寝るときは矢張り全裸なのだろうか?
同性? として男の全裸を見るというのも気が引ける。もし、何らかの間違いで立派なブツがポロリだのパオーンという事になっていたら、きっと今夜の寝付きは悪いものとなるだろう。それでなくとも、あいつの透かした顔を見る度に、気まずさ百パーセントを振り切って、気まずさ百二十パーセントまで到達してしまうではないか。ついでに笑いが堪えられなくなるおまけまで付いてくる。興味はあっても見たくはない光景である。
「非常に可愛らしいお姿でしたよ」
と、穏やかに笑いながらひきこさんは言った。
どうなんだ? 男(両性類ノ可能性有リ)の寝ている光景が可愛いとな?
あいつが『可愛い』と形容されている時点で、かなり想像し難い。というよりしたくない。
「あーいや……、あいつにも悪いし……やっぱ遠慮しと――――」
「葎様……『見てみたい気もする』というのは『見たい』と同義語なのですよ。嫌よ嫌よも好きな内……本心では見たいと思っている筈です」
それは幾らなんでも極論じゃあないっすかね。
言い切るひきこさんに、俺は言葉を忘れた。それが失敗だった。
「だ、だからね……」
「見たいんですね? ほら、眼がそう言ってます。私には分かります。つまりは照れ隠しだと」
言って無いし、分かって無いし。この子は人の話を聞かない子?
「ガラ様は仰っていました……。『葎はツンデレなのだよ。もう大分ツンツンしているだろう? そろそろデレる頃合いだ』と……。素直になれない……ああ、素晴らしきかなツンツンデレデレ」
あの野郎、ひきこさんにろくでもねえ事吹き込みやがった。やっぱりあいつのパソコンには閲覧制限を設けるべきだったか。
真顔でくねくねと自らの体を抱き締め、奇妙な動きをするひきこさんを見て、どうにも彼女がわざと勘違いしているんじゃないか? と思わずにはいられなかった。
「ひきこさん? 人の話を……!」
「ならば行きましょう。ささ、行きましょう」
ぶった切られた抵抗の言葉も虚しく、俺は綺麗に整った爪が光る手に引かれ、真っ白な巨壁が立つ小高い丘へと早足で歩いて行った。
「というか、俺……凄く変な所で寝てたんだな……」
自分の寝ていた方を振り返る。正に花々のど真ん中で俺は寝ていたらしい。
花を上から圧迫してしまったせいだろう、白い雪の様な風景の中心に俺の寝ていた跡が残っている。いつもなら目の前の壁の内側に到着するのだが、今回は例外の様だ。
「ですね。今までは無かった事です。吃驚しましたよ、ガラ様がご就寝なされてしまったので、気分転換に散歩でもと思ったら、葎様が倒れているんですもの」
「あー……何かごめんね……」
「いえいえ。私も暇を持て余していましたから」
ひきこさんは俺の手をぐいぐい引っ張りながら俺の言葉に応えた。
「……そういえばさ、ひきこさんって一人の時何してるんだ? 此処、何も無いでしょ」
だだっ広い空間には、殆ど何も無いと言っていい。あるのは蒼空と無数の花々。そして純白の花弁を乗せ走るのんびりとした風のみである。後は――――俺達が現在目指している場所ぐらいか。
「そうですね……私が一人の時ですか……。時々、葎様の視界を借りて、外界を覗くぐらいでしょうか」
「外には出ないのか?」
「今はまだ……。決心が無いのです……。噂に翻弄された身としては、外界というのは恐ろしく感じます。また自分があの様な姿になったらと思うと、とてもとても……」
『怪談』という情報の束から生まれた彼女にとって、外の世界というのはかなり影響を受け易いのだろう。それが原因で彼女は彼女という『怪談』になってしまった。無論、それが無ければ彼女はこうして存在すらしていないので、皮肉と言えば皮肉である。
恨みから生まれ、恨みを取り除かれ、こうして此処に居る。彼女の複雑な心境は俺には分からない。
「寂しくない……? 此処に居て……」
俺がそう言うと、彼女は立ち止まり、俺の方にわざわざ向き直った。
「ふふっ……お優しいのですね……。寂しくありませんよ。私には、ガラ様も葎様もいます。それなのに不満など、ある訳が無いでしょう――――」
それと、と彼女は口元に笑みを浮かべた。
「此処に来なければ、私はこうしてまともに笑える事すら出来ませんでした。人の流す『怪談』に流され、憎しみに身を窶し、宛ての無い復讐を繰り返していたでしょうね」
それは俺がやった事じゃない。ガラがやった事だ――――俺は何の力も持っていないのだから。
喉元まで出掛かったその言葉は、目の前の彼女の屈託の無い笑顔で塞き止められてしまった。
「私は幸せですよ。此処が――――この場所が大好きです」
「でも……俺は――――」
「知っています。ですが葎様、貴方様が望まなければ何も起こらなかったのです。貴方が私を『消す』ではなく、『助けたい』と思わなければ……」
俺が――――望んだから……? 確か――――あの子も同じ事を――――。
「……こんな私にでさえ貴方は慈悲を掛けて下さった……。それがなければ今の私は存在し得ない……」
「違う……! それはただの……ただの…………」
ただの自己満足だ。俺は単に彼女を見ていられなかっただけだ。
彼女は俺の気持ちを見透かした様にやんわりと眼を閉じた。
「これだけは憶えておいてくださいませ……、この世には想いよりも強いものは無いのです」
強い風が雪の花を散らし、巻き上げる。
「……さあ、もう少しですよ。行きましょう」
会話を断ち切る様に、ひきこさんは後ろから俺の背中を押した。
色の無い丘を登っていく。坂道は緩やかで、とても登り易かった。
「や、やっぱさ!? 俺……帰るわ!」
「後戻りは出来ませんよ。此処、一方通行ですから」
彼女が俺の背後でどんな顔をしているのかなんてこの状態では見ることが出来ないが、おそらくニヤニヤと笑っている気がする。
「道路ですら無いじゃん!」
標識があるならばまだ話は解るのだが、標識はおろか道そのものが無い。
「道はあります。むしろあって欲しい」
「それはただの願望だ!」
「どこまでも続く男ざ……」
「あれか、打ち切り的なあれなのか」
その坂で俺を押し進む彼女は、ひょっとしたら俺より男らしいんじゃないだろうか?
「……着きましたね」
ぐだぐだと喋り続けている間にも順調に歩は進み、遂に丘の頂上へと到着した。
丘の上から見える景色は下からの景観よりも格段に良い。真っ直ぐな地平線は、この世界を蒼色と白色に二分しており、雲がそれを繋いでいる。あの二つの色は、雲というものが無ければおそらく永遠に交わる事が無かったのだろう。
思えば、俺にとっての『雲』はガラだったのかも知れない。あいつが居なければ、今ある様々な繋がりは無かった。あいつが居たからこそ今の俺はある。少し癪ではあるが、俺はあいつに――――。
「……何を考えていらっしゃるのですか?」
「ん……何でもないよ。……いやさ、あいつも案外やるんだなーってちょっと思っただけなんだ」
「はて、やる……ですか?」
ひきこさんは首を傾げた。
「ほんの少しだけ感謝してるって事。……言っとくけど、本当に少しだけだから! マジで!」
「フフっ……そうですか……。そう仰るならそうなのでしょう……。ところで……葎様は、ガラ様の事になると何だか砕けた物言いになられますね?」
「そうかな? ……自分ではそんなつもりは無いんだけど……」
まあ――――他の人たちより少しは話し易いかも知れないけど――――。
「きっと……強い信頼関係があればこその……」
「それは無い。断じて無い。ありえない」
「なるほど、これがツンデレというもの……」
「じゃねーよ」
彼女は口元を隠し、眼だけで笑うと、正方形の形に組み合わさっている白い壁の前へと俺を導いた。正面にある壁にはある程度の隙間があり、完全に密閉されてある訳ではない。しかも天井は吹き抜けであるから冬はさぞ寒かろうと思われる。冬なんてこの世界には無いが。
「これさぁ……付いてる意味あんのかなぁ……」
これと言うのは、目の前の壁に、申し訳程度に付いている白い扉の事だ。
外から入るにしろ、中から出るにしろ、この壁の郡には大きな隙間があるので、そこから出入りすれば良いのだが――――何故か扉が付いている。
「ありますよ。扉から入る……それは家に対する最低限の礼儀というものです」
そう言ってひきこさんは、壁に窓の如く開いている四角い穴に、メイド服のスカートを捲りながら大胆にも足を掛けた。
「ひきこさーん……。家への礼儀どうのこうのはどうなったのー……?」
「臨機応変という言葉がありまして」
窓もどきから身を乗り出しながらこちらへと振り返った彼女の顔には、『小さい事をウジウジ言うんじゃねえよ』という文字が読み取れた。
「…………」
「さ、行きますよ」
ひきこさんの後に続き、俺は窓枠の様な箇所に足を掛けた。
「いらっしゃませ、ご主人様」
白いタイル張りの地面へと降りたひきこさんは、畏まった動作で俺の方に一礼した。
内部は殆ど外と代わり映えがしない。あえて言うなら、ガラやひきこさんのベッドがある事と、何故か大型のテレビと無数のゲーム機などがある事だけだろう。
俺は部屋の中を見回し、床に散乱するスナック菓子の袋を発見――――。
「おおっと」
ひきこさんは二十メートルシャトルランでギリギリのタイミングで飛び込む奴の様な動きで、俺が見付けたスナック菓子の袋を回収した。
「そこには何も無いので御座います。ご主人様」
「え、いやでも」
「無いので御座います」
無いのは解ったから、とりあえず睨まないで欲しい。
「そ、そんな気にしなくても……」
「女性には怠惰な一面を見られたくないというプライドがあるのですよ、ご主人様この野郎」
何もお母さんじゃないんだから、お菓子を食うなとは言わないのだが――――彼女はどうにも気に入らないらしい。
「…………ぽて……ぐはっっ」
「コンソメパンチで御座います」
少し意地悪をしてみたくなって、背後に回ろうとしたら、肩をどつかれた。
「……理不尽だ……」
「見られたからには私は消えなければいけません……。葎様お元気で」
「鶴の恩返しか」
今更という気もしなくもないが、ひきこさんは部屋の中に散乱している物を手早く片付けた。
具体的には片付けたというより、『寄せた』とか『積み重ねた』とか『投げた』というのが正しい。
「んで……ガラはどこなんだ? ひきこさん? まさかとは思うけど……アレ?」
先程から気になっていたのだ。あれは白い芋虫なのかと。
俺は二組あるベッドの内の一つ――――白いシーツを被ってもぞもぞと動いている物体を指差した。
「ええ、アレです」
「アレか……」
ひきこさんと俺は、件のベッドを前にしながら顔を見合わせた。
「……一つ聞いていい?」
「どうぞ」
やっぱり白い何かはもぞもぞとのたくっている。
「ガラを起こしたりしたら、ひきこさんもただじゃ済まないんじゃない……? あいつ、女の子にでも容赦しないし……。ましてや俺なんて何を言われるか……」
毎日聞いている嫌味が倍に増えそうだ。
「それなら御心配されなくても大丈夫です。以前は起きませんでしたから」
「以前って事は前にもやったの……?」
「あまりにも暇でしたので」
よく無事だったな、オイ。
「……やっぱやめない?」
「此処まで来たんですから、見ておいた方がお得でしょう?」
お得……なのか……?
気になると言えば、気になるが……どうでもいいと言えばどうでもいいし……。
「それではいきますよ」
ひきこさんはそう言うと、シーツの端を両手で掴んだ。
「待てや! 君、何しようとしてんの!?」
「ですから、ガラ様の寝顔を……」
「そうじゃなくてさ! 少し覗くとかそういう感じじゃないの!?」
「ですが、この状態では何も見えないでしょう?」
確かに、このシーツに包まっている状態では顔すら見えない。だからと言ってシーツをひっぺ返すというのはどうなんだ。
「起きるよ! 確実にあいつ起きるよ!」
「任せて下さい。起こさない引き剥がし方は心得ております」
「それはどんな引き剥がし方だよ!?」
「ええい……面倒ですね……せいっ!」
俺の制止も虚しく、白い覆いは宙を舞い――――その下からは――――。
「……は……」
「言った通り、非常に可愛らしいお姿でしょう?」
勢いよく上空へと飛ぶシーツ。その下からは真っ白な眩しい肌が滑らかな曲線を描いている。そう、それはまるで女性の体の線に似ていた。似ている――――。似ているというかそのものだが、似ているという事にしておく。もうやだ、何コレ。
「うわっうわあああぁぁあ!!」
ベッドの上で滑らかに広がっている黒髪。横になりながらすうすうと寝息を立てている均整の取れた顔。そして辛うじて俺の意識を保つ要因となっている捩れた華奢な背中が其処にはあった。
「ひきこォォォォ! てめー謀ったな!」
要約すると、全裸の女ガラが、うつ伏せになりながら寝ている――――という事である。
「嘘は申しておりません。どうですか。日頃の疲れも吹っ飛びましたでしょう」
「疲れじゃなくて意識が吹っ飛びそうだよ!!」
メロンパンに全てを捧げているとはいえ、流石にくらくらする。
「ん……んにゃ……」
ガラは眉根に皺を寄せながら首を動かし始めた。
「おい、どうすんの!? 起きちゃう流れじゃね!? これさ!?」
「なぁに、起きたらその時はその時です。私、同性なんで問題ありませんし」
「俺が問題あるっつってんだ、ちくしょうめ!」
俺が叫ぶと、ひきこさんは肩を竦めて見せた。
「いやいや、ガラ様は寝起きが非常に悪いので『何だ葎か』と言われて終わりですよ」
「だとしてもやだ! 何としてでもやだ! っていうかさ!? 何であいつこんな姿で寝てんの!?」
裸までは夏の暑い日などならば理解出来なくも無いが、何故女性の姿になる必要があるのか? 甚だ疑問である。
「あー、昨日女子会があったんですよ」
「あんたらがッ!?」
「悪いですか? 駄目ですか? 私達にだって女子会を行う権利はある筈ですよ?」
「ご、ごめんなさい、このやろー……」
「あら?」
「ん? どうした――――。……!?」
ガラが寝返りを――――。
この時点での俺の血圧、心拍数、精神的汚染は極限の域に達していた。
「きゃあぁアアアアアああああ!!」
「あ、葎様がっ。ガラ様、起きて下さい! 何やかんやで大変です!」
「…………む……葎が何故此処に……。…………まぁいいか……あと5分……」
そして案の定というか、何と言うか、気を失った。
「…………はっ! 何だかとんでもなくおぞましいものを見た気がするッ!」
おそらく物凄い悪夢だったのだろう。内容を途中から全く憶えていない。凄いぞ! 俺の防衛本能!
「……ん?」
ふいに耳元で唸る様な振動を感じ、俺は手探りに頭の近辺を手で探った。
携帯が震えている。俺はその音で目を覚ましたのだ。
携帯は未だに震え続けている。俺は霞む眼で画面を確認した。受話器の形の電子マークが上下に揺れているのが分かる。
「電話……か」
母さんからか……。
画面には見慣れた母親の名前が明るく輝いていた。
「はい……。母さん……? 何……。…………ああ、ごめん忘れてた……」
久方ぶりの母の声は少しきつく責める様な口調であった。
それもそうだろう。ここ最近はあまり連絡を取っていなかったから。
「………………うん分かった……そろそろ一回そっちに帰るよ……。うん……うん……じゃ……」
そういえば……暫く帰ってなかったな……。
通話が終わり、携帯を閉じた俺は、ベッドの上で懐かしい友人達の顔を思い浮かべた。
「……少ねぇ……」
思い浮かべる度に自分の交友関係の狭さを思い知らされている様で嫌な気分になる。
そういえば、あいつは元気かな――――。
――そ―――君――――――――事―――――よ。ふ―――――――し―――――な。
…………あいつ……あいつって……誰だ……?
顔の思い出せない声。それを聞いたのはいつ頃であったか。いずれにしろ色褪せるには早過ぎる記憶だ。それが何であるかそれが思い出せない。他の記憶は鮮明なだけに、余計にその忘れている部分だけが浮かび上がってくる。
「あ゛~……もう……どうして忘れてやがるんだ……チクショウ……」
気持ちの悪い不快感に、さっきまで見ていた夢の内容まで忘れてしまいそうだ。
俺は漫ろな気分で息を吸った。晴れ晴れとした朝の空気は、冬の訪れを感じる冷たい味がした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
一人の少女が真っ暗な歩道を走っている。辺りは既に闇が枚挙しており、ちらほらと通る車のみが道を照らす。少女は逃げていた。自分を追う、大きな恐怖からである。
彼女がそれに気付いたのには些細なきっかけがあった。
自分の体には自分のものではない、別の何かが入っている――――それに彼女はある日、気が付いた。少女は自分の内に潜むそれに呼び掛けた。そして、少女の声に応えるように、それは声を発し始めたのである。
それは人間では無かったが、温厚な性格であり、人畜無害と言っても良い存在だというのだけは少女にも理解が出来た。少女はいつしかそんなそれに親近感を覚え、奇妙な信頼関係すら生まれていた。その矢先の出来事であった。
――――誰かが見ている。
何者かの視線を彼女と、それは感じ取ったのだ。意図的な視線、自分は見ていると誇示している様な視線は、少女の中のそれに驚くほど似ていた。ただ一点、どことなく感じる禍々しさを除いては。
少女と少女の中のそれの仲が深まるにつれ、視線は増えていった。いいや、増えたというのは正確ではないだろう。何故ならば、視線は常に一つの方向から発せられるものであったのだから。
そんなある日、唐突に笑い声が聞こえた。それは複数の笑い声が重複している様な声であり、少女の後を付いて来る様になった。少女がどこを歩いていても、友人と共に下校していようと、家から出れば、直ぐにそれは聞こえ始めるのだ。
得体の知れない声に少女は怯えた。だが、耳を塞ごうが、何をしようが、声はいつまでも聞こえ続けた。唯一の救いは、彼女には自分の中に相談できる相手が居た事だ。それでなくては、多感な少女の精神など、容易く瓦解していただろう。
それだけは少女を支えた。同時に――――少女もそれの支えとなっていた。
そう、それも正体不明の笑い声に恐怖していたのである。
しかし、そういった些細な癒しですら心を蝕む恐怖には及ばず、少女達は心を病んでいった。
そして――――今日。少女は自らの自分を見つめていたものの正体を知った。
学校も休みがちになっていた少女は、ふと自分の部屋の窓を見たのである。そこには――――。
――――結城……! 私と代わって……! 私なら逃げ切れるから……!――
少女の内側で声が響く。少女は絶え絶えな息を吐きながら、辛うじて返事らしき声を発した。
「う……」
少女は震える瞼を無理矢理に閉じ、強く瞑った。
少女の内部で何かが大きく変化する。
「よし……逃げるよ……!」
雰囲気が一変した少女は――――少女と入れ代わった彼女の中のそれは走り出した。
先程のよたよたとした情けない走り方から、確りとした走り方に変化した少女は、街中を尋常ではない速さで駆け抜けた。彼女達に迫る恐怖を退けようと懸命に、懸命に走った。
「こ……この辺りなら……だ――――」
少女達が最終的に辿り着いたのは、人通りの多い街の中心部である。
この場所なら、あの声は追って来ない。少女達は安堵の息を吐いた。
――――けらけらけらけらけらけら……。
「だ……」
風に乗った、微かな笑い声が少女の耳に届いた。
――――けらけらけらけらけらけら……。
逃げる宛ては無かったが、それでもこういった人ごみの中へと逃げ込めば、あの声の持ち主も大っぴらに手を出さないだろうという希望的観測が、少女と少女の中のそれにはあった。
――――本当に街中なら襲われないの?
その笑い声を聴いた瞬間――――その希望が揺らぐのを彼女達は感じた。
視線が――――無数の視線がこちらを見ている。それはこの場に居る人間全ての――――。
「な、何……っ! ……何で見てるの……っ!」
少女の周囲に居る人間全てが、少女だけを見ていた。
赤い光をその瞳に宿し、じっと、彼女とその中のもう一人だけを凝視しているのだ。
――――けらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけら。
街中の灯が吹き消されたかの様に消えた。
だが、少女と少女の中のそれには見えていた。
無数の赤い腕が彼女達に迫り来るのを――――。
くすんだ赤色の椀手は少女達をの四肢を触手の様に絡めとる。少女と入れ代わったそれは抵抗したが、虚しくも抵抗にすらなっていない。
「いや……! いやぁあああああッ!!」
痛みは無かった。少女の肉体は一瞬の内に引き裂かれ、大きな肉片へと化した。
ただ――――本当の苦痛はそれからであった。
瞬間的に命を奪われ、魂だけとなった少女は、自分の中のもう一人の存在と共に自らの亡骸の上に現れた。このままいけば、彼女らの魂は何処へかと行くのだろうが、赤い腕達がそれを許さなかった。
――――行きたくない……! そっちは……そっちは!
魂だけとなった少女の脚が掴み取られる。そして――――。
――――あ……た……すけ……。
沼の様な――――赤い血溜まりに少女は引き込まれていく。
――――結城!
少女の中に居たそれは手を伸ばした。
だが、伸ばした手は大勢の口によって噛み千切られ――――届く事は無かった。
奇妙な声は少女達の絆を切り裂き、嘲笑う。
けらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけら……。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ぼさっとしてないでさあ……、さっさと逃げなよ」
瑞樹神広尾は後方の暗闇に向かって、振り返りながら言い放った。
彼女の背後では、戸惑う様な吐息が聞こえ、その後、何者かが走り去る足音が聞こえた。
「……雅峰のバカヤロウは……死んでねーだろうな……」
誰に言うにでもなく、広尾は呟く。いつになく機嫌が悪そうな険悪な表情である。
彼女は単語帳の様な紙の束を藍色に染め上げられた着物の襟内から出し、パラパラと指で捲った。
「……さぁーて、いい加減に出てきてくんないかなぁ?」
広尾は空虚な闇の中へ呼び掛けた。返事は無い。
「せっかく今日は早く帰って、寧ちゃんときゃきゃうふふ出来ると思ったのに……、見事に邪魔してくれたねぇ……?」
彼女の不機嫌そうな声が、しん、とした静寂のみが広がる濃紺の闇に響く。
「まぁ……出てこないなら――――出てこさせるけどさ……。出て来い……因達羅!」
広尾は紙束から数枚の紙を引き千切ると、宙へと投げた。
白い紙がはらりと舞う。次の瞬間、紙の周りに光る楕円形の線が形成された。それは鏡の様な鱗である。鱗の数は次第に増え、終には確りとした実体を形成し始めた。
「はぁーやく出てこないと、びィりびィりしちゃうよー?」
そして肉付けされた紙は輝く白色の大蛇となり、広尾の足元でとぐろを巻いた。
雷光が夜中に迸る。大蛇の体をバチバチと電気が取り巻いているのだ。
「暗くて見えないなぁ。……いいや、全部壊しちまえ」
広尾がそう言うと、大蛇は鎌首を擡げ、鈴の様な声で咆哮した。
大蛇を取り囲む雷光の帯が激しくなる。薄汚れたコンクリートの壁を凄まじい光と電流が襲う。激しい光の旋律は生き物の様に蠢き、広尾の周囲を激しい音と共に薙ぎ払った。
「……いない……」
紫電の残滓が残る空間で、広尾は不審そうに眉を寄せた。
いつもなら、目の前で焼け焦げている筈の獲物がいない。あるのは電流を浴び、表面が焼け焦げた壁と地面のみである。
広尾の頭の上で、風が唸った。
「……! 上かよ……」
上から何か来る――――気配を感じ取った広尾は、上空を仰いだ。
白き大蛇が広尾の視線に合わせて素早く迎撃の構えを取る。
「上じゃあ、逃げらんないよ? バッカだねー……」
稲光が空中で激しく光る。大蛇は飛び上がる様に、暗闇に姿を隠す何かに噛み付いた。
「ほら、言ったじゃんか。って……もう遅いか――――」
――――何故、雷光が弾けない?
「――――あ?」
広尾は不審気に、眉間に皺を寄せた。
雷の力を帯びた大蛇の牙が獲物を捕らえれば――――それが生身のモノならば感電光が光る筈だ。そして匂い。肉が多少なりとも焦げた匂いすらしていない。
――――どういう事だ……?
「……!」
――――けらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけら……。
奇妙な笑い声が広尾の鼓膜を揺さぶり、彼女の背後に何かが降り立った。
広尾は直ぐに振り返り、大蛇に指示を出した。
「いん――――」
大蛇の尾が、彼女と何かの間に辛うじて割って入る。
硬く、金属を寄せ集めたかの様な大蛇の尾を鈍い衝撃が通り抜け、広尾へと伝わっていく。
広尾は両腕を交差させ、勢いを殺しても尚響く衝撃から身を守った。
「……てめっ……! 何者だ……!?」
鈍器で殴られたのと相違ない強い痛みが広尾の骨にまで食い込む。
「ッ……!」
ずるり、という音が広尾の真後ろで響く。広尾の肩を赤い手が掴んだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
――――こちらは留守番伝言電話サービスです――――
「出ない……か」
不儀真は静かに受話器をレジカウンターの上に置いた。
しっとりとした夕暮れの陽射しが窓の外から射し込み、真の顔を橙色に照らす。
真は考え込む様に顎に手を当てから卓上にある茶飲みを手に取り、少し啜った。 濃い影法師が店内に蜘蛛の巣の様に張り巡らされる。その中で、落ちかけた斜陽を浴びている真だけが影の糸から外れている。単調ともいうべき色彩の中心に鎮座する真は懐から二枚の写真を取り出した。
一枚には前髪の長い大人しそうな少女が、もう片方には明るく笑っている青年が写っている。
真は卓上にある五つの金属が嵌め込まれている白い手甲に視線を遣った。
「羽藤涼麻……。そして宮代結城……。一人は行方不明……。もう一人は一応所在は確認出来る……。……どう思います?」
赤と黒の二つの光の玉が、手甲から噴出す様に淡い光を放ちながら真の目の前に現れた。
――行方不明ってのが気になるな――
赤色の光球から聞こえる声は、その声の主の気性が荒っぽい事を連想させる様な声である。
――同じく。でも……男の子の方は広尾ちゃんに任せてるんだから心配無いんじゃなぁい?――
黒い光が真の目の前に躍り出た。こちらは聞こえるのは涼やかな女性の声だ。
「そうですが……」
――連絡が取れない……とそういう事だな? 真?――
赤い光の球が真の頭の上でふわふわと揺れる。
「彼等に限って何も無いとは思いますが……」
――まぁ、広尾ちゃんは大丈夫でしょう。いざとなったら‘矢‘を使うと思うしねぇ――
黒球は宙を旋回した。
――いや、流石にあの頭の血管が常時ぶち切れてる蛇娘でも、そんな安易には使わないんじゃねえか?――
赤球が黒球の周囲をぐるぐる回る。
――あらぁ、そんな事言って。昔はよくぶっ放していたでしょ?――
――まぁな……。あいつはヤバイくらいにヤバイからしょうがない……――
――ヤバイくらいにヤバイって何よ――
――そりゃおめー、眼を見れば解るだろ。あいつはヤバイ――
――………………確かにヤバかったわね……今はそうでもないけど……――
間を置いて黒色の光が答えた。
「……ごほん……」
真のわざとらしい咳が、二色の光球が繰り広げる会話を中断させた。
「……お二人とも、続きを話しても宜しいですか?」
――あー……悪い悪い……。で、何がそんなに気になるんだよ?――
「…………それは」
――それは?――
「俺にも分からないんです」
――オイ真。オイ馬鹿か――
――真ちゃんってばお茶目ねー!――
――分かんねえだぁ? 何だよそりゃ――
「いえ……何というか、漠然とした嫌な予感がするんです……」
――不安ねぇ……。お前のそういう勘は結構当たるからなぁ……――
――私、真ちゃんのそういう所好きよ――
――うわ、婆がキモイッ――
――爺に言われたくないわ――
――んだよ……やるかてめー?――
――はっ、鎮火させてあげましょうか? ファイヤー爺ぃ?――
――うるせーよ! ビチャビチャ婆!――
――ビチャビチャって何よ! 卑猥に聞こえるから止めてくれる? せめてヌレヌレとか……――
――そっちの方が卑猥だろうが! 婆!――
――卑猥なのはアンタの発想よ、燃えカス爺――
「お二人とも……!」
――だって真……あいつが!――
――真ちゃんは私の味方よねぇー?――
「いい加減にしてください……! どっちもお爺さんやお婆さんはとうに越えているでしょう……!」
――…………それを言うな……――
――真ちゃんの言葉って……、たまにこう……心にグサっとくるわね……――
――……それにしても二重存在だっけか? 俺達の時代にあんなおかしなものは居なかったぞ? どっから沸いてきやがったんだ?――
――そうねぇ……狐憑きでも無さそうだし……かといって同一の魂でもない……。何なんでしょうねえ……。私達だってあれの存在を知ったのは最近だし――
「二重存在……」
自分は二重存在という者達の何を知っているのだろう? あれらが現れたのはつい数年前。それまでは確認すらされていなかった。ともすれば、今まで姿を隠していたか、あるいは――――。
「そもそも誕生したのが最近なのか――――」
真は深い息を吐き、もう一度茶を啜った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「――――それで? 君はどうしたいんだ……?」
秋庭正一は箸を動かしながら、隣で項垂れている風早燐太を横目で見た。
騒がしい教室――――。室内は様々な匂いで溢れている。揚げ物の匂い。ケチャップの匂い。それこそ多種多様な香りが生徒達の机から漂っている。
そんな教室の窓際で三人の少年達が机を寄せ合い、身の無い会話を繰り広げていた。
「弁当を分けて下さい……」
「断る」
正一は弁当箱の中で少し潰れてしまった白米を箸で突き崩しつつ、冷徹な口調で言った。
「右に同じ。甘ったるい惚気話、どうもご馳走様でした」
一口サイズのコロッケを抓んだ斉藤士も正一の言葉に追従した。
「お前等、友達だろッ!? 今日! 俺! 弁当! 無いのォ! アーユーオーケー!?」
燐太は机の上をバシバシと何回も叩いた。しかし、正一は黙々と箸を動かし、士は無言で咀嚼を行うのみで、燐太の痛恨の訴えは無視されている。
「うぁああああぁアアアュュュュォォオオオオクェェェェェ!!?」
空腹の限界に達した燐太は、日本史と書かれたノートを齧った。
「ふう……全く君は……」
タレのよく絡んだミートボールを箸で掴んだ正一は、それを燐太に向けた。
「くれんのか!?」
「あげないよ」
「あげないの!?」
ミートボールを掴んだ正一の箸は燐太の口をするりとかわし、正一の口へと収まった。
「何今の!? 完全にくれる感じの流れだったじゃん! 『あげないよ』……じゃねよォォォ! あげろォォォォォ! プリーズミー! ギブミィィィィィ、何でもいいからぁぁぁあ!!」
士は節操無く口を動かしながら、燐太の肩を平手で強く数回叩いた。
「オーケーオーケー。ファッキューファッキュー」
燐太はそんな士の弁当を掴むと、何やら口の中で溜め始めた。
「て、てめっ! 燐太ぁぁぁ! 唾とか止めろォ!」
「うるるひゃひひひ」
燐太の蛮行を見かねた正一は、燐太にピンク色の布に包まれた容器を差し出した。
「その辺にしておいたら、これを君にやろう」
燐太は無言で唾を飲み下した。
「……これ……愛妻弁当……正一お前が……!」
「君は馬鹿って一日に何回言われれば気が済むんだい?」
「でも駄目ッ! 男同士なんて禁断の愛ッ!」
「よし分かった。今から君をそこの窓から投げ落とす。士、そっち持ってくれ」
「オーケェイ。はい、大人しくしましょうねぇ?」
正一は燐太の足を素早く持ち上げ、続いて士も燐太の両腕を確保した。
「正一……冗談。っちょ……冗談だってェェェ!!」
正一と士によって、燐太は丸焼きにされる前の豚の様な格好で窓へと担ぎ上げられていく。
「待て待て待てぇい! せめてあの弁当は誰が作ったかだけ、死ぬ前に聞かせろーっ!」
侮蔑する様な視線を正一は燐太に送る。
「誰って……君がいつもお弁当を作ってもらってる人からだよ。……まさかとは思うが、本当に気付かなかったのか?」
「あ、藍子が……? で……でもさぁ……」
「はぁ……。さっき来て、『放課後付き合え。それで許す』って。後、このお弁当を預かった……」
正一は燐太の両足を、艶の無い床の上に乱暴に下ろした。
「なので……、授業が全部が終わったら真っ直ぐ彼女のクラスに行きなよ?」
「わ、分かった……」
依然として士に上半身を、万歳でもしているかの様な格好で持ち上げられている燐太は、何回も、やり過ぎなほどに頷いた。
「……ところでさ」
だらしない格好の燐太に正一が話しかけた。
「な、何? いいから全部、早く下ろせよ!」
「どうして柳葉さんは怒っているんだ?」
「へ……。あ、ああそれはな……朝あいつがくるくる回りながら『ねえ、燐太。今日はどこか違うと思わない?』とか意味不明な事を言うからさー。『どこも変わってないぞ』っつったら――――」
正一と士は顔を見合わせた。どんよりとした空気が漂い始める。
「……正一ィ。俺さー、燐太をやっぱりそこから投げ落としたいんだけどさー。手伝ってくんねーかなぁ?」
士は首を鳴らし、緩めかけていた力を復活させた。
「奇遇だね。僕も燐太は少し反省するべきだと思っていた所だ」
正一は放した筈の燐太の足を、再度持ち上げた。
「それじゃ、一丁」
「飛んでもらおうか」
「あの……え……士クン……? せ、正一クン……? 君達何を……」
その後、校舎の二階から何か大きな喧しい物体が落ちてきたという噂が校内では広まったが、生徒及び教師達は、誰も知らない、見ていないとの一点張りで、真相の程は定かではない
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
追ってくる……! 何なんだあいつらは……! 昨日の変なのと同じ仲間か……!?
夜道は走り難い。特にこの辺りは明かりが少ないから、余計に闇に足を取られる。
足の先で大きな硬いものを踏み付けた。俺の足より遥かに硬いものだ。
「っっつう……! こんな所に石なんて追いとくなっつーの!」
それは小さな小石であった。踏んでみた感触としてはかなり大きく感じたが、足で蹴り飛ばし、実際に現物を見てみると然程の大きさでもない。
足音が迫ってくる。こんな所で立ち止まっている暇はない。逃げなくては。
気を取り直し、再び走り始める。流れる風景はいつもなら多少なりとも風情を感じるものだが、今はどちらかというと悪夢の中のそれに近い。そんな中、横道から落ち着いた光が洩れているのに気が付いた。
「交番……!」
視界の隅に飛び込んできた交番を見て、俺は迷った。
こんな時、交番なんてあてになるのか? そもそも俺の抱えてる事情が事情だ。頼りになるという保障もない。
「どうする……! おい聞いてんだろ!」
自分の中のそれに呼びかける。
――交番は止めておいた方がいい。お前がモルモットになりたくないならばな。それに逃げ込んだ所でどうにもならないぞ――
「人の一大事だっつーのに、人事みたいに言うんじゃねえよッ!」
こいつのせいと言っても過言ではない。むしろこいつが原因としか考えられない。
――……! 来てる……!――
くそ、何でこんな事に巻き込まれなきゃいけねえんだ……!
夜道で追いかけっこなんて趣味じゃねえんだよ……!
脇目も振らず、必死で走る。動揺しているせいか、息切れがいつもより早い。
歩道橋を駆け上がり、急いで下に下りる。その後、また全力で走る。
足音は聞こえてこない。もう撒けたか……?
俺は白熱した様な輝きを放っている飲料の自動販売機に、もたれかかった。
「っはあ……はあはあはあ……」
あの子は無事なのか。あの着物の子は。クソ……! 夜も昼も走り通しだから、体が重い……! あの子の心配するより、自分の心配した方がいいな……こりゃ……。
「お疲れの所悪いんだがね。そこで止まってくれるとありがたい」
いけすかない口調が夜道に響く。不味い。追いつかれていたか。
俺は直ぐにその声とは反対方向へと駆け出した。
「おい! 力貸せ……っ! 逃げんだよッ!」
俺の呼びかけに、俺の中のそれは応えた。
――お前は気を失うが――――……――
「そんな事言ってる場合じゃねえだろっ!? 早くに――――。……!」
目の前に誰かが立っている。暗がりに身を窶すそいつは、俺をじっと見ながら口を開いた。
「君が羽藤涼麻君だね?」
こいつ――――。
立ち止まった俺の肩を、背後から何者かがしっかりと掴んだ。
「よし、捕まえた。おっと……逃げては駄目だよ? 私は紳士なのでね。手荒な真似はしたくない」
気障な口調。先程の奴だ。
「あ……あんた達……一体何なんだよ……」
徐々に前方の人影が近づいて来る。
薄明かりに照らされた顔は、愕くほどに幼い印象を受けた。
「君の敵ではないのは確かだ。こんな事を言っても説得力は無いが……。安心してくれ」
目の前に立つ、俺よりも年下だと思われるそいつは、苦笑いを零しながら言った。
最終話だけあってけらけらが多いですね。
ええ、スーパーけらけらタイムですとも。
それではおまけです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
寧「久々の出番ヒャホォォォォォォォウッ!!」
葎「寧さん。テンションが。別人になってるよ」
寧「だってだって出番ですよ! 遂に日の目をみて……」
葎「あれ、回想だけどね」
寧「そ、それでも……」
葎「しかも一話分のスペースの割りに短いし」
寧「…………ううッ」
葎「そんな重要じゃなさそうだし」
寧「うっ……うわああああああん」
葎「涙拭けよ。良い事あるって」
寧「貴方に言われたくないんですけど!?」
葎「俺、あのほらー主人公だし」
寧「主人公が何ぼのもんじゃい! 冒頭では何か知らない子といちゃいちゃしてるし……ファッキン主人公! ファッキンヒロイン!」
葎「寧さん、だからキャラが」
寧「キャラなんてねぇ! 飾りなんですよ! 偉い人にはそれが分からんのでせう!」
葎「まあ、それも一理ある」
寧「主人公が認めたら駄目でしょうがぁぁぁぁああ!!」
葎「君はどっちなんだい」
寧「あなたがどっちなんですか!」
葎「だってさ、この作品活かし切れてない設定が多くない?」
寧「え……そ、そう言われれば……」
葎「風早の厨二設定! その他etc! もうね! あるだけ無駄なのが多い事多い事!」
寧「でも……葎さんのメロンパン好きは結構作中で……」
葎「一緒にしてはいけない。俺のメロンパンに対する感情はね……愛情なんだよ……。分かるかい!? メロンパンの上に被さったビスケット生地を愛でる気持ちがッ!」
寧「全く分かりません」
葎「はぁはぁ……メロンパン可愛いよメロンパン!」
寧「いっくよーしんくーはどーけん」
ビリリ……ズドドドドド……
↑
何か波動的な感じの何とかかんとかが、葎にぶち当たる音。
葎「」
寧「さて、じゃあ葎さんが私にKOされたので、これにてお開きですね! やったよ、舞! やっと〆の言葉を言えたよー!」
主人公が負けたのでこれにて終わり!
ん? 寧さん……? その内殺意の波動とかに目覚めるんじゃないっすかね?




