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duplices  作者: rakia
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不穏の影


 ハッピーニューイヤー! えっ? まだ早い?





 来てみたのは良いのだが――――さて、何処に行けば良いのやら。

 俺はちらほらと灯が点き始めた歓楽街の中を歩きながら、ぼんやりと考え込んだ。

 特に何か目的があって来た訳ではない。姥季の件に関しても表向きは終わった事案なのだ。下手に縄張りを荒らす様な真似をしたら、こちらの警察(、、、、、、)が黙っていない。あっちの警察と俺の所属している警視庁とはほぼ(、、)別組織なのだから、不用意な行動は取れない。

 俺は西に傾きかけている太陽を、手で遮りつつ眺めた。太陽は熟れた柿の様に赤かった。

 一先ず、あの青年の所でも訪ねてみるか――――。何にせよ歩かなきゃ何も始まらない。刑事は歩くのが本分だ。今回は仕事でも無いし、刑事という肩書きも無いけども。

 進む度に刺々しい光が強まっていく気がした。駅前の大通りから少し裏道に入ると、途端にこんな吹き溜まりの様なドブ臭い光景になってしまった。この落差は一体何なのだろうか。明らかにこっちの方は犯罪の温床の匂いがプンプンする。いかがわしい店の数々に、柄の悪い人間達。空気もどこか澱みを感じ、息苦しささえ覚える。こんな所に居るとこっちの気分までおかしくなりそうだ。

 犯罪を犯す人間には大まかに別けて二種類居る。その場の雰囲気に流されて犯罪を犯す奴と、考えて、考えた末に犯罪を犯す奴。此処に居るのはどう考えても前者の方だ。突発的な――――よく考えて見ればそれ程でもない理由で犯罪を犯す奴ら。多分そういうのがこの場所には、うようよしている。

 だが、それも分からなくも無い。その場の雰囲気や空気というものは、犯罪が起きる上で重要な要素を占めるからだ。例を挙げるとすれば、おばけ屋敷なんてのが良い例だろう。あれは大して怖くないものを怖く見せている。音楽。明度。色。室温。そして個人の危険に対する擬似的予感。それらが複雑に組み合わさり、恐怖という形のないものは構成されるのだ。それらが無くては恐怖というものは成立しえない。明るい部屋にポツンとゾンビの格好をした男が居たらどうだろう? 怖いと言うより、何だか滑稽だ。しかし、暗い部屋だったら? 俺には多少なりとも不気味には思える。そう思わない奴も居るだろうが。

 こういう風にちょっと状況が違うだけで人間は容易く視点を変える事が可能なのだ。それだけ感受性が強いという事である。これを裏返すと、人間は状況に左右され易いという事実が浮かび上がってくる。

 恐怖を感じ易い状況がある様に、犯罪を犯し易い状況というのもある。正に此処がそうだ。

 暗がりに紛れれば何をしても見付かりやしない。これだけ人が多ければ麻薬の受け渡しなんて簡単だ。 おまけに不自然に多いカラオケボックス。中で何をしようが外には聞こえない。

 人を刺しても此処なら逃げ切れる。

 こういう要素(、、)を挙げたらキリが無い。これだけお膳立てが済んでいる場所なら、するつもりが無い奴でもしてしまう(、、、、、)。それも自分は絶対にしないと断言する奴程だ。それだけ空間というものの力は大きい。殺人事件が起きた場所で二回目の殺人が起きるなんてよくある事だ。それも其処の空気。空間に引っ張られているとしか俺には思えない。そういうのに限って似たような事件が起きる。不気味なぐらいに似通った事件が。

 此処は――――全てに都合が良すぎるから怖いのだ。『出来る』という選択肢があるというのは本当に恐ろしい。

 『出来る』という選択肢が目の前に転がっていたら――――もしもその時に魔がさしたら――――。

 …………俺ならどうする。

 ひゅん、と耳の後ろで冷たい風の音が聞こえた。口寂しくなった俺はポケットの中から棒つきのキャンディーを取り出し、包みを乱雑に開いた。適当に掴んだものだから味なんて分からない。それに視界を遮る逆光で開いた包み紙の模様までもが見えない有様だ。口に入れると舌に刺すような刺激が走った。

 ――――ああ、オレンジソーダか。

 慣れてくると味わい慣れた柑橘系の味と香料が舌に広がってきた。舌で転がすと鼻から香りが抜ける。俺は指先で棒を弄くりながら俺は首を鳴らした。

 ――――へぇ、私服の警官か。ご苦労な事で。

 視線を巡らせるとよく分かる。何人か通行人に紛れて私服の警察官が周囲に眼を凝らしているのだ。その手の動きが分かるのも同業者ならではだろう。それでなくても黒いスーツの時点でバレバレだが。

 にしても、何を張り込んでるんだ? 違法店の一斉検挙でもやるのか?

 俺はふと目に留まった警官の顔をじっくり見た。一人だけ制服の警官。そのせいかそいつだけ浮いて見える。私服の警官達も、場違いなそいつの格好に警戒している様だ。

 まあ、それも頷ける。最近は警察官の格好で警察官(、、、)ごっこをやる奴も居るぐらいだ。

 しかし、俺の眼にはそいつが着ている制服は本物に見える。ならば、単に連絡が行き届いていなかっただけか? それでたまたま一斉検挙の現場に居合わせてしまったと? 

 それも――――無くは無いか。

 もう一つ気になる事がある。あの警官に、どうにも見覚えがあるのだ。

 ――――もしかしたら……あいつか?

 該当する人物といえば、あいつしか思い浮かばない。

 俺は制服の警官に歩み寄って行った。


「……あ゛ー……違っていたら悪いんだが――――。お前、藤草(ふじくさ)じゃないか? 藤草隆夫(ふじくさたかお)。……違うか?」


 制服の警官は一重の眼に疑う様な光を帯びさせ、静かに口を開いた。

 彼は俺の記憶が間違っていなければ、警察学校の動機である藤草隆夫本人である。彼とは最初の頃に一緒の部屋であった。歳も同じであるから不思議と気は合い、今でも年賀状のやりとり程度はする間柄だ。


「そう……だが――――え――――」


 藤草は俺の全体像を眺めつつ、思い出そうとしているような伸び切った声を出した。 

 

「何だよ、忘れちまったのか。俺だよ、村家。警察学校で一緒だったろうが」


 暫く会っていないので藤草の反応も頷ける。数年で人の外見は大きく変化するからである。

 自分には微々たる変化であっても、他人からすればそれは劇的な変化なのだ。俺も例に洩れず知らず知らずに変わった箇所があるのだろう。


「ああ! 村家! 村家な!」


 何だよ、その取ってつけた様な反応は。こいつ完全に忘れていたな。


「つれないな。何だかんだでお前とは上手くやっていたと思うんだけどなぁ」

「悪い悪い……。そうだったな。うん、そうだな……」


 余所余所しい態度が無性に気になる。彼とはそれなりの付き合いを持っていた筈なのだが―――-。

 全く。これじゃあ、まるで他人と話しているみたいだ。


「っと、邪魔したか? 今あれだろ? 何かの一斉検挙でもやろうとしてんだろ?」


 大方、うっかり紛れ込んでしまったという口だろう。それでなくては制服警官が私服警官の群れの中に居るなんていうのは相当に珍しい事であるからである。

 俺はこちらに鋭い視線を送る警官達を、ちらりと見た。藤草も俺の視線を追って私服警官達の姿に気付いた様だ、かなり動揺しているのが見て取れる。これは――――。 


「――――っ。そうだ。間違えて来ちまったみたいでな――――」


 藤草は気まずそうな表情で辺りを窺いながら言った。

 矢張りというか何というか、藤草は間違えて此処に来てしまったらしい。


「俺……一旦戻るわ。それじゃあな」


 そう背中を向けた藤草はそそくさと今にも何かが起きそうな現場から退散しようとした。俺はその背中に一言言って置かなければと声をかけた。


「たまには連絡ぐらいよこせよなー。んじゃ……」


 藤草は最後まで他人行儀な動作で手を振り、人ごみの中へと消えていった。

 変だな。あいつはあんな感じだったか? それに何かあいつに関しての事で忘れている事がある気がする。

 ――――何だったか? 些細な事ではあったのだが――――内容が思い出せない。

 まあ、忘れるぐらいなのだからその程度の取るに足らない事であったのだろう。

 人の郡を見詰め、考え込んでいると自分が取り残されている気分になる。大きな流れに逆らって、立ち止まっては考える。その行為が孤独とも違う妙な感情を沸き立たせるのだ。そしていずれは自分も人の流れに乗せられて流されるのだと思うと、余計に不思議な気分になってくる。

 俺の見ているこの流れ――――群れとも言うが、それが生きている様な。個というものは確かにあるのに、それを纏めてしまうと大きな一つの生き物になっている様な気がしてならない。それが社会というもので、俺も社会の中に組み込まれているのだと理解はしている。しているつもりなのだが、それを己が内の自我というものが邪魔をする。何故なら俺も共同体を形作っている要素の一つだとしたら、この猥雑な空間の一部であるという事でもあるからだ。

 決して俺一人がこの空間に組み込まれたからといって、何かが変化する事を期待している訳ではない。人が硝子の様な氷の欠片だとしたら、俺はこの街という『結晶』に混じっている欠片の一つに過ぎないのだ。小さな欠片を一つだけ『結晶』の中にぶちこんだからといって『結晶』の全体像が変わる訳ではない。

 要は認めたくないのである。俺という『結晶』はこの街の汚らしい『結晶』の中の一部ではないと。

 この考えは大きな驕りなのだ。驕り以外には考えられない。だが、この驕りこそが俺の正義そのものなのだ。自分が悪ではないと、そう断言したくて警察という場所までに辿り着いてしまった。

 俺が感じているのは悪に対する生理的嫌悪感。それと一緒くたにされたくないから警察という組織に従属しているのだ。くだらない理由ではあるが、俺の正義はその歪な感情に代替されている。

 おそらくその感情は刷り込みなのだろう。人から借りた嫌悪感を自分は借りている。何故ならそれは多くの人間が感じている感情でもあるからである。

 自分はそうではない。

 自分はそんな事をしない。

 自分だったらこうする。

 自分なら。

 自分では。

 自分――――。

 自分があるなら、どうしてそんな口を揃えて言うのだ。

 自分が無いから、自分があると思いこみたいのではないか。

 人とは違うと。自分は特別だと。犯罪者とはそもそもの人種が違うのだと。

 人間なんて、生まれた時は全部一緒の赤ん坊だというのに。他人との差別化を図るために勝手に垣根を作って、差別をする。その典型的なタイプが俺だ。

 もし、俺が『結晶』を変化させられる様な大きなものならば、こういう考えは持たなかったのかも知れない。否定するという事は心の内で何処かそれを認めている節があるからだ。はっきりとした実体を持っていれば、それこそ、其処に存在するだけで『結晶』が変化する様な確かな実体を自分が持っていればこんなにも強く否定する事は無かった。自分がそういう『結晶』ではないと、薄い脆弱な精神(こおり)であると気付いているから否定をしたがる。

 俺の正義とは何だ。そんな嫌悪感に似たものが正義なのか。それは人から借りた価値観ではないのか。

 だからあいつ(、、、)が気になるのだ。あいつ(、、、)の瞳はいつでも自分というものを見据えていた。それが出来ないから俺はどこまでもあいつ(、、、)が羨ましく感じるのである。

 こんな場所で会えるとは思っていないが、もしかしたら近くに居るかも知れないという予感は少しだけある。『街』に紛れている大きなものが――――あいつ(、、、)がこの街に――――。

 

「馬鹿か……俺は何を考えているんだ。そんな訳ねえだろう……」


 知らない間に太陽が大きく傾いていた。

 忘れていた。今夜泊まる場所も決めていなかった事を。どうするか、面倒臭いし、そこいらのいかがわしいホテルでも借りるか。とにかくこの冷たい風が防げれば何処でもいい。

 歩き出そうとしたら、こちらに来る三人の人物が見えた。その中の一人を俺は知っていた。


「あれって――――」



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




「遅いですから、たまにはこっちの道を使っても良いですよね……」


 灯は自らに言い聞かせるようにそう呟いた。何でか、こちらの裏道の方を使うと灯の胸中には罪悪感の如きものが芽生えるのだ。それだからいつもは明るい方――――表通りの方を通るのだが、今回に限っては違っていた。今日は人を二人も連れているのだ。安心は出来ないが、危険性は少ないだろう。そう考え、彼女はこちらの道を選んだのだった。

 青みがかった夕暮れの道を灯は進む。その隣には天真爛漫そのものである彼女とは対照的な、見るからに日向の道を歩いていない様な少年が体中にトイレットペーパーを装備し、灯の横をボディガードの様に固め、歩いていた。彼が件の一人目、折島東児である。

 事実、この辺りの治安は悪いのだ。少女一人なら危険性が伴うが、横にいかつい少年が歩いているのならば、また話は違ってくる。こういう場所では少年の周囲を恫喝する様な風貌は、効果覿面であるのだ。ついでにその後ろにも微妙な表情の長身の青年が居るのだが、彼はつまり簡略的に言うとやる事が無いのである。だから、少年少女の背後でどうしたらいいか分からない様な顔をしているのだった。それが二人目、名前を栖小埜葎と言う。彼の場合は役に立つかどうかは怪しいが。

 灯は緊張した面持ちで隣を歩く少年に話しかけた。


「本当に良いんですか……? えー……折島君?」

「そんな他人行儀な! 東児でいいっすよ。兄貴の妹さんなら俺の姉御っす」


 きびきびとした口調でその少年、折島東児は答えた。灯は恥ずかしそうに顔を背け、呟いた。


「おおぅ……姉御になちゃいましたか、私……」


 こんなに大きな弟が出来てしまうとは――――と灯は至って真剣に考え込んだ。

 東児の言う兄貴(、、)とは一体誰の事を言っているのだろうか。思い当たる人物は一向に思い浮かばない。兄というのとは違うが、慕っている兄の様な人物ならば、現在、灯の後ろをとぼとぼと歩いているが、どうやらその人物ではない様だ。灯は唸りながら首を千切れんばかりに捻ったが、答えは出なかった。

 ――――兄貴……? 誰だろ……。知っている人かな……? ……あっ……。

 あった。一つだけそれに当て嵌まる人物が。だがそれは――――夢の――――。


「――――姉御! 首がヤバイっすよ! いや! 全部ヤバイっす! 」


 灯は東児の声によって思考の大海から抜け出した。

 気が付けば、灯はとんでもない捻りを体全体で表現している有様である。

 それにやっと気が付いた灯は、体にバネが入っているかの如く、びょん、と体の部位を正しい位置へと戻した。


「おっと……癖なんですよね、これ」

「ヤベーッすね。あの体の捻りに巻き込まれたら命に関わりそうっす」

「そ、そうでっすか!?」


 てれてれと灯は再び体を捻った。

 褒めちぎられた影響からか、灯は東児に対する若干の警戒を解いた。

 東児はというと、神妙とも言うべき表情で――――。


「いやいや、かなりリスペクトっす。俺には出来ないですし」


 と返事をした。


「命に関わるなんて……。そんなに褒めないでくださいようっ!」


 ――――命の関わっちゃうの……? ってそうじゃない。今のは果たして褒めていたのか……?

 嬉々として声量を高める高校生達を後方から傍観している葎は、天然同士の会話は恐ろしい……、と息を呑んだ。


「す、栖小埜さんはどう思います!?」


 灯はキラキラとした眼で葎の方に振り返った。その眼からは『褒めて褒めて』というシグナルが眼に見えて現れていた。躊躇いながらも期待の篭る視線である。


「ああ、うん……凄く良いんじゃないかな……」

「捻り……新しい私の才能……!?」


 ――――変わった子だよな……。前から知っているけどさ……。

 葎は困り顔で言葉を何とか繋いだ。灯は葎の言葉によって更に機嫌が良くなったらしく、尻尾でもあった日には振り切れているだろうと思われる程だ。

 ほとほと妙な疲労感が体に累積している葎の肩を、背後から何者かが叩いた。


「どうも~警察でーす。御同行願えますかー」

「こけ、けけけけけっ!?」


 ――あら、ガラ様。外で鶏が鳴いていますよ?――


 ――あれは鶏は鶏でもチキンという種類の鶏だ。通常のものとは一緒にしてはいけない――


 ――そうなんですか。以後憶えておきます――


 ――よろしい――


 鶏の鳴き声の様な声を発した葎は、突然の強襲に自分の内部から聞こえる腹の立つ会話すら無視して直立不動の体勢をとった。


「ちょっと君……」

「俺違います! 何にも悪い事なんかしてません! 悪い事をしていたとしてもそんなに大した事じゃないです! せいぜいコンビニで一つだけ残ったメロンパンを先に買おうとした子供と取り合いになっただけです! あ、いや! 違うんです! あの時は悪魔が囁いたんです! 二度とやりませんから許して! だ、だってあれですよ! コンビニから出た後にその子供に肉まんとあんまん奢ったからチャラじゃダメですか!? いやだ~! 刑務所に入りたくない~……」


 ――あの病気が刑務所に入るだけで直るなら安いものじゃないか?――


 ――子供と取り合いになるって……それに結果的に子供に集られていますね……――


 冬なのに恐怖から大量に発汗している葎の内部では、ガラとひきこMKⅢのひそひそ声が響き、


「……流石にそれは……」

「すげえ! 尖ってますね! この人!」


 外側では灯が引き攣った笑顔を作り、東児はナヨナヨした印象を持っていた葎を少し見直した。

 そして葎に声をかけた張本人、村家霧人は、過敏過ぎる反応にどんな表情で対応すべきかとぽりぽりと自分の頭の端っこを雑に掻いた。


「そんなに驚く事も無いと思うんだが……」

「あ――――いつかの刑事さん……?」


 今にも逃走しそうな様子だった葎は、霧人の顔を見て気が抜けた様に落ち着きを取り戻した。

 

「憶えていてくれたか。久しぶりだね、ええっと、栖小埜葎君だったかな?」

「んーっと……ムラ……ムラムラ!」

「村家だよ、村家。ムラムラとか言わないでくれ」


 霧人と葎は数ヶ月前に会ったっきりの縁だ。

 葎は梅雨入りの少し前、ある事件に巻き込まれた。

 女装が趣味の性的倒錯者が都内、及び各地で連続殺人事件を犯したというものである。

 どちらかと言えば巻き込まれたというよりは自分から渦中へと飛び込んで行ったに等しいだろう。

 ともかく葎はその猟奇的殺人事件に深く、浅く関わり、その折にこの刑事、東京警視庁管轄下、上野警察署の刑事である村家霧人と対面したのだった。


「お……お久しぶりです……それで……今日は……」


 警察というだけで緊張する。葎の体が再び硬くなり始める。

 葎の警戒色を霧人は察したのか、大げさに手を振り言った。


「そんなに身構えないでくれ。今日は非番だし、事件なんて起きちゃいないんだ。有給を貰ってね、行く所も無いし気分的に此処にもう一度来てみたかったから来ただけなんだよ」

「それなら……他にもっと良い場所があるでしょう……。俺には何かまた(、、)あったとしか思えない……」

「……君は疑り深いんだね。まぁ……近からず遠からずという所だよ」

「姥季ですか……?」

「違うよ。……それも確かに気にはなるけどね……。姥季……あいつはまだ捕まっていないよ。必ず捕まえると言って置いて情けない話だけど……。奴については足取りさえ掴めていない状況なんだ」


 霧人は息を継ぐように言葉を止めると、すまなさそうな顔で葎に頭を下げた。


「い、いいですって……。いや、良くは無いけど……と、とにかく頭なんて下げないでくださいよ!」

「だとしても俺達警察の責任だからさ。本来ならあの二人の高校生にも謝りたい所だ。あの二人は元気でやってるかい? ショックは大きかっただろうが……」

「大丈夫です。むかつくぐらいにはあの馬鹿は元気ですから。それに柳葉さん――――えっと……女の子の方もそんなにあの時の事は引き摺ってませんし」

「そうなんだ――――……。安心したよ」


 独り言の様に呟く霧人を尻目に、灯はちょこちょこと葎の背中を叩いた。


「栖小埜さん栖小埜さん……! あの人って本物の刑事さんですか……?」

「ん? ま……まあそうだね……」


 葎は灯の瞳にいつもの好奇心の灯火が宿るのを感じ、またか……、と軽く息を吐いた。

 

「げっ……、刑事かよ……」


 あからさまにわくわくとした空気を醸し出している灯の隣では、東児が蒼い顔で霧人から顔を背けていた。

 かなりの数、制服の方の警官に世話になっている東児にとっては、刑事という肩書きは何よりも威圧感を感じるものである。それ故、東児は霧人の顔をまとも直視出来ないのだ。

 そんな東児と灯を霧人は肩眉を上げつつ眺めた。 


「そっちの子達は君の友達?」

「そうで――――」


 やけに嫌な――――息が詰まりそうな風が唸り――――灯の頭上に鋭い光が落ちていく――――。 

 葎は突然の出来事に言葉が出なかった。灯に落ちていく物、それが鋭利な果物ナイフだと気付いた時には既に鈍く光る刃は灯の間際までに迫っていた。

 間に合わない。葎は最悪の事態を想像し、その前に何とかしようと、ガラの名前を呼ぼうとした。


「ガ――――!」


 ガラは葎が呼ぶ前に彼と入れ代わり、強く地面を蹴り、一足飛びに灯の許に近づいた。

 ――――これなら――――!


「あっ――――」


 灯は動けない。体が地面に縫い止められたかの様である。

 その時、灯の内側から膨大なエネルギーの塊が込み上げてきた。


 ――――クソ……! 世話の焼ける……!


 何かが自分の中から姿を現す――――灯がそう感じた瞬間だった。


「あっぶねえッ!」


 トイレットペーパーが空中に投げ出される、東児が放り投げたのだ。

 重力に遵っていたナイフは葎と入れ代わったガラがその柄を掴み取る前に、角張った拳に横から刀身を弾かれ、勢いよく飛んでいった。


「無事っすか!? 怪我ねえっすか!? ……うおっ、いってえっ!」

 

 ナイフを殴り飛ばしたのは東児である。彼は灯の無事を確認すると、今更ながらに自分の拳の痛みに気付き、赤くなっている拳をごしごしと擦った。


「あ……ああ……お、折島君…………」


 灯は呆然とした声を搾り出した。何が起きたのか――――彼女がそれを理解するまでに時間は足らず、その程度の事しか言えなかったのである。

 霧人は一人だけ、目の前に聳える数階建てのビルの屋上を睨んだ。

 誰もいない。見上げただけで何とも言えないが、人の気配を感じないのだ。

 その異様な雰囲気に霧人は強く眉を顰めた。

 灯の近くで飛び出したままの格好で止まったガラは、ぼそりと一言――――。


「私の出番が……取られてしまった……」


 ――何、阿呆な事を言ってやがりますか。そうじゃねえだろっ!――


 突っ込みを入れつつ葎は先程落ちてきたナイフをガラの眼を通して見た。

 ――――誰かが南屋さんを……?

 不穏な予兆がこちらを覗いている様な感覚が、葎の背中を撫でた。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 一昔前の流行に取り残されたかの様な白い壁が煤けたアパートの前で、栖小埜さんと村家さんは、私の代わりに持ってくれていた荷物をドサドサと慌ただしく下ろした。


「じゃあ、俺と村家さんは帰るよ。折島君はお大事にね」


 栖小埜さんはそう言って、私達に向かって手を挙げた。

 彼はこれから、また店に戻らなければならないらしい。どうせだったら上がっていって欲しかったが、無理に引き止める訳にもいかない。

 村家さんもまだ泊まる所を探していないから、と栖小埜さんと一緒に帰って行った。そして残るは私と、折島君の二人だけとなった。

 

「それじゃ、すぐそこですから……。ふんっ!」


 大きいトイレットペーパーの入った袋の持ち手を無理矢理手に全部絡め取り、私は気合を一発入れながら持ち上げた。普段からこういうのには慣れているからどうって事は無い。むしろ今日は栖小埜さん達の厚意に甘えてしまった。

 私は重く垂れ下がる袋にいっぱいいっぱいになりながら、折島君の方に向き直った。


「どうしたんですかー! ふう……。こっちですよー? ふう……」

「そのですね……姉御……。それはちょっと無理じゃないっすかね……。やっぱ俺も手伝います……」

「何を言っているんでっすか! 怪我人は大人しくしていてください! はぁはぁ……。と、とにかく行きますよ!」

「へえ……そうっすか……了解しました」


 折島君は腑に落ちない様な顔で頷いた。

 彼が怪我をしたのは私の責任なのだ。それなのにその怪我した右手で荷物まで持たせる訳にはいかない。幸いにも私達の部屋は道路に面した一階の一室なので、すぐにこの手にビニールが食い込む痛みからは開放される。入り口からノロノロと入り、右に向かって階段を上がりひたすら突き進む。一つ、二つ。

 二つ目の部屋の前で私は止まった。少々乱暴にトイレットペーパーの袋を下ろし、錆びついたドアノブを捻るとドアは重い音を出しながら開いた。


「香奈ー? 帰ったよー。手伝ってー!」


 どたどたという廊下を走る音の後、妹が中扉の中から出てきた。


「おかえりー。……あっ、またそんなに買って!」


 香奈は私の足元に置かれているトイレットペーパーの大群を見ると顔を渋く歪めた。


「えへへ……ついついお得感が先行してしまいまして……」


 私は香奈に荷物を渡しながら言った。香奈は受け取ったトイレットペーパーを抱えつつ、よたよた

と家の中へと運び、そして戻ってきてから、再び私から荷物を受け取った。


「買い溜めするなら美那子さんが居る時にしろって言われてるでしょ。あーもう……こんなにたくさん……」

「だ、だってね!? 凄く安かったんだよ!? これは買わないと損かなーって……」

「にしても買い過ぎだよ、おねえちゃん……。あれ? おねえちゃんの後ろ――――」

「おっとそうだった……。んーっとお姉ちゃんの友達の――――」

「とーじじゃん! いらっしゃい!」


 香奈は両手で抱き付く様に持ったトイレットペーパーの塊を家の中にぺいっ、と投げ折島君に駆け寄った。やけに嬉しそうな顔だ。だが――――何故、香奈と折島君に面識があるのだろう? 二人の接点はほぼ皆無だと思うのだが。


「……え? 香奈、折島君を知っているの?」

「だって知ってるもなにも、ねえ? とーじ?」


 香奈は私の問いに、折島君を仰ぎ見ながら曖昧に答えた。


「うっす。昨日はどうも! 小さい姉御!」

「ささ、どーぞ上がって上がって!」


 まともな答えを得られないまま事態は次々に進んでいく様で、自分だけが取り残されているみたいだ。


「それじゃあ、失礼します! 姉御! お先よろしいっすか」

「ええ、そのつもりでしたから。でも……あっれえ?」


 まぁ――――良いか。特に問題は無さそうだし、香奈も折島君に懐いているみたいだし。

 私は残ったトイレットペーパーをどうにか持ち上げ、玄関口へと体をねじ込んだ。


「香奈ー! ちょっとこれ運んでよー!」

「ええー。わたしがやるのぉ?」

「やるのー。お姉ちゃんは折島君の怪我の手当てしなくちゃいけないから、ヨロシクね。やってくれたら冷凍庫のアイスをあげよう」

「ホントに!?」

「お姉ちゃんが嘘を吐いた事ある?」

「うん! 結構ある!」

「と……とにかく頼んだよ!?」

「分かったー」

「じゃあ折島君、こっちに来てください」

「あ、うっす」


 私は折島君を薄暗いダイニングキッチンへと招いた。

 キッチンから少し離れた戸棚から色々と詰め込み過ぎてパンパンになった薬箱を出し、開く。その中から私はチャックの付いた湿布の袋を引っ張り出した。薬品のツン、とした匂いが鼻から入ってくる。この匂いを嗅ぐと妙に落ち着いた気分になるのは、昔からよく怪我をしていたからだろうか? 懐かしい匂いだ。思わず私はゆっくりと息を吸った。


「さ、手を出して……」


 折島君の手をあまり痛くない様に掴み、袋の中から出したばかりの新鮮な薬品臭さが香る湿布のフィルムを剥がし貼り付けた。フィルムを剥がすと一層匂いが濃くなる。折島君はその匂いに顔を顰めた。

 この匂い、私は好きだけど、やっぱり嫌いな人も多いのかな。

 湿布を貼り終え、私は薬箱の蓋を閉じた。


「こんな事までしてもらってすんません……」


 少し沈んだ声で折島君は湿布の貼ってある右手を擦った。


「それはこっちの方ですよ。折島君は命の恩人です。すっごく、感謝してます!」


 そう、彼に助けてもらわなければ、今頃どうなっていた事か。

 もしかしたら死んでいたかも知れない。でも――――恐怖はそこまで無い。

 まだあの時の感覚が体に残っているけど、怖かったという感情より、驚きの方が強かった。

 どうしてナイフが落ちてくるのかという疑問の方が先行していたのだ。

 避けようとも思えなかった。避けれもしなかったが、仮に避けられたとしても私は避けたかどうか分からない。

 どうして避けようとしなかったのか。

 そもそも何で避けようと思えなかったのか――――。そしてあの声は。

 考えると頭が熱くなり、顔が火照って――――。


「へっくしょいっ!」

「風邪っすか?」

「そうみたいですねぇ……」

「風邪は引き始めが肝心っすから、早く寝た方がいいっすよ。あ、俺もそろそろお暇させてもらいますね。これ、ありがとうございました」


 折島君は右手を軽く振り、そう言った。私は彼を玄関口まで見送る事にした。


「とーじ、もう帰っちゃうのー?」


 いつの間にやら香奈まで玄関に来ていた。いかにも残念といった感じだ。


「おっ、小さい姉御。見送りに来てくれるなんてありがたいっすね」


 折島君は妙に手馴れた仕草で香奈の頭を優しく撫でた。もしかしたら彼にも兄弟が居るのかも。


「今夜だよ! 今夜だからねーっ!」

「分かってますよ。そいじゃ姉御、小さい姉御。これにて失礼します」


 扉を半分ほど開けつつ、折島君は私達の方に振り返った。彼はそのちょっぴり怖い顔に似つかわしくない穏やかな微笑みを浮かべていた。


「うん……じゃあ気を付けて、折島君……」


 彼の微笑みを見た私の中に、何か重苦しい感情が圧し掛かった。

 

「ばいばい、とーじ! 忘れんなよ!」

「もちっす」


 扉が閉じていき、外から洩れる若干の人工光が弱まっていく。扉が閉まる寸前に折島君は思い出した様に頭を扉の隙間から少しだけ出し、こう言った。


「姉御、休む時は休まねえとぶっ倒れちまいますよ。うちの兄貴がそうでしたから。無理して馬鹿みたいに頑張って、そんで倒れて――――。だから、マジでしっかり休んでくださいよ」


 見かけに依らず優しい人なのだと、私は漸く気が付いた。

 だから、それに応える様に精一杯の笑顔を取り繕って、無言の返事をした。

 扉が完全に閉まり、私は耽るように冷たい扉を見詰めた。

 ――――無理してなんて――――。私が頑張らないといけないんだ。

 だけど、頭の中では折島君の言葉がずっと反響し続けていた。

 



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 

「じゃあ俺もこの辺で」


 Y字路の差し掛かった所で栖小埜君はそう言った。

 日はどっぷりと沈み、闇だけが空中を舞っている。俺達はその中を歩いてきたのだった。


「ああ、それじゃあね。…………いや……ちょっと待ってくれ」

「な、何です……?」


 臆病という言葉が良く似合う青年は、踏み出しかけた最初の一歩を踏み出さないまま立ち止まった。

 

「君は――――正義って何だと思う」


 俺は何て不毛な質問をしているのだろう。その問いには答えが無いのだ。

 正義なんてものは自分に都合がよければ、何でも良い。それが自分の利益になるなら、何だって人間は正義にしてしまう。だから、昔から絶対的な正義という曖昧な概念は確立しえないのである。

 だが、俺は聞かずにいられなかった。この臆病な青年がどういう答えを出すのか。それが聞きたい。


「正義……ですか……」


 青年は眼を伏せた。答えを出すのに戸惑っているのだろう。それもそうだ。俺だって聞かれたら困る。正義の本質が分からない。第一、正義とは何なのだ。自分の内に秘められているもの、それは本当に正義と言っていいものなのか。

 光が掠れている。こうして闇の中に立っていると、自分がそれに埋もれていく気さえする。

 思えば、この暗闇というものは水に似ている。肌が触れたら、境界など容易く消失して、その中に取り込まれてしまう。そしてその内、中で溶かされていくのだ。じっくりと、消化される様に。

 束の間の静寂を破り、栖小埜君は口を開いた。

 

「正義とか、深く考えた事無いんですけど……。俺は自分が正しいと思う事が正義じゃないかなって……。人って結構自分勝手じゃないですか、でも心のどこかでは正しい事は正しいって、間違っている事は間違っているってちゃんと分かってると思うんです。その本心……っていうのかな……。それに嘘を吐かないのが、多分それが俺の正義ってやつです」


 青年は先程の様子とは全く違う、真っ直ぐとした眼差しで俺の眼を見た。

 何で彼はこうも言い切れるのだろうか。彼の心は俺よりも弱いだろう。それは話せば分かる。しかし、彼は抵抗する事を知っている。他人に価値観を信じるのではなく自分を信じている。だから彼は完全には流されないのだ。俺にはそれが出来ない。だから――――。


「変な事を聞いたね……。……俺は君がとても羨ましく感じるよ」

「う、羨ましい……ですか? あんまり深く考えないで言ったんですけど……」

「そういうのはね、思っていても中々出来ないものなんだ」


 俺には出来なくて、彼やあいつ(、、、)には出来ている。

 いいや、違うな。俺はしようともしていなかった。抗わず、流されるままに生きていただけなのだ。


「そ、そうっすか? な――――! う……うるせえよ! ガラは黙っとけ!」

「…………えっ?」

「ふわッ!?」


 彼はしまった、という表情で眼を見開いた。


「これはですね……違うんですよ!? ひ、独り言です! 独り言!」

「ははッ! やっぱ君、面白いわ! さてと……俺も宿探ししないとなぁ。どっかこの辺にいい場所無い?」

「この辺はホテルとかは少ないですよ……あるとしても駅の近くの漫喫ぐらい……」

「じゃあ、そこでも良いか。ありがとよ」


 俺は栖小埜君に背を向け歩き出した。 

 闇の中は先程までの鬱屈とした雰囲気を無くしていて、妙に拍子抜けした。

 こんな闇なら、俺がこの中に溶け込みそうになる事も無いのではないか――――そう思った。

 帰り道は、あっちの淀んだ空気が漂う通りではなく、明るい表の方を歩いて行こう。何だかそんな気分だ。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 俺は頭を締め付けるような頭痛に揺さぶり起こされた。

 熱っぽいな、額が熱い。あいつ――――やっぱり風邪でも拗らせたのか?

 急いであいつと俺との体の感覚を切り離す。こうしておけば、あいつの体にも負担は掛からないし、あいつが不調であっても俺に支障はきたさない。

 俺はむくりと体を起こし、肌蹴た薄い水色の部屋着を脱いだ。案の定、服はあいつの汗でびっしょりと濡れている。こんなのを着ていたら余計に風邪が悪くなる。

 俺が着ているものの下を脱ごうとした時、忙しい音と一緒に香奈が部屋へと入って来た。


「行こうよ! あにき!」

「……その呼び方は止めろ」


 昨日、俺の後を付いてきていた香奈は、その後しょうがなく俺と折島と行動を共にする事になってしまった。香奈は何故か折島によく懐き、折島が俺を呼んでいる呼び名まで真似し始めたのだ。

 ――――はぁ……兄貴ねえ……。

 

「どうしたの? 行かないの?」

「………………」


 あいつの体に悪影響が出ないからといって、外に外出するのはどうなのだろう。

 出来れば、寝かせて置いてやりたいが――――。


「今日は止めだ」

「そんなぁ……」

「はい、おやすみ。もうガキは寝る時間だからな。俺――――じゃなくて私は折島に電話を掛けるから静かにしていろ」

「ケチー! ばかー! 鬼ー! 悪魔ー!」


 はいはい、無視無視っと――――。

 俺は灯の携帯とは別の、勝手に契約した携帯電話を枕の裏から取り出した。

 こんな近くに置いてあるのに気付かない所が灯らしい。携帯の料金が二倍になっている事に気が付かない美那子も美那子だが。

 携帯を操作して、この前登録したばかりの折島の名前を表示させた。

 登録と言ってもこの前契約したばかりなので、美那子と折島の名前以外に登録されている名前は無い。


「――――折島っす」


 暫しのコール音の後に折島の声が電話口に出た。


「……俺だ」

「兄貴! ど、どうも! こんばんわっ!」


 何でこいつは俺だと分かると挙動がおかしくなるんだ……?

 それと無駄に声がでかい。


「大きい声を出すな……。頭がぐらぐらする……」

「すんません……。それで――――どうしたんすか?」

「今日は俺、行かない」

「それはどうして――――」

「いかない」

「兄貴、説明になって――――」

「いかない」

「わ、分かりました……」

「そういう事だ……。それと今日は世話になったな……」

「世話ぁ……?」

「灯だよ、灯。あいつを庇っただろうが、てめえが」

「ああ、妹さんの事っすか。つーかマジ似てますね! 兄貴本人かと思いましたよ!」

「一卵性双生児だ……」


 実際、本人なんだが。


「あ~そう言われたら……。でも目付きとか全然違いますよね? 兄貴の方が鋭いですし、気合入ってます!」


 こいつも大概アホだな。違わねえよ。本人だよ。 


「いや、でも妹さんも可愛いっすね!」


 あ゛?


「俺の通ってる高校の女どもは化粧ばっちりっすから新鮮というか、眼の保養になりました!」

「…………――――な」

「え? 兄貴、今何て……」

「灯に手ェ出したら、ミンチにして野良犬に喰わせるからな」

「は――――はい……。で、でもそんなつもり言ったんじゃねえんですよ!?」

「いいから、殺す。……分かったか?」

「わ、分かりました……」

「でも――――感謝はしてる。じゃあな……。明日も灯を頼む」

「は――――」


 折島が何かを言う前に、俺は通話ボタンを一方的に切った。  

 香奈が俺の顔を見て、怖いと笑いながら言うので口の端を両指で押し上げてみた。灯には及ばなかったが、笑顔に似たものは出来上がったらしい。

 香奈が笑い転げる中で、俺は別の事を考えていた。灯に向かって落とされた(、、、、、)ナイフの事である。あんなの、偶然に落ちてくる筈は無い。誰かが故意に灯を狙って落としたとしか思えない。

 じゃあ、誰が――――。誰があんな事を。


「……気にいらねえ……」


 虚空というには狭過ぎる空間を俺は仰いだ。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 初めてこういう所には入るが、かなり薄暗いな。

 俺は栖小埜君の言っていた漫画喫茶の前に居た。最低限寝泊り出来る空間があれば良い、そう思って来てみたが、どうにも良い印象を受けない。無論店自体は綺麗に見えるし、中もそうなのだろう。しかし入り口の扉から洩れる僅かな空気は綺麗ではあるが、濁っている。息が詰まりそうなのとも違う独特の空気だ。

 俺は店の中に入る前に携帯電話を出した。今日会った知り合いに電話を掛ける為である。


「あっ村家だけど、藤草?」

「おっ、その声は! 久しぶりじゃねえか!」


 ……何だかおかしい。今日会ったばかりなのに、久しぶり? それにこんな声色では無かった。


「なぁ、藤草。俺達――――今日会ったよな?」

「はぁ? 今日なんて、俺、お前に会ってないぞ? 誰かと勘違いしているんじゃないのか?」

「そんな……」



「忙しくて外出する暇なんて無いっつーの。最近こっちの方じゃさぁ、変な事件が起きててさあ……女性への連続暴行事件なんだけど――――」


 待て、どういう事だ。あれは確かに藤草だった――――。見間違いなんて事はありえない。


「おい、聞いてるのか? 霧人。おい、霧人ってば」

「あ……ああ」

「それがやり口は一緒なんだよ。だけど目撃証言が一致しない」


 俺が呆けている間にも勝手に話しは進んでいたらしい。俺は話のぼんやりとした話の内容を必死で思い出そうと努力した。


「それは……よくある事だろ?」

「いやいや、違うんだよ。絶対に同じやり口なんだって。昨日も一件起きたばかりだぜ? でさ、こっちの署内でも噂になってるんだけどよ-――-」


 この不快感は――――何だ? 狐に化かされた様な、現実と妄想が入り混じった様なこの感覚は?


「そいつ、顔が変わるらしいぜ」


 心臓がドクンと脈打った。何て――――気持ちが悪いんだ。

 藤草は黙ったままの俺に心配そうな声を発した。


「霧人? どうした……? 大丈夫か? おい、霧人?」

「お――――俺は……そいつに会ってるかも知れない……!」


 同じ顔。だが、挙動は別人の様。それは俺が今日出会った藤草隆夫ではないのか?

 消えていた闇がいつの間にか戻ってきていて、俺を取り囲んでいた。





 



 寧「あ、あんたなんて好きじゃないんだからね!」


 葎「…………君は……何を言ってるの……?」


 寧「来年こそは出番が増えるようにと、ツンデレの練習を!」


 葎「うん、まずね……。ツンデレは練習するモンじゃないと思うんだ」


 寧「しますよ! みんな、影では努力してるんですって! 毎日、鏡の前で『そ、そんなんじゃないわよ! 勘違いしないでよね!』とか練習してるんですよ!」


 葎「何かヤダ、それ……」


 寧「皆腕組みしてるでしょ! あれも練習してるんです! 腕が痛くなるまで腕組みをした結果があれなんです!」


 葎「それじゃあさ……。ラーメン屋の人もよく腕組みをしているけど、それは……?」


 寧「それはつまり……ラーメン屋の人もツンデレって事ですね……!」


 葎「あんたなんかにラーメンを食べて欲しくないんだからね! って?」


 寧「そうなります! でもそれはポーズだけで、本当は美味しいラーメンを食べて欲しいんです!」


 葎「いつから話題がラーメン屋の人の話になったの?」


 寧「葎さん聞いてください!」


 葎「無視かいな」


 寧「あ、あんたなんて好きじゃないんだからねっ」


 葎「え? うんわかったー」


 寧「な、な、何を言ってるんですかぁぁぁぁ! そこは分かっちゃダメでしょう!」


 葎「だって……俺の事嫌いなんでしょ? ちょっとショックだなー。友達だと思ってたんだけどなー」


 寧「冗談ですよ! 本気にしないでくださいって! 言葉のあやです!?」


 葎「いいよいいよ、分かったから……。慌てて撤回とかしなくていいから……」


 寧「違うんですよ~! ツンデレになりたいだけなんです~! 嫌いじゃないです~!」


 葎「とまぁこの様に、寧さんはキョドってる方が寧さんらしいという事だよ」


 寧「じゃ、じゃあさっきのは嘘なんですね……」


 葎「そうですね。ちょっと言ってみたくなったんだ。面白いから」


 寧「う……うわあああああん……」


 葎「ね、寧さん!? 抱きつかないでよ!」


 寧「うううううう……ひっく……」


 葎「あーごめんって……。冗談でももう言わないからさ……。だから……あの……首が……あの寧さん? 寧様……? 聞いてますか……? ちょ……締まって……う゛っ……!?」


 寧13「……ふっ……他愛の無い……。酷い事を言うからです。暫く人間枕になってもらいましょうか。ふふふふふ……これで年越しは良い夢が……ふふふふ」



     主人公がどうやら気絶したみたいなので、今年はこれにて終了!




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