ダブルキャスト
それでは遅くなりましたが、投下開始といきたいと思います。
そして六時になりましたらもう一度……。
とりあえず! リア充ほろ――――じゃなくて始まり~。
私は夢を見ている。何も無い黒い空間に居る夢だ。体は動かせない。夢とはそんなものだろう。
さっき夢の中までもう一つの夢も見ていた。今のこれはもう一つの夢から覚めた後なのだ。夢から覚めて、また夢が始まり、終わりは見えず、私は今も夢の中を漂っている。
ふわふわとした雲の様に柔らかい闇に包まれ、虚ろな心持で次の夢へ。水に流される木の葉の様にゆらりと彷徨う。その中で私はさっきの夢の回想を始めた。
夢の中の私が見ていた夢、それは薄暗い場所で男の人に襲われる夢。嫌な――――夢だった。
男の人は私に覆いかぶさって――――それで――――。ああ、あまり詳しく憶えていないのだ。
違う。思い出したくないのか。だって――――本当に怖かったから。
金具の音が耳に響き、自分が襲われているという実感しか無かった。怖くて、何も出来なくて、ただ怯えていた。抵抗しようと思ったけど、体が押さえつけられて、しかも口を押さえられていたから声すら出せなかった。何をされようとしたか――――それは容易に分かるだろう。私は汚されようとしていたのだ。
記憶の奈落に堕ちていく。虚無の海溝へと沈んでいく。そして頭の中でその時の出来事が克明に再現された。
――止めて……! 退いて……! お願い……!
こんなのは嫌だと。自分はそんな事はされたくないと。悪寒と共に喉から嗚咽が洩れた。恐怖が頭からつま先までを這ってくる様で、気持ちが悪かった。男の人はそんな私を見て哂っていた。
上着が脱がされ、乱暴に服のボタンを引き千切られた。自分の心が穢される。それが何より嫌だった。体よりも何よりもそれが嫌で仕方が無かった。眼の下を涙が流れていき、私は声を出せずに泣いていた。
――――誰か助けて――――……。
思い出した。私はあの時そう願ったのだ。誰か自分を助けてくれる人を捜して聞こえる筈の無い声を発したんだ。そうしたら――――。そうしたら――――……。
…………思い出せない。誰かが私を助けてくれたのは思い出せるけど、その人の顔が……。その声は……いつも聞いているかの様な馴染み深い声だったのだが……。
何でだろう、何故助けてくれた人の顔が思い出せないんだろう。あの人は、私の為に必死になって怒ってくれて……助けてくれた筈なのに……。
思い出せないまま、回想は終了した。再び私は何も存在しない虚無へと投げ出された。
この空間の中で、私は何処へ導かれようとしているのか――――。先の見えない旅路は続く。
――冷たい……。
一人ぼっちの闇は肌に突き刺さる程、冷たかった。
私の体が何処へと吸い込まれていく。夢がまた変化しているのだ。
突飛な場面転換。世界が丸ごと入れ代わる。
急に足場が柔らかくなり、私は転んだ。だけど膝や手を擦り剥く事は無かった。
――――何これ……たくさんのぬいぐるみ……?
見渡す限りの空間に動物のぬいぐるみや、懐かしいおもちゃの数々が溢れている。しかもご丁寧に怪我をしそうな玩具は、人間が何人も入りそうなとんでもなく大きい箱に山積みにされていた。そんな箱がこの空間には幾つもある。空は明るい落ち着くような黄色に染められ、その景観は私が子供の頃によく遊んでいた、学校に併設されている子供が遊べる施設の中の天井にそっくりだった。
何か、とても好奇心を煽られている気がする。遠足とか、家族で出かける前のわくわくした感じ――――。それを感じる。
遠くに視線を送ると、ごちゃごちゃとした地平線はどこまでも続いている様に見える。終わりが無いのだろうか?
たまらない充足感。子供っぽいと思われるだろうが、私はいつになくはしゃいでいる。此処に妹や友達を連れて来たら、きっといつまでも遊んでいられるだろう。
幼稚だが、私にはそちらの方が下手に大人のフリをするより性分に合っている。
――――…………?
私の視線の先に誰かが居る。その人は私に背中を向けていて、顔が見えない。こういう夢の中だと顔がはっきりしなかったり、姿が鮮明じゃなかったりするのだが、その人の姿は確かな実体を持っている。
――――誰だろ……?
陽射しを浴び過ぎて色が抜けた髪――――。私はそれを知っている。
あれは――――私が鏡でいつも見ている自分の髪じゃないか――――。
その人は私に気付かず、後ろを向いたままだ。私はその人に走り寄って行こうとした。だけど、ぬいぐるみが敷かれている地面は走り辛くて、全く前に進めない。
あの人に逢いたいのに。何でか分からないけど、逢いたいのだ。きっとあの人は――――。
突然、それまでちゃんとあった手の感覚が無くなってきた。頭がぼんやりとしてきて、視界が霞む。
夢が――――終わってしまう。その前に――――あの人に――――一言でも――――。
――――待って……。待ってください! あなたは――――!
もうちょっとで届くのに、あと少しなのに……。
現実が私を呼びに来ている。終わってしまう。その前に私はあの人に逢いたい。
――――あなたは――――! 待って!
その人が振り返りそうになる。あと少しで――――。
私は必死で手を伸ばした。足場が脆い飴細工みたいに崩れ落ちていく。
――――あなたは誰――――。
伸ばした指先が解けていく。
――――届かない。もう少しで届くのに。
届く寸前に溶ける様に私の手は散ってしまった。
最後に見えたもの。それはぶっきらぼうな横顔だった。
それは私を助けてくれた人の顔だと――――何故か分かった。
そしてあの人が、私を守ってくれたんだと――――。
「ん……うむぅ……」
――――……あったかい……? ん~……? 暑い……?
南屋灯は霞む目を眠たげにしょぼしょぼと瞬かせると、やけに暖かい布団の中から起き上がった。布団の外はひんやりとした空気が満ちていて、彼女は身を竦ませた。
――――……私は何の夢を……。あれは……何……?
先程まで見ていた夢の内容――――霞が頭に掛かった様に思い出せない。
だが、所々は憶えている。全部では無いが、灯にとってはそれだけでも十分であった。あの夢の一部を憶えている――――それだけで。
途中までは嫌な夢だった。しかし、その夢を更なる夢が上書きした。とても心を揺さぶられる夢が。
ぼんやりと寝起きの瞳で灯は自分の部屋の天井を見上げた。頭は冴えている。あの夢は忘れない。
彼女の横で中型犬よりは大きくて、大型犬よりは小さいものがもぞもぞと蠢く。布団の中の暖かさはそれによる者だ――――と彼女は納得した。
成る程。確かにこれでは暑い筈だ。二人分の体温が布団の中を暖めているのだから。
昨晩妹と同じ布団で眠った事を思い出した灯は、隣で寝返りを打つ妹の肩を揺すった。
「朝ですよ~お嬢さん~!」
「んー……」
唸る妹は僅かに体を動かしただけで、起きる気配は殆ど無いと言っても良い。
いつもそうなのだ。灯は比較的寝起きが良いのにも関わらず、歳の離れた姉妹である南屋香奈は寝起きが悪い。だから普段は先に起きる灯が香奈を起こすのが通例なのだ。
これは暫くは起きそうに無いな――――と、呆れた様な顔で灯は自分だけ布団から抜け出した。
二人部屋を出て、冷え込む廊下を歩き、洗面所に彼女は辿り着いた。
水道の蛇口を勢いよく捻る。冷たい水が眠りによって火照った顔を冷やしていく。それはとても心地のよい感触であった。次に手早く歯を磨き、自分の部屋へと戻った彼女は壁に掛かっている制服を取った。
よく見れば灯のワイシャツはハンガーには掛かっているものの、よれよれの適当な掛け方で、いつもの彼女の掛け方と違っていた。それを見て彼女は首を傾げたが、妹の方を見ると納得した様に、ああ、と頷いた。
――――香奈がやってくれたのかな。あ、ワイシャツ……ワイシャツ……。
ワイシャツをハンガーから外し、部屋の中に一つだけある大きな鏡台の前に灯は立つ。パジャマのボタンを外していくと、鏡台には鏡の映る範囲――――彼女の首筋までが映し出された。
――――何故だろう。とっても良い気分……。
とても素敵な夢を見た様な――――そんな高揚感にも似た感覚が夢から覚めた彼女の体に残っている。最初は嫌な夢だったのに、途中からとても愉しい夢に変わったのだ。夢の中の事なのであまり詳しくは記憶していないが、その筈である。
脱いだパジャマを投げ捨てながら、灯はワイシャツを羽織った。一つずつボタンを掛け、止めていく。リボンを取り、軽く結んでから出来上がったリボンの輪の中に彼女は頭を入れた。結び目を縛り形を整える。
――――うん……!
灯は鏡に映る眠そうな自分の顔をじっくり見てから、大きく息を吸った。
「今日も一日頑張りますかっ!」
そうして彼女は向日葵の様な明るい笑みを零した。
すると灯の背後から彼女に顔立ちが僅かに似ている若い女性の顔が、ぬっと頭の横に顔を出した。
灯は飛び上がった。
「うおう! 美那子さん! 怖ッ!」
「何かご機嫌だねぇ。ふふん~。良い夢でも見たぁ?」
灯の叔母――――灯の母の妹である栗木美那子は猫の様なしなやかな表情で灯に尋ねた。美那子の格好は下着の上に薄い青のネグリジェを着ただけというだらしない姿である。その姿を見た灯は自分の頭の天辺をかりかりと掻いた。
「ちょっとだけ良い夢を……」
「男か!」
美那子は我意を得たり――――とでも言いたげな顔をした。彼女はそのまま灯の首の横から自分の腕を伸ばし、ライトグリーンの歯磨き粉のチューブと歯ブラシを手に取った。
「まぁ……男っちゃあ、男……?」
灯は不明瞭な夢の中の人物を思い出しつつ、首を捻った。
チューブの中身を歯ブラシの上に乗せ掛けた美那子は愕然と口を開いた。
「うッ……!? ま、まじなのね……。気付かない内に子供は大きくなるっていうけど……もうか……! 私を出し抜いて……くそう……」
美那子の手に力が入る。圧迫されたチューブからつぶつぶとした粒子が入っている歯磨き粉が飛び出る。
「いえ……そうじゃなくて……」
「大体ねぇ……高校生で付き合うなんて百万年早いのよ……。それなのに。それなのにィィ……! 最近の子達は中学生やら小学生やらの分際でぇぇぇ……。キィェィィィィィィィッ!!」
美那子の手は完全に歯磨き粉のチューブを握り潰す。そして急激に圧縮された空気がボスンという間の抜けた音を発した。
「お、落ち着いて!? 美那子さん! 違うんですって! 歯磨き粉がもったいないですよ!?」
灯は興奮する叔母に抱きつき、何とか宥めた。
息切れする灯に美那子は言った。その表情は先程までのものとは違い、真面目な表情であった。
「……あれよ。あんたはかなりのお人好しなんだから……騙されない様に気を付けなさい。何かあったら相談するのよ?」
それから一呼吸置いて、
「……じゃないと姉さんとお義兄さんに顔向け出来ないわ……私」
と言った。
灯は美那子の顔に薄い影が射すのを感じた。
「……んー……だからそういうのじゃないんですけどぉ……、とりあえず了解しました」
「うんうん。……えっ? そういうのじゃないの?」
「だから違うって言ってるじゃないでっすか! 美那子さんの早とちりっ」
灯は美那子にビシッっと指を指した。
「そ、そういう時もあるのよ! しょうがないじゃない!」
「あ~開き直ったぁ……」
灯は苦笑いしながら美那子に笑いかけた。
そして――――目の前の人物が自分と妹を本当に愛してくれている事実に心の底から感謝した。
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近頃はかなり冷え込む。あと二ヶ月もすれば一年が終わってしまうのだと思うと、感慨深いものがある。この一年は俺の周囲が目まぐるしく変わった年でもあった。
ど畜生外道紳士が俺の中に現れ。色々間違っているけど何だかとっても凄い人が上司になって。お坊さんとも知り合って。殺人鬼と戦ってたら友達が増えて。同い年の同居人も出来て。変わっている絵描きの女性と出逢って――――別れて。嫌な味が残って。山奥で師匠に師事し。怪談騒動に巻き込まれたというか、自分から突っ込んで行ったらまた高校生が二人も増えて。
……ちょっと……高校生増えすぎじゃないか……? どんだけ増えてんの……。
まぁ、何にしろこれだけの人の繋がりが出来たのも、最初のあの子のお陰なのかも知れない。あの子と出逢わなければ何も始まっていなかった。言い過ぎでは無い。こうして考えてみると、本当に奇縁なのだ。俺が彼女の姿を借りたあいつを見たのも偶然。その後、あの子とばったり出くわしたのも偶然。
……不良に絡まれたのも偶然か……。とにかく偶然の連続で俺の一年は過ぎようとしている。
-―――なんて、外の空気が冷たくなるにつれ、俺は妙に感傷的になっているみたいだ。誰だって外の冷たい風に当たっていると、子供時代を思い返してみたくなったりするだろう。子供時代というと、皆、夏の思い出を語るが、俺は夏の思い出よりも冬の思い出の方が記憶に残っている。
透明な澄んだ空気。肌を締め付ける凍える風。物悲しい雰囲気に反して晴れ続ける空。雪に埋もれた草木も中々に美しいものだ。
だから好きなのか――――。
それ理由なのか――――。
俺には俺自身が分からない。こうして冬や秋の訪れを感じていると何か大切なものを思い出せる気が少しだけ――――ほんの少しだけするのだ。何を忘れているのか、それすら思い出せないのに。
あいつは何か知っているのだろうか。だけどあいつは何も教えてくれない。否――――むしろ俺に真実を伝えられるのに、あえて伝えない様にしている様な感じさえする。しかもそういう時に限ってあいつはいつも同じ表情をしている。
妙に引っ掛かるのは、あいつの世界も同じだ。あいつの世界に咲き誇る白い花。あれを見ていると俺は胸を抉られた様な気分になる。俺が忘れているものがあの花の一片に紛れているみたいな――――。それがただの勘違いなら良いのだが――――。本当にそうなのか。
あの白き花々。あれらの名前はスノードロップ。別の名前を『待つ雪草』と言う。
……何故俺はそんな事を知っている? 花の名前なんて興味も無いのに、何故それだけは知っている? それにあれは――――俺のいつも付けているペンダントと同じ花――――……。
――さっきから呆けた様に空を見上げているが……、ついに痴呆か。困ったな――
同じ花――――……。
――ガラ様。葎様はいつもこうですよ。それで痴呆と言うのは如何なものかと――
――つまりいつもボケていると……。そう言いたいのかね、ひきこMKⅢ――
……同じ花……。
――いえ、そうとは言っておりません。ただ葎様にも頭の調子が悪い時がある事を、ガラ様は念頭に置くべきだと私は思います――
――成る程。つまり今日は葎にとっての休肝日――――……いや、違うな……頭の方だから休頭日という事かね。ふむ、だが葎の頭は常に休眠状態にあると思うのだが――
――長い人生ですから。休み休みでも良いのではないでしょうか。多分、半分を過ぎた頃から焦りを感じて本気を出しますよ――
同じ……はぁぁ……。
―-しかしな。本気を出す人間というものは最初から本気を出しているものだ。本気を出す出す言っている輩は何時になっても本気を出そうとしない。……違うな。出せないのか。そう本気を出せなくなっているのだよ。本気を出そうとする頃にはとっくに出せなくなってる場合が多い。葎にもそれが当て嵌まってしまう気がして私は心配だ-―
――ガラ様……。ガラ様はお優しいのですね……。きっとガラ様のお心遣いはいつか葎様にも伝わると……そう信じましょう……。まずは信じる事からですよ。ひひ……--
……おいコラMKⅢ。
――そうだな。希望的観測が当たらないのはままあるが、それ自体が悪いというものではない。それがたとえ砂漠の中で一粒の砂を探す様なものだとしても、希望を抱く事行為そのものが意義のある行為なのだね。なるほどなるほど……――
何がなるほどだって……?
ところで俺はお前がもっとマシな性格になるのには希望は抱いて良いのかな?
――美しい希望には罪は無いです。希望には。罪があるのはいつでも希望を感じさせる側なのです--
俺に罪があると言いたいんですね。はい。っていうかコレいつ終わるの?
――確かに望みの無いものを期待させるのは罪だな。ある種の詐欺だ。ふぅ……やれやれ……--
――私にとっては主人ですが、ガラ様にとっては大切な御友人なのですからね……。ガラ様の御心情お察しいたします-―
「俺の方を察してくれよ!!」
ついに我慢の限界が来て、俺は道のど真ん中で叫んでしまった。数名の通行人が振り返り、俺を凝視する。それがあんまりにも恥ずかしかったから、俺はすぐさま俯いた。
――あれは恥ずかしいな、MKⅢよ――
――周囲から刺さる視線……。ある意味高得点です。ひひっ――
「お前らが原因だけどな!」
俺は極力声を殺してそう抗議した。まあ、抗議した所でこいつらがそれを聞き入れるとは思えない。流されて、はぐらかされて、話題が行方不明になって終わりだ。
「うわ、ぶつかる!」
後ろからそんな声が聞こえた。
「ああ……もう――――うおおおおお!?」
背骨に伝わる衝撃。誰かが勢いよくぶつかってきたのだ。俺はよろけながらも辛うじて倒れなかった。ぶつかってきた人物はと言うと――――。俺は痛む腰を擦りつつ振り返った。
「だ、誰――――……。……南屋さん!? お、おい大丈夫か!?」
その光景は異様とも言えるものであった。透明な赤いラインの入ったビニール袋に包まれたトイレットペーパー。それが山の様に地面へ散乱し、その中に薄い茶色の髪が目立つ制服の少女がうつ伏せで倒れている。その少女は俺のよく知る人物、南屋灯であった。
「うきゅー……」
何だか未開の地の小動物の如き声を南屋さんは返事の代わりに発した。
「た……立てる……?」
俺は南屋さんの手を引っ張りながら、彼女をどうにか立ち上がらせた。
「いやあ……失敗しました……。前方不注意は危ないですね……」
彼女は制服に付いた細かい土の粒子を払い、俺に頭を下げてきた。
「あー……いーって、いーって。つうか、この大量のトイレットペーパーどうしたの……?」
南屋さんはニコリと微笑むと、特売だったんですよ-―――と、鬱屈とした気分を吹き飛ばす様な明るい声を出した。
「ついつい買い込んじゃいまして! 安いというのは大正義なんでっす!」
「お……おお。そっかそっか……」
俺は薄汚れている地面に転がるトイレットペーパーの山を見て考えた。どう考えても女の子一人じゃ持ちきれない。後ろからだったので分からなかったが、多分、彼女は終業式前の小学生の様な惨状で走っていたのだろう。そんな彼女を友達の一人として普通に返す訳にはいかなかった。
「……あのさ、手伝おっか? それ……一人じゃ無理でしょ」
「マジっすか!」
「マジっすよ。どうせ俺も商品届けに来ただけだからさ。それにちょっとばかり南屋さん手伝っても、そんなに時間は掛からないからね」
「助かります! さすが栖小埜さん!」
ああ、そういえば初めて逢った時もこうしてぶつかったんだっけ。
ついさっきまで浅はかな思い出に入り浸っていた俺としては、妙な感じがする。
この子と出逢い、全てが始まった――――。
「さて……拾わないとね」
「あぁ……結構盛大にぶちまけちゃいましたね……」
俺と南屋さんが落ちているトイレットペーパーの袋を拾おうとし始めると、
「いいっすいいっす、俺やりますから!」
南屋さんや俺が袋を拾う前に、無骨な手が次々にかさばる袋をかき集めていった。
誰だろう。親切な人だ。袖を見る限り――――学生か?
俺が顔を上げ、その親切な人物の顔を見ると、天使の様な顔の代わりに、ちょっぴり怖い悪魔の顔が見えた。
「あ、どうも」
「あ、こちらこそ……」
多分男子高校生なのだろう。着崩した制服がやけに似合っている。俺よりも背は低いが、かなりの圧力を感じる外見である。釣り上がった眉尻なんてかなり――――うん。
その人物は袋を拾いながら俺に軽く会釈をした。初めてあった時の風早やよりも恐ろしい、本物の不良の匂いを発しているにも関わらず、礼儀正しい様だ。彼の態度に俺は強い緊張感を解いた。
「えっと……ありがとう……」
俺がそう言うと、彼は、
「いえ、何のこれしき。俺はそちらの――――」
と言った。
外見が怖い人物は南屋さんの方に視線を遣った。南屋さんは興味深げな表情でその人物を見詰めた。
「兄貴の妹さんをお手伝いするようにと、言い遣わされて来ました! 折島東児っす! 以後お世話させていただきます!」
折島東児と名乗った人物はビシリと南屋さんに向かって深く一礼した。
「………………え」
「あんたが兄貴の妹さんの灯さんっすね! 兄貴にそっくりじゃないですか! 何なりと言ってくださいっす! 兄貴から頼まれてんで!」
彼はやっぱりちょっと怖い顔でおそらく笑った。
「えー……と? はあ……? 兄貴? 私……お兄さんなんて居ないんですけど……」
南屋さんの首の捻りが強くなった。
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ほんのりとした光が射す暗闇の中で俺は眼を覚ました。まずは通例通り部屋の中を見回す。
――――今日は妹は居ないのか。
体を起き上がらせ、首をぽきぽきと鳴らす。どうにも最近あいつは疲れ易くなっている。それはおそらく俺という存在があいつの体内に居る影響から来るものだ。
一つの入れ物に二つの魂は狭過ぎる。元が一つの魂であれば問題は無いのだろうが、俺とあいつはそれぞれ別の魂を持っているからそんな訳にはいかない。しかも俺はあいつの暗い部分を少なからず投影しているから特別に強烈なのだ。その負荷はまだ幼い彼女の体を容赦なく圧迫している。だから俺は基本的に三日に一度ぐらいの割合でしか活動しない。でなければあいつの生活に支障が出る。聊か不便ではあるが、俺は自分の存在によってあいつをどうこうしたくないのだ。それに、理由はそれだけではない。妹の送り迎えなども原因の一つだろう。家事は殆どこいつがやっていると言って良い。
俺は部屋の中にある、暗い光を跳ね返している鏡の方を見た。
こんなに光量の少ない部屋でも俺の瞳はあいつの姿をしっかりと見る事が出来る。
俺とは違うお人よしを体現したかの様な顔――――。こいつが笑うと笑窪が出来るのだ。俺が同じ表情をしても笑窪は出来ないのに、何故かこいつが笑うと出来る。何かコツでもあるのだろうか。
鏡の中に居るあいつの姿を借りた俺は、普段のあいつと違ってやたら機嫌が悪そうな、険のある表情をしている。こういう明らかな差を見ていると俺とあいつは確実に別の個体なのだと認識させられる。
――――俺はどこから来た……?
――――俺は何なのだ……?
――――何故こいつの体に俺が……?
こうした自問自答を生まれてからずっとやっている。答えなんて――――出ないのは知っているのに。
ただ一つだけ分かる事、それは俺はこいつを守る為に眠りから呼び起こされた。いいや――――眠りですら無かったのかも知れない。だが、確実な意思を持ち始めたのはあの時が最初だ。
嫌な音が記憶の中を反復する。あいつに消えない傷跡を付けようとした人間の野卑な声――――。どれだけ殴っても殴り足りないぐらい憎い。記憶を消したのにあいつは時々それを思い出してしまう。
あの時に――――殺しておけば良かったのか。しかし、俺はあの時寸前で拳を振り上げるのを止めた。声がしたから。あいつの『もういいから』という制止の声が。だから止めた。正直あいつが止めなければ俺はあの男を殺していた。本当に馬鹿じゃないのか。自分を襲った人間を庇うなんて。考えられない。考えられないが――――俺はそんなあいつが好きなのだ。俺には姉妹は居ないが、俺はあいつを――――。
つまらない考えが頭に浮かびそうになったので俺は鏡から視線を逸らし、柔らかい黄褐色の壁を見た。
――――何でもいい……。おれはあいつが笑ってさえいればそれで……。
次いで自分の袖口に視線を遣ると、あいつはまだ制服から着替えていなかった。俺は厚い生地のブレザーを脱ぎ、確りとした形を保っている赤いリボンを指で緩めた。林檎の様な色の真っ赤なリボンは結び目に指を入れるとすっと静かに緩んだ。スカートのホックを外し、俺はワイシャツだけの姿となった。
その辺の箪笥にしまってあるあいつの服を引っ張り出し、適当に見繕う。
……これは何だ……? 着ぐるみ?
俺はその場に胡坐を掻き、ウサギの耳が付いている奇妙な服を黙って眺めた。
「………………」
これは止しておく。素性は悉く隠せるだろうが、俺にはこんなものを着る勇気は無い。
結局洋服箪笥の中から出したのは細身の短いデニム生地のパンツ。そして適当な白地のTシャツと緑のミリタリージャケットだった。
……基本的にこういうのはあいつの持っているファッション誌を勝手に見て選んでいる。数が無駄に多いのでどれにしたら良いのか判らないからだ。俺自身の指標と言うか基準が無いから選ぶのにはかなりの時間を要する。無難なのを出来るだけ選ぶ様にはしているつもりだ。人目を引いてはあいつが困る。
俺は灰色の靴下に指先を入れながら小さく舌を打った。どうしてこんなに寒い格好出歩かなければならないのかが解らない。だが――――これが普通なのだろう。人目に付きさえしなければ問題ない。着たままだったワイシャツを脱ぎ捨て、上からシャツを被り、短いパンツを穿く。
着替えが終わった俺は鏡に映る自分の姿を確認した。
――――まぁ……こんなものだろう。
俺がこんな姿をするのもおかしなものだ。……いや――――おかしくはないか。
鏡の前で俺はくるりと一回転した。羽織ったジャケットが靡き体み纏わり付く。
……ああ忘れていた。
俺は床に脱ぎ捨てられた制服を拾い集め、ハンガーに通し、一つずつ壁に掛けた。
少し不恰好だがあいつは多分気付かないだろう。いつもの事だし、不審がっている素振りも無い。単に鈍感なだけかもしれないが。
「おねえちゃん……?」
「…………!」
唐突な声に俺は身を強張らせた。だがそれがいつもの声だと気付き、緩やかに警戒態勢を解いた。
「…………香奈か」
幼い少女が扉の隙間に隠れる様にしている。あいつにそっくりの顔――――だから俺にも多少は似ている事になる。
「お出かけするの?」
香奈は俺の格好をジロジロと眺め見た。
……目遣いまでそっくりだ。面白いものや興味のあるものは逃さないという視線――――。
――――……全く……。付いてくる気だな……。
「ああ……」
「付いて行っていい!?」
「駄目だ……、こんな夜に出歩くんじゃねえよ」
「えー……なんでおねえちゃんはいいのー……?」
「俺は自分の身は自分で守れるからだ……。お前……咄嗟に車が飛び込んできたらその車をぶっ壊すなんて出来ねえだろ」
「香奈だって大きくなれば出来るから! だからさぁ……ねえ!」
「それでも駄目だ」
「………………」
「……何だよ」
俺と香奈は暫しの間睨み合った。しかし、その内香奈は俺を説得するのが不可能だと悟ったのか、いじけた様な目付きでフローリングの床の方を見る様に俯いた。
おそらく涙目になっている事だろう。クソ面倒臭え……。
俺は香奈の頭を軽く叩いた。香奈は少しだけ赤くなった眼を上げて俺をじっと見た。
「泣くな。その内連れて行ってやる。だけど今日は駄目だ。……解ったな?」
「……わかった……」
香奈は細い声でそう返事をした。
――――仕方の無い奴だ……。俺が泣かせたみたいじゃねえか……。
香奈の顔は依然として俺の方を向いたままだ。だから香奈の殆ど泣いている様な顔もよく見える。こういう表情をされると、俺はどうして良いのか分からなくなってしまう。あいつにしろ香奈にしろ、どっちの涙を見るのは好きじゃない。出来ればあいつと香奈の二人にはずっと笑っていて欲しい。
特にあいつは――――二度とあんな顔をさせたくない。いや……俺がさせない。
あいつの障壁になるものは俺が全部潰す。あいつがどんな事があっても悲しむ事はあってはならない。
あの時の表情。絶望そのものである表情。あんなものは二度と見たくないのだ。またあいつを壊そうとする奴が現れたら、その時は俺がそいつを先に壊すと決めている。
「約束……」
香奈は小指を差し出した。俺はそれの意味が分からなかった。
「………………?」
「ん!」
香奈は指を更に俺に向かって突き出してきた。
「……言わなきゃ分からない。口があるんだから何か言え……」
「指きり! 指きりで約束!」
「………………」
――――…………指きりって何だ……?
俺はどうすればいいのかと、香奈に無言の問いを投げかけた。
「………………」
「……指……出してよ……おねえちゃん」
――――……指を出せばいいのか……?
俺は言われたとおりに人差し指を差し出した。
「そうじゃなくて! 小指小指!」
「……悪い」
伸ばしていた人差し指を引っ込め、代わりに小指を出す。すると香奈は俺の出した小指に自分の小指を絡めて、そのまま小さな手を縦に振った。
「ゆーびきりげんまん、ウソついたら針せんぼんの~ます」
そう言い切ると香奈は急に笑顔になった。ところでこれは本当に針を千本呑まされるのだろうか。それが本当なら『約束』というより『呪い』じゃねえか。
「約束だからね! ぜったいだよ!」
「……はぁ……」
「溜息吐かないの! 幸せが逃げちゃうよ!」
小煩いガキだ。こんな無理矢理な約束を取り付けられたら溜息の一つだって出るに決まってるだろう。
「はいはい……分かってるよ――――……」
「あのね……おねえちゃん……怒らないで聞いてくれる?」
やけに改まった様子で香奈は手もみしながら続けた。
「ああ?」
「あーもうー……怒らないでって言ったじゃん……」
俺が聞き返すと香奈は肩を竦ませつつ情けない表情になった。
……俺の態度はいちいち怒っている様に見える様だ。
「怒ってねえよ。……言ってみろ」
「おねえちゃんって……おねえちゃんじゃないよね……?」
「何が言いたい……」
「ええっと……そうじゃなくて……おねえちゃんだけど中身がおねえちゃんじゃないっていうか……」
やっぱり気付いていたか。雰囲気や口調が、あいつと俺では正反対とも言えるぐらいに違うのだ。バレいても不思議ではない。
「……だったら……どうする……」
「ううん……違うの……香奈はこっちのおねえちゃんも好きだよ……」
「………………」
「変な事言ってごめん……。でもっ……!」
「……くだらねえ事を言ってないでさっさと寝ろ」
それだけを言い残して俺は冷たい玄関へと出た。そしていつも灯が履いている緑のスニーカーを履いた。ブーツなんてのは流石に嫌だ。歩き難くて仕方が無い。
――――香奈は自分の部屋に戻ったか……。それと美那子は……。まぁ寝ているな……。
美那子というのは香奈とあいつの叔母だ。この家はこの三人で回っている。複雑そうな家庭環境にも見えるが、それ程でもない。家族の仲はいたって良好だ。三人が三人とも支え合っている。だから――――余計にあいつらは自分以外に心配を掛けさせない様に気負っているのかも知れない。一人で頑張って、無理にでも笑う。人前ではあの三人はいつもそうだ。
俺には理解出来ない。苦しいなら吐き出せばいい。助けて欲しいなら助けを求めればいい。そんな簡単な事があいつらには何故出来ない?
「ちッ…………」
灰色の階段を降り、光の少ない夜中へと出る。そこから真っ直ぐ。ずっと真っ直ぐ進む。すると汚い人工光で満ち溢れる歓楽街へと出る。
くそみてえな匂いに、くそみてえな景色。歩く人間までくそみてえだ。欲望をそのまま垂れ流し、それを恥じようとも思っていない。奪う事でしか自我が保てていない。だが――――それは俺も同じ事だ。
俺はあいつを守っていたのではなく、あいつを狙う人間を壊す事に悦楽を感じていた。それにはあのおかしな二人組みに教えられた。つくづくあんな野郎共に教えられたなんて癪だが、あの二人が俺を止めなければ灯の周りには何も残っていなかっただろう。俺が全部壊して、潰して――――結局俺がやっていたのは自己満足の行為なのだ。此処に居る奴らと何ら変わりが無い。
気に入らない。あいつらは何なんだ。一人はのらりくらりと他人をかわしながら核心を突きやがる。しかもやたらと強い。闘争向きの俺ですら軽くいなされてしまうほどだ、性格はともかく実力はある。
しかしだ――――あの人を喰った様な性格は腹が立つ。あの野郎は何でもかんでも知っている様な口振りでぺちゃくちゃと喋るから、ニ割り増しで癇に障るのだ。何より――――まだその実力を全て出し切っていない――――。俺が分かっていないとでも思ってんのか、あのおちゃらけ紳士服。
俺が余程凶悪な面相をしていたのか、隣を通り過ぎた男が小さく悲鳴を零した。
それにもう一人。あのナヨナヨしたメロンパン馬鹿。あいつだって十分に異常だ。じゃなきゃあんなのを自分の中に飼える筈が無い。にしてもだ――――。あいつ――――何でそれが異常だという事に気付いていない? あれは俺達には似ているが、俺達とは根本的に違う存在だ。それが何故あいつなんかの中に? 本来ならあれが人の中に居て良い訳が無い。精々その力の一部を貸し与えるか、その程度だろう。無理にあれを人の身に入れたら、器ごとぶっ壊れる筈だ。
――――……飼い犬があれなら飼い主も飼い主という事か……。
奴らの過去に何があったのか。個人的にも気にはなる。あのメロン馬鹿の方は色々と忘れている様だが、紳士服の方は何かを知っている。
目当ての場所に着く直前で肩に衝撃を感じた。
「ってぇな……」
見上げると、いかにもな奴らの集団の一人が俺を睨んでいた。
――――……肩がぶつかったのか。まぁ一応謝っておけばいいか。
「……すいません」
「すいませんじゃねえんだよ、君さぁ。ああ痛いなぁ。折れたかもなあ?」
そいつは気安く俺の肩に手を回してきた。
「止めてください」
「これからさー。俺達、可愛い子探しに行こうかと思っていたんだけど――――これじゃあ行けねえよ。だから代わりに君が俺達の相手をしてよ。一人ずつ……ね?」
その言葉に周りの取り巻き共が囃し立てる。下品な雑言。耳を塞ぎたくなる。
何だ、こいつらもあの時の奴と同種か。なら――――遠慮はいらねえな。
「……相手なら……今此処でしてやろうか?」
「……え……? お前――――」
俺の発する空気にやっと気が付いたのか、俺に手を回している男は俺からすぐさま離れた。だけど、もう遅い。俺は距離を取ろうとした男の肩を掴んだ。
「なぁーに、逃げてんだよ? 愉しもうぜ」
手に力を入れる。男の骨が軋みを挙げ、同時に男の顔には恐怖の色が現れた。
「な――――何――――……」
一気に力を強め、肩を握り潰す。
「うう――――うあぁァァァァ!!」
俺が与えた痛みから男は叫び声を発した。その声で漸く他の取り巻き共も事の異常さに気付いたらしい。ざわつきが火が付いた様に広がる。
――――……折れてはいないか。このぐらいだな。
俺は男を片手で突き飛ばし、逃げようとする男のケツに蹴りを入れた。
「ビビるぐらいなら最初から俺を相手にしようと思うんじゃねえよ。……行け、マヌケ」
「あ――――ああ――――す、スイマセンでしたッ!」
男はゴキブリみたいな速さで仲間を置いて走り去った。その仲間達も俺の『次はお前らか?』という視線に反応して男の後を追って行った。
気分が悪い。先程まで考えていた事も相まってかなり苛苛している。
あんな奴らより、まだあのメロンパン中毒患者の方が骨があるぜ。あいつは俺から逃げなかった。虫けらの様に這いずってでも俺に立ち向かおうとした。その勇気だけは買っている。
もしかして――――だからなのか――――紳士服があいつを選んだのも――――。
俺は不自然なぐらい、この吐き溜まりの如き場所にはそぐわない外観のハンバーガーショップの前に着いた。この場所を目指して俺は歩いていたのだ。
これは週にニ、三度の息抜き。退屈を紛らわす暇潰しだ。何より――――此処のハンバーガーは美味い。とにかく肉が喰いたい時にはかなり重宝する店である。
この店は肉が美味い。肉だ肉が良い。
肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉。
「兄貴! こんな所に!」
「肉ぅ……?」
――――兄貴……? あぁ……またこいつか……。
俺が振り向くと、眼を輝かせたさっきの奴らと大差が無い頭がカラフルな野郎が立っていた。
名前は折島東児――――だそうだ。先日折島が絡まれていて、本人曰く絶体絶命の大ピンチの所を俺が助けた――――みたいだ。あんまり詳しく憶えていないので、助けたという実感は無い。煩い奴なんて日常の様にのしているからそんな細かい事まで憶えていられないのだ。
「肉ですか! 肉が喰いたいんすね! 了解っす! ちょっと待ってて下さい……」
「な――――ちょっと待て……って……聞いてない……」
折島は俺の話を聞かず、ズカズカと店の中に入っていった。折島が店の中に居ると思うと店内に踏み出す気にもなれず、俺は店の前にポツンと佇むしかなかった。
帰るべきなのか、帰らざるべきか――――。迷っている内に折島が茶色の紙袋を三つ抱えて出てきた。
「へい! 兄貴! ささ……どうぞどうぞ! 召し上がって下さい!」
折島は俺が言えた義理でも無いが、子供が卒倒する様な彫りの深い顔でにこりと笑い、俺に紙袋の一つを突き出してきた。
「………………」
「なあに、奢りっすよ~。奢り!」
「……貰っとく」
俺は渋々その紙袋を受け取った。中身を覗いてみる。中に入っている包み紙の塊には『トリプルミートサンドバーガー』との表記がある。……ちょっと嬉しかった。
「それでですねー……」
「舎弟にはしない」
「まだ何も言ってないじゃないっすか!」
折島は開きかけた口を不満げに尖らせた。
――――言ってなくても言おうとしてる事は分かるんだよ。
「……この前からしつこい。俺は誰かとつるむつもりはねえし、お前を助けたのも偶然だ。分かったら帰れ。……ハンバーガーだけは礼を言う」
「そ、そんなァ……酷いっすよ兄貴ィ~……。俺は兄貴の強さに惚れたんですって!」
「俺はお前の兄貴じゃない。……惚れたってまさか外見じゃないだろうな……?」
そういう事なら今の内に不安の芽は潰して――――。
俺の意に反して折島はあっけらかんと一笑した。
「違いますよ! 俺は兄貴の強さに……いや! その堂々たる大きな背中に‘漢‘を見たんすよ!」
「俺は女だ。馬鹿野郎」
俺が折島の向こう脛を蹴ると、折島は悶絶した。
「あ、兄貴ィィィ……ご無体なぁぁぁ……」
「だから兄貴じゃないって言ってんだろ」
加減はした筈なのだが、余程痛かったのか、折島は涙目で脛を擦った。
地面には折島自身のものだと思われる紙袋と、それと――――何故かもう一つ紙袋が――――。
――――……あ?
何者かの視線を感じた俺は周囲を見渡した。すると、曲がり角の物陰に小さい影が忙しく隠れるのが視界の端に映った。
――――誰だ……? ……俺を見ていた……?
「出て来い……」
俺は曲がり角に低い声で呼びかけた。脛を擦っていた折島も、俺の出す殺伐とした空気に黙りこくり、俺の動向を窺う様にしている。
誰かが見ている。前々から不穏な気配は感じていたが――――まさかそれか。
しかし、此処は人通りが多い。灯や俺を狙う奴が居たとしても大っぴらには事を起こせないだろう。逃走も視野に入れ、俺は再度曲がり角に向けて声を発した。
「出て来いっつってんだろ。何なら俺から行ってやろうか?」
すると、物陰から小柄な姿が出てきた。それは――――。
「…………香奈?」
「えっとね……おねえちゃん……これはたまたまで……そのぉ……」
寝たのだとばかり思っていたが、こいつ、付いて来ていたのか。
香奈は俺の眼から視線を逸らし、もじもじと体を動かした。
「あぁ、あの子。さっきからこっちの方を見ていたんで……。兄貴の知り合いっすよね? 妹さんすか? あの子の分っすよ。コレ」
折島は三つ目の紙袋を示した。成る程、だから三つか。俺だけが香奈に勘付いていなかったとは。
俺は香奈に近づき、小さい頭に軽く拳を落とした。
「あうッ!」
「付いて来るなって言ったよな?」
「でもぉ……」
「でも、もガセもねぇ。アホ」
二度目の頭に落ちた衝撃に香奈は眼を回した。
――――このぐらいで勘弁してやるか……。
そう思い、俺が手を止めたのを折島はむかつく笑顔で見ていたので、とりあえずもう一度折島の脛を蹴った。
「いってえッ! 兄貴、いてえっす!」
「おお、そりゃ痛い様に蹴ってるからとーぜんだ。……お前、俺の舎弟になりたいって言ってたよな?」
「してくれるんすか!?」
折島の眼が輝いた。痛みなどまるで忘れている。
「……ただし条件がある……」
俺は香奈を見ながら言った。それは突拍子もない思いつきだった。
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いいもん見ぃーつけた。あれがあいつの弱みか。
あのガキは使えるぞ――――。愉しめそうだ。
年末までにもう一本なんとか……。
でも年を越したら本格的に他作品に力を入れなくては……。
あ、メタァ……な小部屋の扉が……。
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葎「久しぶりのー」
寧「メタァ……な小部屋ですね! 葎さん!」
葎「ほんと久しぶりだね、これ」
寧「作者がモンハンでリオレイアを狩りまくってたから、このコーナーを書く時間が無くなってたらしいですよ!」
葎「………………」
寧「………………」
葎「それはさておき、今回の話も寧さんの出番は少ないみたいだよ」
寧「いきなり心を抉るような事を言わないで下さいよ!」
葎「まぁ……コレを含めて残り二話だし……もう諦めたら?」
寧「嫌ですよ! 最後まで諦めませんからね!?」
葎「……努力していれば道は開かれる……。ただし出番が来るまでに時間が掛かる場合もあるんだよ……」
寧「意味深な発言……。それは暗にあたしに暫く出番が無いと言いたいんですね!?」
葎「だから言ってるじゃないか。後二話で終わりだって」
寧「それじゃ出番も何も無いじゃないですか……?」
葎「……あ! あんな所にガメラが飛んでる!」
寧「はぐらかそうとしても無駄です。さぁ! 答えなさい!」
葎「……しゅ~りょ~!」
寧「はッ!? 無理矢理終わらせに――――あっ……」
という訳で本日はこれにて終了!




