番外編 七話アフター
ふいに思いついた、七話の補足話です。
終わったけど……こんなに長くなるとは思いもしなかった……。
オチなし、ヤマなし、蛇足的でも宜しければ……。
こ、今度こそ……次回こそ更新は遅くなるんだからね!(元々遅かったけど……orz
今度こそフリじゃないんだからね! ホントだからね!
……それではどうぞ。
おまけ? そんなもの無いよ! だって番外編だもの!
優しくも冷えた風に撫でられて、僕は静かに瞼を開けた。風はぼんやりとした頭には心地良かった。
視界には黒い夜景を背に、煌く光の粒が砂の様に散らばっている。それは遥か遠くに見え、僕を撫でた風もそちらの方へと流れて行った。暗い色の中に眼の眩む様な明るい色。こういうものは見ているだけで心が擽られている様な一種の高揚感を感じる。少し前まではこんな事思いもしなかったのに。
おかしいな。眠りに就いた筈なのだが――――。
僕はこの場所に以前にも来た事がある。悪い現実の最中の事だ。それが作り物の『夢』が始まりでもあり、二年前から僕の時を止めるきっかけとなった出来事である。
あの時は今は違う。見えているものも大切なものも全て違う。本当に大切なものは多少荒いやり方で気付かされた。
僕は彼の姿を捜した。僕の真反対に彼は居た。彼は街を見下ろしている。涼しそうに眼を細めつつ夜景を本物のヒーローの如く眺めている。その姿は最初の時に見えた、名も知らぬヒーローそのものだった。
「……ヒーロー。君がここに連れてきたのか」
彼――――ヒーローは振り返り、落ち着いた微笑みでこちらを見返した。
彼のこんな表情を僕は見た事が無い。というより、僕が見ていなかっただけなのかも知れない。
過去に固執するあまり、僕は彼や今のものを見るのを止めてしまっていた。
大切な事は何一つみえていなかったのだ。
「ああ、正一! 起きたか!」
表情とは全く違う、底抜けに明るい口調に僕も思わず笑ってしまった。
彼は元々表情に乏しいのだ。初めて逢った時なんて、絵の中の人物を見ているようだったぐらいだ。
僕は崩れ掛けた表情を作り直して彼に訊いた。
「……どうして……連れてきたんだ」
「嫌……か?」
「あ……そ、そうじゃなくてー……」
彼はふと表情を緩めると、遠くを見て言った。
「……色々とあったからな。だが、それも終わった。終わって――――多分これから始まるんだと思う。それに俺もずっとお前と話したかったんだ」
「……あの――――」
僕が何かを言う前に、ヒーローは大きな声でそれを止めた。
「おおっとぉぉぉ! 謝るなよ! 暗いのはダークヒーローだけで十分だ!」
「ハハ……そのヒーローっていうのも、もう止めていいんだぞ? 僕が勝手に君をヒーローなんてものにしちゃったんだから」
自らの利己主義を押し付けて、彼に重い枷を負わせてしまった。
彼にはどれだけ謝っても謝り切れない。
「気にするな! 俺もこの名前が気に入っている! ……仮にもお前がくれた名だ。大切にするさ」
あっけらかんとした口調だった。僕は言い返す気力も削がれてしまった。
「そっか……。あっ、そうだ……これって夢なのか? 前の時は何も聞かなかったから分からないんだけど……」
「ん~。まぁ、夢みたいなものだな! 俺の世界だ! 中々にわくわくするだろう!?」
「わ、わくわく……」
していないと言ったら嘘になる。
「そうだ! こうッ! 心が躍るような情熱に浮かされないか! ビルの天辺から飛び降りたい気分になるじゃないか!!」
僕はそっと下の方を覗きこんでみた。足が浮つき、お腹の下がざわざわする。
このビルはいつもヒーローが好んで立つ高所のどれよりも高い様だ。本能的に危険を感じた。
熟考の末、少なくともここから飛び降りたくはない――――という結論に達した。
「ここから飛び降りたら死ぬんじゃないかな?」
「そうだな! 飛ぶのは俺に飛行能力が芽生えてからにしよう! そうしたら一緒に飛べるかも知れないぞ!?」
ヒーローが鳥の様に両手で僕の両肩を鷲掴みにしながら、空を滑空する絵を想像してみた。
――――嫌過ぎる。羞恥心もさる事ながら、『もし落ちたら』を想像したくない。
っていうか、飛行能力ってそんな竹の子みたいににょきにょき生えるものなのか。
「僕は嫌だけどね」
「ううむ……そうか……」
「あのさ……」
やり直しは出来ると思う。まだ、前の様に何も失っていないし、始まってもいない。
彼の言う通り、これからそれは始まるのだろう。
ヒーローは首をぐるんぐるんと回しながら返事をした。
「何だ?」
「君と……今からでも友達になれるかな……。自分勝手だっていう事は解っているんだけど……」
「……何を言っているんだ。俺とお前は最初から友だっただろう?」
「……そう……かな?」
「そうだ!!」
断言、されちゃったな。そういう意味では燐太とそっくりだ。
「……ここ……凄く眺めが良いね」
僕は話題を逸らす様に夜景の方へと視線を移動させた。
「……ん? そうか?」
彼にとっては見慣れた光景なのだろうが、僕にはとても新鮮な光景に感じられた。
点滅して、動いたり止まったりと繰り返し、不定形の光の絵は動いていく。
「ああ、とっても」
「気に入ったのならじっくり見ていくと良い! とは言ってもいつでも見られるがな!」
いつでも見れるのに、僕はこんな近くにあるものまで見えていなかった。
だけど、今はしっかりと見えている。これから何度この光景を瞼に焼き付けられるだろうか。ずっと忘れる事が出来ないぐらいまでに見る事が出来るのか。
僕はビルの淵に歩いて行き、遠くの空を見た。この夜空に星は無い。地上の輝きが星の代わりになっている。少し変だが、これはこれで良い眺めだ。
「…………それじゃ……もう少しゆっくりしていこう……」
ヒーローも僕の直ぐ隣に立ち、同じ方角を見た。
「飛ぶか!?」
「飛ばないよ」
摩天楼の景観は幻想的に移り変わっていく。どこを見ても同じ部分など無い数秒毎に変化していく光景。万華鏡の様でもある。移ろいゆく色はどこまでも飽きる事が無い。
これは時間だ。止まる事が出来ない奔流と同じなんだ。僕はその先頭に立っている。
もう一度、滑らかな撫で風が吹いて。漸く――――止まっていた時間が動き出した。
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整理整頓という概念が存在しないと思われる、おおよそ足の踏み場が無い室内の中心に、白い布団が一組置かれている。その部屋の青碧色のカーテンを通り抜け、薄い朝日が部屋の中と布団を照らした。
白い布団は三十分間もぞもぞと悶える様に動き続けると、上部の隙間から寝惚け眼の少年の顔を出現させた。少年の手は何かを探す様に自分の頭の上をうろつかせると、小型の蛍光色が特徴的な目覚まし時計を掴み、布団の中に引きずり込んだ。そして暫くしてから、目覚まし時計は布団の中からぞんざいに投げ出された。白い掛け布団の繭を被った中身は、起きるのを嫌がっている様にぐるぐると体を回転させつつ敷布団の上を往復したが、諦めたのかその身をむくりと起こした。布団が取り払われ、中身の少年が完全に現れる。矢張りまだ眠そうな表情だ。起きた少年――――風早燐太が珍しくも、目覚ましを使わずに起床した。
「んー……ふぅ……あでッ」
体の痛みに燐太は身を強張らせた。彼はつい昨日、殴り合いの喧嘩をしたばかりなのだ。
喧嘩など小学生の時以来である彼は、地味に染みる痛みを堪えながら顔を洗う為に洗面所に向かう事にした。
「……め、珍しい……!! 燐太が独りでに起きているなんてッ……!?」
部屋を出た燐太の顔を見て、彼の母親である風早真紀は天地がひっくり返ったかの様な驚くべき表情をした。
「あれ、子供に向かってそういう事を言っちゃいます? ……ひでえ母親だな! 老けろ!」
「ひどい息子に言われたくないわよ。この童貞が」
とても据わった眼で母親は息子を見た。そこには親子間の容赦などは一切無い。
「や、や、止めてよねッっ……! そんな事は無いんだからねっ!?」
「へぇ……根拠は?」
「お、俺ッ! 顔洗ってくる……!」
「逃げたか……。あ……そうだ、あい――――って行っちゃったか……」
慌ただしく洗面所へと向かった燐太は、入り口の引き戸を閉めてから水道で顔をバシャバシャと洗い始めた。洗顔料などは使わない。面倒だからである。一通り洗い終え、それでも眠気が払拭出来ない彼は歯ブラシを手に取った。
「ああ、ほらー。顔拭かないと水が垂れるよ」
横から使い慣れたタオルが差し出される。
「んお? あんがと」
次に彼は歯ブラシを水で濡らし、鮮やかな青色の歯磨き粉を歯ブラシの上に乗せた。
口にそれを突っ込み、シャカシャカと動かす。何とも長閑な朝の風景である。
燐太の口元から歯磨き粉と唾液が混じったものが滴る。口元をしっかりと閉めていないせいだ。
零れたそれを、何者かの指が拭う。
「だらしないなぁ……」
「いいーふぇ、いいーふぇ。はふぃはふふぉひひいふおふぃあふぁふぁふはは」
燐太の言葉を訳すならば、『いいって、いいって。吐き出す時に洗うから』という所だろうが、無論、そんな曖昧な言語では一般人には通じる筈も無いのだが――――。
「それでも汚いでしょ」
通じているのである。
口を濯いでから、燐太は着替えをしようと着ていたTシャツを海老が脱皮する様に脱ぎだした。下のシャツだけになった彼は、そういえば制服を持って来ていない――――と気付き、着替えを一時中断してから自分の部屋に戻ろうとした。
「おっ? 何だ制服あるじゃん」
彼が取りに行く筈だった制服は、横から伸びた白い手に依って彼に手渡された。
「『ありがとう』は?」
「あーありがとなー。いや~うっかりしてたわー」
「うっかりは身を滅ぼすわよ」
「朝からえらく重い教訓がきたな……。……ちょっと待て……」
「どうしたの」
「どうもこうも……」
燐太は先程から感じていた違和感の正体――――つまりやけに用意の良い隣の空間の方に頭を動かした。
隣には既に制服を着用している柳葉藍子が何食わぬ顔で頭を傾けていた。こうまで堂々としていると自分の方が間違っているのではないか――――という衝動にも駆られなくも無い。
考えてみればおかしいのである。何も存在していないのにも関わらず、隣からタオルが出てきたりする訳が無い。ここは工場のラインではないのだ。横から勝手に物が流れてきたら、それは異常以外の何ものでもないと言えるだろう。
「藍子さんは何で此処に居るんですかね……」
「昨日は頑張ったから、ご褒美として介護を」
「俺は老人じゃない! 介護は必要無い!」
「つべこべ言わず! 脱げ!」
藍子は脱ぎ掛けであった燐太のシャツを捲り、強引に脱がせようと頑張った。
「追剥だ! 追剥が出たぞ! あ……ちょッっいやーッっ!」
とても男らしい藍子の行動に、燐太は女性の様な悲鳴を挙げた。
上半身の衣類を剥かれた少年。その彼にわきわきと手を伸ばす少女。長閑な朝の光景である。
「お、おい。おいおいおいおいおい!! 何をあふぅ……!」
気持ちの悪い声を発した燐太は、つんと匂う湿布の香りとそれに伴う身の毛もよだつ様な寒気を体感した。どういう事かと言うと、上半身が裸になった燐太の背中やら、何やら色々な部分に藍子が湿布を貼り付けているのだ。
「冷たいって! あ、死ぬ死ぬ! マジで死ぬ!」
涙目で燐太は抗議をする。だが藍子は手を止めず、せっせと燐太をひっくり返しつつ湿布を上手に貼り付け続ける。そこに容赦など微塵も無い。
「そんなんで死なないわよ。男なら我慢しろ」
「何でもかんでも男だからって言うのは男女平等に反している! うわ……ぎゃあああ!! じゃ、じゃあ俺、女! 今から女だから止めろ!」
「女は我慢。耐えなさい」
藍子はとても決まっている顔で言い切った。
「どっちにしろ駄目じゃん!?」
一通り湿布を張り終えた藍子は一仕事を終えたかの様に額の汗を拭う様な動作をした。
その足元に這い蹲る燐太は精魂が尽き果てた表情で自分の体を抱いている。藍子はそんな彼に貼り付けられている湿布を上から指で弾いた。
「うわいでッッ!」
青痣の残る体を撓る指で弾かれた燐太は苦痛に顔を歪めた。
「怪我を放って置いた罰。……やせ我慢すんな、ばーか」
「い……? だって疲れたんだからぐわッ!」
二度目の刺激が燐太を襲う。
「良い訳無用。甘んじて受けるべし。それとこれはグルルンの分よ」
「グルルンって誰!?」
痛みを耐えた燐太は素早く立ち上がり、藍子を洗面所から廊下に押し出そうとした。
「何をするの? まだ終わってないよ」
藍子は不本意な表情で抵抗する。
「これから着替えなんだよ。解る? き・が・え!! それとも何か? 見るかゴルぁ!」
「別に燐太の裸の一つや二つ見慣れているけど? それに隠すほどのものでも無いでしょ」
「あるよ! ぜってーあるから! お前は俺の何を知ってるの!?」
「押入れの天井――――……」
燐太の脳裏に押入れのほの暗い空間が浮かぶ。そしてその上、天井には押すと持ち上がる部分が一箇所だけあるのだ。そこは何か物を隠すにはうってつけのスペースであった。
「待て……! お前……何を……!」
「じゃあ私はこれで」
「待ちたまえ……中途半端で帰さないぜ。最後まで吐け。お前はあれか? 誰にそれを教わったのだね? 藍子ちゃん、ええおい?」
「ヨウセイサンガオシエテクレタンダヨ」
肩をむんずと正面から掴まれた藍子は燐太から眼を逸らし、舌をお茶目に出しながら裏声を発した。
「嘘つけーっ!! 見たのかー! 見ちゃったのかー! どーすんだよ、お婿にいけないぃぃ……」
「大丈夫だって。もしもの時は私が貰ってあげるから」
「えっ」
燐太の思考は一時停止した。これ以上は彼の脳に負担を掛ける為である。
「はい?」
藍子は自分が何かおかしな事を言ったかと、小首を傾げた。
「えっ」
言語中枢が麻痺している燐太は同じ言葉しか繰り返せない状況にある。
「ん?」
藍子は考え続ける。
さらっと重要な事を言った様な気もするが、どうせ些細な事だろうと彼女は踏んだ。
彼女が考えている間にも燐太の頭の中では復旧作業が進み、やっとの事でまともな言葉を彼は口に出した。それはたった一言、
「何だって?」
とだけであった。
藍子は燐太の背後を驚愕の表情で指差した。
「あっ! そこにツチノコがッ!!」
「家の中にッ!?」
振り返った彼が、ツチノコどこ!? と言っている間に藍子は部屋から退散して行った。
結局ツチノコは見付からなかった。
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「……あの……あのー」
家内でのツチノコ捜しが徒労に終わり、しょうがなく着替えを終えた燐太はダイニングキッチンの席に着いている。そしてキッチンではまたもや朝にふさわしい光景が繰り広げられている。
「そうね、強火の方が皮がカリッと焼けるわね」
「ですよね。火力が弱いとどうもへナっちゃうんですよー」
サラダ油の匂いが香ばしい。藍子は燐太の母親である真紀と共に朝食の準備をしている。
何とも微笑ましい光景であろうか。本物の親子に見えると言っても過言ではない。
ただ一人、疎外感を感じている本物の息子を除いては。
「出来たよ~」
藍子がフライパンを片手に白い皿を運んでくる。その瞬間燐太の危機感知能力が振り切れた。朝と言えば卵。卵と言えば卵焼き。卵焼きと言えば――――そう、死への架け橋である。
燐太は恐る恐る視線を皿の中身へと向けた。
――――死にたくない……! 死にたくない……!
皿の中身は黄色い黄身が不思議な質感を齎しているただの目玉焼きだった。
「よぉおおおおおしゃあああああああ!!」
「静粛に」
藍子は叫ぶ燐太の脳天に、火で熱せられた熱々のフライパンを振り下ろした。
「毛が……ッ! 燃える……ッ!」
「焦げるだけだよ」
絞った雑巾を投げて、藍子は再びキッチンへと戻った。
「……禿げてない?」
燐太はニヤニヤとしている母親の方に視線を送った。
「んーまだ大丈夫かな。勝負は五年後からだ。息子よ」
「止めてくれる!? 息子を苛めて愉しい!?」
五年後の未来に恐怖しつつ、燐太は未だに調理をしている様に見える藍子に声を掛けた。
「まだ何か作ってんのか? 弁当とか作ってくれちゃってんの?」
「フフフ……お弁当はとっくに終わってるよ。これはフフフフフ……お楽しみ……」
燐太の後の証言に拠ると、その時は空気は堪らなく犯罪の匂いと摩訶不思議な異臭がしたという。
「お、おい……変な事をするなよ……? つ、捕まるぞ……」
「有言実行……フフフ」
そう言った藍子の顔は禍々しく輝いていた。
以前にも燐太は彼女のこんな表情を見た事があった。余談だが、燐太が彼女の愉しそうに輝く顔を見た当時、彼の通っている小学校では原因不明の食中毒が流行したという。
難を逃れた燐太には確信があった。犯人は藍子だと――――。よもやその惨劇が再び起きようとしているのかと彼は恐怖に身を竦ませた。
そして、彼はとにかく今日は藍子の猛威の範囲に居ない様にしなければ、と心に誓った。
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薄暗い中にほんのり微光が入り込む。こういう時だからこそ思うのだろうが、影があると光はよりいっそう輝いて見える。どこにでもある何気ない光景――――だけどとても綺麗だ。
よし、一先ず状況を整理しようかと思う。現在俺は目隠しをされている。
何故そう思うか? 瞼を開けて何も見えないときたら、考えられる可能性は三つ。
一つは世の中から光が消えたか――――まぁ、それはまず無い。あったとしても誰かが何とかしてくれるだろう。二つ目、これは俺の眼が使い物にならなくなっている場合。直接的に言えば失明していて、そのせいで何も見えていない、という可能性である。三つの可能性の中で尤も現実的なものだが、それは三つ目の可能性で否定されてしまう。
で、三つ目なのだが、それは第三者に目隠しをされているという可能性だ。
他人から目隠し。何とも浪漫が溢れる状態であろうが、ぶっちゃけどうでもいい。この場合、問題なのは『誰が目隠しをしているか?』という事だ。
考えるまでも無い。部屋で寝ている俺に目隠しを出来る人間は二人。
同居人である橋間寧と、陰湿両生類格好付け流し目性悪傍若無人正体不明淑女かつ紳士野郎の二択。
さて、どちらか考えてみよう。寧さんはたまに泡を吹いて倒れたり、狐のお面と会話したりする残念――――じゃなくて、変わった人だが、意味も無く寝ている人間に目隠しなんてしないだろう。だとすれば残りの方。もう一人の方としか考えられない。
あいつの事だ。どうせ、そろそろ――――……。
「だーれだ!」
誰だも何も、お前しかいないだろうが。……んん? やけに遠くから聞こえたのは気のせいか?
俺は自分の眼の辺りを覆う手を、両手で引き剥がした。
やっぱりとも言うべきか、明らかになった視界には純白の花々が雪の様に地表を彩っていた。
精一杯の皮肉の篭った声で俺は返答する。
「ガラだろ……」
「正解はー」
まだ続けるか……。
面倒なので答えなんて待たないで俺は振り返った。
「ぶっぶー不正解でございます」
高校生ぐらいの知らない女の子だった。
「あんた誰だーッ!?」
あまりの予想外の事態に、俺は文字通りひっくり返った。
そんな俺に女の子の方ではない、第三者の声が届いた。あの野郎の声である。
「いやいや、私はこっちだ。え~? 葎~間違えたの~? 恥っずかし~」
――――この癪に障る声は……ッ!
白い丘の上。壁だけの奇妙な建築物の脇に、花々と同色のテーブルが二組の椅子と共に置かれている。そして、片方には語るにも忌まわしい、この世で俺の嫌いなものを寄せ集めて五、六時間煮詰めた様な人間が座していた。要はガラだ。
「お・ま・え・は……! どっからこの子連れてきたーっ!!?」
俺はどこかで見た様な気もするような少女に指を指しながら叫んだ。
「道端に捨ててあったのでうっかり拾ってしまった。いやあ、うっかりうっかり」
「お前のうっかりって広義的だな! じゃなくてさ! そんな訳あるかぁぁぁぁ!! 人間は捨て猫じゃないんだぞ!? そんなにホイホイ落ちてるくぁあぁぁぁぁぁ!!」
ダンボールの箱に人間の女の子が入っている。何とシュールな絵面だろうか。もし俺がその光景に出くわしたとしたら、全力で見なかった事にするだろう。っていうか今したい。
「ねー葎ー。硬い事言わないで飼って良いでしょー。ねーえー」
ガラはまるで拗ねた子供の様な口調で言った。
「人間を飼うとか言うな! 元の所に戻してきなさい!」
「えー良いじゃないかー。飼わせてくれ給えよー。ねーひきこさん。ひきこさんも此処に居たいよねー?」
……ちょ、ちょっと……今聞き捨てならない単語が……。
「ガラ様がそうおっしゃっていただけるならありがたく」
古風なメイド服を着た少女は俺の方に向き直った。
淑女化したガラの様に神秘的な美しさは持っていないが、それでも長い時間を掛けて伸ばしたであろう黒い長髪。太い眉毛は眉尻に掛けて垂れ下がっていて、そのせいか温和な印象を顔に与えている。反面、目元は奥二重で、奥の方でこちらを見る瞳は知的な光彩を放っていた。眼鏡を掛けさせたら、委員長とでも呼びたくなる様な外見である。そこで俺は気付いた。
――――あれ? コレ、昨日の「ひきこさん」と同一人物じゃね?
と。
昨晩と決定的に違うのは、彼女の顔からは憎しみが取り除かれているという事だ。幾分昨日よりは感情の色が薄いが、それでも不自然な表情で無いだけずっと良い。
……何はともあれ、俺はそんな彼女を見て、海に住む‘ほや‘の様に口をパクつかせる事しか出来なかった。
「昨晩はお世話になりました。あれもこれも、慈悲深い葎様のお陰だと存じ上げております。どうかこれからは末永く宜しくお願い致します。ひきこMK―Ⅲです」
綺麗なジャイア――――じゃなくて綺麗なひきこさんは、スカートの端を軽く抓み、膝を少しだけ折り曲げ、漫画や映画でしか見た事の無い丁寧なお辞儀をした。
「ひきこMKⅢって何ッ!!?」
それが脳味噌が半冷凍状態になった俺が出来る、精一杯の突込みだった。
ガラはふふんと気障な鼻音を鳴らし、俺の質問に答えた。
「何を驚く事がある? 彼女の前身――――MK―ⅡとMK―Ⅰは私達が倒したんじゃないか」
「そういう問題じゃないの!! 敵だっただろ!? 何でなの!? アレなの!? 敵を倒すと仲間になる的なアレなの!? 昨日の夜はしんみりとした空気が流れてたじゃん!?」
「だってさぁ、君があんまりに悲しそうな顔をしていたからさー……。思わず創っちゃった。てへ」
「そのふざけた舌引っこ抜いてやろォォォォかァァァァ!?」
浄化されたひきこさんは、俺とガラの間に割って入った。
「お止めください。ガラ様は朽ちる寸前の私の欠片を取り込んで、こちらに持ち込んで下さったのです。嫌……だったでしょうか……矢張り私は……」
多分、それは俺に言ったのだろう。視線を落とす彼女を見ていると、ガラにフライングクロスチョップをしたいという願望も若干治まった。
「……まぁ……君も消えなくて済んだのなら……良かったよ」
ご都合主義みたいな感じもしなくは無いが、後味が悪いよりはマシだ。
ところでコレ……どうすんだ……。
「……あ、で、でも人を引き摺ったりとかしちゃいけないからね!?」
俺の懇願する様な声に、ひきこさんは少し黒い笑顔で応じた。
黒い――――黒いが邪気みたいなものは消えている様に思える。
「ご心配なさらずとも、ガラ様が作り変えたので大丈夫です。ひひっ……」
――――笑い声……怖ッ……!
ひきこさんは、笑ったまま俺に手を差し出した。その手を掴んだら、引き摺られるんじゃないか――――とも考えたが、今の彼女がそんな事をするとは考えられないと思い直し握手に応じた。
「ひきこさんってさぁ……。ちゃんと前の記憶とかってあるのか? あぁ……でも消える前にガラが――――」
「ありますよ。最初に貴方達と逢った時の記憶も。あの私は別の私ですけど、記憶は基本的に共有しているので」
「あの私が別の私で……何だって……?」
「全部一緒……っていう事ですね」
ほら――――とひきこさんは俺に自分の手を見せた。
「私の手。ボロボロだったんですけど――――というかそういう設定ですけど……。これ、ガラ様が直してくれたんですよ。本当に綺麗にしてくれて感謝しています」
……へえ……。
「そうなんだ……。なるほどねえ……」
俺は座っているガラの方に歩いて行き、背中を叩いた。
「お前にも良い所あるじゃん」
「おや、今更気が付いたのかね」
透かした態度に減らず口。やっぱりこいつはこいつなのだ。
基本的に悪い奴ではないのだ。少なくとも良い奴なのは間違いない……かも……。
「今気付いた」
「やれやれ……君にとって私はどんな人間に見えているんだい? 私は約束は守る人間なのだよ?」
「約束?」
「そ……約束さ――――」
雪に覆われている様な地面がザワザワと一斉に揺れる。風が吹いているのだ。
俺達三人は、心地の良い風に撫でられ、すっと目を細めた。
花弁が次々に運ばれてくる。ふわりと舞う溶けない雪は視界を染めていく。
突然後ろからひきこさんに肩を叩かれた。ガラの頭に花弁が雪の様に積もっている。俺とひきこさんは顔を見合わせて笑った。そしてガラは――――遠くを儚げに見詰めていた。
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久しぶりに見た夢は、とても愉しい悪夢とは程遠い夢だった。
昔の夢――――わたしが創った物語の登場人物達が代わる代わる出てきて、それぞれわたしに挨拶をしていくという夢だった。赤い鼻の道化師はとても綺麗なものを見つけたと言った。彼は眼を輝かせながら消えていった。教室に潜む妖怪達は蛇に食べられたと言った。痛かった、だけど綺麗になったと口々に言っては消えていった。彼らが消えた後には星の様な明るい光の玉が残るだけ。
ある者は手を振り、ある者は何も言わずにわたしを見る。
そうやって順に消えていく。何人かの姿は見えなかったけど――――どこかに居るんだろう。
消えていく『物語』達を見送りつつ思った。これはどういう意味を持った夢なんだろう?
『物語』が終わったという事だろうか。始まりは一冊のノート。それはわたしの夢であり、妄想で、救いでもあった。次第にそれは変質していって、現実に食い込み、私にとっての悪夢になった。
全部、終わったのか。『物語』には必ず終わりがある様に、私の『物語』にも終わりが――――。
でも……一人欠けている。彼女が居ない。わたしの分身。物語の中で一人歩きを始めた影。そして私の……。……いいや。まだこれは言うまい。これを言う時が来るとしたら、それは彼女が再び現れた時だ。それまでこの言葉は大事に取って置こう。
そろそろ全ての『物語』が終わりそうだ。眩しい光球となった『物語』は空中に浮かび上がって行き、一斉に動き始めた。それらが流される様は、光の川を見ているみたいでとても美しかった。
光の帯が空へと橋を架ける。どこまでもそれは伸び続ける。あの先には何があるのか――――。
先は見えない。もっと身長が高ければ見えるのだろうか。……いや。どれだけ背が伸びてもあの先は見えないままだろう。次第に光量は少なくなって、微かに光の末子が見えるだけになった。
彼女も――――リサもあの先に居るのか? ふとそんな事を思った。
そこで夢が覚め、私は現実に戻り、不思議な気分のまま起床する事になったのだ。
暗くも煌びやかな世界から、明るくも暗さがある世界に。戻った世界には不思議な空気なんて残っていなかった。どこまでも現実的で、物質的な部屋。久しぶりにそんな実感が湧いてきた。
机の上に視線を移すと、一冊のノートが置いてあった。あのノート。物語を綴ったノートだ。
夢は覚め、妄想から生まれた『物語』達がわたしに別れを告げてもそのノートは消えていなかった。
…………わたし達はどこで間違えたのだろうか。探せば他の道もあったに違いない。もしわたしがリサを拒否しなければ。ノートを閉じないで、怖がらなければ。もしかしたらわたしは心の底では彼女を対等に見ていなかったのかも知れない。
彼女はわたしを利用した。でもわたしだって彼女を都合の良いものとして扱っていた。ページを開けばそこには彼女が居る。自分の好きな時に呼び出しては、彼女の気持ちなど考えずに会話に興じていただけなのだ。わたしは彼女の事をあまり聞いたことが無い。いつも話を聞いて貰ってばかりで、彼女自身を知ろうともしなかった。それが何よりの証拠だ。
……気付くのが遅過ぎた。もっと早く気付いていれば――――。
朝の静かな空気が身に染み入る。息を吸うと、嗅ぎ慣れた部屋の匂いがした。矢張り夢は終わってしまった様だ。この『物語』は終わった。一つ残っているものは――――。
わたしは黒い使い古したノートを手に取り、じっくりと見回した。ノートは手に馴染んでいる。一年も使ったのだから当然か。さようなら、『物語』達。さようなら、リサ。
ノートを机の引き出しの奥に入れ、しっかりとしまった。ノートは捨てない。また逢えるかも分からないから。この選択がどんな結末を齎すのか……。それはわたしの努力次第なんだ。
さようなら――――わたしの『友達』。
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放課後の教室を覗く生徒が一人。教室には何人かの生徒と、もう直ぐ教室を出ようとしている教師が一人。教室のドアから顔を出していた生徒はズカズカと教室の中に入り、教師の方へと向かった。
「せんせー。秋庭君は来てませんかー?」
燐太は間延びした声で目の前の女教師に声を掛けた。
「来てるけど、もう帰ったよ。……ああ、そうそう。君に会ったら伝言を伝える様に頼まれていたんだ。忘れる所だった。こういうのが痴呆の始まりという事か」
燐太は女教師を眼を細めつつ見た。どう考えても痴呆などという歳では無いだろう。
ひょっとしたら歳も、どこぞやの妖怪メロンパンと同じぐらいかも知れない。
――――あっれー? でも教員免許ってそんなに若くても取れんの?
女教師は首を傾げる燐太に微笑み掛けた。
その仕草に燐太はひやりとした。整い過ぎた顔立ちに路紅茶色の髪。
この教師。美人を絵に描いた様な人間なのだが、それは美術品の様な美しさと同種の美しさなのだ。
自然な美しさとも、整形などで得た機械的な美しさでもない。正に絵画の如き美しさ。
彼女は男子生徒や、男子教師の羨望の的にはなりえても、具体的な対象にはなりえないという稀有な人間なのである。
「それで、伝言だけど――――『心配はしなくていい』だってさ。君達、昨日喧嘩でもしたのかい?」
女教師は明らかに燐太の顔を見ながら言っている。人間らしい表情に燐太はほっとした。
「まあ、喧嘩って言えば喧嘩ですけど――――……。あの……すっげえ嬉しそうな顔すんの止めてもらえます?」
悪い笑み、というのだろうか。女教師は面白そうに口の端を歪めていた。
「どういう事か教えてくれないかな。男同士の友情というものを」
「詳しくなんて嫌っすよ……っていうかせんせーニヤニヤし過ぎ!」
「いやあ、微笑ましいなあ……って思ったのさ。これはわたしにそういう経験が無かったから羨ましがってるという事でもある」
――――相変わらずの変な口調だな……。
「女の人が殴りあいの喧嘩してたら怖いっす」
「おや、最近はそういうのも珍しくないと聞いているのだけど? くくっ」
「とーにーかーくーぅ何でもないっす!」
燐太は口を尖らせて言った。
「うん、じゃあそれはまたの機会に聞かせてもらおうかな」
「結局聞くのか……」
「それだけ聞きたいという事だよ」
「そーっすね……気が向いたらねー。それよりも……それ……此処で喰って良いんすか?」
燐太は呆れ返った表情で女教師の手元に視線を移した。教師の手にはコンビニのメロンパンがある。袋は開けてあり、丸いパンは既に齧られていて欠けている。
どうりで甘い匂いがすると思った――――と燐太は白けた眼で教師を見た。
「んー。おやつだよ。……食べる?」
女教師は歯形の付いたメロンパンを差し出した。
「食べかけなんていらないよ!?」
「あらそう。美味しいのに」
悪びれもせず、教師はメロンパンに口を付けた。
燐太はそれを眺めていると、ふいに、あの妖怪を思い出した。
「……先生ー。先生はメロンパン好きなんですかー?」
「んむ? まぁ……ね。昔の大事な人が好きだったのさ」
「まっさか死んだって事は無いっすよねー」
「死んだんだなーこれが」
燐太の表情が笑顔のまま凍りついた。
そんな燐太に眼も向けず、教師は茜色の窓に視線を遣った。遠い視線だった。
「……良い思い出だったという事さ」
「は、はぁ……思い出……」
急に重くなった空気を入れ替える為に、燐太はメロンパンから思い付いた話題を口に出した。
「……そ……そういえばー……メロンパンばっかり食べているとメロンパンの妖怪が追いかけてくるって知ってます?」
「知ってるよ」
「知ってるの!?」
「だってわたしの地元では有名だったもん。夜な夜なメロンパンを捜し求めて徘徊するんだ」
――――栖小埜葎は全国区の妖怪だったのか……。
「町内八不思議の一つとして数えられていたなぁ」
「マジですかー……」
「おやおや、話し込んでしまったね。もう行きなよ。誰か待たせてるんだろ?」
「えっ!? は、はぁ……そうっすけど……」
黒い瞳が燐太を見詰める。彼はその奥に深い蒼い色が潜んでいる様な気がした。
「良く分かったっすね……」
「伊達に長く生きてないんだ。それぐらい分かるさ。あっ……ちなみにさっきの大事な人が死んだっていうの嘘だから。まだまだ元気に生きてるよ」
「何故嘘吐いたし」
燐太は教師を見返した。教師の瞳は矢張り作り物の剥製の様だった。
「わたしは嘘吐きなんだ」
「えっ……?」
「冗談だよ~。笑って欲しかったんだけどね……」
人間らしい表情をした人形――――燐太は失礼だとは思いつつも、そう思わずにはいられなかった。
何となく居心地の悪くなった燐太は教師に背を向けた。
「いや……えっと……じゃ……じゃあせんせーさよならっ!」
「ああ。気を付けて」
慌ただしく燐太は教室を出て行く。昇降口へと待たせている二人の友人の許へと彼は向かった。
彼の後を追う様に静かに廊下に出た教師は、再びメロンパンを一口齧った。
「ふぅ……変わらず、これは甘いなぁ……。昔も今も変わりが無いという事か」
呟く彼女は何故か嬉しそうな顔をしている。残ったパンを咥えながら教師は歩いていく。
ひんやりとした廊下には、ぽろぽろと欠片が零れていった。
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ガタンガタンと繰り返し同じリズムで揺れる車内は、妙に眠気を誘う。それはこの定期的な振動が齎す効果なのか、それとも車内に満ちる暖かい空気のせいなのかは判らない。
ほんの数十秒前まで起きていた隣に座っている少女は既に眠っている。私の肩に頭を乗せ、気持ち良さそうにすやすやと。彼女とは私を挟む様にして反対側に座っている少年は呆れた表情で眠っている少女、南屋灯を見ている。彼だって、長い時間電車に乗っていればグーグー寝るくせに。
柔らかい髪の感触を頬に感じながら、私は彼の方を見た。
「灯ちゃん……寝ちゃった……」
「俺さぁ、いっつも思うんだけど……。そいつ……どこからか蝶ネクタイ付けた眼鏡の子供に麻酔針とか打たれてない? 寝るのが早過ぎる!」
「子供は寝るのが早いんだよ。ほら、子供って一日を全力で生きてるじゃない?」
「お前も、俺も、こいつも歳は一緒だけど!?」
「心の持ち様で年齢なんて超越するって誰かが言ってた」
「……誰だよ」
「私よ」
「お前かよ!」
「うるさいなぁ。車内では静かにしてなさいよ」
「うわ……何か……納得いかねえ……」
電車通学の人が少ないからだろうか、車内はとても静かでゆっくりとした時間が流れている様な感じがする。夕焼けも良い具合に射して来ているし、幻想的というか此処だけ別の世界に変わったしまったみたいな気分になる。
また電車が揺れた。
「綺麗だね」
「あー。んー。そうだなー」
何て気の無い返事なのだろうか。もう少し何か言ったらどうなんだ。
「この感動を体で表現してください」
「うわあーきーれーいーだーなー」
彼は首をぱたぱたと左右に振りながら、どうでもよさそうに言った。
「もっと扇情的に。燃え滾る何かを感じさせて欲しい」
「お前はあれだな。無茶振りの化身か何かなのか」
「だってー。こうでもしていないと眠くなるんだもん」
「ふあぁ……。それもそうだけどよ。あ……俺も眠くなってきたかも……」
「寝過ごしたら起こさないよ。灯ちゃんだけは連れて行くけど」
「差別じゃん!! 起こせよな!」
「……人にものを頼む時には?」
言われなくても起こすつもりだが、何となく言ってみた。
「藍子さん藍子さん。とっても素敵で優しい藍子さん。藍子さんなら起こしてくれるよね」
「………………」
「な、何か言えよ!? 俺が恥ずかしい感じになってんだろ!?」
冗談だとは解っていても、真正面から褒められるのは照れるものだ。
車内も赤く染まっているから、多分彼が私の顔を見たとしても気付きはしないだろう。
「……そういやーさ。お前は傷とか大丈夫なの? 無理してんじゃねえのか?」
話題を強引に彼は変えてきた。
「そうでもないよ。燐太みたいにボコボコにされたとかじゃないし」
「ふーん」
「……はい」
私は両手を彼の方に広げた。
「何だその手は? 抱きつくぞ」
「自衛隊呼ぶわよ。この痴漢」
「警察じゃなくて!?」
「燐太のセクハラは国防レベル」
「お前だって朝俺の体をあんな事に……ッ!」
あー……湿布の事か。
「人聞きが悪いわね。すーすーして気持ち良かったでしょう」
「ドMじゃないから! あんなの気持ち良い訳無いじゃん! 鬼かお前は! いや、鬼だ!」
「ふ~ん……。帰ったら全身をマッサージしてあげる。覚悟しなさい」
ベキベキと。骨が砕けるほどに……。
「遠慮しま――――」
彼の肩に腕を回す。
「しないわよね? ねぇ――――? 燐太くぅーん?」
「……!!? は……あい……! あ……」
「するなよ」
「はぁ……ッ! は……はい……」
「よしよし……楽に逝かせてやろう」
「何処にだよ……」
彼の顔が青白くなった。面白い。
「……ふぁああ……」
彼は再び欠伸をした。眠いのだろう。
「……ねえ、燐太」
零れた夕日が車内に影を落とす。頭の中がぼんやりとしてくる。
「……ん゛ー……?」
「私さぁ」
眠気からくるものなのか――――変な事を私は口走り始めている。
全てはこの曖昧な空気のせいなのだ。
「…………ん?」
「私……昨日頑張ったよね」
怖くなかったと言えば嘘になる。怖かった。
だけど、彼が私にしてきてくれた事が頭の中にあったから頑張る事が出来た。
「ん…………」
「だから……たまには褒めてくれても……いいと思わない?」
「んー」
私は横に居る彼の肩に、灯ちゃんがやっている様に頭を置いた。
これぐらいはしても良いでしょう。昨日は怖かったんだから。
「んんんー」
……様子がおかしいぞ。いつもの彼ならじっとしてる筈は無いのだが……。
私はゆっくりと彼の方を向いた。
「んん~」
彼は眼を閉じて、眉間に皺を寄せている。魘されているらしい。
……つまり――――寝ていた。さっきから返事が『んー』としか言ってなかったのはこのせいだ。
何よりも驚くべきは、彼が数秒程度で眠りに落ちた事だろう。
「…………バカ燐太……」
雰囲気も何もあったもんじゃない。ぶち壊しだ。……はぁ……しょがないか。燐太だし……。
車内のアナウンスが聞こえる。もう直ぐ駅に着く。この馬鹿と灯ちゃんを起こさないと。
手始めに燐太の肩を思いっきり、手が痛くなるぐらい殴った。
それは二駅分。ものの十分程度の出来事。
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眠気の残骸がまだ眼に残っている気がした灯はごしごしと瞼の上を擦った。そんな彼女に燐太は、呆れた様な視線を投げている。一方藍子は鞄の中からどこにでもあるケーキ箱を取り出し、その場に座り込んだ。
「そういえば、此処には何をしに来たんでっすかー?」
灯は校門の前でしゃがみ込む藍子に尋ねた。
藍子は門の端に何やら小さいケーキ箱を置くと、不敵な笑みを浮かべて立ち上がった。
「ちょっとね、友達に会いに」
「違うだろ……お前がやろうとしているのは――――」
気温が低いにも関わらず、額を汗でびっしょりにしている燐太は藍子に口を挟もうとしたが、彼女の一睨みによって沈黙した。
「友達に会いに来ただけよ。おっけー?」
「うげえ……。……あ?」
ふいに藍子から顔を背けた燐太の視界が郷愁を誘う様な落ち着いた色の景色に移り変わる。
「あれ……正一か?」
香りの良い薫風が色褪せた木の葉を靡かせる。
燐太の視線の先には、上を見上げている正一が居た。その隣に理沙も居る。
「何だあんな所に居たの。ふーん……秋葉君……やるわね……」
――――私もこれからが勝負という事か……。見習わなければ……おっしゃ。
藍子はゴクリと唾を飲み下し、燐太と灯の肩に手を置いた。
「やる? って何が……? あのう……藍子ちゃん? どうして張り切ってるんですか?」
鼻息を荒くしている藍子の様子を眺めていた灯は訳が分からず、ググッと首を捻った。
「うかうかしてられないからよ! さぁ二人共、行くよ!」
「お前なぁ……。はぁ……。おーい正一!」
燐太は声を張り上げた。
正一の顔が燐太の方を向く。正一は燐太を見ると、驚いた様に眼を見開いてから微かに笑った。燐太はそれを見て口の端を吊り上げ、大いに笑った。
――――……仲直り出来たみてーだな……。……? あいつ……んん?
燐太が正一達に歩み寄ろうとした瞬間、何処からか素っ頓狂なやけに耳慣れた声が響いた。
――――おうわッ! 落ちるぅぅぅぅぅーッ! ガラっ!? ちょっ……見てないで助け――――うわああ。
全員が眼を丸くする。そして凄まじく騒がしい何かが落ちる音がした。
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九月下旬のある日。理沙の通う高校、豊島沢女子学園の校門の端には小さな箱が置いてあった。
偶然通りかかった二人の女子生徒がその箱を発見したのは、下校時刻を少し過ぎた、薄暗い時刻だったという。
「コレ……何?」
生徒の一人はその箱を抓み上げたそうだ。
「さぁ……? ケーキ?」
証言に拠ると突如としてケーキの箱からモクモクと激しい煙が噴出。
「な――――テ、テロ!? テローっ!!」
「ヤバイヤバイヤバイ!! 先生呼んでくる! ってうわっ! 爆発した!?」
煙の噴出後、ケーキの箱は爆発。
幸い怪我人は居らず、事無きを得た。
成分鑑定の結果、ケーキの箱の残骸からは鶏の卵と思われる物質が発見された。
煙や爆発などの現象は見られたが、火薬などの可燃性物質は一切発見されなかった。
そして箱の裏面には、『いじめ、撲滅』との走り書きが見られ、これは学校側に対するメッセージだと思われる。
この事件は、正体不明のテロ組織による近年のいじめ問題に関する啓発行動との見方が多い。
しかし、真相は未だに闇の中である。
<了>
一度やってみたかったんです。爆発オチ。
それでは また次回 ノシ




